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【 暈酒山門に入るを許さず 】 [新潟県]

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【 暈酒山門に入るを許さず 】 

先日、Y博士と新潟の雪深い山里にある禅寺を訪ねました。寺の名前は明白山慈光寺。楠木正成ゆかりの曹洞宗の寺です。

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寺に至る杉並木の入り口に戒壇石なるものが置かれ、禅寺にはおなじみの言葉が刻んであります。 「禁暈酒」その横には丁寧に木製の立て札があり、「不許暈酒入山門:暈酒の山門に入るを許さず」と書いてあります。


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オヒョウは、この文言が有名なのは黄檗宗万福寺だったと記憶しますが、黄檗宗に限らず、曹洞宗でも臨済宗でもこの戒壇石があるようで、禅寺にはおなじみの言葉の様です。オヒョウがこの言葉を知ったのは、漱石の「草枕」か「虞美人草」のどちらかです。以前はその文章を記憶していたのですが、もう忘れました。

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余談ですが、明治の文豪を語る時、人々は山田美妙の美文を最上位に置くといいますが、オヒョウには、漱石の前期の作品も十分に美文であり、暗誦に適していると思います。「草枕」は特に記憶に値する文章です。

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脱線しましたが、この「葷酒山門に入るを許さず」になじみのない読者諸兄の方に申し上げれば、これは「暈:臭の強い野菜(ニラ、ネギなど)や酒を寺に持ち込む事を禁止する」という意味で、それらは禅の修行の妨げになるからだ・・・という事です。

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酒はともかく、臭の強い野菜がどうして駄目なのだ?と首を傾げますが、ニラやニンニクは精力がつきすぎて、修行の邪魔になる・・・と言われれば、ああ成程と理解できます。

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ところで酒と宗教の関係は微妙です。イスラム教が酒を厳禁にしているのは有名ですが、他の宗教でも酒類をどう扱うかは重要な問題です。キリスト教では葡萄酒をキリストの血に例えている訳ですから、アルコール類を禁止する訳にはいきません。

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しかし、強い酒で酩酊する事はキリスト者にとって好ましいとは言えません。 という事で強いアルコールはこっそりと蒸留し、こっそりと寺院内で僧侶たちに飲まれていた様です。オヒョウの好きな甘いリキュール、ベネディクティンなどをみると、ベネディクト修道院で発明されています。他にも修道院の名前を冠したリキュールが多くある事をみると、これは修道士が飲んだだけでなく、布教活動にも、甘いお酒を利用したのではないか?とさえ思ってしまいます。

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仏教では、五戒の内の一つとして、飲酒を原則として禁じていますが、般若湯と称して、薬の如く扱ってちゃっかり飲んでいる宗派もあります。おそらくは、飲酒自体が悪いのではなく、飲酒によって他の戒律を犯しやすくなるから禁じられたのであり、自分を失わなければ飲酒しても良い・・という勝手な解釈があるのでしょう。

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この考え方は、以前の米国での飲酒運転に関する解釈と似ています。「飲んでいても、正常に運転できればよい。酔っ払ってはダメ」というもので、論語にある「酒は量なし、乱に至らず」に通じる発想です。その米国も、今では曖昧な解釈は不可で、基本的に飲んでいてはダメという発想になったそうです。

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話が脱線しましたが、日本の仏教でも戒律が厳しい部類に入る禅宗は、勿論、酒はダメ・・なハズですが、そこはいろいろな屁理屈で抜け道を探せます。だからこんな碑が必要になります。

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オヒョウの祖父は、この文章を「暈は許さず、酒山門に入る・・とも読める」と言い、酒の持ち込みを認める文章と解釈できると笑っていました。しかしこれは祖父のオリジナルではなく、法学者の山田晟氏の言葉のようです。「ようです」と自信がないのは、これは同じく法学者の長尾龍一氏のホームページからの孫引きだからです。http://book.geocities.jp/ruichi_nagao/NewspaperNov.2009.html

法律の文言の厳密な解釈を求められる法学者ならではの言葉かも知れません。

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実は、この文章には、別の読み方も可能です。

 許されざれども、暈酒山門に入る

  許されずとも、暈酒山門に入る

という物で、これは××を禁止するという命令文ではなく、戒律を破る弱い人間の業(さが)を認めてしまう、ちょっとペーソスのある、叙景文です。

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オヒョウは、後の方の解釈が好きです。

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同じ文章に対して、複数の解釈ができるのは、漢文の特徴とも言えます。もともと外国の古典を直接、日本語に転換する事は、容易ではありませんが、それに加えて中国語固有の事情があるとオヒョウは思っていました。

