【 師弟論 その2 】 [雑学]
【 師弟論 その2 】
自然科学の世界で、有名な師弟関係は・・・やはり日本で言えば、長岡半太郎と本多光太郎、野崎一と野依良治(どちらも、オヒョウには呼び捨てにするのがためらわれる巨人達ですが)でしょう。
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野依氏がノーベル賞受賞の報告の電話を、まっさきに恩師の野崎氏にかけて「先生のご指導のおかげです」と話す姿は、自然で好感の持てるものでした。 また日本の量子物理学の世界は、長い間、湯川秀樹、朝永振一郎の2人のノーベル賞学者の弟子達で構成されていました。昭和の時代の日本の自然科学は、濃密な師弟関係を持つ学者たちの世界だったのです。
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しかし、自然科学の世界で一番の師弟関係と、オヒョウが考えるのは天文学のティコ・ブラーエとヨハネス・ケプラーの関係です。ご専門でない方の為に、申し上げれば、先生であったティコは膨大な数の天体の観測データを残しています。彼は単純な天動説に疑問を持ち、科学的な検証をしようとして、彗星の観察などでデータを集めたのです。しかし、研究のエッセンスとなる法則を導きだす前に他界しています。
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その後を継いだ、ケプラーは、第一法則、第二法則、第三法則を発見し、それがニュートンの万有引力や運動法則発見のヒントになり、ひいては微積分学の確立の元になった訳です。 高校時代にこの事を知り、法則の美しさにオヒョウは驚きました。「なんだ、ニュートンはリンゴが落ちるのを見て引力に気づいたのではなく、ティコ以来の研究の集大成をした訳なのか・・」。
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ティコ、ケプラー、ニュートンの研究が、三段ロケットの噴射のように順番に積み上げられて、古典力学が完成したと言えます。もしケプラーが単に師匠の研究手法をまねて、観測を続けるだけでしたら、ティコのエピゴーネンに過ぎません。 データは増えますが研究は先へ進みません。でも、一流の研究者に学ぶ多くの凡百の弟子たちは、エピゴーネンにさえなれない場合が多い訳で、オヒョウもそのひとりでした。
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師から学びながら、自分のオリジナルを確立していく・・というのが物理学者のスタイルですが、このあたり、将棋指しの師弟関係にも通じるかも知れません。ティコは月面で最も明るいクレーターにその名をとどめています。
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師に学び、強い影響を受けながら、オリジナルを確立していく・・というのは、漫画家でも同じです。
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例えば、つげ義春の漫画は、その描き方に白土三平や水木しげるの影響を強く受けています。 しかし、ストーリーは全く別物で、共通点はありません。何も知らない人が、つげの漫画を見て、水木しげるの作品と間違える事はないでしょう。 しかし誰もが「つげは水木しげるのアシスタントをしていたことがある」と直感するのも事実です。ある意味、典型的な「よい師弟関係」だと思います。
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逆に弟子が多くて、漫画界の漱石山房とも言うべき、手塚治虫の場合は、弟子が彼の作風を取り入れていない場合もあります。石坂啓は自ら手塚の弟子だと語りますが、彼女の作品に手塚治虫の面影はありません。ただ、この点について論じるには、オヒョウの知識は浅すぎるので、漫画の話はこのあたりでやめます。
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オヒョウの息子達も、やがて学校で尊敬する先生に出会い、多くを学び、自分の道を切り開いて行く事になるでしょう。願わくは素晴らしい師匠を求め、人生の先達から刺激を受けてほしいものだと思います。
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でも息子達は言うでしょうね。
「確かに親は選べないけど、先生は選べるから、よく考えないと」
物理学の師弟関係、なかなか濃密なのですね。
連綿とつながって初めて、ああいう成果がでてくるのが
よく分かりました。
by おじゃまま (2010-01-27 17:05)
おじゃまま様 コメントありがとうございます。
数学だとか、物理学だとか、おのれの頭脳にひたすら頼る学者の世界で、実は自分の先生を尊敬してやまない研究者に会うと、オヒョウはちょっと意外な気持ちになります。でも考えてみれば、先生を尊敬しない人が学問の世界で生き残れるはずもないな・・・とも考えます。
またのコメントをお願いします。
by 笑うオヒョウ (2010-01-28 01:09)