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【 誰も豚の寿命を知らない 】 [雑学]

【 誰も豚の寿命を知らない 】 

食肉用の家畜というのは哀れなものです。 およそ天寿をまっとうすることはないのでしょう。事故や病気で早く死亡する場合は、寿命とは言えませんし、健康で生きていれば屠殺されて、人々の胃袋に納まります。したがって、天寿をまっとうし老衰で亡くなるということはないのです。

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全ての畜産農家は、殺されるための動物を精魂込めて育てています。それを矛盾と思うのは、オヒョウ自らが畜産から遠い生活をしているからでしょうか?

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その矛盾が一挙に露呈したのは、今回の宮崎の口蹄疫禍です。農水大臣は「家族同然に慈しんで育てた家畜を、農家は泣きたい思いで処分している。 その中で例外を認める訳にはいかない。だから種牛も処分する」と語っています。

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しかし、畜産農家は家族同然に育てた牛を売って生計を立てています。しかも若い牛を売っています。

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魚の養殖であれ、牛の畜産であれ、養豚であれ、飼育動物には経済的に最も適した売り時があります。 ある時期を過ぎると、飼料を消費する割りに肉が増えず、不経済になります。一方で肉は硬くなり商品価値は下落します。

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例えばハマチの養殖の場合、ブリになるまで魚を育てては不経済なので、ハマチの段階で出荷します。 牛も子牛の内にセリにかけて売るのが最も効率的なのです。

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つまり、売るべき時(殺す時期)を念頭において飼育しているのであり、終生、家族同然のように可愛がるペットとは全く違う存在です。

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口蹄疫騒動で、何十万頭もの動物を効率よく殺処分していくというのは異常で、気の滅入る作業ですが、それらの家畜はこの騒動がなくても、遅かれ早かれ、屠殺される運命だったのです。

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口蹄疫騒動で、セリ市が立たず、子牛の売り時を逃したという農家がいます。自分が育てた牛を早く売らなければ、不利益をこうむるので早く売りたい(殺したい)のだが、その機会を逸したと嘆いているのです。

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そこには経済的な損得を冷徹に見る眼があります。プロの畜産農家にとって、家畜は経済的存在でしかありません。家族同様に育てて愛情を持っている・・・という農水大臣の発言は、国民の共感を得るかも知れませんが、ちょっとウェット過ぎて実態とは違います。

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無論、反論もあるでしょう。

1. 家畜が、どの道、殺される運命だとしても、食肉として多くの人においしく食べられるのなら本望だ。 しかし無為に死んで埋められるのでは、牛も豚も無念であろう・・・。

→ 動物は食べられる事で報われ、食べる事が供養になるという発想は、多くの宗教にあるようですが、実際のところ、牛がどう思っているかは分かりません。 

2. 肉牛として売られるものと、種牛として、遺伝子の提供源になるものでは、価値も扱いも異なる。 殺す予定がない種牛についてはペットと同様、愛情を注ぐ対象となりうる。だから、種牛の殺処分は普通の肉牛とは、意味が異なり、農家が感じる悲哀は、全く違う。

→ 畜産業全体を見渡した場合、種牛を飼育することも肉牛を飼育することも、ひとつの経済活動の中で役割分担しているだけで本質的な違いはありません。オヒョウは牛を飼ったことはありませんが、種牛も肉牛もその可愛さに違いはなかろう・・と思うのですが。

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どうも、ビジネスである畜産と、愛すべきペットの飼育を、混同している人がいるように思います。 そしてその混同や錯覚を利用するかのように、一部のマスコミは、殺される家畜に感情移入する表現をまじえて、当事者の被害者としての立場を強調し、問題の深刻さを訴えます。農水大臣だけではありません。それが全くいけないとは言いませんが・・・。

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孔子は「君子は厨房を遠ざける」と語っています。絞め殺される鶏の悲しげな声や、豚の悲鳴が聞こえては、せっかくのご馳走でも食欲が萎えるから、それらの声が聞こえないようにするのだ・・という事です。

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これは、家畜や家禽だけのことではありません。奇麗事の裏には知りたくない事、触れたくない事情があるのは、世の中の常識です。

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清潔感あふれる相撲取りの背後には暴力団がいますし、語られる美談の背後には、不愉快な事情があったりします。美しい映画スターもトイレに入れば排泄行為をします。 しかし、ことさら物事の醜い面、不愉快な面を見て、興をそぐのは、君子のする事ではなかろうと、太古の聖人は言っています。

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今、我々は毎日食事していますが、君子のごとく、肉を食べる時に殺される牛や豚のことはあまり考えません。(オヒョウは君子ではありませんが、敢えて考えない様にしています)。 しかしその結果、食肉用家畜をペットと同一視したり、家族になぞらえるような錯覚が起きるのなら、問題です。

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今回の口蹄疫騒動は全くの災難で、救いのない辛い出来事でしたが、その問題や矛盾に気付かせてくれたことだけは、よしとすべきでしょう。

なにせ、世の中には君子が多すぎますから。


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