【 橋本健二氏と漫画 】 [金沢]
【 橋本健二氏と漫画 】
前回、名前をあげた橋本教授なる人は、マルクス・レーニン主義をいまだ信奉する方で、まさに昭和を引きずっている人かも知れません。ご本人は多分西暦の方を好むでしょうから、20世紀を引きずっている・・という事になるのでしょうが・・・。
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マルクス・レーニン主義を実践して国家運営がうまくいった国が無い以上、橋本氏の説に簡単に賛同する訳にはいかないのですが、部分部分でみると、最近の日本社会で進む階層化(正規雇用と非正規雇用)の問題、長すぎる残業時間などの過酷な労働環境、貧弱な生活インフラなど、彼の指摘が的をえている部分は確かにあります。
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そして面白いのは、彼が雑文に記している、東大入試やマンガ論です。
例えば、北国新聞に寄せた文では、北陸地方から東大に進学する人々について論じています。興味深い内容です。
http://www.asahi-net.or.jp/~fq3k-hsmt/zatsu/zatsu01.htm
石川県と富山県で東大合格者数に差があるのは、石川県人や富山県人には周知の事実です。彼はこの点に着目し、その持つ意味について論じているのですが、しかし、いかにも考察が浅いのです。この現象はもっと多面的に考察されるべきです。私が大学の先生で、学生がこのレベルのレポートを書いてきたら、多分「可」しか付けないでしょう。 その詳細については、別稿で述べたいと思います。
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さらに面白いのは、少年漫画を階級論から論じている文です(出典を失念しました)。
ある専門をもつ人は、世の中の森羅万象を、自分の専門分野の観点から見てしまうそうです。彼の場合は、目に映る全てのものを階級論の観点から分析したのでしょう。なんでも彼によれば、漫画「巨人の星」も「あしたのジョー」も全て階級闘争を書いている・・というのです。これはある意味当然です。大学教授に指摘して貰わなくても、読者は全て理解しています。
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これから先は、橋本教授に対抗するマンガ論です。
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原作者梶原一騎は、常にある種のコンプレックスを持った存在が、それをバネに何かに挑戦し、挫折と克服を繰り返しながら、成長していく過程を物語にしています。
これは単純ですが物語としては大衆受けするパターンで、少年向けの物語のストーリーとしては好適です。 そしてその物語の中で、チャレンジする対象として、最も一般大衆にうけるテーマはスポーツです。一方、コンプレックスの内容として、読者の最大公約数的な人々が共感できるのは貧困です。そこを見ぬいた梶原一騎は、スポーツ根性もの、俗に言う「スポ根漫画」なるジャンルを確立しました。
貧しい家庭で育った星飛雄馬が、銀の匙をくわえて生まれてきたような存在である花形満をライバルにして成長する話が「巨人の星」。
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流れ者で少年院出身の矢吹ジョーが、お金持ちの庇護の元に暮らす力石徹に対決するのが「あしたのジョー」だというのです。 確かにそうですが・・、話はそう単純ではありません。 力石徹だって、決してブルジョア階級という訳ではなく、やはり少年院出身のドロップアウト組です。「巨人の星」に登場する星飛雄馬のライバルである左門豊作もまた貧しい家庭で育った人物です。
登場人物をプロレタリアートとブルジョアに色分けして対決させる構図にむりやり帰着させるのは、橋本教授の牽強付会というものです。
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もし階級闘争・・を本当に漫画にするなら、星飛雄馬に赤旗を振らせて、巨人軍の選手会を正式の労働組合として認めるよう、オーナーやコミッショナーにかけあう・・というストーリーになるでしょうし、そもそも落伍者を生み出すようなプロスポーツの世界はけしからん・・なんていうメチャクチャな内容になるでしょう。 そうなると、もはや新聞赤旗に連載するしかありません。
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おちょくるのはその程度にして、梶原一騎のスポ根漫画が、コンプレックスをバネに努力する少年像を明確にした功績は認めるべきです。
よど号ハイジャック犯が「僕はあしたのジョーになる」という迷台詞を残した時、私は、将来、あのハイジャック犯は後悔するのではないか?と思いました。彼に分別ができた頃、自分の思想と行動のよりどころに漫画の主人公を挙げてしまったという安っぽさを恥ずかしく思うのではないか? 実際、彼がどの程度の思想を持っていたかは不明ですし、彼が後悔しているかは不明ですが・・・・。
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ただ、確実に言えるのは「あしたのジョー」の主人公は、ある種の屈託をもった拗ねた存在であり、それに共感を覚えた左翼少年は、その当時相当数いたということです。
橋本教授はその点に着眼したのかも知れません。
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ところで階級闘争・・換言すれば、貧者と富者の対決はスポコン漫画の専売特許か?と訊かれたら、そんなことはない・・と否定できます。
