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【 いわゆるイスラム国について その2 】 [雑学]

【 いわゆるイスラム国について その2 】

前回も述べましたが、「イスラム国」と称する狂気の集団の考えや行動は、私には全く理解できません。でも理解できないだけなら・・・それ自体に問題はなく、平和なはずです。自慢にもなりませんが、私には高等数学、理論物理、哲学、女ごころ・・等、理解できないものが数限りなくあり、それぞれにこだわっていては、ノイローゼになってしまいます。

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だから理解できないものは、全部束ねて、頭の中の神棚に祀り上げて、敬して遠ざける・・という方法で私は対処しています。 イスラム教の教えも、私の知らない世界ですが、だからといってイスラムの人に突っかかる必要もありませんし、彼らが大切にするコーランや預言者に対しては、それなりに敬意を払います。

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しかし、世の中にはそうでない人も多くいます。特に一神教の世界で生きてきた人達の中には、自分に理解できないこと、自分に理解できない思考を持った人達を嫌悪したり、憎悪したりする人がいます。そして、それを当然のこと・・と考えています。

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理解できないこと・・には、勿論宗教も含まれます。かつて、広島と長崎に原爆が落とされた際、時のカナダの首相ウィリアム・キングは、日記にこう書きました。

「同じキリスト教徒であるドイツ人に原爆が落とされず、仏教徒である日本人の上に原爆が落とされて良かった」

原爆のおそるべき残虐さを考え、一応、これを忌まわしく思うことで、良心を示した積もりの日記でしょうが、とんだ偽善を白状してしまいました。

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長崎が日本のカトリック信者のこころの故郷であることを知らない、この首相の無知はさておき、彼にとって日本人は理解できない存在であったことは明らかです。

仏教徒であること、小柄な黄色人種であること、奇妙な言語を話すこと等、彼が日本人を理解しないことの言い訳はたくさんあります。そして理解できない存在は憎むべき存在であり、理解できない国である日本には、原爆を落としてもいい・・・という段階まで、容易に彼らの思考は飛躍するのです。

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勿論、今、日本人を不可解な民族と考える欧米人は少数でしょう。

しかし、彼らは今でもイスラム教徒を不可解な存在と思っていることは明らかです。

私の友人で、サウジアラビアに駐在したことがあるO君は「イスラム教というのは、本来平和的な宗教で、異教徒にも友好的だし、人々は温和な性格だよ。 一部のエキセントリックな原理主義者の行動を以って、イスラムは過激だと考えるのは間違っている」と断言します。

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私が暫く滞在した中国の西安の回族やウイグル族の街区には、「清真教は平和を愛する宗教だ!」と書いた看板が掲げられていました。新疆ウイグル自治区でのテロ事件で、ウイグル族や回族が肩身の狭い思いをしていることは容易に想像できます。

ちなみに、イスラム教は、中国の漢民族の間では回教(フイジャオ)またはフイフイジャオと呼ばれます。

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ウイグル族以前に回族の宗教とみなされているからですが、漢民族の間でフイジャオと言う時には、軽い侮蔑のニュアンスが含まれます。 しかし、当のイスラム教徒達は、自分達の宗教を清真教(チンシンジャオ)と呼び、誇らしく思っています。ちなみに茨城県にある某私立学校は全く関係ありません。

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イスラムが本来、穏健で平和的な宗教であることは、間違いありませんが、残念ながら中国の漢民族の間ではあまり理解されていません。

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同様に、米国でもイスラム者は理解されず、疎外されています。イスラムというだけでそうなのですから、これが中東となるとますますです。欧米の多くの人達にとって中東とは、混乱の世界です。その欧米のメディアを通して情報を得る日本に暮らす私には、なおさらです。

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理解できない中東の不条理を表す奇妙な小噺があります。 ご承知の方も多いでしょうが、それは旅人とサソリの話です。

