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【 イタリア語で兵を語る敗軍の将 】 [雑学]

【 イタリア語で兵を語る敗軍の将 】

サッカーワールドカップブラジル大会に参戦した日本チームは健闘むなしく、予選リーグで敗退してしまいました。1引き分け2敗という結果では、惜しかったとか善戦したという言い方はできません。弁解の余地も乏しい訳ですが、試合を見ていて思うのは、まあ実力通りの結果ではなかったのか・・ということです。

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コロンビアなどは、明らかに日本チームより上手(うわて)です。もう少し点差を縮める手立てはあったかも知れませんが、勝利は望むべくもなく、負けてもしかたない状況でした。負け惜しみのようですが、それでも良いのです。スポーツの全ての種目で日本がトップクラスに君臨する事など無理です。サッカーや自動車のF1などは、欧州や南米の文化として、彼らに花を持たせてもいいのです。まあ、やっぱり負け惜しみですが。

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しかし、日本人選手もイタリア人監督も強い責任を感じたらしく、試合後のインタビューでは、いろいろと敗因を語ります。 全員、悔しさの滲み出る表情ですが、なんだかとても雄弁です。 そこまで詳しく敗因や自分たちの弱点を分析できているなら、むざむざと負けるはずはなかったのに・・とさえ思います。どうも日本には、地震学者をはじめ、事後に雄弁に解説する人がたくさんいます。

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ザッケローニ監督は、日本チームがやりたかったサッカーと、実際にブラジルのピッチの上でできたサッカーに大きな差があったと認め、そしてなぜ日本のサッカーができなかったのかは分からない・・と語りました。 これは不思議な言葉です。まさにその事こそが、監督が把握し対策を取らねばならないことだったからです。敗因分析の内、肝心な事が分かっていません。

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日本だけではありません。スペインもイングランドも沈痛な表情でブラジルを去っています。いつもスポーツの試合で思う事ですが、トーナメントであれリーグ戦であれ、強く活躍したチームでも、ほとんどが最後は敗北を抱きしめて競技場を去ることになります。正確に言えば、優勝するチーム以外は、全て最後の試合は敗北となる訳で、笑顔で競技場を去ることはできません。

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競争社会では最後に誰もが挫折する・・と説いたピーターの法則を思い出します。当たり前のことですが、ほとんどが最後は無念さを感じて終わる催しとは何なのか?という事を思います。 仕方ない事ですが・・。

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全てのスポーツは競争であり、ピーターの法則が適用されるのは仕方ありませんが、試合後の態度や選手の雄弁さは種目によって違います。

例えば、大相撲は勝っても負けても力士は寡黙です。 一方野球は常に能弁です。そしてサッカーとなると、さらに能弁・・というより雄弁です。インタビューに応じるだけでなく、ブログやツイッターに書き込みます。 この違いは、別にサッカー選手や監督が、特段頭の回転が速いから・・という訳ではなく、その競技が背景に持つ文化の違いでしょう。でも福沢先生の「空樽能鳴」という言葉を思い出し、聞かされる私は思わず白けてしまいます。

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キャプテンである長谷部は、ブログの中で、「監督に勝利をプレゼントできなかったのが残念。ザッケローニ監督は日本を理解し、日本チームを愛し、日本の為に勝ちたいと、最も強く思っていた人だ」と語ります。 自分自身の名誉や欲の為でなく、他の人にささげるために勝ちたい・・という思いは、多くの選手や監督が抱く思いですが、でもこれは本当かなぁ? 私にはひっかかることがあります。

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ザッケローニは日本の監督を4年間も勤めながら、日本語が話せません。日本人に語る時も常にイタリア語です。それに関して「真剣にサッカーに打ち込む選手や監督に日本語を学ぶ余裕などない。サッカーに集中するから仕方ない」というのは嘘でしょう。

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ブラジルでサッカーをやった三浦知良はポルトガル語がペラペラです。イタリアで活躍した中田英寿はイタリア語がペラペラです。一方日本で選手と監督を経験したラモス瑠偉は日本語がペラペラです。ザッケローニの場合、最初から日本語を覚える意思が無かっただけのことです。

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日本チームの監督になった外国人は過去に何人もいます。

フランス人のトルシエ監督は「自分が日本語を覚える必要はない。コミュニケーションをはかりたければ、日本人選手がフランス語を覚えるべきだ」と語りました。

ジッコことコインブラ監督は、鹿島アントラーズの監督をしていたこともあり、日本語を一定程度話せたようです。 オシム監督は日本語を学ぼうとしたようですが、途中で病に倒れました。

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外国人監督が選手たちの言語を覚える必要はない・・というのは暴論です。野球などと違い、サッカーの練習では、監督がピッチで選手達にリアルタイムに語り掛ける必要があります。通訳を介していては仕事になりません。 トルシエ監督の仕事が成功したとは思えませんし、ザッケローニ監督がその轍を踏んだのなら、ナンセンスとしか言いようがありません。 ああ、ザッケローニ監督にはせめて敗戦の弁を日本語で語って欲しかったと思います。

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繰り返しになりますが、スポーツの世界は、産業や科学技術の世界以上に早く国際化が進みます。

大相撲の世界では、白鵬は日本人以上に日本人のメンタリティを持ち、日本人以上に流暢な日本語を話します。モンゴル人力士だけではありません。東欧出身の力士もハワイ出身の力士も幕内まで上がる人は、全て日本語が上手です。

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野球の外人選手では、母国語でインタビューに応じる人がほとんどですが、これは通訳の立場に配慮するという面もあります。実は結構日本語が上手な選手が多いようです。これは大リーグで活躍する日本人選手も同じことです。

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それに対して、サッカーの監督だけが日本語で話すことに興味を持たず、日本と日本人を理解しようとしなかったのなら、それこそが敗因の本質かも知れないと私は思います。

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日本チームの選手と監督は、ブラジルでは雄弁に語りましたが、帰国後は沈黙しています。 成田空港に帰国した時には、表情は固く、笑顔は全くありませんでした。

質問には答えず、サインにも応じず、寡黙なままでそれぞれの帰路につきました。既に現地で解団式は終えており、セレモニーはありません。一方、出迎えた日本人サポーターは、暖かく励ましの言葉で出迎えました。そう、それでいいのです。おそらく70年前に日本に敗残兵が戻った時もそうだったはずです。

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それにしても、この次の監督は誰になるのかなぁ。 できれば、辞任の言葉をイタリア語ではなく、日本語で語る人がいいな。 外国の本場のサッカーを理解し日本語が達者な人・・というと、セルジオ越後くらいかな? ネルソン吉村はもういないし。

ああ、また昭和時代の話をしてしまった。


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