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【 手塚治虫論 その1 】 [雑学]

【 手塚治虫論 その1 】

 

以前、私のブログで、いつか漫画評論が世の中に認知され、やがては漫画評論界の小林秀雄と呼ばれる人物が登場するとは思わない・・・と書いたところ、読者諸兄からお叱りを頂きました。「そんな事はない。漫画評論は一ジャンルとして確立しつつある・・」とのご指摘です。仰せの通りで、私は自分の予想を撤回したのですが・・・、その後、実は漫画評論はあまりパッとしません。

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関川夏央の「知的大衆諸君、これもマンガだ」や、いしかわじゅんの「漫画の時間」の他、呉智英や、夏目房之介から単発的に面白い本がでますが、系統的に漫画評論を進めるシステムがありません。まあ、精華大学あたりでは、漫画評論の卒業論文も生産されているでしょうが、専門家(そんな者いるのか?)の査読に堪えうる論文が生産されているかは不明です。

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それはなぜか?と考えると、世に存在する漫画が、あまりに大量生産・大量消費される一方で、あまりに早く忘れ去られる存在だからです。消耗品は評論の対象になりにくいのです。 忘れ去られる・・とは、例えば西村京太郎の鉄道推理小説のようなものです。 東京駅の売店で買い、流し読みしたあと、新大阪駅の屑篭に放り込まれる消耗品だということです。誰も西村京太郎の作品を文学作品として評論する人はいません。実際、漫画が記憶に残る期間はあまりに短いのです。

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夏目漱石や森鴎外は、百年以上経ってもいまだに読まれ、いまだに卒業論文はおろか、博士論文の対象になります。一方、漫画はどうか? 今から10年前に書かれた作品で記憶に残るものは、幼児向け作品やアニメ化されて再放送されたものなど、ごくわずかです。

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評論されるということは、作者の死後もその価値が残存するということです。俗に「棺を蓋うて人定まる」と言いますが、一人の作家の価値や思想を考察するのは、彼が他界してからの方が好都合という事があります。 芥川龍之介も川端康成も三島由紀夫も亡くなってから、彼らの研究が進みました。

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一方、忘れ去られる漫画ではどうか? 雑誌での連載が終了するとまもなく忘れられ、作家が亡くなった頃には、多くの作品を記憶している人が少ない・・という事態になります。 これでは評論が書けません。

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私は、大物漫画家が死去したあとに、評論が出るか?と思った事が何度かありますが、期待はいつも裏切られています。 赤塚不二夫が死んだあと、「赤塚不二夫研究」なる本が上梓されたとは寡聞にして聞きません。 或いは「田河水泡とのらくろについての考察」だとか、「横山光輝の中国歴史観」というのも期待したのですが無駄でした。 まあ、横山光輝の後期の作品は原作がある物語を劇画化しただけですので、評論にはなりにくいのですが・・・。

大物漫画家ではなくても、杉浦日向子と彼女の作品群は、評論に堪えうる内容を持っていたのですが、誰も顧みず、彼女の作品群はやがて埋もれていきます。

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関川夏央の「知的大衆諸君、これもマンガだ」には、存在感のある作品だけがとりあげられていますが、それらの作品のほぼ全部は、現在書店で贖うことができません。読者がたとえ知的大衆であっても、それらは全て忘却されたに違いありません。

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ただでさえ、消耗が早い漫画作品ですが、もう一つの問題があります。ごく近い将来、多くの書籍が電子化され、液晶画面で読まれることになりますが、その際、電子化されず、紙の媒体で残された旧作品や古本は忘却の彼方に行く事になります。

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その漫画界、漫画評論界に於いて、例外と呼ぶべき作家が一人います。上記の指摘がどれも当てはまらない作家・・それは手塚治虫です。

確かに彼は偉大な存在でした。 それまで活字メディアに対応できない人への幼稚な表現手段に過ぎなかった漫画を、大人も楽しめる文学の一領域にまで高めたのは彼の功績です。 これは外国に行くと端的にわかります。手塚のいなかった外国の漫画はながく幼稚なコミックのままでした。これは朝日新聞も、そして関川夏央も認めています。

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もう一つ重要なのは、漫画界の黎明期にあって、手塚は多くの後輩を育て、面倒をみ、漫画やアニメ文化の発達そのものに尽くしました。 昭和の時代、彼の元に集まった漫画家群は数多く、彼の影響を受けた漫画家・・といえば、逆にそうでない人を探すのが困難でした。いわば、漫画界の漱石山房です。

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しかし、その弊害もでています。 いつの間にか、この巨人は神格化され、批判を許さない存在になりました。多くのメディアが彼を褒め称え、貶す言論は皆無でした。ギャグ漫画家コンタロウなどは、自分の作品の中で手塚治虫を讃仰しています。

