【 神戸製鋼について思うこと その4 】 [鉄鋼]
【 神戸製鋼について思うこと その4 】
20世紀の時代、日本の大企業は終身雇用制でした。その一方で、一度、就職すれば転職することは難しく大冒険でした。 特に大手鉄鋼の会社間では、一つの会社を辞めた人を他の会社が採用するということはタブーでした。 勿論、これは暗黙の了解であり公にはされませんでした。表向きは、憲法で保証された「職業選択の自由」を尊重しましたが、新日鉄を飛び出した技術者が川鉄で仕事をするということは、実際にはありえませんでした。
(ライバル会社に転職することが当たり前の中国や米国では考えられないことです)。この日本のタブーは知的財産権の保護が目的ではなく、単に雇用主と使用人の間の仁義に拠るものです。 文天祥の時代から受け継がれる「君子二君にまみえず」という古典的な発想です。
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無論、鉄鋼業以外の業界に転職することは可能ですが、製鉄所の技術者達にはジレンマがあります。 優秀で、専門分野に打ち込んだ技術者ほど融通が利かず、鉄鋼以外への転職が難しいのです。 むしろ専門知識が浅く、仕事はチャランポランだけど語学や一般教養を多く持つ人の方が転職にあたっては有利です。皮肉なことですが。
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そうなると製鉄所の技術者は、同業他社にも行けず、他の業界への転職もできないわけで、その会社の中で生きていくしかありません。だから、大震災で被害を受けた家族を放置してでも、職場の復旧にいそしみますし、会社の不正を告発することもできなくなるのです。
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先輩達の不正に気づいても、あらがうこともできず、その「空気」に呑まれ、自分も不正を引き継がざるを得ない、特殊な状況が出来上がります。
でも今はインターネットで誰でも情報を発信できる時代です。匿名性の高い情報発信も可能であり、情報の受け手にも情報リテラシーの高い人が揃ってきました。
(気障な言い方ですが、要は情報の真贋を見抜く眼力を備えた人が増えたということ)。
もはや、大組織の中で不正を隠蔽することはできません。神戸製鋼の場合、隠蔽の限界が2017年に訪れたというだけのことです。
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ではJISなどの審査機関は不正を見抜けなかったのか?という素朴な疑問が湧きますが、JICQAなどの審査を請け負う団体に不正を探知する機能を求めるのは無理です。
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ISOの基本思想は、人は間違いと不正をするものだという人間不信の性悪説です。東洋思想の荀子や韓非子に近い思想です。
だから、嘘を暴き、間違いを確認して責任の所在を明らかにすることを重視します。具体的には徹底した記録主義、証拠主義です。 ある製品で欠陥が見つかった場合、誰が何時どこでエラーをしたのか、遡って確認できなければなりません。
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この遡及可能性を担保する証拠主義が、ISOの真骨頂ですが、この証拠主義は換言すれば、現場・現物ではなく書類を重視する思想です。
中身がデタラメで捏造の塊であっても、書類の体裁さえ整っていれば、問題なく合格となります。不正を意図する側にしてみれば、矛盾のない書類を用意すればいいだけなので、赤子の手を捻るようなものです。 審査官や審査員が実際の分析装置の横で分析に立ち会うことはまずありません。
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ビューロクラシーというかお役所仕事の特徴とも言える、書類主義は昔からあります。
話が飛躍しますが、日本航空の123便が御巣鷹山に墜落した時、原因が圧力隔壁の不適切な修理にあったことがすぐに明らかになりました。 修理した当事者のボーイングと日本航空は糾弾されましたが、一方で、でも修理結果に合格判定を出して、耐空証明を発行した運輸省(当時)の責任はどうなのか?という議論もでました。
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それに対する政府の見解は、運輸省は単に書類の不備が無いかを確認するだけで、現場で現物を確認する義務はないので、ミスを発見することはできなかった。だから瑕疵も責任も無い・・というものでした。
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問題を見つけられないただの書類審査なら、そんな審査は無い方がましだ!と強く憤ったのを覚えています。米国のFAAやNTSBは、日本の運輸省(当時)よりはるかに詳しく、深く、そしてしつこく調べます。日本はダメです。
そしてJISの審査も、ISOの審査も、書類とインタビューだけです。 西欧の性悪説と日本の性善説が合体した結果、全く無意味で形式的な審査が残ったのです。
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では検査官の熱意に期待できるか?と言えば、それは無理です。JICQAなどに所属し、審査業務を代行する人の多くは、鉄鋼メーカーの技術者のOBなのです。つまり狎れ合い(なれあい)です。
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冒頭で終身雇用に触れましたが、実際には組織はピラミッド状を構成しており、一定の年齢に達すれば、多くの人が社外に出ます。その受け皿として審査機関が大きな意味を持ちます。 工場にいた人には、下請けや協力会社等の受け皿が多くあります。研究所の博士はうまくいけば大学の教員になれます。 しかし、間接部門や管理部門にいた技術者には、出向先があまりありません。一方で鉄鋼の知識は豊富です。だから検査機関に出向・移籍するには好適なのですが、その結果、しばしば審査する側とされる側が、かつて同じ職場の先輩と後輩だったりするのです。
そこに、不正を剔抉する機能は期待できません。
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今頃、神戸製鋼の現場でいかに不正が起き易かったかを議論しても、実は無意味です。 既に不正は明らかであり、評論家がコメントする余地はあまりありません。
大震災が発生してから「実はこの地域は何時地震が起きても不思議ではなかった」としたり顔で語る、間抜けな(自称)地震学者みたいなものです。
むしろ語るべきは、これから神戸製鋼がどうなるか、あるいはどうするかです。
これについては次号で管見を述べます。
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