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【 超高齢者の怪しげな消息 その1 】 [雑学]

【 超高齢者の怪しげな消息 その1 】 

最近、日本で100歳を超える高齢者が、行方不明だったり、生きているはずが、とうの昔に亡くなっているという奇怪な事実が次々に明らかになっています。 マスコミ各局はその事実を報道しますが、解説については今ひとつ要領を得ません。 

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報道ステーションのコメンテーターは「最初は、遺族が年金を詐取するために死亡した事実を隠蔽していただけかと思っていましたが、実態はそう単純ではなく、はるかに複雑な事情があるようですね」と語っています。 実はオヒョウも全く同感で、最初は単純な事件と思っていましたが、個々の事件にはそれぞれに事情があり、一般化したり、単純化できない現象のようです。

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NHKの後藤千恵解説委員も、いつもと違って、至って歯切れが悪く、明解な説明をしません。かろうじて以下の事を言います。

1. 誰にも知られずに高齢者が死亡したり、行方不明になる事件は、その事だけを捉えるのではなく、その前提として、身寄りがなく、地域で孤立した単身の高齢者の存在を考えなくてはいけない。

2. その方たちが、身寄りや家族を持たず、孤立した生活に至った経緯を考える必要がある。つまり、事件を解明するには、場合によっては数十年遡る必要がある。

3. また孤立した単身高齢者が、自分または家族の意思でその生活を選んだのか、社会環境などの外的要因で、その選択を強いられたのかも考える必要がある。

4. 2.3.は、人によってケースバイケースで、一概に言えない事にこの問題の難しさがある。

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オヒョウも全く同感ですが・・、一つ余計な事を言いたくなります。孤独の孤と独は、日本ではほぼ同義ですが、漢字のふるさと中国では意味が異なります。 孤は身寄りがない子供を意味し、独は成人した後に、友達や家族・係累がいない状態を意味します。だから、高齢者については孤ではなく独の漢字が似合うのです。少し前まで独居老人と言ったのにあの言い方は止めたのかな?それにしてもNHKが言葉の使い方に無頓着でいいのかな?

同じような話を言えば、例えば同じ友達でも朋友の朋と友では意味が違います。もっとも、現代中国人も、朋と友を区別しませんが・・、

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話が脱線しましたので、元に戻します。別の解説委員は、孤独な単身高齢者が存在する理由を様々に分析しています。 そしてその理由の一つを太平洋戦争だと指摘します。今、人生の終焉を迎える高齢者は、終戦時に青年だった人達です。戦争で多くのものを失い、戦後の混乱の中で家庭を再構築する機会を得られなかった人が、60年後にそのまま単身高齢者になった場合もある・・と解説します。 理不尽な戦争で人生を狂わされた人は多くいるはずですが、その影響が終生に亘るとなると、その不幸に粛然とした思いがします。

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しかし、戦争だけで全てを説明する事はできません。バブル経済崩壊後の不況で人生設計が破綻した場合もあるでしょうし、経済的理由ではなく、人間関係が原因の場合もあります。大人が孤独である理由は多くあります。 では、この問題(超高齢者の孤独死や行方不明)は最近に始まった問題なのか? もしそうなら昔と何が違うのか?

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昔、経済規模が小さく、人々が小さな地域社会の中だけで生活していた時代は行方不明や孤独死なんてことはなかったはずです。多くの人が農業に従事し、土地に根をはって生きていた時代、人々は半径10Kmの範囲を出ずに一生を送りました。 その時代に行方不明になるのは、ゲマインシャフトから外れた“流浪の民”だけだったはずです。

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今、日本の社会はオヒョウも含めて、多くの人々が“流浪の民”です。一箇所の地域にとどまって、人生を送る人もまれです。 だから、その晩年を人に知られずに過ごす人がでるのだ・・とオヒョウは思っていたのです。

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しかし、それは違う・・という反論があります。蒸発願望に駆られる中高年は、昔からいて、行方不明者は大昔からたくさんいる・・という意見があります。

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漫画家つげ義春は、作品「蒸発」の中で、漂泊の俳人井上井月について、述べています。故郷に帰らなかった井月が持っていた蒸発願望に、彼は共感しています。 また、同じ漫画の中で、鴨長明の発心集や西行の撰集抄には、人間の蒸発譚がたくさん登場すると語っています。

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つまり、人間の蒸発願望は、1000年前から存在するのであり、現代社会固有の新しい問題ではない・・というのです。(もっとも、撰集抄は西行作ではないようですが・・)。

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戸籍制度の完備した日本で、今頃、行方不明の高齢者が多く確認された事で騒いでいるわけで、これを目新しい現象として取り上げるのは、間違いだ・・という指摘で、それにオヒョウは賛成です。 

以下 次号


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コメント 6

夏炉冬扇

こんばんは。
田舎では考えられない高齢者の「不明」だと話したことです。
漂泊の俳人井上井月、瀬戸内海の島で死去した方でしたかね。吉村昭で読んだ様な…
by 夏炉冬扇 (2010-08-15 18:49) 