スポコン漫画が登場する前から、つまり梶原一騎が登場する前から、少女漫画の世界では貧困を背景に、けなげな主人公が頑張る・・というストーリーはごく普通にありました。多分橋本教授が幼稚園の頃ですが・・。私はそれを「シンデレラ型少女漫画」、または「おしん型少女漫画」と呼びます。 明確な対立の構図や競争が無ければ、これを階級闘争もの・・と呼ぶには無理がありますが、その原型ではあります。
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スポコン漫画は少年漫画、少女漫画の両方に存在しますが、その登場前、つまりプレ梶原一騎の時代、少女漫画は少年漫画よりもちょっと複雑で大人びていました。貧困などの社会的な問題、そしてジェンダーの問題を、少女漫画では取り上げていました。ジェンダーを強く意識した「リボンの騎士」、これは後に「ベルサイユのバラ」のオスカルになります。 このタイプの少女漫画を私は「宝塚少女歌劇型漫画」と規定します。
その系譜は今もつながり、手塚治虫の弟子?である石坂啓あたりの作品にちらりと見られます。
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同時期(昭和30年代)の少年漫画はもっと無邪気でした。 一部に戦争漫画や忍者漫画もありましたが、スポーツ漫画もありました。しかし、その内容は、寺田ヒロオの「スポーツマン金太郎」のような無邪気なもの、あるいは一峰大二ら多くの作者が手がけた「魔球もの」というべき荒唐無稽な作品が主でした。
その少年漫画の「魔球もの」スポーツ漫画と、少女漫画の「おしん型」漫画を融合させてスポ根漫画という新ジャンルを築いたのが梶原一騎です。
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だから階級闘争の漫画を梶原一騎が作った訳ではありません。
ではスポ根漫画はそのあと、何時、どのような経緯で廃れていったか?
それは階級闘争の敗北とつながるのか?
これを論じる上で重要なのが、車田正美の「リングにかけろ」というスポ根漫画です。
この一種のボクシング漫画は、連載中に、古典的な(梶原一騎型の)スポコン漫画から、超人・魔神級の選手が登場する荒唐無稽な漫画に変質しました。
後者は「魔球もの」とも言えるのですが、敢えて名付けるなら、「アストロ球団型」漫画となります。今なら「ワンピース型」でもいいかも知れません。
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初期の「リングにかけろ」はあまりに類型的な「階級闘争漫画」でした。 親のいない貧しい姉弟が、お金持ちの家に小間使いとしてはいり、その家の少年にいじめられます。 その家のダイニングとは・・、立派なテーブルの上には果物の盛られた皿が乗り、壁際には給仕が立ち、中央に座る主人はガウンを羽織って、口ひげをたくわえています。 夏目房之介かいしかわじゅんが漫画評論にこの漫画を取り上げ、あまりにステロタイプなお金持ちの描き方だ・・と冷笑しています。 お金持ちを描くのにワンパターンの絵しか描けないのはイマジネーションの貧困・・というわけです。
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その作者が、ある日突然、編集者の強い慫慂により、路線を転向します。その結果、この漫画は人気を得て成功するのですが、それはなぜか?
漫画編集者は、時代を読み、もはや単純なスポ根ものは流行らないと見ぬいたのです。それはどうしてか?
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高度成長期を経た後の日本では、すでに生活にゆとりがあり、がむしゃらに頑張って貧困を脱出するという生き方が共感を得られなくなりました。 そして青年たちは学生運動に挫折して、ある種類の冷めた状態になりました。熱血根性型の漫画ではなく、ナンセンス漫画あるいはギャグ漫画が好まれる時代になりました。更に時代が下ると、漫画はもっと幼稚になっていきました。
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今、廃れてしまったスポ根漫画が登場するのはパロディの世界です。眼の中にメラメラと燃える炎を見せ、ツギのあたったズボンを履く星飛雄馬、やたらと頑固でちゃぶ台をひっくり返す星一徹は、今でもTVのCMに登場しますが、全てパロディの対象です。彼らに感情移入して感動する人はいません。
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「スポ根漫画は階級闘争漫画だ」という橋本教授ですが、そのスポーツ根性ものの漫画が過去のものになりパロディ化したのなら、階級闘争も挫折し過去のものになったということです。彼はそれを認めるのか?
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今、中国で人気がある日本の漫画は、ワンピースだったり、クレヨンしんちゃんだったり、ケロロ軍曹だったりします。 実際は、漫画本で読むよりアニメを見る方が多いのですが、ファンの多くは小学生の下級生以下です。 大人がワンピースを見るという事はちょっと想像できません。 そして、文化大革命という極めて熾烈な階級闘争を経験したこの国ではスポ根漫画は全く流行りません。 おそらく理解もされないでしょう。
もう階級闘争はコリゴリだから、それを表象するスポ根漫画は好きになれない・・というのなら、橋本教授の説は当たっているのかも知れません。
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でもマルクス・レーニン主義を標榜するこの国で階級闘争が最も忌まれていることを橋本教授がどう説明するかは私には分かりませんが・・。
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