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【 布良(めら)星 】 [広島]

【 布良(めら)星 】

いささか古い話題ですが、読者諸兄は、先日、地球に大接近したスーパーマーズこと、火星をご覧になられたでしょうか?私は深夜、南の空にギラギラとオレンジ色に輝く明るい火星を見て強い印象を受けました。

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マイナス2等という桁外れの明るさは、明るい都会の空でもすぐに見つかりました。

すぐ下には夏の星座、さそり座があり、その「サソリの心臓」こと1等星アンタレスも近くに光っています。アンタレスは赤く鈍く光り、その名前の由来も「火星の敵」ですから火星と赤色を競う形です。それらの左上には土星が光っています。

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この3つの星を南天に見て、私はちょっとした感慨に浸りました。私の人生を振り返ると、何かの天体ショーを見たときに、人生の岐路を迎えるというか、いろいろの判断をしました。流星群の降る夜に最初の転職を決断した思い出があります。今回の火星を見ながら、「この次に自分に訪れる人生の転機とは何か?」ということを、夏の夜空の下で考えました。

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そして、「しまった布良星のことを忘れていた」と思い出しました。

実は、今暮らしている広島県呉市は、私がこれまで暮らした日本の土地の中で、最も南に位置します。そして南の土地で暮らすなら、見てみたい・・と思っていた星があるのです。それが布良星です。

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実は私が暮らした町に海外も含めると、中国の昆山は、呉よりもっと低緯度となるのですが、こちらはダメです。中国の空はいつも白っぽく霞んでいて、星を観察することはほとんど無理だったのです。

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布良星の布良とは、南房総の漁村の名前で、布良星とは、真冬の頃に、その町から南の海を見た時に、水平線近くの低い高度を飛んでいく、極めて明るい星のことです。天体の名前はカノープス。全天の星の中で、2番目に明るい星だそうです(太陽と月を除く)。

しかし、これは殆ど南半球の星で、東日本で見るのは難しい星です。前述の通り、わずかに冬に、水平線上に見える訳ですが、角度は56度と、波間に隠れる高さであり、天候次第では見る事ができません。

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沖合いに稀に見えるこの星を、漁村の人達は海で遭難した人々の魂が明るい星になって現れたと考え、祈りの対象にしたとのことです。

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その話を知って、私もこの明るい布良星を見たいと思いました。しかし、当時暮らしていた茨城県鹿嶋市では、緯度が高くて見えません。第一、鹿島の海は南を向いていません。 ・・・いつかもっと南の海岸に暮らすことになった時、この布良星を見てみたい・・・。そんなことを考えました。

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こう考えるのは私だけではありません。毎年冬になると、房総半島の南端に、布良星を観察する人達が集まるのだそうです。 しかし・・天体観察というのは、徒党を組んで行うものではないと、私は思います。

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この星が、海の遭難者の霊魂の象徴であれば弔いの対象であり、不吉な存在のようですが、この星を見ることは幸運の印とされているようです。

これは日本だけでなく、外国(北半球の国々)でも同じです。 日本と同じくらいの緯度にある、南欧の国では、水平線上に稀に現れるこの星を目撃することは幸運の予兆だそうです(当たり前ですが、北欧では見えません)。

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カノープスとはギリシャ神話に登場する水先案内人で、特に幸運な人物でもないのですが、あまりに明るいこの星を眺めることは、いい予兆に違いないということでしょう。

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面白いのは、中国で、華南では当たり前に見る事ができますが、華北では見えません。 微妙な位置にある華中の地域では、夏場に稀に見える訳でこれは幸運または福の象徴となります。 中国では、福と言えば、富貴と長寿の2つです。カノープスを見ることは、長寿に繋がるということで、寿老人の星になっています。

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南半球では・・・、よく知りませんが、当たり前に何時でも見えるので、この星を見ることに特に意味は無いようです。

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別に長生きしたい訳でもお金持ちになりたい訳でもないオヒョウですが、やっぱり布良星こと、カノープスを見てみたい・と思った訳です。

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呉に来た時、

1.房総半島より緯度が低い。

2.海が南側に開けている。

と考えて、これは大丈夫だろう・・と考えました。

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呉には、見晴らしのすばらしい展望台が多くあります。郊外に行けば、空は暗く、無数の星が降ってきます。晴天の確率も高いのです。 

「これは野呂山の山頂当たりで観察すれば、いいだろうか? いや、満天の星を仰げることで有名な大崎上島の展望台の方が適しているだろうか?」 密かに私は、ほくそ笑みました。

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しかし、駄目だったのです。 確かに呉の南には瀬戸内海が広がります。しかし、様々の島の向こう側には四国が存在します。つまり呉の海には水平線が無いのです。低い高度を飛ぶカノープスを、四国山地が遮って見ることはできません。

「うーむ、これは高知県あたりに行かなくては、カノープスを見る事はできないな。坂本竜馬は脱藩する前、桂浜でカノープスを見たのだろうか?」

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想像だけはたくましく飛躍しますが、どちらにしてもカノープスは見えません。幸せの予兆はつかまりません。 大山や剣山、石鎚山といった西日本の高山の山頂から見る方法もあるでしょうが、私の場合、非現実的です。

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やはり、南国の南向きの海岸で、冬の夜に見るしかありません。

私はこれからの人生でカノープスを見ることができるだろうか? 

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しかし、そこでふと気付いたのです。 「あちらのカノープスはどこへ行ったのだろう?」

私が最初に自作したパソコンのグラフィックボードはカノープス電子製でした。 アナログのTV放送時代、私が最初に購入したPC用TVチューナーもカノープス電子製でした。

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あの当時、パソコンでTVを見て、録画できる・・ということが珍しくてちょっと自慢だったのです。 カノープス電子製のパソコン部品は、かなり高価だけれど、自尊心を満足させてくれる、素敵な製品だったのです。 しかし、今はグラフィックボード(ビデオカード)売り場に並ぶのは、他社製品ばかりです。 カノープス電子は社名も変わり、そして製品群もグラフィックボードから違う分野にシフトしているみたいです。もはや、秋葉原の街では、カノープス電子の名前は滅多に見かけません。

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なんだかとても寂しいのですが、「滅多に見られないのが、カノープスというものさ」と言われると妙に納得してしまいます。


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