【 秋好天の大雁塔に登る 】 [中国]
【 秋好天の大雁塔に登る 】
取り組んでいたプロジェクトの1つの段階が終わり、懐かしい西安を離れる日が来ました。その最後の日、日本人技術者のMさんが「同僚のMさんに一度大雁塔を見せたい。一緒に登りませんか?」と提案してきました。無論、異論はありません。ただ同僚のTさんは、何度も登ったことがあり、「7階建ての大雁塔に登るのは、なかなかしんどいですよ・・」と極度に肥満した私の腹を眺めます。
・・・・・・
その昔、唐時代の詩人たちは、塔やたかどの(楼)によく登りました。友と別れる時の別離の宴、邂逅した時の宴、故郷を偲ぶ時、人々は高い所に上り、遠くを眺めたのです。我々の別離の時も近づきました。そして、高い所に登るのなら、それが岳陽楼であろうが黄鶴楼であろうが、必ず詩を書かねばなりません。それが中国人です。さて、日本人の私に試作の能力があるだろうか?
・・・・・・
タクシーの運転手は、お客が日本人だと分かってなぜか上機嫌です。私の大雁塔を意味する発音「ターヤンター」が違うと何度も訂正を入れてきます。
「不是!ターイェンターだ」と指導してもらったところで、大雁塔に到着します。
・・・・・・
早速、7階のてっぺんを目指して我々は登り始めます。「エレベーターは無いのか?」という私の質問は無視され、他の人は素早く階段を駆け上がります。私は肥満した体躯のためにどうしても遅れます。これは体力の問題ではなく、すれ違う下りの人をやり過ごすためです。長身痩躯のMさんなどは階段を上がりながら、スムーズにすれ違いますが、私はそうはいきません。踊り場ですれ違う相手を待たなければ、お腹がつかえて、すれ違えないのです。だからどうしても遅れます。
・・・・・・
そしてもう一つ、私は大雁塔で作った杜甫の詩を探していたのです。そしてそれは、階段の途中にありました(たしか4階のあたりです)。
彼の五言古詩 「高標蒼穹に跨し、烈風休む時無し・・」で始まる詩は私の好きな詩の一つです。高標は、言うまでもなく大雁塔、大空にそびえ、常に烈風を受けているが、びくともせずに耐えている・・という文章から始まる長文の詩は、孤高の存在を讃えています。
・・・・・・
同諸公登慈恩寺墖
高標跨蒼穹,烈風無時休。
自非曠士懷,登茲翻百憂。』
方知象教力,足可追冥搜。
仰穿龍蛇窟,始出枝撐幽。』
七星在北戶,河漢聲西流。
羲和鞭白日,少昊行清秋。
秦山忽破碎,涇渭不可求。
俯視但一氣,焉能辨皇州?』
回首叫虞舜,蒼梧雲正愁。
惜哉瑤池飲,日晏昆侖邱。
黃鵠去不息,哀鳴何所投。
君看隨陽雁,各有稻粱謀。』
高いめじるしが青空にまたがって立っている。そこには烈しい風がいつも吹きすさんで休止する時などない。
よほどの胸中のひろいひとでないかぎり、ここ処へ登ったなら、さまざまの憂いの心を湧きたたせるだろう。』
だが仏教の力によってこそ古人の跡をおうように我々も極楽浄土をふかくさぐることが十分できるというものだ。
天を仰ぎながら竜蛇のいわやのようなうねり路をかいくぐり、それではじめて支柱の組み合せの薄暗い所からでられる。』
北側の戸には北斗七星が懸っている。天の河が声をあげて西へ向って流れている。
太陽の御者である義和は馬に鞭をいれて白日を動かせる、秋の神である少昊はすがすがしい秋にむかっている。
忽ち長安地方をとりまく山々は錯乱粉砕しているようで、渭水・涇水の清濁もわからなくなってしまった。
下を見おろせばただ靄のように一面に気がたちこめているばかりでここが帝都かどうかもさっぱり見わけがつかないのである。』
自分は上のさまを見て首を回らして古の聖君舜にむかってさけんだ、蒼梧の方面が愁わしげに雲がとざしている
惜むべきことである、瑶池金母のところで酒を飲んで帰らなくなっているのと同じことだ、そのまま昆侖邱で日がくれかかって来ているということではないか。
黃鵠のような志は飛んでいってしまう、かなしそうに鳴いているがどこへ身をおちつけられるのだ。
・・・・・・
日本語訳については、紀頌之様のブログから引用させて頂きました。