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具体的には活用のない表意文字である漢字を並べ、一方で助詞がない構成であるため、目的格や主語述語を多様に解釈できるかも知れない・・と思っていたからです。 しかし、中国で暮らして理解した事ですが、現代中国語は、誤解や複数解釈の可能性が非常に低い、非常に正確な表現をする言語です。

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むしろ、多様な解釈が可能なのは日本語の方です。今も、政府が憲法九条の扱いを変える際、文章をいじらずに解釈の変更で対応したりしています。それを姑息とは言いませんが、外国に対しては説明の難しい話です。 憲法は日本国内の法律ですが、憲法九条などは外国に対しても、明確な説明が必要な法律です。

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それに、今の日本国憲法の原案はもともと英文だったので、解釈の違いによる議論の余地は少ないはずなのですが・・・・。自然科学系の研究者は一般に、文章の解釈や、文言の意味についてこだわり、議論する事をしばしば軽蔑します。

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でも法学者たちはそうではないようです。そういえば、前掲の山田晟氏も長尾龍一氏も日本の法学の泰斗です。

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文章の解釈を検討する事が専門である彼らが、冗談で禅寺の看板についてコメントしたもので、これは面白いと言えますが、法律については多様な解釈を認めるような世界はゴメンです。


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Dr.Y.

新潟では色々お世話になり、ありがとうとございました。これまで上越を主に訪れていて気づかなかったのですが、燕三条近くで実際に新幹線が走っているのを見て、(当方では新幹線が来ていないので)格差社会の典型だなと感じた次第です。
さて、戒の問題は最近の中世仏教史でトレンドになっているらしいです。要するに、仏教研究に限らず人文学のどの分野でもジェンダー研究が流行していて、その流れで不邪淫戒が問題となっているのかな?、という感じです。不飲酒戒については、あまり論じられていないようですが.....
ともあれ、曹洞宗はとくに戒が厳しいというより、受戒したことによって在家との差が生まれる、といった聖職意識のみが肥大化したのでは?、と私は思っています。
by Dr.Y. (2010-03-29 11:48) 

笑うオヒョウ

Dr. Y様 コメントありがとうございます。
なんとなく、私の意識の中で禅宗は戒律に厳しい宗派だと思っておりましたが、よく考えれば根拠の乏しい考えかも知れません。中学生の時に行った永平寺で雲水の厳しい生活を目にして漠然とそう思ったのか、映画ファンシィダンスの影響か・・・自分でもわかりませんが。

by 笑うオヒョウ (2010-03-29 15:04) 

夏炉冬扇

今晩は。
お酒の話はおもしろいです。
冬はやっぱり日本酒でした。
by 夏炉冬扇 (2010-03-29 19:47) 

笑うオヒョウ

夏炉冬扇様 コメントありがとうございます。

先日、久しぶりに熱燗のお酒を痛飲し、おいしいなぁと実感しました。
私の場合、お酒の話題はたくさんあるので、ブログに書こうとすると、書ききれません。 話が今以上に発散してしまうかも知れません。

それと、お酒に関するエピソードを書こうとすると、どうしても私の場合は、失敗談が多くなってしまいます。 なに、シラフの時だって、失敗談には事欠かないのですが・・・。 恥の多い人生を歩んでおります。

またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2010-03-30 01:50) 

紺碧の書架

フランスではキリスト教の教会が葡萄畑を持ち、ワインを醸造することも稀ではないと聞きます。オスピス・ド・ボーヌのように寄付された畑で葡萄栽培とワイン醸造を行い、ワインをセリにかけ、売り上げを施設運営の経費に充てるそうです。

 教会は学校であり、病院でもあるということのようです。
by 紺碧の書架 (2010-04-01 20:12) 

笑うオヒョウ

紺碧の書架様 ご訪問とコメントをありがとうございます。

なるほど、フランスの修道院ではワインなど酒の中に入らなかったのでしょうか? それともビジネスとして割り切っていたのでしょうか?
味噌などの醸造食品や精進料理の開発研究では日本のお寺も随分実績があるようですが、お酒の製造をお寺がしていた・・という話は聞きませんね。
それとも私が知らないだけなのですかね。

またのコメントをお待ちします。
by 笑うオヒョウ (2010-04-02 02:28) 

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