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【 裸足の歌姫 】 [ポップス]

【 裸足の歌姫 】

いささか旧聞ですが、先日、一青窈のコンサートに行ってきました。私はコンサートに行くと、必ず開演前の客席を見渡し、どういう年齢層の人達が来ているのだろうか?と見渡してしまいます。

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かつてポップス系の音楽を聞く人はもっぱら青少年でした。

クラシックやジャズ、シャンソンならば、大人も聞きますが、コンサートに集まるのはどちらかというと時間に余裕のある若い人が多かったのです。

ジャズシンガーの阿川泰子が登場した時は、ビジネスマンのファンが現れ、ネクタイ族のアイドルなどと言われました。その後次第にコンサートに集まる年齢層は広がっていったのですが、でも田舎暮らしもあって音楽を聞く機会がなかった私には最近の事情がわからなかったのです。

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一青拗の歌を聞きに来た人達は、中学生と思える人から、白髪の老夫婦まで実に多彩でした。彼女の音楽は、聞く人の年齢層を問わないものなのか?

それともJポップの歌とはそういうものなのか?

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私が彼女の歌に興味を持つのは、その特徴的な歌声だけでなく、そのアイデンティティというか出自が気になるからです。

日本では、中国、台湾、香港出身の女性歌手が多く活躍しています(なぜか男性歌手はほとんど見かけませんが)。

しかし、欧陽菲菲、テレサテン、アグネス・チャン、一青窈を比べてみると、それぞれが全く違う存在だとわかります。

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台湾人(外省人も含む)を親に持つ欧陽菲菲とテレサテンは、上手な日本語を話し、親日的です。今は中国大陸でも受け入れられていますが、かつては彼女達の歌は精神汚染として、禁止されていました。

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一方、香港出身のアグネス・チャンはかなり違います。その考え方は大陸中国のそれで、基本的には反日で、日本に溶け込むことを拒絶してきました。

彼女がカナダの大学に入る時の言葉を記憶しています。

「日本のファンの皆さんごめんなさい。日本の大学では大学をでたことにならないから、カナダの大学に行きます」

彼女が、カナダの大学で学んだという保育学の分野で、日本がそれほど遅れているのか・・私には理解できませんが・・・。

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そして彼女は、嫌いな日本人とは結婚しない・・と言っていましたが、結局日本人と結婚しました。それでも、日本をある意味で見下す姿勢は、その後も変わっていません。自分では気づかないでしょうが、いつまでたっても上手にならない日本語にそれが現れています。彼女は一生日本人にはなれないでしょう。

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一方、一青窈はそのどちらとも全く違います。台湾人と日本人の間に生まれた彼女は、本当の意味で日本と中国(台湾)の架け橋になる歌い手です。

欧陽菲菲もテレサテンもアグネス・チャンも、日本で歌う時は歌詞に中国語は登場しません。しかし一青窈の歌には日本語と中国語が混じって登場し、それに違和感はありません。

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私の偏見かも知れませんが、日本の歌に英語やフランス語、スペイン語の歌詞が登場しても、違和感はありません。韓国語が混じっても問題ありません。

でも中国語が混じると、どこか奇妙なのです。

しかし、一青窈が歌う「月天心」の場合は、すんなりと耳に入ります。

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それは彼女が本当の意味で、日本と中国(台湾)の両方を理解しているからでしょう。彼女は、日本の大学を軽蔑したアグネス・チャンと違い、慶応大学を卒業しています。あえて歌の歌詞には奇妙な発音を混ぜますが、日本語の発音は正確です。

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外国と外国人を理解しようとして果たせず、日本と日本人を客観的に観ようとして果たせない私には、気になるちょっとうらやましい存在です。

でも、今回のコンサートでは、彼女の中国(台湾)的な部分は全く登場しませんでした。「月天心」も歌われませんでした。

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観客の年齢層を考えてアレンジしたのか、コンサートは昭和時代の日本へのノスタルジィをテーマとした構成でした。彼女が知るはずもない昭和30年代の日本に流行った歌をカバーします。

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他の一流の歌手が歌って大ヒットした曲をカバーするのは、実力のある人だけに許される事です。彼女にその力があるのは自明ですが、なぜ彼女は日本の歌にこだわるのか? それも自分が生まれる前のナツメロに・・?

おそらくは、本当の日本人として認知して欲しい何かがあるのでしょう。

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ところで実力のある歌手と実力の無い歌手の違いは、どこに現れるでしょうか? 

私はCDとコンサートで、その歌の質に違いがないのが、実力派だと思います。

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今はレコーディング技術の発達で、歌の下手な人でもCDにすると、それなりに上手に聞こえます。 それはつまり、何度も何度も歌って、上手に歌えた部分だけをつなぎ合わせてCDを作るからです。でもその様な歌手がコンサートで歌った場合、CDとは程遠い、下手くそな歌しか歌えません。

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だから、その分、舞台装置や演出に凝ったり、豪華なステージ衣装で観客を驚かせたりします。しかし、それらの演出に加えて、生演奏の迫力や臨場感を上乗せしても、自室で聴いたCDの音楽にかなわない事がしばしばあります。

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これを逆説で考えると、上手な歌手は演出や衣装にこだわらない・・という事になります。 一青窈が最初にステージに現れた時、彼女は風呂上りでバスタオルをまとっているのか・・という服装でした。およそあれぐらい簡素で安上がりなステージ衣装はないでしょう。しかも裸足です。

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彼女の説明では、歌う時は束縛されない自由な状態がいいから、あえて裸足なのだ・・・との事です。観客には彼女の衣装に注目せず、耳から聞こえる音楽だけを相手にして欲しい・・という事でしょう。

ルックスで勝負する歌手やビジュアル系のタレントが聞いたら赤面するような話です。

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容姿で勝負するタレントはやがて年齢を取り、容貌の衰えとともに人気を失います。声も衰えますが、心掛け次第で若さを保てます。

私が応援するのは、年齢を重ねても人気が衰えない実力派であり、一青窈は間違いなくその一人だと思います。

10年後、20年後に、彼女が裸足で日本語と中国語の混じった歌をステージで歌っていたら、それは素晴らしい事だと思います。 まあ、ステージ衣装はもう少し凝ったものでもいいかも知れませんが・・。


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