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【 故郷を離れる歌 】 [雑学]

【 故郷を離れる歌 】

You Tubeで、故郷をキーワードにして、検索をかけると膨大な量の楽曲がリストアップされます。そのなかでドイツの古い歌「故郷を離れる歌」を聞きながら考えます。

今、マスコミでは福島第一原発事故のために、故郷を離れざるをえなくなった人々や市町村の話題をとりあげています。地震や津波では致命的な被害を受けなかったのに、放射能汚染の為に故郷を離れざるを得ない人々の苦悩を色濃く表現し、それは自動的に東電さらに原子力発電を推進した人たちへの憤りに転換する形の報道がなされています。

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たしかに人生の老境にさしかかり、自分の慣れ親しんだ土地に暮らせなくなるという悲劇は、単純に嘆くにはあまりある出来事です。

しかし、まだ人生の佳境にある働きざかりの人たち、人生これからという若い人たちまでが、住み慣れた土地を離れ、友と別れる苦衷を語るのを聞くと「待てよ」と言いたくなります。

たしかに理不尽な話ではあるし、被害者であるのも事実だけれど、故郷を離れる事は、天が裂けて落ちてくる程の厄災なのか? 肉親を業火で焼かれた原子爆弾のように嘆き悲しみ、絶望の渕に落とされる悲劇なのか?

決してそうではないでしょう。

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日本人は土地に執着する民族ですが、それでも福島県の被災地域の人達には、そんなに住み慣れた土地を離れるのが嫌なのか?と尋ねたくなります。日本人だって多くの人が生まれた土地を離れて人生を送っています。

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いや、もっと言えば、明治以降の日本の歴史は故郷を離れる歴史です。

日本の産業と経済は、故郷を離れた男達によって作り上げられました。

勿論、ふるさとに残った人も多いのですが、その彼等にふるさとに残る権利を強硬に主張する資格はあるのか?とも思います。

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明治の初め、日本の人口は3000万人に満たず、その9割は農民でした。

人口爆発の過程で、田畑と家を継ぐ長男は残りましたが、弟達は故郷を離れざるを得ませんでした。経済的にゆとりのある家では、田畑を継ぐ代わりに学校教育を受けさせ、知識階級として都市で暮らしていけるようにしました。

それができない家庭では、弟達は労働力として、都会にでました。 彼等は新しい産業を発展させ、都市に住宅を建て、生活基盤を確立しました。それは即ち、日本の近代化であり経済発展でもありました。

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第一次産業では劇的な生産性向上や、経済規模の急拡大は見込めません。

故郷を離れた人達が就労した第二次産業、第三次産業が日本の発展を支えたのです。

また故郷に戻れない多くの若者は、日清日露の戦争にも出征しました。大陸で戦死した多くの若者は、実は生還したとしても故郷に戻れない男達だったのです。

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更に、日本に住みきれない人達は、北米・南米に移住し、満州に渡った人もいます。やはり明治以降の日本の歴史は故郷を離れた人達の歴史です。

人口を支えきれない地方から都会へ人が流出するこの傾向はいったい何時まで続いたのか?

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一般的には、昭和30年代の集団就職の時代まで続いたとされます。余談ですが、彼等も多くは還暦を過ぎ、故郷へ帰る事も可能な生活のはずです。

しかし、実際には故郷を離れる人はその後も続いています。生まれた時から大都会に暮らし、故郷を持たない人も多くいます。

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かくいう、私オヒョウも、都会で学校を卒業したら、故郷へ帰る術は無いな・・・と思って、暮らしてきました。新たな希望と可能性を求めて、引越しを繰り返しながら「生涯僕はデラシネかも知れない」と妻に自嘲的に語った事があります。東京で学校を卒業した父もそうでしたし、同じように祖父もそうでした。

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それに対し、ある種の僥倖により、故郷にとどまる事ができた東北の人々が、故郷を離れる苦痛をあまりに強く訴えると私は「彼等に甘えはないのか?」と思ってしまいます。私の知る福島人は、福島を離れて皆立派に自己実現しています。

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住民が集団避難した福島県飯舘村の村役場は福島市に移転しました。菅野村長は悲しみと憤りでいっぱいのようです。でも、よく見たら、飯舘村と福島市は20Kmも離れていません。自動車なら20分程の距離です。

TVニュースが、今回の町役場移転で、辞めざるをえなくなった女性職員を紹介します。村長が彼女に惜別の言葉をかけます。なるほど彼女は役場移転の犠牲者だ・・と合点しますが、よく聞けば、彼女は既に定年を迎えていたとの事。それが311日の大震災の為に、離職を遅らせ、嘱託として残っていたとの事。はて?本当に彼女は役場の移転の犠牲者なのか?

それともマスコミに演出された気の毒な人なのか?

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多くの被災者が、悲しみと憤りの向け先を持たないなか、原発事故の為に避難を余儀なくされた人々は、怒りのぶつけ先があります。しかも相手は大企業です。勢い被害者意識を強調し居丈高になり、東電を非難します。そしてマスコミもそれを支持します。

しかし、それはちょっと下品であり、礼節を備えた地震や津波の被害者と比べると共感を持てません。

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もっと楽天的に、希望をもって、新天地で暮らす事を前向きに考えられないものだろうか?

かつて、可能性を求めて自ら故郷を離れた東北人、或いは口減らしの為に故郷を離れた東北人はもっと寡黙でした。

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では外国では、故郷を離れる事はどういう意味を持つのでしょうか?

西欧の歴史とは、即ち約束の地を求めて移動した民族の歴史とも言えます。

エジプトの地を逃れ、シオン山を目指したユダヤ人、ゲルマン民族大移動、そして新大陸を目指したピューリタンや、飢餓から逃れて新大陸に渡ったアイルランド人、そしてアメリカ東部から中西部、西部へと新天地を目指して故郷を捨てた人々の人生が、西欧の歴史です。 様々な苦悩・葛藤を経験しながら、故郷を捨てて移動する農民の姿は映画「怒りの葡萄」に明らかです。

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彼等は被害者としての立場を強調したり、他を非難し補償を求めたりはしません。リパブリック賛歌に登場する、巨大な不正義に対する神の怒り「怒りの葡萄」を背景にしますが、故郷を離れる農民は皆抑制的で、粛々と行動します。

翻って福島の人々はどうか?東電や政府に対するルサンチマンは伺えますが、

不正義への神の怒り、つまり「怒りの葡萄」は見えてきません。

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そう言えば、福島産のおいしいブドウは、今年は収穫されないのかな?福島ワインも醸造できないのでしょうか? それについては微かな怒りと失望を私は感じますが・・・。




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