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【 熊楠とさかなクン 】 [雑学]

【 熊楠とさかなクン 】

 

1921年(大正10年)、後の昭和天皇である裕仁皇太子は、練習艦香取に乗り、半年間の英国訪問に出発されました。そして英国での半年間の滞在中、時の英国国王ジョージ5世から、「立憲君主たる者かくあるべし」という教育を受けています。「君臨すれども統治せず」という原則に基づいて、天皇または国王のあるべき姿を示された訳で、それは昭和時代を一貫して、昭和天皇のバックボーンになっていたそうです。

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その中には、公平無私を旨として、国民(臣民)に対して、決して、えこひいきや不公平があってはならないという項目があります。だから、昭和天皇は、公人を別にして民間人の名前を口にされることはありませんでした。 大相撲がお好きでしたが、決して力士の名前は口にせず、誰かのファンであるとか、誰かを応援しているということは、おくびにも出さなかったそうです。 それでも、微妙な表情からそれを読み取る輩がいて、実は昭和天皇は鷲羽山をひいきにしておられたとか・・。全くゲスなことです。

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従って個人の名前は、昭和天皇の御歌の中にも登場しないのですが、唯一例外があります。ご承知の方も多いでしょうが、その登場人物とは、生物学者の南方熊楠です。

昭和37年の昭和天皇の御歌に

「雨にけふる神島(かしま)を見て紀伊の國の生みし南方熊楠を思ふ」とあります。

唯一の登場人物が、政治家でも皇族でもなく、民間の一生物学者であることに少し、感動します。

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地位や名誉にこだわらず、金銭にも無頓着、ただひたすらに大好きな研究に打ち込み、世界中で活躍し、粘菌研究の始祖となった天才博物学者、南方熊楠。昭和天皇に拝謁した際、自分が採取した粘菌を献上したそうですが、それはなんと、キャラメルの空き箱に入れてあったとのこと。 権力や権威に超然とした自然人である熊楠を同じ生物学者である昭和天皇は気に入っておられたに違いありません。

ひょっとしたら、裕仁陛下は天皇などより市井の生物学者になりたかったのでは?

南方熊楠の生き方に憧れていたのではないか?とさえ思います。

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ジョージ5世の薫陶を受けた昭和天皇ですが、その教育方針の流れに沿って、小泉信三は今上陛下の教育を実施しました。その結果、今上天皇も公平無私、特定個人に言及することはありません (ノーベル賞受賞者など、特別の栄誉を得た人は除く)。しかし、その天皇陛下が一度だけある民間人に言及されたことがあります。

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それは、2010年、富士五湖のひとつ西湖で、絶滅したとされるクニマスが発見されたというニュースに、天皇誕生日の談話で触れられた時です。 陛下はさかなクンの名前を出してその活躍に言及されたのです。 さかなクンは正確に言えば、東京海洋大学の客員准教授なので市井の研究者とは言えないかも知れませんが、天皇陛下のスピーチに登場するのはやはり異例です。

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ハゼ類の研究で知られる生物学者である天皇陛下は、生物多様性や絶滅危惧種に関心を持たれ、日本固有種の絶滅は特に宸襟を悩ます問題だったのです。かつて、外来種であるブルーギルやブラックバスによって、日本の内水面の生態系が破壊されたことに心をいため、「かつてブルーギルをアメリカから導入したのは私である」と告白されたこともあります。

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かつて田沢湖固有の魚種であったクニマスが、強酸性の玉川の水の流入によって絶滅したことも、陛下には心に残る問題だった訳で、クニマスが西湖で発見された事は、一般人以上に嬉しいニュースだったに違いありません。だからさかなクンの名前にも言及されたのでしょう。

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天皇家の男性皇族は、公務以外にライフワークとする研究テーマを持たれる場合が多く、学者・研究者としての顔もお持ちです。その理由は不明ですが、制約が多く、窮屈な公務を離れて、気分転換したい・・という気持ちもあるのでしょう。

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そして公の席では個人名を出してはいけない・・という制約も、生物学研究者という立場なら、とりはずされ、自由な発言が許されるのでしょう。 南方熊楠もさかなクンも、どちらも生物学の研究者です。

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やんごとなき方々に限りません。人々はオフの時に、その人柄や考え方が伺えます。

では、次の世代はどうでしょうか?

今の徳仁殿下が、天皇になられた時、先帝が守られた戒めを、守られるでしょうか?

多分ダメでしょうね。 好きな女性タレントの名前、ひいきのスポーツ選手、音楽家・・何でも発表され、皇族方の好みが全て明らかになるかも知れません。

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昭和天皇も今上天皇も、滅多に個人名を口にされないから、話題にされた人物の価値が際立つのです。あまり民間人の名前を出されない方がいいのです。

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開かれた皇室・・を目指すのかも知れないけれど、それも何だかつまりません。日本の皇室は将来、英国王室のようになっていくのかも知れませんが、英国王室は皇室ほど上品ではありません。 それとも、雅子妃殿下の影響で、オランダ王室のようになっていくのかな? でもそれじゃあ、もっとつまりません。


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