【 内弟子 】 [雑学]
【 内弟子 】
将棋連盟の会長である米長邦雄が亡くなりました。彼ほど毀誉褒貶の多い勝負師は少ないかも知れません。型破りな行動と言動、凄まじいばかりの将棋にかける情熱など、話題にことかかない人物でした。彼の実績についての論評は他の人がたくさんするでしょうから、私がでしゃばる必要はないと思います。そこで全く別の事を考えてみました。
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何時の時代も、人々は、世の中の教育がなっていないと嘆きます。政治家も教育が問題だと訴えます。 そのとおりですが、具体的に何が問題かは難しいところです。
強いて管見を述べれば、世の中には学校教育、家庭教育、社会教育の3つがあり、その3者のバランスが重要であるのは洋の東西を問いません。 今、日本で問題があるとすれば、初等教育段階で、学校教育と家庭教育がお互いに責任を押し付けあって、無責任な状態になっている事かも知れません。 社会教育はそもそも存在感が薄いし・・。
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実は、昭和時代までの日本には、もうひとつの教育がありました。それは徒弟教育です。あえて分類すれば、社会教育の一部で職場教育とも言えるものですが、それが平成の時代になってからは、姿を消しました。
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かつて職人の世界では先輩から後輩がマンツーマンで仕事を習いました。実は仕事だけではなく社会人のマナーや、人生観も学んで、皆大人になっていったのですが、そのシステムには問題がありました。マンツーマンであることは濃密な教育を受けられるということと同時に非効率であるということです。万事に合理性を求める時代にはそぐわないのです。
そして全ての大人が、全ての先輩が、教育者として適格かというとそうでもありません。変な指導者についた弟子は一生を棒に振ることになるかも知れません。
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そして、より大きな変化として、子供たちの上級学校への進学率の向上があります。
青少年が社会にでる年齢が上がり、若年層を対象とした徒弟教育はできなくなりました。人々は古典的な徒弟制度の中で教育を受けるより学校教育を選ぶようになったのです。
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しかし、日本古来の伝統的な世界では、徒弟教育が厳然として残っています。
例えば、相撲界、落語界、そして将棋界などです。今回は将棋界について考えます。
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将棋連盟のプロになるには、奨励会を通過すること、または特別の編入試験に合格することが求められますが、それとは別に、プロ棋士の誰かの弟子になることが求められます。 師匠から破門されればプロにはなれません。 その師匠と弟子の関係がまた奇妙です。 師匠から直接将棋の指導を受けることはまずないそうです。一説では、師匠と弟子が公式戦以外で対局するのは、一生に2回で、それは入門する時と将棋を辞めて師匠の元を去る時だけだそうです。
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では何をするのか?と言えば、師匠の身の周りの世話だとか、雑用だとかをするのですが、それでも弟子は師匠から絶大な影響を受けるのだとか。 本当かね?
弟子は、将棋を師匠から教わらないのであれば、若手同士で研究会をして腕を磨くしかありません。 師匠から学ぶ将棋以外のことと、若手同士の研究で学ぶ将棋のことの、二本立てで棋士は強くなっていきます。
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その弟子にも二種類あります。住み込みの内弟子と、住み込みではない通いの弟子の二種類です。昨今は住宅事情や、プライバシーの問題もあって、内弟子はほとんどいなくなりましたが、昭和の時代、内弟子の方が圧倒的に強くなると言われました。
今はそんな事を言う人はいません。
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いつの間にか将棋界は通いの弟子の時代になりました。
内弟子経験無しで、最初にA級に上り詰めたのは、大内延介九段ですが、そのあと続々と続き、A級の棋士はほとんどが、内弟子経験なしの人になってしまいました。
内弟子を経験した世代でA級まで上り詰めた最後の男は、青野照市九段と言われましたが、近年では米長門下の先崎学八段もそのひとりです。
米長は大きな家を構え、複数の内弟子を持つことができたのです。
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米長の内弟子には、先崎学の他、林葉直子もいました。ともに早熟の天才であり、先崎は名人を、林葉も奨励会を突破して初の女性プロ棋士を狙える逸材と言われました。 しかし、実現しませんでした。(先崎の方は過去完了で話しては申し訳ないのですが・・)。
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米長は、黄金のアヒルのタマゴを受け取り、育てて、銀の親鳥にしてしまいました。いや林葉にいたっては、途中で挫折したのですから、タマゴは孵らなかったとも言えます。 杉並区の教育委員も務めた米長は教育者としては成功したと言えないのかな?
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では昭和の時代、内弟子を抱えて、その教育に成功した師匠として誰を挙げるべきか? 一人は、大山康晴や升田幸三、大野源一という名棋士を育てた木見金治郎でしょう。 更に挙げるなら、中原誠ほか、一流棋士を多数輩出した高柳敏夫かも知れません。 なぜ彼らは優秀な棋士を育てることができたのか? 逆に他の師匠はどうしてそれができなかったのか?
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将棋のプロ棋士になるための勉強とは、一握りの天才を育むものであり、一般の人々の受ける教育とは違うのでしょうが、師匠による内弟子の育ち方の違いを解析していけば、そこに何らかの教育問題解決の糸口が見えるかも知れません。
教育論も盛んに展開した米長邦雄にそのあたりのことを解説してもらいたかったのですが、それもかなわなくなりました。
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ちなみに、将棋界の師弟コンビで、最高の関係とされたのが、森信雄七段と故村山聖九段の関係です。A級在位中に逝去した村山は名人にも手が届く逸材でした。彼を育てた森は、自分自身はあまり強くなりませんでしたが、名伯楽の名を欲しいままにしています。
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平成の現代、もう彼らのような師匠と弟子の関係は存在し得ないかも知れません。
将棋の世界も、やがて研究会が発展して、囲碁の木谷一門や、藤沢秀行塾のような大所帯の教育機関に変更していくかも知れません。 ちなみに韓国や中国では囲碁のエリートを要請する専門の学校があるそうです。
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でも、エリート養成学校というのは、どうも将棋の世界には似合わないなぁ。 第一、米長は学校秀才とかエリート学校というのを嫌っていたではないか?
「 兄貴は馬鹿だから東大に行った 」
・・・もうこんなセリフを言う将棋指しは出てこないかも知れません。
こんにちは。
いきつけの床屋さん「今は徒弟制度の時代でないのでもういい床屋は育ちません」といつもいいます。
娘もよそのお菓子屋で修行してませんから、将来困るだろう…と思ってます。
by 夏炉冬扇 (2012-12-20 14:44)
夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。
床屋さんも徒弟制度でしたね。 理髪師も医師も、かつてはインターン制度が
ありましたが、なくなってしまいました。 このあたり、また別のブロクに
書こうかと思います。
次のコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2012-12-22 08:42)