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【 五十六の祭 】 [新潟県]

【 五十六の祭 】 

既に旧聞ですが、長岡市では山本五十六まつりなるものを、516日に開いたそうです。彼の好物とされる、水まんじゅうなどの即売会や講演会が開かれたそうですが、オヒョウは出かけませんでした。

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それにしても、なぜ、今山本五十六なのか? そこが分かりません。長岡出身者には有名人が何人かいます。直江兼続も河井継之助もそうですし、三波春夫もそうです。オヒョウは個人的には大漢和辞典の編纂を行った諸橋轍次博士を尊敬します。(厳密には、直江兼続と諸橋轍次は、長岡生まれではありませんが)。その中で、太平洋戦争開始とも絡んだ人物である山本五十六を選んで讃えて祭をひらく理由がわかりません。 ちょっと興味があります。

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日本の文化では、生きていた人間が死ぬと神になる事もあります。靖国神社には多くの軍人・兵士が祀られますが、一部の軍人は自分の神社を持ちます。乃木希典や東郷平八郎ですが、彼らは戦死した訳ではなく、靖国神社に祀る対象ではありません。 でも未曾有の国難を切り抜けた功績抜群の軍人ということで、神社に祀られたのでしょうか? オヒョウは、坂上田村麻呂も祀られて坂上神社になったのかと思っていましたが、これは違うようですね。 山本五十六の場合、戦死していますが、神社に祀ったり、お祭りをして讃える対象とは、ちょっと違うのではないか?とオヒョウは思います。

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五十六は人気のある軍人ですが、日本を守りきった人物ではありません。 ある種バクチ好きの性格で、太平洋戦争の開戦も彼のバクチの一つだったかのように言う人もいます。 本当にそうなら国民はたまったものではありませんが・・・・。

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彼の場合、頑迷な陸軍と違い、日米の彼我の実力差を認識して、長期戦では勝ち目が無いことを冷静に見ぬいていた事、大艦巨砲主義を廃し、早くから航空戦力を重視する開明的な思想を持っていた事、自ら前線に赴いて戦死した事などから、英雄視され、敬愛されています。同じ海軍高官でも、戦後も生き残り、弁解に終始した嶋田繁太郎などとは大違いです。

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また、山本五十六個人の問題ではありませんが、かつて海軍軍人が日本で格好良く、人気があった理由も考えるべきです。

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戦前の日本では、学歴エリートとして立身出世するには、大別して2種類のコースがありました。 旧制高校から帝国大学を出るコースと、陸軍士官学校から陸大、あるいは海軍兵学校から海大に進むコースです。

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旧制高校=帝国大学のコースを進むには、秀才であるだけでなく、家庭が裕福であることも必要条件でした。 一方、士官学校や兵学校を出て軍人になるコースは、学費がかかりません。衣食住も国家が保証します。 だから、家が裕福でなくても進学可能であり、それらの家庭に育った男子には、立身出世の唯一のチャンスでした。

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明治政府の思惑は2つありました。

国家の近代化を急ぐ上で不足する人材を確保するには、就学の条件を魅力的にして、優秀な人材が集まるようにしなくてはならない。だから育成が焦眉の急だった軍人と教員を養成する学校は、学費を無料とするだけでなく、俸給生活者として通用するだけの奨学金を与えました。 具体的には、高等師範学校、陸軍師範学校、海軍兵学校等です。 

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政府のもう一つの思惑とは、高等教育を裕福な家庭の子供に独占させる事への懸念です。教育の機会を平等にして広く人材を求めなければ、貧しい階層の人達には不平不満も出るし、本当に優秀な人を確保できない・・・という考えです。

だから、お金持ちのための高等教育のコースと、庶民のための高等教育のコースの2本立てで、教育機関を用意しました。

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余談ですが、そのニ種類のエリート達が、お互いに反目したかは歴史の教科書には書いてありません。しかし、二・二六事件や五・一五事件の青年将校の反乱の背景には、ニ種類の人々の相剋があるとオヒョウは考えます。

