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【 8月5日 宮島一日行 その2 】 [広島]

【 85日 宮島一日行 その2 】

 

浅瀬の中に涼しげに浮かぶ厳島神社を後にして、我々は長い砂嘴を歩いて平清盛神社に着きました。源平の戦いのエピソードの中ではどちらかというと、後白河上皇につぐ悪役として語られ、娘を天皇のお妃に送り込んで外戚となり、国政を壟断し、しかも日没を妨げるという天をも恐れぬ不遜の行い・・・となっていますが、安芸の国に暮らすと彼の偉業が目に付きます。清盛は、本当は偉大な人物だったのだ・・・。

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昭和20年代に建立された清盛神社は、ささやかで質素な神社です。「なんだ、意外に新しいのだな」そう思いながら、少しおなかがすいたことに気付きました。観光客相手のレストランはたくさんあります。さて、どこに入ろうか? やはり宮島の事情に通じているFさんかKさんにご一緒願うべきだった。彼らならおいしいお勧めのお店を知っているはずだ・・。 でもこの炎天下に一緒に来てくれとは頼めないなぁ。 そこで目に付いた清盛神社の隣にある食堂に入ります。 まだ12時前です。

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Aさんは宮島名物のアナゴ丼を注文し、私はそばを注文しました。食事の話題は源平時代の話です。 私は「平家物語」こそ日本最高、いや世界にも類の少ない一大叙事詩だと思います。 これは単なる戦記文学ではありません。

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王朝文化の雅、武家の戦争の非情と悲惨、全編を貫くバックボーンである仏教のものの哀れや無常観が壮大で膨大なストーリーの中に貫かれています。 そして厳島神社こそが平家物語を象徴する場所だ・・と、私はおそばを口に入れながら平家物語賛歌を力説します。 無論A部長にも異論はないようです。

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食事を終えると、我々は丘の中腹にある多宝塔に向かいましが、木立に隠れて場所がよく分かりません。 ふと道の横の塀の隙間を見ると、よく手入れされた日本庭園が見えます。別に覗き見をする趣味はないのですが、どんなお屋敷なのだろう・・と玄関に回ると、宮島歴史民俗学資料館とあります。 興味が半分と、残り半分は冷房を求める思いで入ってみると、落ち着いた佇まいの邸宅で、かつての豪商のお屋敷のあとだそうです。 そう言えば、大崎下島の御手洗集落にも旧家を利用した資料館がありました。

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中に入ってみると、厳島神社に関する資料・展示物も多く、手入れされた庭も見事です。 平家に関する資料・展示物だけでなく、毛利氏と陶氏の厳島の戦いについての説明も充実しています。 説明によれば、戦をするにしても、厳島神社の境内は戦闘区域から外したとのこと。 なるほど天晴れ・・というか、あの時代にも太平洋戦争時のウォーナー博士のような文化財保護論者がいたのかな? それとも中世の時代は、社寺仏閣は戦場から除外するのが一般的だったのかな?その辺りをちょっと突っ込みたくなります。

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そして面白いことが一つあります。展示内容には、NHKの大河ドラマから引用した資料や絵が多くあるのですが、その昔の仲代達也主演の「新平家物語」のものばかり、松山某が主演した「清盛」のものは全くありません。 考えてみれば当たり前でしょう。

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平家物語を彩る王朝文化の雅さは、後者のドラマには全くありませんでした。中世は恐らく不衛生で埃っぽかっただろうという、漠然としたイメージに基づいて、コーンスターチの粉をまぶし、顔を垢黒い色に化粧したドラマは、厳島神社の説明には全くそぐわないでしょう。 あのドラマの演出家は「汚し」に奇妙なこだわりを持つ人物で、その演出が批判されると、TVのインタビューに答えて「『汚し』に生き甲斐を感じています。

これからも『汚し甲斐』がある場面が続くので、どんどん汚くしていきますよ」と笑っていました。 たしかに清盛個人を描くならそれもいいけれど、「平家物語」の美を語るにはふさわしくない演出だったなぁ・・と、消えていった松山某という俳優を思い出しながら考えます。

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資料館を出て、多宝塔を見学し、宝物館に入ります。ここにも見事な備前の名刀などが並んでいます。昔の能装束、古備前の壺などもあります。 鎧兜、金覆輪の鞍なんてものもあります。まさしく平家物語の世界です。 そしてここにも外国人観光客が多くいます。 日本刀や鎧兜などは面白いかも知れません。

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宝物館を出たところで小さな金比羅様を見つけました。瀬戸内の島々には、海の神様である金比羅様が必ずあるはずだ・・・と思っていたのですが、この島には見当たらず、不思議に思っていたのです。 既に厳島神社があるから要らないのでは?と思う反面、いやきっと多くの神社やお寺に混じってどこかにあるはずだ・・・と思ったのです。

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宝物館を見た後は、厳島神社からも見上げた、豊国神社へ向かいます。ここには千畳敷きと言われる巨大な本堂と五重塔があります。千畳敷きの方は、建造中に秀吉が他界したため、作りかけで放置されたそうですが、塗装されない素木の柱と床、天井の無い構造は、開放感があってかえって素敵です。 吹き抜ける海からの風は、安芸の風ではなく、遠く周防の国から吹いているようです。

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眼下には、厳島神社の寝殿造りの社が見下ろせますが、今は干潮の時間帯であるため、先ほどの海面が干潟になっています。目の前には、独特の斉一性の美を誇る五重塔です。

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エアコンではない、天然の風を受けながら、再び私は饒舌になります。

「(法隆寺の)五重塔と(薬師寺の)三重塔ではどちらの方が美しいと思いますか?」

それから、議論は見下ろしている厳島神社の社殿の話に移ります。

Aさんが「海上に寝殿造りの社を建立しようと考えた清盛の発想は素晴らしい」と言うので、

私は「寝殿造りの建築はいいですね。僕は、宇治の平等院も大好きですし、奥州の毛越寺も大好きです」

Aさんは「毛越寺は、庭園は素晴らしいけれど、建築は殆ど残っていないし、寝殿造りというのは、不正確では?」

そこは確かに私の勇み足ですが、私が考えたのは左右対称に建築を配し、それらを回廊で結ぶ構造のことです。左右対称形で翼楼と呼ばれる構造を張り出した点は、毛越寺も同じで、毛越寺も、平等院鳳凰堂も、厳島神社も寝殿造りと言えるのではないか? ・・・私はそう言いたかったのですが、いかんせん、建築が残っていない毛越寺でそれを主張するのは、ちょっと無理です。

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日本の寝殿造りでは建築は幾何学的な対称形なのに、池などの庭園はそうではありません。 庭全体にも幾何学的な斉一さを求める西洋の宮殿とは明らかに違います。

厳島神社の場合、池の代わりに海岸があるのですが、潮の干満でその形は時々刻々変化し、趣も千変万化です。 清盛がそこまで計算したのなら、本当に優れたデザイナーです。

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「日本の庭園の池が複雑な形状になり、いわゆる『心字池』として評価されるようになったのは、もっと後の時代でしょう」とAさん。

「たしかにその通りでしょうが、日本の庭園はもっと早くから自然との調和を志向していたはずで、厳島神社の境内はその証拠ですね」

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四方が開放された大空間は、素晴らしい眺望とともに、涼しい風を提供します。 吹いてくる風は、安芸の風ではなく、海路を挟んだ西の陸地からの風のようです。

 

歩み来て 周防の風に涼みおり

                           以下 次号


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