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【 大川小学校と聖職の碑 】 [雑学]

【 大川小学校と聖職の碑 】

3年前に大勢の児童と教諭が亡くなった大川小学校の遺族が、石巻市と宮城県を相手取って訴訟に訴えたそうです。教師たちの判断ミスで、避難する機会を失い、津波に呑まれて命を失ったのであり、責任は学校側にある・・というものです。

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同じ市内でも、他の学校では適切に避難してほとんどの生徒・児童が助かっているのに、大川小だけが逃げ遅れ、ほとんどの児童が亡くなったこと、或いは、同じ大川小でも保護者が迎えに来て、学校を離れた児童は助かったのに、先生が引率した児童については1人を除いて亡くなったこと、さらには、地震発生後50分以上も校庭に集まっただけで何もせず時間を無駄にしたことを考えると、死者に鞭打つようですが、引率した教師・学校側に責任があるのは明らかだと思います。

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新聞報道によれば、原告側の主張には「あの先生たちさえいなければ、子供たちは助かったのに」という強烈な皮肉の声もあります。

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おそらく裁判では、空前の津波の到来を予見できたか?とか、津波被害の経験がある地域であり、日頃その対策や訓練をしていたはずなのに、実態はどうだったか?といったことが問われ、教師/学校側の責任有無が判断されるでしょう。

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生き残ったただ一人の男性教諭は、3年間、精神的負担を理由に、地震から津波で流されるまでの間、何があったのかを頑なに語りません。漏れ聞こえる断片的な証言は、多くの矛盾と虚偽に満ちていて全く信用できません。その教員の不誠実な態度に憤り、真実を知りたいと思う犠牲者の遺族が、やむを得ず、裁判に訴えたという事情もあります。 補償金欲しさというよりは、法廷の場で真実を明らかにして欲しいという思いが背後にあります。

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しかし、問題の本質は、校長一人がいないだけで、何も決められない、あるいは議論はしても結論を出せない無能さ、つまりリーダーシップの欠如や、津波が来るまでの時間を無駄にしてしまった危機意識の欠如です。

これは大川小だけでなく、3年前の津波の被害全般について言えることです。

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福島第一原発の爆発とメルトダウンに関して、設計者の瑕疵や、原発推進者の判断の甘さを問う声はありますが、現場の技術者の作業判断のミスを問うマスコミはいません。絶体絶命の環境下で、自分の生命の危険を顧みずに努力した人々を悪く言えない・・とか、亡くなった吉田所長を責めることはできないという発想からですが、彼らにも過失はあります。 地震が発生してから、原発に津波が襲来するのに、30分以上あったのです。 ECCS(緊急炉心冷却装置)を稼働させるための非常電源が低い場所にあったのなら、それを高所に移動するだけの知恵がどうしてなかったのか?

海水に浸かれば、ディーゼル発電機は故障することを電力会社の技師たちは知らなかったのか?

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女川や福島第二原発は正常にECCSを稼働させて、爆発も炉心溶融をおこしていません。 福島第一原発で貴重な時間をロスした責任は、大川小学校同様、免れるものではありません。あの日、あの時刻に原発にいた人達は、糾弾されても仕方ありません。

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話を大川小学校の事件に戻します。

どうしても、教師が子供を引率して遭難した事件と言うと、新田次郎の「聖職の碑」を思い出してしまいます。

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これは、大正時代、ある教育思想のもと、木曽駒ケ岳への学校登山を年中行事にしていた長野県の高等小学校で、学校登山した際、予測不能な異常気象と不運に遭遇し、山頂付近で遭難して、10人の生徒と引率の校長が亡くなった悲劇を描いた小説です。

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遭難後、引率の赤羽校長は、自分の防寒シャツで教え子をくるむようにして亡くなっているのが、救援隊によって発見されました。

現在、その遭難の記念碑が残っていますが、そこには、子供たちをかばいながら死んだ赤羽校長を「嚮導者」として紹介しています。

小説の作者である新田次郎もそこにこだわり、嚮導者とは何か?について言及しています。

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結果的に悲劇を招いた責任はあるものの、高い志に基づいて生徒・児童を教育し、子供たちから慕われ、そして遂には自分の命を犠牲にした人物として、赤羽校長は長野県箕輪村の人々から尊敬され、嚮導者という表現で紹介されているのです。

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残念ながら、同じように自分の命を犠牲にした大川小学校の教員たちは嚮導者とは呼ばれません。 無論、時代の違いもあります。 学校教師は昔のように尊敬される時代ではありません。

日教組の指導のもと、今の学校教員は聖職者と呼ばれることを嫌がり、自分たちは教育労働者である・・と主張します。 もっぱら話し合いばかり行い、決断と実行をしない姿勢については、それが怯懦や責任逃れに由来するものではなく、それが民主主義であるとうそぶきます。

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あってはいけないことですが、今後、教師が生徒・児童とともに犠牲になる遭難事件があってとしても、平成の時代の教師である彼らは、嚮導者とは呼ばれないでしょうし、彼らも呼ばれたくはないでしょう。しかしそれでいいのか?

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嚮導者とは責任感が強く、かつ、危機管理能力を持つ人でなければなりません。今回の大川小学校の悲劇はなぜおきたか? 一言で言えと言われれば、それは「嚮導者」がいなかったからからだ・・と私は答えたいと思います。

もっとも、木曽駒ケ岳では嚮導者がいても遭難したではないか?と言う人もいるでしょう。 しかし、二つの悲劇の性格は全く違うのだ・・と私は思いますし、おそらく新田次郎もそう言うでしょう。


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