【 クラブハウスの時計 】 [アメリカ]
【 クラブハウスの時計 】
オハイオ州クリーブランドからミシガン州デトロイトまで、飛行機で飛ぶには近過ぎるので高速道路を車で移動するのが普通です。その途中、オハイオ州の西端にトレドの街があり、そこで昼食をとります。車を運転するフランク・マシニャック氏が、「オヒョウ君、ここのゴルフ場のことを知っているかい?」と尋ねます。そのゴルフ場はInverness Clubという名門コースです。
・・・・・・
「スコットランドでもないのにインバーネスとは面白いですね」と私が言うと、マシニャック氏が肩をすくめて「この町だって、スペインじゃないけれどトレドだぜ」と混ぜっ返します。
・・・・・・
「ここのクラブハウスには有名な時計がある」
そこで彼が話し始めたのは、伝説の名ゴルファーであるウォルター・ヘーゲンのことです。戦前に活躍したヘーゲンはジャックニクラウスと肩を並べる優勝回数を誇りますが、同時にプロゴルファー、あるいはプロスポーツ選手全体の地位向上に尽力した男です。
https://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Hagen
・・・・・・
1910年代、プロゴルファーはゴルフ場のクラブハウスに正面玄関から入ることを許されませんでした。そしてクラブハウスにあるいろいろな設備、シャワーとかロッカーなどを使うことも許されませんでした。ダイニングルームやラウンジを使えなかったのです。
・・・・・・
それはプロゴルファーの地位が低かったからです。レッスンプロは、アマチュアからギャラを貰って指導する立場です。トーナメントプロは、つまり賞金稼ぎです。どちらも趣味としてゴルフをたしなむアマチュアに寄りかかって生計を立てている訳で、会員権を持つアマチュアより、地位は低かったのです。
・・・・・・
それに加えて、クラブというものは、もともと人を選びます。英国などで盛んだった、社交の場である倶楽部とは、立ち入れる人を制限することで、周囲と差別化し快適な空間を保証する仕組みです。
・・・・・・
ゴルフ場のクラブハウスもその延長にあり、プロゴルファーは入れなかったのです。
それに反発したヘーゲンは、抜群の成績を上げると同時に、地位向上のためのアピールというかデモンストレーションを行いました。実際、彼は人品骨柄卑しからざる紳士で、彼を見る限り、プロを蔑む理由など無い・・・ということになり、1920年の全米オープンのトレド大会から、プロ選手もクラブハウスに正面玄関から入る事が許されました。それに感激したプロゴルファー達がお金を出し合って、クラブハウスに大きな柱時計(Wikipediaでは鳩時計となっていますが)をプレセントしたのだそうです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Inverness_Club
・・・・・・
今でも、その柱時計は時を刻んでいます。そして、この時計はアメリカに於ける、プロスポーツ選手の地位向上の象徴でもあるのです。
しかし、これはヘーゲン選手だけのエピソードではありません。時代の転換点というか、20世紀の前半に起こった世界的な潮流の象徴です。地位の低かったプロスポーツ選手を高く評価するようになった変化です。
・・・・・・
そしてもう一つは、同時期に世界の中心が英国から米国に移ったということです。とりわけ、それまで英国主体のスポーツだったゴルフが米国主体のスポーツに変わったということです。以下に少し詳しく述べます。
・・・・・・
19世紀まで、スポーツとは遊びや趣味の対象であり、楽しむものでした(今もそうですが)。
そして他人が遊びとして興じることを生業とするのは、ヤクザなことで誇れる事に非ずとされていました。(ここでいうヤクザとは、社会のために価値生産をしない人のことで、反社会勢力のことではありません)。本当に誇れる仕事とは、地味であっても実直に価値生産する活動である・・という思想です。
しかし、20世紀に入り、人々を楽しませ、熱狂させることも立派な生産活動ではないか?という発想が主流になります。プロスポーツだけでなく、全ての興行ビジネスに光が当たるようになったのです。
プロゴルファーの地位の向上はその流れの中にあります。
・・・・・・
もうひとつは英国と米国のプロスポーツに対する考え方の違いです。英国の貴族社会はアマチュアリズムを崇高なものとしました。スポーツは体育の一環の純粋な競技であり、スポーツマンシップもそれに依拠するという考えです。金儲けの為にこれを行うのは卑しい行為である・・・という考え方は今もあります。しかし、そうなるとスポーツを楽しめるのは、生活の心配の無い有閑階級の人々だけになります。スポーツは、広く一般大衆が楽しめるものではなくなります。
・・・・・・
一方、貴族のいない国、アメリカには違う考えがあります。研鑽を積み、高い技量を持つプレーヤーは尊敬されるべきだし、それに金銭で報いるのは当然だという考えです。
1920年というのは、英国発祥のスポーツであるゴルフの主導権が、英国から米国に移った時期であるとも言えます。
・・・・・・
ゴルフだけではありません。経済でも第一次世界大戦で消耗した英国から米国に世界の中心が移動した時期と言えます。そして欧州の貴族社会も次第に没落していったのです。
・・・・・・
繰り返しになりますが、トレドのインバーネスクラブのクラブハウスの時計は、時代の転換点と、主導権が英国から米国に切り替わった事の象徴なのです。そして先人達が苦労してプロゴルファーの地位を向上させてきたことの象徴なのです。
・・・・・・
その先人達の苦労を知ってか知らずか、片山晋呉プロがプロアマの大会で、無礼な態度で招待したアマを激怒させたという事件が発生しています。
https://diamond.jp/articles/-/172170
・・・・・・
無礼な態度・・といっても、相手を無視して、自分の練習を続けたとか、口のきき方が悪かった・・というくらいでしょうから、それで激怒して帰るというのも大人気無い気もします。
プロアマ大会に呼ばれるのは、スポンサーの大企業の重役でしょうから、普段から周囲にかしずかれ、大切に扱われるのが当たり前になっていたのでしょう。そこに、プロ選手が無礼な態度で接したので、激怒した・・ということでしょう。
もっとも、私自身がそこにいた訳ではないので、正確なところはわかりませんが・・・。
・・・・・・
ところで、地位が向上したとは言え、プロ選手はアマチュアのサポートあっての存在です。
プロアマ大会に呼ばれるアマはただのファンではなく、皆、プロゴルフ界にとって5億円~6億円のスポンサーなのです。いや、スポンサーでなくてもファンは大事な存在です。プロ選手が見下してよい存在ではありません。
・・・・・・
元TBSのスポーツ実況アナウンサーでスポーツ評論家の石川顕氏は、講演の中で、「一流のプロ選手は誰がお金を出してプロスポーツを支えてくれているかをよく理解している。だからファンを大切にする。片山晋呉の振る舞いは実に残念だ・・」と語っています。片山晋呉は一流のプロ選手の条件に合致していないようです。
・・・・・・
片山晋呉選手に言いたい。
先人が苦労してプロ選手の地位を上げ、その一方でアマチュアを大切にしてゴルフ界を盛り上げてきた歴史を学ぶべきだ。一度、その象徴であるトレドのインバーネスクラブのクラブハウスにある時計を見に行ってはどうか?プロでも中に入れてくれるぜ。
あっ、念のために注意しておくけれど、トレドといっても、スペインじゃないぜ。米国のオハイオ州だからね。
コメント 0