【 序破急 その3 】 [雑学]
四日市の能の感想をどうまとめようか・・と思っていました。「鉢の木」のストーリーは良く知られています。 最初の口上では、かつて学校の修身の教科書に登場したので年配の方はよくご存知です・・という説明があって会場を沸かせました。
・・・・・・
そのあらすじを申し上げるのも無粋ですが・・、ある雪の日に旅の僧が、上野の国、佐野源左衛門常世の茅屋に一夜の宿を求めます。 零落した佐野源左衛門は何のもてなしもできない・・といいながら由緒ありそうな松、梅、桜の鉢の木を切って、火にくべ、僧侶に暖をとらせます。旅の僧が彼の過去を尋ねると、だまされて領地を掠め取られたことや、落ちぶれたりとはいえ御家人のはしくれ、いざ鎌倉のさいには、馳せ参じる覚悟であることを述べます。その後、暫らくして、鎌倉幕府から関東一円の御家人に対して、鎌倉に集合するよう大号令がかかり、佐野も駆けつけます。 そこに現れたのはくだんの旅の僧、実は先の執権である北条時頼であり、佐野の忠義を誉めて、奪い取られた土地を返し、それに加えて、もてなしの礼として、松井田、桜井、梅田の3箇所の土地を領地として与えた・・というものです。
・・・・・・
人口に膾炙した物語ですが、私はこれは、「水戸黄門」の話の原型ではないか?と 思います。 地方に理不尽な仕打ちにあって困窮している人がいる。 そこに諸国を漫遊する謎の人物が現れて、もてなしを受ける。 事情を知ったその人物は、実は権力者・・というかスーパーマンで、正体を明らかにすると、たちどころに問題を解決し、正義の人たちは救われる。・・・というストーリーで、これは外国にもあるパターンです。・・・・・・
能のストーリーとしては、やや通俗に過ぎるのではないか?とか、台詞がやたらに多く、舞がほとんど無いではないか? とか思いますが、分かり易いという点ではありがたい謡曲です。
・・・・・・
私がこの時の能で特に感心した・・というか特に印象に残るのは、ワキである旅僧(北条時頼)を演じている、福王和幸です。 彼は常に朗々としたハリのある声を出し、常に姿勢は真っ直ぐで堂々とし、かつ顔はハンサムです。今風に言えばイケメンです。私より若い世代の能役者で、こんなに格好いい人物がいるとは知りませんでした。
・・・・・・
かつて、江戸時代の武家社会では、能役者というのは人気を競うアイドルタレントみたいな存在だったようです。 しかし、現代でも福王和幸のような能役者であれば、ファンクラブがあってもおかしくないな・・・・なんてことを考えていたら、既にありました。現実は私の想像をはるかに超えています。http://benio418.fc2web.com/
桜花抄というのだそうです。なんだか競馬みたいな名前のファンクラブサイトですが。
・・・・・・
そんなことを書きかけていたら、1月2日の夜、NHKのEテレで厳島の観月能の放送がありました。 これは昨年の10月10日に演じられたものです。演目は「融(とおる)」です。 そこに登場するワキの旅僧が、四日市での演目「鉢の木」のワキである北条時頼(旅僧)と実に良く似ています。 同じように、小袖に角帽子の僧形で、面はありません。 でも福王和幸よりは、少し老けています。 これは誰か?とインターネットで調べたら、福王茂十郎とあります。 福王和幸の父親でした。 こちらも名演です。うーむ、能を古臭い、お年寄りの趣味人が好む芸能とするのは間違いのようです。
・・・・・・
そこでもういちど、能と、現代の演劇の違いを考えて見ます。私が考える能の特徴とは、下記の2点です。ひとつは、ストーリーが最初から分かっているということです。能や歌舞伎はサスペンスドラマではありません。 観客は次の展開がどうなるかに興味を持って舞台を見る訳ではなく、既に知っている物語、既に暗記している台詞を聞いて楽しむのです。 これは、能だけではありません。歌舞伎もそうですし、古典落語だってそうです。 それでなお楽しめるのは、既に良さをしっているファンだからです。 逆に言えば、そうでない人、つまり初めての観客にはとっつきにくいのが古典芸能です。 これは、欧米の古典演劇、オペラなどでも同じでしょう。一度、見てしまったら興味が半減する映画やTVドラマとはそこが違うと私は考えます。
・・・・・・
