【 玉の輿 その2 】 [中国]
【 玉の輿 その2 】
莫言氏原作、チャン・イーモウ監督の映画「紅いコーリャン」をご存知の方には失礼ですが、ちょっと説明いたします。この物語は山東省の一女性の半生の物語です。 映画化するにあたって、チャン・イーモウ監督は独特の感性で、赤い色に特にこだわりました。
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映画の冒頭は、緋色の輿に乗って緋色の婚礼衣装の娘が野原を運ばれてくる場面です。
服の色も、輿の色も、赤ではなく紅でもなく、緋色としか表現できない鮮やかな色です。
わずかに、輿の幕の隙間から彼女の履いた靴が見えます。この靴もまた緋色です。
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姿を秘すべき花嫁の靴が一瞬見えただけで、輿を担いできた男たちは、良からぬ思いに駆られ、彼女を途中で襲おうとしますが、からくも、彼女はその危機を脱します。そこからこの物語は始まります。
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外国人である私には、或いは現代の中国人にも、この映画の冒頭が意味するものはわかりませんが、見る人が見れば、多くのことが読み取れます。これはお金持ちの元へ、なんらかの理由で、美しい娘がなかば売られる形で嫁ぐのであろうと・・・。
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良家の娘が嫁ぐのであれば、実家の家族が同行するはずです。或いは花婿をはじめ、嫁ぎ先の家人が迎えに来るはずです。美しい少女はたった一人で、しかし豪華な輿に乗って嫁いできます。これは普通ではありません。
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映画には、花嫁を迎える婿は登場しません。ハンセン氏病を患う老醜の男で、花嫁の来手が無いなか、お金で花嫁を手に入れる・・という設定です。しかし、家業は造り酒屋でお金持ち・・。なるほど、確かに造り酒屋はどの地方でも裕福だ・・。
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音楽と漢詩はイントロが大事だ・・と申し上げましたが、映画も冒頭の場面には多くの情報が盛り込まれています。以前、紹介したアメリカ映画「卒業」は、東部の名門大学を卒業した青年が、ロスアンゼルスの空港に降り立つ場面からストーリーが始まります。
それだけで、主人公の置かれた立場、周辺の環境など・・多くの事が分かります。
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話を婚礼の輿の話に戻します。
昔から、婚礼の儀は多くの人にとって一世一代の晴れ舞台です。特に花嫁にとってはそうです。移動する手段も最大限豪華な手段ということになります。
そして、日本ではその地域毎に、独特の交通手段が用いられました。
茨城県潮来の花嫁さんは、船に乗って婚家へ行きます。馬に揺られて嫁ぐ地方もあります。
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では一番豪華な交通手段とはなんだろうか?と考えた場合、それは輿であろうと私は考えます。交通機関とは典型的なサービス業であり、何人かの人が、旅客にサービスを提供するものです。それがどのくらい贅沢なものかは、サービスされる側とサービスする側の人数比で決まります。朝の通勤電車は1000人以上の乗客に対して、2,3人の運転士と車掌が対応します。 公共交通機関では一般にサービスされる方が大人数となります。
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これがタクシーとなると、乗客一人に対して、運転手一人です。人力車も同様です。
なんだ、それなら客が自分で運転すればいいではないか・・ということになります。
駕籠の場合は、一人の乗客に対して、2人の駕篭かきが必要となります。これは交通経済の観点から言えば、かなり不経済であり、贅沢ということになります。
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それが、輿や蓮台となると、一人の乗客に対して、大勢の担ぎ手が存在することになり、これは贅沢の極みです。だから、今の日本では、神様しか乗れない・・つまりお神輿しかない・・ということになります。
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この感覚は、日本でも中国でも同じはずです。だから、最も贅沢な乗り物として輿が考えられ、豪華な婚礼の際、花嫁が乗るのは輿なのである・・と私は解釈します。
ホテルには高級乗用車に乗って花嫁が到着しましたが、形だけ、お輿に乗るのかな?なんて考えながら、私はホテルの前を離れました。
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しかし・・今の中国にまだ輿があるなんて・・。
文化大革命の時、一人の人に奉仕するのは不善であり、全体の為に、全人民の為に奉仕する事が善である・・という考え方が示されました。一人のお金持ちや権力者の為に、大勢が犠牲になるのはナンセンスだという考えです。
それに基づけば、一人の人の移動の為に複数の人が世話を焼く輿に乗った移動など・・全く理不尽で認められない話です。だから中国では輿は、とっくの昔に無くなっているのか?と思いました。莫言が敢えて、革命前の、戦前の中国社会を否定的に描くのに輿を使っているのか?と考えます。
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では文革期の花嫁達はどんな風だったのか?と想像してみます。華美な服装、とりわけチイパオと呼ばれるチャイナドレスは禁止され、輿も無い中での質素な結婚式だったのではないか?と考えます。
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その文革期に結婚式を挙げた世代が、今、娘たちを嫁がせます。自分たちは何もできなかったから、子供たちには盛大な結婚式を・・という気持ちは日本人の私にもよく分かります。中国の結婚式は経済成長とともに、年々華美になる一方です。
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ああっと、言い忘れました。 多くの人に担がれて輿に乗る機会は、結婚式以外にももう一度あります。 棺に入ったあと、多くの人に担がれた輿に乗って墓場に向かうのです。
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そう言えば、「紅いコーリャン」の主人公コン・リーは、玉の輿に乗って、人生が成功したかと思った瞬間、突然現れた日本兵によって唐突に殺されます。全く取ってつけたような奇妙な終わり方に違和感を覚えたのを記憶しています。 あの最後のエピソードを加える事で、莫言は反体制派とみなされず、中国で生き延びたのだとしたら、ちょっと憂鬱な話です。
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今、日本で、お神輿ではなく、人の乗る輿が残っているか、私は知りません。もし残っているなら、生きている間にちょっと乗ってみたい気もあります。 この私の体重も、何人かが分散して受け持てば、持てないこともないだろう・・などと思うからです。
こんにちは。
愚息「逆玉」に乗せたいです…
by 夏炉冬扇 (2012-11-09 16:43)
夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。
私の愚息達は、果たして結婚できるかどうかが問題です。
逆玉であろうが、なかろうが構いません。
果たして、息子たちにガールフレンドはいるのだろうか?
またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2012-11-13 00:51)