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【 おからの心 その2 】

【 おからの心 その2 】

 オヒョウの先祖が江戸時代に、飛騨高山に暮らしていた頃、新しい刀を購入すると、ささやかなお祝いをしたそうです。 

実際に日本刀製作のお手伝いをした事があるオヒョウが思うに、その頃の日本刀はかなり高価だったようで、下級武士が購うのは大変だったと思います。

今なら、庶民のサラリーマンが高級乗用車を買う様なものかな・・・。

 しかし、刀なんてせいぜい2振あればいい訳で、何本も必要ないではないか? とも思います。 まあ、そうはいってもいい出物があれば欲しい・・という事もあったのかも知れません。無論、滅多に買うものではなかったそうですが・・・・。

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ところで、その刀を手に入れた時のお祝いですが、仏壇と神棚には豆腐のおからを供えたそうです。 

「そりゃまたどうして?」と母に尋ねると、 「おからは、別名キラズとも言います。だから、将来この刀で人を斬る事などありませんように・・・というおまじないで、おからを供えたのです」

おからの別名で卯の花というのはよく聞きますが、キラズという名があるとは知りませんでした。漢字で書けば雪花菜という美しい名前で、どうやら中国語由来の様です。

 「 『おから』が『キラズ』で、刀で人を斬らない様に・・というダジャレですか?」

「 たしかにダジャレだけど『キラズ』というのは、包丁を使わなくても、料理できるからで、刃物が不要という意味がそのまま名前なのです」 

なるほど・・と思いますが、人を切る道具を、大枚をはたいて購入し、それでいて、その道具で人を切らない事を願うなんて矛盾しているではないか?

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確かに矛盾していますが、武器というものは本質的に矛盾を孕んでいます。江戸の太平の時代、実際に刀を抜いてチャンバラをするなどという事は滅多になく、武士の多くは、一生の間に一度も斬り合いをしなかったはずです。 

時代劇に登場する侍はやたら刀を抜いて斬り合いをしますが、あれはフィクションです。人々は、刀は持つけれど、それを使用する事は凶であり、あってはならない事・・・という認識だったのです。

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脱線しますが、西部劇のガンマンもやたら発砲しますが、実際のアメリカ人は、普段の生活で滅多に銃を抜くことはありません。カウボウイと呼ばれる人々も、生活は実直でオヒョウの知る限り乱暴な人はいません。ちなみに、漫画の天才バカボンに登場するお巡りさんも、やたら発砲しますが、実際の警官は・・・・。

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刀は凶器であり、使わねばならない事態は極力避けねばならない。刀を持つからこそ、争いを平和的に解決せねば・・・という意識が、江戸時代の武家の基本的発想だったに違いありません。 

翻って、この問題、この矛盾は現代にもあります。これは平和憲法の前文の精神を尊重しながら、F-22を欲しがるのに似ています (敢えて、9条については触れません)。 最新鋭の兵器を欲しがる一方で、その兵器の使用は極力避けたい。 できれば使いたくない・・・という思いは、日本だけでなく世界中全ての軍人に共通してあるはずです。

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しかし、ある種の幼児性の発露として、上等な道具を持てば、使ってみたくなる・・・というのも人情です。優秀な兵器を持った場合の誘惑というのも、必ずあるはずです。ひょっとしたら、20世紀に日本が破滅の道を進んだきっかけに、武器を蓄え、兵を練りすぎた故の戦争への誘惑があったのではないか?とオヒョウは考えます。 

今の日本はシビリアンコントロールだから大丈夫さ・・・という人がいます。しかし、文官は刀を持つ事の責任感と戒めに鈍感です。だから外交交渉に於いて、却って粘り強い交渉をせずに諦めてしまう可能性があります。むしろ、文官と武官の双方が葛藤しながら、国の外交を担っていく方が望ましいでしょう。 そうでなければ、高価な戦闘機を導入する意味がありません。

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実践に使われないまま、朽ちていくのが、兵器の理想ですが、世の中には、開発・購入した兵器で儲けたり、元をとろうとする国もあります。 ミサイルや核兵器を他国に売却したり、これを用いて恫喝して外国からの援助をえようとする国です。先軍政治などという幼稚な発想で、せっかく開発したり購入した兵器は使わにゃ損々という国ですが、彼等こそ神棚におからをお供えすべきでしょう。


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