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/archives/cat_60283405.html?p=5
杜甫は、ある年の秋、友人3人とともに、この塔に上り、世の中を憂いています。かつて大雁塔は進士の試験に合格した秀才が、最上階に登って姓名を記したとのことですが、秋の夜に登った彼らは、そんな晴れがましい気分で登ったのではありません。
李白との別れも彼の心に影を落としています。
そして、彼はやはり仏教の力にすがるしかない・・との結論をこの仏塔の中で見出しています。
・・・・・・
ところで、どうも絶句だの律詩だのは、平仄や押韻など約束事が多くていけません。私のような無知の者は、いちいち辞書をひきながら、作らなくてはなりません。これでは詩を作るのか、パズルを解くのか分かりません。やっぱり、自由に作れる古詩がいいなあ・・なんて思います。
・・・・・・
ひたすら早く最上階に登った他のメンバーに、かなり遅れて追いつき、「やはり遅れてしまいました」と苦笑いで話し、「ところで、蒼穹の単語が登場する漢詩が途中にありましたね?」と尋ねますが、誰も見ていないようです。
少し前、同行のOさんは、浅田次郎の「蒼穹の昴」にはまり、Mさんに薦めていました。Mさんもこの小説が気に入ったらしく、二人でこの小説の話題で盛り上がっています。
「オヒョウさん。中国では夜空の事を蒼穹と言うこともあるのですね」
二人の違いは、Oさんがハードカバーの本で読んでいるのに対して、Mさんは話題のコボで電子書籍として読んでいることです。 杜甫は詩の中で、蒼穹に浮かぶ北斗七星を見ていますが、浅田次郎は夜空に昴を見たのです。
・・・・・・
「ああ、杜甫もこの大雁塔の上から遠くを眺め、世の憂いを晴らすことを考えたのだな。悩みを抱えた時は、高い塔に登るとよい・・」と私は思いますが、当時の青空は今はなく、秋だというのに少し白っぽい空が広がっています。さらに遠くは白くモヤがかかっています。なるほど白秋とはこの白い天候なのか・・と変なことで納得します。 「休む時無し」の烈風は吹かず、無風の秋の土曜日です。
・・・・・・
数は多くありませんが、我々以外にも、上に登ってくる中国人観光客が続いています。 皆さん、塔に登るのが好きなのかな?
そう言えば、先日、東京に中国からの来客を迎えました。
彼らは、今が旬の東京スカイツリーにも出かけたそうですが、
「いえね。それが残念なことに、登るのに2時間待ちだというので、こちらに伺う時刻に間に合わないと分かり、登るのを諦めたのですよ。麓までは行ったのですがね」
「そんな状況では、中国人も詩が作れないだろうな・・」と私は思いました。
・・・・・・
杜甫の時代も現代も、中国は常に混沌の中にあります。反日暴動は動乱の中国の中の一部に過ぎません。この国はどこへ行くのか? 中国人にも日本人の私にも分かりません。晩唐の時代、大雁塔の中で杜甫は混沌の社会とその将来についてどう思ったのか? 杜甫から千年以上遅れて登場した、20世紀の詩人ボブ・ディランは「風に聞け」と言っています。 杜甫も風の中に蒼穹の声を聞いたのかも知れません。
・・・・・・
オヒョウも将来を知る事はできないとしても、風の声を聞く真似をしたかったのですが、前述の通り、当日は全く無風だったのです。
こんばんは。
日本は長城での遭難事故の報道頻りです。
by 夏炉冬扇 (2012-11-08 19:03)
夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。
私は現在、山西省太原におります。
明日は天津に移動します。
先月の西安に比べるとかなり寒くなって来ました。
万里の長城の吹雪ほどではありませんが。
西安出張の際、ベトナムからの出張者は寒さに驚き、当地ですぐに股引を購入したのですが、2,3日で膝小僧に穴が空いたのだそうです。
日本も冷え込み季節になってきたと思います。
どうかご自愛のほどをお願いします。
またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2012-11-08 20:17)