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【 孤立無援のアラモの砦 その1 】 [アメリカ]

【 孤立無援のアラモの砦 その1 】

私が20年も使っている、古びたカバンは、アメリカのテキサス州サンアントニオで買い求めたものです。今は日本でも珍しくない巨大なアウトレットがその街にあり、そこで買ったのです。

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そのサンアントニオの街から遠くない場所に有名なアラモの砦跡があり、観光名所になっています。実は1830年代まで、テキサスはメキシコ領でした。

もっとも、当時テキサスの帰属は明確ではなかった・・という方が正確かも知れません。そのテキサスがメキシコからの独立を試みた際、サンアントニオの郊外にあったアラモの砦は、膨大な数のメキシコ軍に包囲されました。

砦の人々はアメリカからの援軍を待ちましたが、ついに援軍は現れませんでした。彼等はメキシコ軍の一斉攻撃を受ける前に、砦の中にいる女性を解放したあと、総攻撃を受けて全滅したのです。その経緯はジョン・ウェインらが出演した映画「アラモの砦」でよく知られています。

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テキサスは、その後メキシコを離れ、米国に併呑され、一つの州になりましたが、今でもある条件の元で、米国からの独立が可能です。

州の旗は、ローンスターと呼ばれ、一つの星が描かれています。50個の星が描かれている星条旗とはちょっと違うのです。微妙な立場の州と言えます。

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私が、そのテキサス州アラモを訪れた際、多くの事を不思議に思いました。

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第一には、その観光名所に、アメリカ人だけでなくメキシコ人と思われる観光客も来ていたことです。メキシコはアラモの戦いの後、米墨戦争で敗北し、国土の1/3を失っています。メキシコ人に言わせれば、アメリカはカリフォルニアやテキサスなど、北米の最もいい部分をメキシコから奪い取っていった・・という事になります。アメリカが掠めとった米国南部はメキシコ人にとっては、決して愉快な場所ではありません。一方アラモの砦だけをみれば、テキサス人がメキシコに敗北した屈辱の場所であり、愛国心を鼓舞される場所です。そこにかつての敵国人であるメキシコ人が仲良く見物に来ている・・というのはちょっと不思議です。

売店には星条旗だけでなくメキシコの国旗も売られています。

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例えは変ですが、真珠湾のアリゾナ記念堂に日本人が多く訪れ日章旗が売られているようなものです。私はまだハワイに行った事がないので、アリゾナ記念堂がどんなものか・・分からないのですが・・・。

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第二には、アメリカは外国との戦争によって領土を拡大していない、あるいは外国への侵略戦争はしていない・・というのが嘘ではないか?という事です。

米国は米西戦争でも、米墨戦争でも相手国から国土を奪っています。

20世紀以降、米国は外国への干渉をしないモンロー主義から踏み出し、世界の戦争に参加していますが、諸外国への言い訳として、戦争の結果として国土を簒奪しない・・というスローガンを持っています。でもかつてのアメリカは必ずしもそうではありません。

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そう考えると、沖縄だって、米国は今でも自分の掌中のものだと考えているかも知れません。今後イラクがどうなるかもちょっと心配です。

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また、アメリカ人は、外国との戦争は、すべて国外で行われ、米国本土で戦われた戦争は、独立戦争と南北戦争だけだ・・と考えていますが、これも疑問です。米墨戦争に関しては、戦後に、戦闘が行われた地域を併合したのだ・・とも言えますが、少なくとも現時点の全米50州の中で外国との戦争が行われました。

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そして、私がもうひとつ思ったのは、ある言葉の英語表現のことです。

私が思うに、玉砕とか特攻という言葉を、英語で表現するのはとても難しいのです。

Suicide Attack(自殺攻撃)だとかBanzai Attack(バンザイ攻撃)、Kamikaze(神風攻撃)という表現だと、米国人には、理解できない気違いじみた行動、つまりファナティックでクレージイな行動と理解されます。

そこには勇敢さや自己犠牲の精神への尊敬はなく、むしろ軽蔑の対象となるニュアンスがあります。

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全滅・・という言葉には、Wipe Out(拭い去る)という表現がありますが、これは「全滅させる」という攻撃側からの表現であり、玉砕する側に主語を置いた表現は見かけません。国家独立後、もっぱら相手を攻撃し、全滅させてきた側の、アメリカならでは事情とも言えますが、これでは太平洋戦争での日本軍や日本人の行動を正確に表現することはできません。

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しかし、アラモの砦を見て、少し考えを改めました。彼等は、負けると分かっている戦いで、敢えて降伏せず、全滅の道を選んだアラモの砦の戦士達に深いシンパシー(同情といより共感)を感じています。アメリカ人にとっても、負ける戦いで敢えて死を選ぶ事は愚かな行為ではなかったのです。

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そういえば、アメリカの歴史の教科書には、必ずパトリックヘンリーの有名な言葉が登場します。 独立の際のアジ演説の言葉「自由を!しからずんば死を!」です。 つまり、主義や主張の為に死を選ぶ事は、アメリカでも英雄的行為なのです。

余談ですが、この言葉は、コネチカット州の自動車のナンバープレートに書かれているので、アメリカ東部をドライブすれば、いやでも目に入ります。

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そして、私が玉砕の地であるアラモの砦を見て考えた後、世の中は変化しました。

21世紀に入ると戦争の形態が変化し、正規軍どうしの衝突から、ゲリラ戦やテロ攻撃に重心が移ったのです。

中東やペルシャ湾岸の紛争では、正規の戦闘では全く敵わない弱者の側がしばしば自爆テロに訴えています。

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かつて、日本の特攻を、日本人固有の行動様式であり、外国人には理解出来ないもの・・と評した人々は見直しを迫られています。20世紀の幕開けと同時に発生した、9.11の同時多発テロは、自爆攻撃が日本人だけのものではないことを証明しました。ただし、正規の戦争中に行われた戦闘行為の一種である特攻と、平和な社会の市民を突然殺戮するテロを同列で論じる事は勿論できませんが・・。

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そして、9.11の数年後に封切りされた、硫黄島の戦いを描いた2つの映画「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」は、太平洋戦争で絶望的な戦いの中で敢えて死を選んだ日本人将兵の心情に、アメリカ人が理解を示す内容になっています。

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60年を経て、初めて理解される事もあるのか?・・・。

ところで、アラモの砦には、場違いとも言える日本語で書かれた不思議な石碑があります。そこにはアラモの砦のエピソードを日本の鳥居強右衛門になぞらえて顕彰する内容が書かれています。それを見たとき、私は「なるほどなぁ」と思ったのですが、その続きについては次号に記します。

(多分、更新は明日になります)






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