もうひとつの点は、観客と演じ手に共通する世界があるということです。通常の演劇・芸能では演じ手と観客は、隔絶された世界にいます。しかし、能の場合、自ら能を演じたり謡うことを趣味にする能楽ファンがいます。 囃子方や舞は難しくても、地謡の部分を口ずさむ人は観客の中に少なからずいます。これは多分、能楽だけの特徴ではないでしょうか?落語が好きで、古典落語をそらんじているファンでも自分で落語を語る人は希です。歌舞伎が好きで、台詞を覚えている人でも、自分で歌舞伎を演じようという人も希です。 歌舞伎は、他の芸能と違い、かなり濃いエンスージエストによって支えられていると思います。
・・・・・・
それはともかく、伝統を墨守するだけでは、能楽は今後衰退していくかも知れません。これから、能楽をさらに盛んにするにはどうすべきか? どちらかというととっつきにくい難解さを持つ能を、若い世代に理解してもらうには、福王和幸のような若手に、能だけでなく現代演劇にも出演してもらい、広く能楽を知ってもらう必要があります。以前、狂言役者がNHKの大河ドラマに出演したりして、ちょっとした狂言ブームが起きましたが、すぐに忘れられました。 能や狂言をポピュラーなものにするには、もっと息の長い活躍が必要です。 過去に能役者(というより能楽家)で現代演劇に登場した人といえば、観世栄夫を思い出しますが、彼の後が思い浮かびません。だから、若いイケメン役者に頑張ってもらうしかありません。
・・・・・・
もうひとつの方法は、現代劇や外国の演劇を取り入れた新作を作ることですが、これは非常に難しいでしょう。 例えばシェークスピアのマクベスを能にすることはできるかも知れませんが、失敗すれば、非常に見苦しいものになります。東洋の古典ならともかく、西欧の物語を下手に導入すれば、能楽自体を破壊します。私の知る限り、西欧の話を日本の古典芸能に取り入れて成功したのは、三遊亭円朝の落語ぐらいです。
・・・・・・
あとは、これも能文化の破壊になるかも知れませんが、まじめくさった演劇である能に、ユーモアというか、可笑しみを与えることも重要かも知れません。演目「鉢の木」では、源左衛門常世の瘠せた馬やみすぼらしい具足がひとつのポイントになっており、ユーモアをもたらすポイントは随所にあります。 演出方法に変革があって然るべき・・・と私は思います。
佐野の馬、戸塚の坂で、二度転び
謡曲「鉢の木」を思い返す時、私はそんな古川柳を思い出してしまいました。
お早うご゛さいます。
能楽堂が福岡市内にあるので1度だけ観に行ったことがありますが、さて何を観たのか…。狂言もよく覚えてません。
狂言は別の場所でもう1度。その時泣く・笑うという仕草の手ほどきを受けたのを記憶してます。
by 夏炉冬扇 (2012-01-04 09:07)
能も歌舞伎も(舞台では)見たことがない・・・ので、
(大阪に住んでるのに!)何とも言えませんが、
確かに、古典芸能は「知っている演目」を見る・聞くことになりますよね。
オペラも、落語も。そして、オペラも落語も、ひょっとすると歌舞伎も、口ずさむ(というか、ほとんど素人ながら「演じる」)観客は、多いと思いますよ、現に私も、やりますもん(オペラと落語)。
結局はどこまで「楽しいか」でしょうねぇ〜。
それでいくと、「能」はなかなか厳しいですよね。「舞」が入るから。
今年は一回くらいは「能」も間近で見たいものです。
by おじゃまま (2012-01-04 23:31)
夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。
能については、見てみたいけれど、なかなか機会がありません。
他の演劇や映画なら、何日間も劇場にかかるのですが、能は1回だけですし、
会場もありません。
それと、もうひとつ、本質的な問題として、能楽鑑賞・・というとなんとなく。上品ぶっているようで、他人にあまり言えないという事情もあります。
またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2012-01-05 01:28)
おじゃまま様 コメントありがとうございます。
オペラのセリフを記憶して、口ずさめるというのはすごいですね。
私には日本語でもできません。 ましてドイツ語やラテン語となるとお手上げです。 かつて外国でオペラを見た時は、舞台の上に、英語のテロップが表示され、なんとかあらすじを追う事ができた・・というありさまです。
その時、一緒に見た私の家内は、歌を歌いたいから、大学の第二外国語はドイツ語を選んだと言っておりますが、いまだ家内のドイツ語の歌を聞いた事がありません。
またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2012-01-05 01:33)