それらの様子を、関川夏央は「手塚の他に神はなし」とイスラム教の文言に例えて、揶揄しています。 つまり漫画界は手塚治虫の批判・批評すら許さない世界になったのです。

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では実際の手塚はどうか?といえば、素晴らしい作品をあまりに多く残していますが、

一方で問題も起こしています。 虫プロを倒産させ、多くの社員を路頭に迷わせたこともありますし、少年漫画「どろろ」は子供向けとしてはあまりに刺激的で不適切と糾弾されたこともあります(大人向け作品としては十分に面白いのですが)。

「不思議のメルモ」では性教育の代わりを漫画にさせるのか?という意見もありました。 勿論、当時、漫画に対する世間の理解が乏しく、つまらない偏見に基いて彼が非難された濡れ衣ともいうべき面もあります。

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また、彼は医学漫画(奇妙なジャンルですが)でロボトミー手術について、肯定的な取り上げ方をして、被害者団体から厳しい指弾を受けています。

当時、東大の台(ウテナ)教授らが執刀したロボトミー手術は、脳の神経回路を意図的にメスで断ち、患者の人格や性格に不可逆的な影響を与えるものとして、患者の人格を無視した非人道的な行為として指弾されていました。

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医学博士とはいうものの、ロボトミーについて深く知らない手塚が、安易に漫画に登場させたものでしょう。 知ったかぶりという点では、クローン製造技術が話題になった頃、彼は早速作品の主人公にクローン人間を登場させていますが、内容は全く荒唐無稽で、実際のクローン技術とは無関係なものでした。

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そう、手塚治虫は、医師で医学博士で漫画家という、稀有な存在でした。 これは彼を語る上で重要なポイントです。別の漫画家と差別化するため・・とまでは言いませんが、彼は積極的に医学を漫画のテーマに取り込み、医学漫画(オヒョウの造語です)と言うべきジャンルを開拓しました。

他の漫画家の医学漫画は、専門家の監修が必要ですが、彼の場合は自分の知識で対応できたのです。

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しかし、漫画家として成功し、実際の医療現場からずっと離れていると、どうしても、知ったかぶりをせざるを得なかったのです。ロボトミーもクローンもそのひとつです。

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医師であり漫画家である存在を、他の医師である作家と比較すると、面白い事が分かります。 どうしても、医師である作家は、医師を主人公とした作品を多く書きます。

例外は安部公房くらいか? そして、登場する医師は他の一般の人々に比べて上位の(スーペリオールな)存在として描かれます。 そして基本的に医師の行為、思考は肯定的に表現されます。確かに作者は常に医師という存在にシンパシーを感じているようです。「医者だって人間だよ」という観点から、あえて医師の人間臭さを表現した、加賀乙彦、見川鯛山、南木佳士といった人も、必ず、医師は普通の人より優れていて教養や分別がある・・という立場をとります。それを医師作家の優越感と言えるかどうかは分かりませんが・・。 実は、手塚治虫も全く同じです。彼も他の医師作家と同様です。彼の代表作のひとつ「ブラック・ジャック」では、主人公は常に人を救うスーパーマンの外科医として描かれ、医師とは格好いい善玉として扱われています。そして、その対価として法外な報酬を要求することをも肯定的に描いています。

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「生命を助けてやるのだから、莫大な請求をしたって当然さ」という発想は、当時の医師会の会長だった武見太郎の考えに近く、それを漫画で主張するというのは、手塚があくまで医師であり、医師側の考えを持つ人物だったということです。しかし、ここに奇妙な問題があります。ブラック・ジャックは、今流行のニセ医者だったのです(正確には無免許医)なのです。これは不思議なことです。日本の現代社会で医師ほど強固なギルド組織を持つ団体はないのですが、そのギルドのメンバーであるか否かは、ひとえに医師免許を持つかどうかで決まるのです。 強いエリート意識や優越感は、医師免許を持っている事だけに由来するのであり、手塚治虫も例外ではありません。

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では、なぜ彼は、無免許医のブラック・ジャックをヒーローにしたのか? それは彼が医師である優越感と同時にある種の劣等感をもっていたからだと、私は推理します。

そして、それを考察するには、同じく医師で作家であったコナン・ドイルと比較する必要があります。

 

以下 次号


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夏炉冬扇

こんばんは。
「加賀乙彦」一時期読みました。
博多人形、1月イベントでやります。
by 夏炉冬扇 (2012-10-28 22:24) 

笑うオヒョウ

夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。

加賀乙彦は、必ずしも私の好きな作家ではありませんが、私が興味を持つ「北國文華」誌に連載をしています。あまり読者のいない雑誌ですが・・。

それから、金沢の誇る泉鏡花文学賞の審査員もしていたような・・。
手塚治虫論は、その2で一旦止める予定です。
またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2012-10-29 02:15) 

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