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【 手塚治虫論 その2 】 [雑学]

【 手塚治虫論 その2 】

 

手塚治虫が、英国の作家コナン・ドイルから強い影響を受けていたことは、想像できます。 コナン・ドイルは推理小説「シャーロック・ホームズの冒険」が有名ですが、「失われた世界」などのSFも書いています。 それらに手塚治虫がヒントを貰ってSF漫画を書いた可能性があります。 

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手塚治虫の漫画「三つ目がとおる」の主人公は「写楽」、行動を共にする女友達は「和登さん」ですが、「写楽」が「シャーロック」、「和登さん」がワトソンのもじりであることは、容易に想像でき、この漫画に一種のコナン・ドイルへのオマージュが込められていると考えられます。

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「シャーロック・ホームズの冒険」を穿った目で眺めれば、二人は同性愛ではないか?と疑えます。 手塚治虫は、少年漫画で同性愛はいくらなんでも・・と考えて、和登さんを女友達にした・・というのが私の推理です。

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そして、もう一つ考えるべきことがあります。「シャーロック・ホームズの冒険」では最大の悪役・仇敵はモリアーティ教授ということになっています。これは奇妙な話です。英国でも大学教授とは尊敬される対象であり、小説に悪役として登場する事は非常に稀です。なぜ悪役が大学教授なのか? (私などは、こんなに悪事を働いていて、モリアーティはどうして大学を首にならないのか?と思ったりします)。

モリアーティ教授を悪役にした理由はひとつ、コナン・ドイルが教授ではなかったからです。 コナン・ドイルも手塚治虫も、一般人と同じく、優越感と劣等感の両方を持っていたに違いありません。 それが、教授と博士の違いに現れます。

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そこには欧州の知識階級の中での身分制度の問題があります。

ある個人に高い学識があると公式に認めて授与する称号が博士ですが、それが最高位ではありません。さらに学生に高度な学問を教える資格を以って、最高位とします。

それが教授です。

大学院に多くの学生が進学し、博士号取得者がゴロゴロいるドイツなどは、非常に複雑で、博士のうえに教授博士があり、その上に本物の教授があります。

教授博士は、別に大学で教壇に立つ必要はありません。教授という資格を貰って満足すればいいのです。あるドイツ人の博士などは、生涯研究を続け、晩年になって教授博士の学位を貰い、「よかった。これで私の墓碑にプロフェソールドクトルという肩書きが書ける」と涙を流して喜んだとか・・。つまり、インテリの最高位に博士がいるのに、その上に存在する教授というのは「目の上のたんこぶ」だ・・。

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コナン・ドイルも手塚治虫も医師です。しかし教授ではありません。

ちなみに手塚治虫は医学博士ですが、コナン・ドイルはただの医師と思われます。

それにしても博士号を取得していない医師も含めて、医者全体をドクターと呼ぶのは間違っているのではないか? ドクターと呼ぶのは医師に対するオベッカなのか?

どうも医師の世界には奇妙な表現があります。 学部をでたばかりのレジデント(研修医)にベテランの医師が先生・・と呼んだりします。

私の畏友M君は、かつて、博士号を持たない医師に対して、ドクターと呼ぶのは悪しき習慣だと言っていました。

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いずれにしても、インテリの代表である医師・医学博士にとって、邪魔なのはその上位にいる教授かも知れません。あるいは大学に残れなかった恨みか? だから、教授を悪者にするのか?

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実は手塚治虫も、博士を好意的に取り上げる一方で教授を悪者にしています。

彼の作品「きりひと讃歌」は、奇妙な難病に罹る大学病院の若い医師が主人公ですが、そこにも教授は狡猾で冷たい存在として登場します。 手塚は作品中でも山崎豊子の「白い巨塔」に触れており、その影響を受けた事をあきらかにしています。

そして、医学部の教授とは、権威主義的で狡猾な存在として類型化してもよいと認めています。

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コナン・ドイルは医師ですが、医学者として或いは医師としてあまり優秀だったとは思えません。医学校を卒業してすぐ眼科医として開業しますが、全くはやらず、暇を持て余した挙句、小説を書き始めたそうです。

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一方、手塚も阪大の医学部で博士号をもらったエリートではありますが、医師として医学者としての活動はほとんどありません。医学の最新の知識に疎かったことは、前回申し上げた通りです。即ち、二人にとって、医師であることは重要だけれど、資格だの権威だのはむしろ忌避すべき存在だったのです。だから、医師としての技術があれば、ブラック・ジャックは無免許で良かったのです。

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そして、だからシャーロック・ホームズに登場するワトソン君は教授ではなく、インド帰りの町医者で、ストーリーの中では何ら医療行為をしなくてよかったのです。

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一方、博士の方は善玉です。前に述べた通り、医師も博士も同じようにドクターであり、混同されます。だから手塚もドイルも、ドクターをよしとしたのか?

手塚治虫が開拓したSF漫画では白衣を着た博士が大活躍します。天馬博士にお茶の水博士・・。 それに影響を受けた石森章太郎の作品にもギルモア博士が登場します。外国のSFではドイルの作品はともかく、必ずしも博士は善玉ではありません。

ジキル博士はまあ、善玉ですが、フランケンシュタイン博士は化物を作る一種のマッド・サイエンティストです。 手塚の作り上げた世界だけが、博士を善良で万能の知識人として扱っています。

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手塚と同時期に活躍した漫画家達、さらにそれに続く若い漫画家達は、手塚の世界を更に広げ、より深化させました。 漫画というジャンルからは劇画というジャンルが派生し、ある部分では手塚の作品を凌駕し、手塚の漫画を時代遅れにしていきました。

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手塚は、ある種の焦りを感じたのかも知れません。ならば、他の漫画家が入り込めない領域、自分しか作れないものを作ろう・・。その思いの中で、彼は医学漫画という世界を切り開き、「きりひと讃歌」や「ブラック・ジャック」を作り出したのかも知れません。

まあ、「ブラック・ジャック」を彼の焦燥感の現れとするのは、かなり牽強付会ではありますが・・。

手塚が逝って、もう24年、いまだ医学博士の漫画家が再び現れたという話を私は寡聞にして聞きません。

 


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yusai-zenji

ご無沙汰してます。いま、日本ですか? ハヤオ氏文化功労者という時に手塚論は、ちょっと時期はずれな感じですね。まあ、私はジブリ、あまり興味ありませんが。

ともあれ、手塚を賞賛するにしてもこき下ろすにしても(それにドイル論を重ねても)、今の時期にどうなんだろう?、という気がします。かつての少女漫画は手塚作品の延長上にある、などと評価されたこともありましたが、いま深夜枠で流されているアニメの大半は、手塚的な手法(作り方だけでなく、マーケティングも含めて)とほとんど無関係です。かといって、手塚作品を古典として評論する意味があるかというと、違うような?

JR高田馬場駅の山手線発着音のように、彼の業績?は顕彰されているのかもしれませんが。
by yusai-zenji (2012-10-31 08:26) 

笑うオヒョウ

Yu-sai-Zenji様 コメントありがとうございます。

鋭いご指摘に返答に詰まりますが、そいう場合の回答は長文になります。
そこで、【 手塚治虫論 その3 】を心ならずもしたためました。

ご一読いただければ幸甚です。

またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2012-10-31 21:46) 

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