笑うオヒョウ

夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。
井上井月は、南信州伊那村で晩年を送り、没しています。
ご指摘の人物は、小豆島で亡くなった尾崎放哉であると思います。
彼は荻原井泉水や種田山頭火とともに、井月の影響を受けているはずです。
吉村昭が放哉を書いた作品は、「海も暮れきる」で、私も読みました。
結核で衰えていく肉体と貧困、漂泊の思いと創作への意欲が絡み合った彼の晩年が描かれていました。没後に彼の碑ができ、そこに「家族に見放され・・」という文言があるのを、放哉夫人が複雑な思いで、じっと眺めていたという記述が記憶に残ります。放哉が、なにゆえ家族を捨てて漂泊したかわかりませんが、時には女房子供を捨てたい・・とチラッと思う男は多そうです。
10年ほど前に種田山頭火の句がブームになった時、西東三鬼や尾崎放哉もちょっとだけ脚光を浴びました。今年あたり、また人気がでてくるかな?と
勝手に思っております。

またのコメントをお待ちします。
 
by 笑うオヒョウ (2010-08-15 20:33) 

上野まり子

こんにちは 上野まり子です。

高齢者の居所不明の理由については、
其々あるようですので私が個別にコメントをする事はいたしませんが、
行政がこぞって調査し始めた年齢の線引きがどうしても納得いきません。
何故100歳なのか、100歳とは長寿国と言われていた日本でさえも
稀といえるでしょう。勿論一地域に百数十人と言われると多い気がしますが相対的にはそうとも言えません。
自宅に調べに行く前に、日ごろある程度調査する方法は無かったのか。
役所の窓口に行くと、とても多くの職員がいるようですが、
どのような仕事をしているのでしょうか。
民間だったらと思える行動や言動が気にかかります。
もっと住民を大切にするべきではないでしょうか。
もっと住人を気に掛けるべきではないでしょうか。
私が行く役所がたまたまそうなのでしょうか。
矛先が少し方向違いとなりましたが、
この報道を聞くたびに、腹立たしいことが度々でした。

ちなみに私の先も見えてはおりませんが。
by 上野まり子 (2010-08-16 23:34) 

笑うオヒョウ

上野まり子様 コメントありがとうございます。
ご指摘の点については、全く同感です。私もお役所の非効率とやる気のなさにいらだつ事があります。そしてそれが納税者にとって不愉快なだけでなく、不作為の罪を犯すことにつながっている・・と私は思います。 市役所が高齢者の消息を掴んでいなかったこと、児童虐待の疑いが濃厚なのに事態を放置した児童相談所、事件性が極めて高いのに行動しない警察などの姿勢には、疑問符をつけざるをえません。
背景には、能動的に活動しても、必ずしも役人の評価にはつながらず、かえって失敗すれば減点になるという事なかれ主義があるのかも知れません。

このあたり、近々 ブログに駄文を書こうかと思っております。

お役所で調査対象の高齢者を100歳以上としている根拠は、全くわかりません。例えば90歳以上だと、あまりに数が多くて大変だから…ということでしょうか? 本当に生きておられる超高齢者が、たくさんおられるというなら、それはそれでおめでたいことですが。

またのコメントをお待ちします。

by 笑うオヒョウ (2010-08-17 10:02) 

上野まり子

こんにちは 上野まり子です。

先日、朝のTV番組で沖縄のお年を召した方が元気にゲートボールなどを
なさっているところが映されていました。
ちょっと見たところ、70才代、あるいは最も年長の方での80歳までは
なっていないであろうと思われました。
ところが殆どの方が90歳代でした。
どのようにするとあのように健康で朗らかに入れるのか
それは沖縄固有の食事、あるいは気候だけではないでしょう。

私自身は長生き願望はありませんが、
体調が悪く調べてもらったところ、長寿・・・というタイトルがつきました。
“先生、それは最も聞きたくない病名です。”と申し上げましたが、
こうなると役所の人から“まだ生きているの!”と言われるほど
長生きしてやろうか、とも思えてきます。

近々発表される論評を楽しみにしております。
by 上野まり子 (2010-08-17 23:39) 

笑うオヒョウ

上野まり子様 コメントありがとうございます。

私自身もそうですが、あまり長生き願望はないものの、生きている間は元気でいたいと考えている方は多いだろうと思います。
お年を召しているのに、元気でかくしゃくとした方を見ると、長生きの秘訣は?と尋ねるのではなく、年をとらない秘訣はなんですか? と尋ねたくなります。

自分が子供の頃は、早くおとなに見られたいと、背伸びしたりしましたが、最近は実際より若く見られたい・・と思っております。元気はつらつであるためには、無論、体力を強化するしかないのでしょうが、この猛暑の中では出歩けず、ますます運動不足になるばかりです。体力の衰えが実年齢に先行することは避けたいのですが、難しいです。

またのコメントをお待ちします。

by 笑うオヒョウ (2010-08-19 15:02) 

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