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【 師弟論 その1 】 [雑学]

【 師弟論 その1 】

 今年ももうじき「仰げば尊し」の季節が来ます。

おそらく、人生において他人とめぐり合う事の幸せ・・を考えたら、1/3はよき恋人・配偶者に出会う事、1/3はよき友にめぐり合う事、そして残りの1/3はよい師にめぐり合う事・・ではないか?とオヒョウは思います。

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実際、成功した人、幸せそうな人を見ると、すばらしい先生に出会った人が多い様に思えます。 すばらしい師弟関係というのも時々耳にします。 でも良き師に巡りあわなくても成功する人はいます。

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考えてみれば、世の中には奇妙な師弟関係があります。例えばプロの将棋指し。彼らは伝統的な師匠と弟子の関係を維持しています。自分の頭脳だけに頼るひたすら孤独な商売のはずなのですが、実際には、将棋連盟の棋士の誰かの弟子でなければ、まずプロになれません。

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そして昔は、師匠の家に内弟子として住むのが普通で、そうしなければ強くなれない・・・とも言われました。しかし、内弟子の彼らは師匠に直接指導される訳ではありません。同じ屋根の下に暮らしても、師弟で将棋をさす機会は公式戦以外ではないと思われます。一説には、弟子が師匠に将棋をさしてもらえるのは、一生に二回だけだそうです。つまり、入門する時と、辞める時です。

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しかし直接稽古を付けてもらえなくても、それでも弟子は、師匠から絶大な影響を受けるそうです。しかし、昭和の後半以降は、住宅事情や、修行方法の変化で内弟子をおく将棋指しは減りました。歴代の将棋名人で言えば、中原誠の時代までは内弟子世代、谷川浩司以降は外弟子(というのかな?)の時代です。

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近年めっきり減った、内弟子を経験した有力棋士では、青野照市九段や、米長門下の先崎学八段などがいます。 しかし、ふたりとも師匠の棋風には似ていないようです(といっても正直なところ、オヒョウには分かりませんが)。 多少似ているかな?と思えるのは、振り飛車の大内延介九段と弟子の鈴木大介八段の棋風ですが、鈴木八段は内弟子ではないはず。

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では、直接指導を受けない、将棋の師弟関係に於いて、師匠から受ける絶大の影響とは何なのか? それについて、多くの将棋指しは具体的に語りません。曖昧模糊としたものの様ですが、オヒョウが推理するに、勝負師に必要な研ぎ澄まされた勘、或いは勝ち負けに一生を委ねる人生観みたいなものを学び取るのではないか?と思います。

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それなら、囲碁の棋士に弟子入りして将棋指しになってもよさそうですが、決してそうはなりません。ちょっと不思議です。

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同じ勝負の世界でも、スポーツ選手はまた違うようです。相撲取りの世界は、必ず力士は相撲部屋に所属し、親方の指導を受けるのですが、大きな部屋では、集団指導体制となるので、誰が誰の弟子だというマンツーマンの関係にはならないようです。しかし弟子が不始末を起こせば親代わりの親方が叱られる・・・という構図は、朝青龍と高砂親方の関係を見れば明らかです。

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他のスポーツでは、コーチと選手の関係はもっとビジネスライクなもので単に契約関係に基づいてコーチしているだけにも思えます。ウェットな師弟関係が成り立つのは、日本の国技・武道に限られるのでしょうか・・・・? 最近は柔道も、師弟というより、ただのコーチと選手というドライな関係ですが、まあ柔道も日本の国技とは言えませんしね。

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スポーツの世界の人間関係に、よりドラマ性を持たせたいマスコミは、プロ野球や高校野球、陸上競技の世界の師弟関係をしばしば誇張してとりあげます。オヒョウはこれを「巨人の星効果」と言いますが、本当のところはどうなのでしょうか?スパルタンな練習に従う以上、選手がコーチに対して絶大の信用と尊敬を持っているのは事実でしょうが、スポーツの世界での師弟関係というのは、実は他の世界に比べてそれほど、強力ではないのではないか?とオヒョウは考えます。

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逆に師弟関係がものを言うのは、芸術文化科学の世界です。不思議な事に、同じ絵画でも洋画と日本画では異なります。様式というかパターンや描き方の法則性を重視する日本画では、何派の誰に師事したかが非常に重要になります。洋画では・・・そうでもありません。 

TVの「開運なんでも鑑定団」に日本画家が紹介される場合は必ず誰に師事したかが紹介されますが、洋画家の場合はどこで(どの学校で)学んだかが、重視されます。当たり前の様ですが、不思議です。

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伝統芸術の世界では、師弟関係が濃密なのは仕方ないかも知れませんが、文壇にも師弟関係がある・・・というのが理解できません。例えば、太宰治は井伏鱒二を師と仰ぎ、阿川弘之は志賀直哉に私淑していました。夏目漱石に至っては漱石山房というくらい弟子が多くて、高名な弟子だけでも枚挙に暇ありません。評論の世界だって、草柳大蔵は、大宅壮一の弟子であった事をずっと誇りにして語っていました。

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文章を書くという事は、自然な思念の発露を書き留める事であって、誰かに習うという事ではないはずですが、師匠につく事で、文体は似てきますし、論理的な思考パターンも影響を受ける様です。

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でも、師匠を持たない人もいます。オヒョウが尊敬する、陳舜臣は文壇の師弟関係に否定的です。作家達の会合で、「だれだれ君は僕の弟子でねぇ」なんて聞かされると、不愉快になるそうです。 どんなに師匠の影響を受けても、やがては自分の文体と自分の世界を確立しなくてはならないのは当然です。師弟関係に甘えを見るか厳しさを見るかで成功するか否かが変わるのかも知れません。

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それはともかく、オヒョウが師弟関係を特に面白く思うのは、実は自然科学の世界と、漫画家の世界です。 それについては次号で管見を述べます。


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