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小説「坂の上の雲」に登場する秋山兄弟は、官費の学校を卒業して出世していく典型ですが、同じ道に憧れた少年は数多くいたはずです。家庭の事情を考えると、とても旧制高校には行けないけれど、士官学校や兵学校なら進学できるかも・・・と考えた人々です。

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それに加えて、学校側も演出をしました。

兵学校の生徒は、入学後、最初の夏休みに、母校の中学を訪問する事になります。 真っ白な制服を着て、腰には短剣を下げ、二等車で帰省するのです。 二等車・・・というと怪訝に思われるかも知れませんが、これは今のグリーン車に相当します。

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戦前、日本の鉄道の乗客が利用したのは、ほとんど赤い帯が入った三等車で、これは現在の普通車に相当します。 白い帯が入った一等車は、東海道本線などの幹線の優等列車に限られ、地方では見られませんでした。 だから青い帯の二等車とはグリーン車に相当し、これに乗るというのは、地方では晴れがましいことなのです。

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兵学校に入学した先輩の颯爽とした姿を見て、後輩の中学生も兵学校に憧れた訳です。

ちなみに今も横須賀の防衛大学校の学生は、真っ白な制服で外出しますが、短剣は下げていません。それに乗車しているのが京浜急行では、ちょっと格好良くありません。 せめて横須賀線のグリーン車に・・・。

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少年たちが憧れた海軍兵学校を卒業して海軍士官になり、司令長官として最先端の科学兵器を用いた作戦を遂行する山本五十六は、たしかに北陸の地方都市の英雄でありえた訳です。

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しかし、この格好良さは現代に通用するものではありません。

あるアメリカ映画で「軍人は昔ほどもてる存在ではありません」と自嘲気味に主人公が語る台詞がありますが、日本でも同様です。戦争中に人々が憧れ尊敬した山本五十六像を無批判に継承して、今、山本五十六祭を開くのには疑問があります。

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もし山本五十六を偲ぶイベントを開くなら、お祭りではなく、コントラクトブリッジの大会などはどうでしょうか? 海軍士官のたしなみとも言われたブリッジを、五十六は大変好み、かつ強かったそうです。ゲーム機におされたのか、今では愛好者が少ないと言う、ブリッジを広める催しなら、実にスマートだし、格好良いではないか・・・とオヒョウは考えます。


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新潟

あなたは本当に新潟県人ですか?
ぜひ今一度、山本五十六記念館に行って、その人となりを確かめて下さい。
by 新潟 (2010-05-28 11:55) 

笑うオヒョウ

新潟様 コメントありがとうございます。

ご質問に答えるなら、私は現在新潟県に暮らしておりますが、自分を新潟県人であるとは思っておりません。 自動車のナンバープレートも水戸ナンバーですし。 新潟の方言にも違和感を持つ者です。

しかし、山本五十六については、日本人全体の話題となりうる存在であり、新潟県人以外の者にも発言資格があると考えております。

私の山本五十六観は、多くの人の意見の中では、井上成美の意見に近いものと言えます。勿論、私自身は山本本人に会ったこともなく、そのご子息についても外国人記者クラブでのエピソード紹介を仄聞したに過ぎません。

井上成美の海軍軍人に対する評価はかなり辛口で小島譲や豊田譲、阿川弘之の意見とはかなり異なると思います。

アドバイスいただいた記念館には、実は明日行こうかと考えております。
その結果、私の五十六観が変化すれば、この雑文に紹介したいと考えております。 またのコメントをお待ちいたします。

by 笑うオヒョウ (2010-05-28 12:46) 

笑うオヒョウ

失礼しました。字を間違えました。 小島譲ではなく、児島譲でした。
お詫びして訂正します。

by 笑うオヒョウ (2010-06-04 08:29) 

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