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【 放蕩息子の帰還 その3 旧国鉄の分割民営化 】 [鉄道]

【 放蕩息子の帰還 その3 旧国鉄の分割民営化 】

 「 皆さん、この蛍光灯が1本8000円なんですよ 」と蛍光管を手にしたのは当時、慶大教授だった加藤寛教授です。

昭和62年、彼は旧国鉄の高コスト体質を指摘し、変革が必要だと説いたのです。何でも、蛍光灯のJIS規格ができる前に、国鉄規格なるものが存在し、世の中の蛍光灯が全てJIS規格になった後も「なぜ後からできたJIS規格にあわせなければならないのか」と国鉄仕様の蛍光灯を使い続けたのだそうです。 確かにナンセンスな事です。

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しかし、国鉄改革で最も重要で難しかったのは、組合問題と人員整理でした。加藤教授は敢えて、その問題を隠す為に高コスト問題を取りあげたのだと思います。

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旧国鉄は、戦後の外地からの引き揚げ者の雇用確保の為に、政治判断として過剰な人員を抱えていました。 そして内部には多くの組合があり、中には左翼集団として、先鋭的な政治活動を行うものが複数ありました。でもそれらは、もともとは少数派であり昭和30年代までは、全体として大きな問題はありませんでした。

しかし、昭和39年に国鉄の経営は赤字になり、肥大化した組織はコントロールが難しくなりました。今のJALに似ています。 さらに昭和40年代にマル生運動が現場に導入されると、にわかに国鉄の現場は混乱しました。

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採算を改善する為に、生産性向上を図る事は民間企業では当たり前です。 しかし一部の国鉄の組合員には、生産性向上は単なる労働強化であり、労働者を脅かすものに映りました。 そして彼らの行動はエスカレートし、反社会的なレベルに達しました。

1.非組合員である助役や駅長の職場での吊し上げや、風呂の石けんやシャンプー、茶菓を上役に買わせる脅迫行為。

2.法的に認められていないストライキの実施。スト権が認められない為、それを要求するスト権ストという、矛盾が自家撞着した様な行為です。

3.勤務時間内の仕事の放棄と時間内の入浴。 

どれも、民間企業ではあり得ない非常識な行為ばかりですが、当時の社会ではそれを認める風潮もありました。 当時、国政では左派政党が一定の力を持ち、またマスコミも国鉄の組合活動に対して、好意的だったのです。

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人々は、国鉄の改善と黒字化には、その部分をたださねばならないと分かっていました。 しかし迂闊には実行できません。国鉄改革論者は、じっとそのタイミングを待っていました。

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やがて、昭和48年、国鉄の違法ストライキによって、迷惑を受けた乗客が暴動を起こす上尾事件が発生しました。 マスコミは世論が微妙に組合シンパから反組合に変化した事を感じ取り、論調を変えました。

新聞は国労や動労が、革マル派などの新左翼セクトと繋がっており、内ゲバや反社会的活動を引き起こしている事を暴露しました。動労や国労は、上尾事件やそれに続く首都圏暴動で、ようやく国民の支持を得られない事を理解し、順法闘争を断念しましたが、時既に遅し・・でした。

国労と動労などの先鋭的な組合は急速に力を失い、昭和62年の国鉄の分割民営化には対抗できなくなりました。

民営化の際、国労の組合員の多くは精算事業団に送られました。

動労は、民営化直前に豹変して、新生JRに多くが残りましたが、先鋭的な動労千葉は民営化に反対しつづけ、その時の亡霊は、今でも千葉県のいすみ鉄道に残ります。いわゆる進歩派の堂本知事時代は、いすみ鉄道は県の保護が得られましたが、森田知事になってこれからどうなるかは不明です。「ぬれ煎餅」を売り出した銚子電鉄ほどのたくましさもない、いすみ鉄道は国鉄時代の動労千葉の亡霊と共に、消えるべき存在です。

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話が脱線しましたが、国鉄の改革では下記の3点がポイントでした。

1.生産性改善や会社の改革に反抗的な社員、組合員の選別・排除。

2.分割して、経営者の目が届く大きさの企業にし、きめの細かい経営を可能にする事。

3.過去の負債と処分可能な財産を精算事業団に預け、身軽な状態での新会社経営実現。

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実は、上記の3点は今のJALの改革にもそのまま必要な事です。但し、国鉄の場合は民営化したのですが、JALの場合、オヒョウの考えでは、分割と同時に民間会社の国営化という逆のプロセスを取る事になります。

国鉄の分割民営化は、辛抱強く時機を待った上、中曽根康弘=土光敏夫=加藤寛という強力なトリオがあって初めて可能でした。しかし社民党と連立する鳩山政権では、とてもその様なリーダーシップは期待できません。旧国鉄に比べれば、遙かに従業員が少ないJALですが、その改革は難しいと、オヒョウは思います。

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国鉄の分割民営化については、20年以上経った、今でも賛否両論があります。

棚上げとなった旧国鉄の長期債務はそのまま、利子を生み続けて膨らんでいますし、JRになって事故がなくなった訳ではありません。 

国労に非常に同情的だった文化人(というより芸能人)の永六輔は

「 JRになって接客態度が良くなった・・なんて言うけれど、国鉄時代から接客態度は良かった。分割民営化は失敗だ 」と、全く現実を無視した発言をして、JR提供の番組を降板させられました。 

しかし、オヒョウは、JRになって、少なくともダイヤの遅れは少なくなり、列車の混雑も緩和したと考えます。分割民営化は成功です。

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列車は遅延して当たり前の英国国鉄やイタリア国鉄、殺人的ラッシュが当たり前の中国鉄路に乗ると、昔の国鉄を思い出します。ダイヤが極めて正確なドイツ国鉄に乗ると、日本のJRと似ているな・・と思います。外国の鉄道を利用する度に、日本の旧国鉄の分割民営化は正解だったとオヒョウは考える訳です。


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ミネルバのフクロウは夕暮れ時に飛び立ち、歴史の評価は時間をおいて初めて定まる・・と言われます。 国鉄の分割民営化の評価は20年が経った今、やっと可能になったとオヒョウは考えます。そして国鉄の分割民営化を参考にして、JALの改革も検討すべきですが、鳩山・前原の両氏にその考えは無いようです。


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