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【 神戸製鋼について思うこと その3 】 [鉄鋼]

【 神戸製鋼について思うこと その3 】

 

日本の鉄鋼業(高炉メーカー)はかなり特殊な世界です。狭い社会で、同業他社というかライバル会社は数社しかありません。鉄鋼や冶金の学科を持つ工科系の大学や総合大学の数も限られ、指定校制などと言わなくても、技術者の出身校はごく少数の大学に限られました。自社にも他社にも大学の研究室の先輩や後輩がたくさんいて仲間意識の強い社会です。

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特に、今の鉄鋼大手の経営者が入社したころ、つまり1980年代は、まだおおらかな雰囲気が残っていました。等質な教育を受け、似通った価値観と専門知識を持った学生達が、鉄鋼各社に分かれて就職しました。就職の競争は激しくなく、大学の研究室では、希望が重なれば、じゃんけんやあみだくじで鉄鋼メーカーを選んだりしました。新日鉄と神戸製鋼の差は大きくありません。

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鉄鋼各社に分かれた後も母校の研究室OBの結びつきはあり、鉄鋼協会や金属学会の学会は、さながら同窓会のようで、情報交換もおおらかでした。

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だから、神戸製鋼だけに特殊な技術者が集まったとは考えられません。どの鉄鋼メーカーも同じです。言葉を換えれば、今回と同じ問題はJFEでも新日鉄住金でも、日新製鋼でも東京製鉄でもTOPYでも起こりうるということです。

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それでもなお、神戸製鋼固有の事情を探ってみます。そうすると、やはり阪神淡路大震災に思い当たります。 鉄鋼大手の中では規模が小さく、財務体質も他社(当時の新日鉄、川鉄、NKK、住金)に比べて見劣りした神戸製鋼ですが、この震災による神戸製鉄所の被害は特別でした。しかし、問題はその後です。

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ガントリークレーンを福山製鉄所から神戸製鉄所へ運ぶといった、敵に塩を贈る逸話もありましたが、とにかく復旧工事は猛スピードで進みました。倒壊した天井クレーンの修理に駆け付けたクレーンメーカーの技術者は寒い屋外で寝袋にくるまりながら、作業に従事しました。神戸製鋼の社員はそれ以上に、一所懸命仕事をしたそうです。その結果、高炉がわずか2.5ヵ月で再火入れされるという奇跡を人々は経験しました。しかし、その後がいただけません。

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神戸製鋼の社長(当時)は、復旧作業に従事した人を讃え、地震発生直後に現場に駆け付け、それ以降、休日はおろか睡眠時間もない不眠不休の作業を行った彼らの働きぶりを美談として語りました。

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しかし、これは本当に美談なのか?

当然ながら社員には、自らが被災者だった人も多くいます。自宅が倒壊して避難所暮らしだった人もいるでしょうし、家族に怪我人や犠牲者がでた人もいるはずです。仮にそれらの災害を免れても、家族はライフラインを絶たれ、食糧にも事欠く日々が続いていたのです。 その家庭を顧みず、会社の為に滅私奉公で働くことが良い事なのか? これでは電通も真っ青のブラック企業ではないか? コンプライアンスはどうなっていたのか?(当時、そんな言葉はありませんでしたが)。

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製鉄所の復旧は、会社の経営上の緊急課題です。大きさにもよりますが、高炉が1日止まれば、損失は数億円に上ります。だから急ぐのは分かります。でも、あの時点の神戸製鋼の状況を考えれば、高炉の復旧が仮に一月遅れても会社が倒産した訳ではありません。 実際、製鉄所では高炉が冷え込んで出銑できなくなるというトラブルがまれにあります。一月間ほど高炉が不調になれば、数十億円の損失がでますが、それで会社が潰れることはありません。製鉄会社が潰れるのは、旧山陽特殊鋼や旧寿製綱、あるいは救済合併された旧住金の例を見る限り、経営者が絶望的に愚かだった場合だけです。くどいようですが、設備トラブルや生産停止で製鉄会社は潰れません。あくまで経営者の能力・資質だけが倒産の理由となります。

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神戸製鉄所の迅速な復旧で得をしたのは、滅私奉公で働いた社員ではなく、経営者と株主(流行りの言い方ではステークホルダー)です。 社長にしてみれば、それらの利益のために、非常事態の家庭を顧みず、働いた社員はいじらしいでしょうが、それは美談ではありません。 そしてそれを肯定したところから、同社の歯車は狂っていったはずです。

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会社の為に他のことを犠牲にする・・という価値観は、大震災のあと、市民権を得て、会社の中の常識になっていきます。 会社ファーストの思想はやがて独善的になり、データの改竄や捏造をしても、それが会社の利益になるのならいいではないか?という、まさに「空気」ができあがります。そして経営者はそれを「良し」とします。

やはり、価値観が倒錯し不正がはびこったのは、「空気」のせいです。

想像の域を出ませんが、その「空気」ができたのは、大震災以降でしょう。

鉄鋼が最初なのか非鉄が最初なのか、これは分かりませんが、神戸製鋼の「空気」を考える必要があります。

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では最近になるまで、内部告発は無かったのか? 不正を正そうとする意見や不正を発見しようとする試みは無かったのか?

それは多分無かったのでしょう。 前述の通り、製鉄所の技術部門の職場とは、等質な教育を受け、仲間意識に強い技術屋が構成する一種のギルド的な世界だったからです。

 

それについては次号で申し上げます。


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