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旅人が、ある川のほとりにやってくると、一匹のサソリが困っています。話を聞くと、この川を渡りたいのだが、深くて渡れなくて困っているのだとのこと。サソリは「頼むから、自分を旅人の肩に乗せて、向こう岸まで連れて行ってくれ・・」と旅人に訴えます。

旅人は「嫌だよ。君はその毒針で人を刺して殺すではないか。そんな恐ろしいことはできない」と答えます。

サソリは「そんなバカな。川の途中で君を刺したら、僕も溺れ死ぬのにそんなことをする訳がない」。その言葉を聞いて、旅人はサソリを肩に載せて、川を渡り始めました。

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しかし、川の中央部に来たところで、突然、サソリは旅人を刺します。 旅人は倒れながら、サソリに尋ねます「いったいなぜ?」。 サソリは溺れながら答えます。

「なぜかって? ここが中東だからさ。 ここが中東だから理不尽も不条理も無いのさ」と言いながら、水の中に消えていきます。

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多くのアメリカ人は、この逸話の通り、中東では常識が通用しないと考えます。そしてサソリを嫌うと同様に、中東の人々を敬遠するのです。 日本人は中東に対してそうではありませんでした。 しかし、次第に欧米よりの立場を取ることで、旅人とサソリの逸話を理解するようになりました。 今回の人質事件では、サソリはイスラム国、後藤さんは旅人だったのかも知れません。

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今回の事件では日本のマスコミは、2つの考え方を主張しています。

TBSのニュース23などは、「事件のそもそものきっかけはイラク戦争であり、それを始めた米国に責任がある。勿論これに追随した日本はイスラムにとって既に敵なのであり、狙われても仕方ない。安倍首相はこの事件を口実に、海外への軍事力行使のきっかけを探している。 これを許してはいけない。日本は米国への追従を止め、むしろイスラムとの融和策を探るべきだろう」と主張します。

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やはりというべきか、彼らはこの事件を奇貨として、安倍政権批判を展開していますが、重要なポイントが欠落しています。 それは、世界のイスラム教徒の大多数と、イスラム国やアルカイダなどの過激派は全く別の存在であることです。 それを、意図的にか、あるいは不注意によって見落とし、日本が全てのイスラム社会を敵にまわしたかのような印象操作を行い、イスラム者と和解せよというのです。

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一方、NHKの出川解説委員は、安倍首相のパフォーマンスに問題があったことを指摘する一方で 「大多数の平和で穏健なイスラム教徒と、狂信的なイスラム過激派を同一視してはいけない。イスラム過激派は穏健なイスラム教徒にとっても敵なのだ。日本の難民支援などの非軍事面での貢献は、現地でも評価されており、この方針を変える必要はない」と説明します。さらには、イスラム過激派を野放しにして陰に陽にこれを支援してきたロシアと中国の責任にも言及しています。

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やはり、中東情勢に本当に詳しい出川氏の意見には説得力があると私は思います。

それに対して、単純に反米を基本にして、安倍政権批判に全てをつなげて考える左派系メディアの説明には説得力がありません。

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それらとは別に、事情の分からない中東情勢には、首を突っ込まず、あくまで中立を貫くべきだった。それなのに、米国の応援演説をし、イスラム過激派を刺激した日本政府が悪いのだ・・という意見を、多くのマスコミが主張します。

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しかし、常識的に考えてイスラム国やアルカイダが行っている非道は非難されて然るべきものであり、それを見て見ぬふりで黙殺せよ・・というのは、ある意味で中立を貫くことにはあたらず、テロに屈したことになります。

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非道を非道として非難することは、米国に阿ることではなく、正当なことであり、その結果、火の粉がかかろうとも、甘受すべきというのが、日本以外の多くの国がとっている姿勢です。

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この事件をきっかけに、日本人も中東情勢について真剣に考えるようになった・・と言う人がいます。 しかし、流行語で例えれば「複雑系」というべき中東の混沌は、容易に理解できません。 ただ一つ言えることは、反米か親米かという、単純な一次元の思考で解釈するのは無理だ・・ということです。 その点を多くの日本のマスコミはまだ理解していません。


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