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【 時効硬化 】 [鉄鋼]

【 時効硬化 】

 

今は知りませんが、昔は、日本からドイツに出張する人は、フランクフルトの空港に到着して、デュッセルドルフまで空路か鉄道で行くのが普通でした。鉄道の場合、途中のケルン駅のすぐ横にあるケルンの大聖堂を見て、その高さに驚くことになります。電車(ICE)の窓から見上げても、頂点は見えません。下車してケルンの大聖堂(マルと言います)を見上げることになります。或いは健脚を誇る人は大聖堂に歩いて上ることになります。

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しかし、観光地ケルンを記憶する人は多くても、その次の小さな駅Duren(デューレン)に気づく人は希です。もしいるとすれば、すぐ近くのアーヘン工科大学やマックスプランク研究所に留学する冶金金属学の研究者/技術者ぐらいです。その昔、Durenでは一つの発明があったのです。

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20世紀の初め、人々は新しい軽金属であるアルミニウムの活用に知恵を絞っていました。しかし、アルミは軽いものの柔らかすぎて、用途は限定されます。何とか強度を上げられないか・・と研究者達は知恵を絞り、いろいろな実験に取り組みました。

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ある時、Durenの研究者はアルミに銅や亜鉛を混ぜて強度が上がらないか調べましたが、結果はさっぱりです。諦めてその日は帰宅し、翌日実験室に戻ってみると、柔らかかった合金が硬くなり、強度がアップしています。これはどういう事だ?と調べてみると、軽いのに高強度の合金ができていたのです。合金の強度は数日経つとますます上がっています。科学者は、この新しい金属にデューレンという地名とアルミニウムの名前を合体させてデュラルミン(ジュラルミン)と命名しました。

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やがて、第一次世界大戦が始まりました。ドイツは飛行船の骨組みに新合金のジュラルミンを用い、その飛行船でロンドンを空襲しました。 イギリス軍は撃墜した飛行船を調べ、軽くて強い未知の金属が用いられているのに驚きました。「一体これは何だ?」

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戦争は終わり、ジュラルミンの研究はさらに進みました。真っ先に飛行機に応用され、それまで木と布(キャンバス)だった機体と翼がジュラルミンになりました。

銀色に輝く、全金属製の飛行機は、ドイツのユンカースが初めてですが、日本も全金属製の飛行機を開発しました。最初に全金属製の飛行機を製作したのは、広島県呉市の広にあった海軍工廠で、その工場は今も残っています。ある電炉メーカーの鋳造工場になっているのです。

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さらに日本では優秀な冶金学者を擁する住友伸銅所(住友金属)がジュラルミンを改良し、超超ジュラルミンを開発しました。有名な話ですが、超超ジュラルミンは、最初にゼロ戦の翼桁材に用いられました。捕獲したゼロ戦を調べた米軍の技術者は、軽くて強い未知の金属が用いられているのに驚きました。「一体これは何だ?」

(ただし、今度はアメリカ英語で・・)

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今は、超超ジュラルミンという言葉はあまり使いません。アルミ合金の7000番台と言った方が分かりやすいのです。そう、ご存知の通り、今の新幹線の車体は、7000番台のアルミ合金が使われています。 そして中国版の新幹線「和諧号」だって7000番台のアルミ合金が使われているはずです。 中国が自分の高速鉄道を「中国で開発されたオリジナルだ・・」と言い張るなら、「その車輌に使われているのは、日本で発明され、かつてゼロ戦に使われていた合金だよ」と言ってやりましょう。

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しかし、私が中国人なら「ジュラルミンだって、超超ジュラルミンだって、最初に武器に使い、しかも発明した方が結局戦争に負けたじゃないか」と言い返します。たしかにその通りです。

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多くの金属について言えることですが、発明されたら先ず武器に用いられ、人の血を流すことに使われます。全く凶なるもの・・と言うべきです。

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ジュラルミンはなぜ強度が出るのか?・・・という疑問は、ジュラルミンが発明された4年後に解かれました。凝固後の金属内に析出物が時間差を置いて生成する時効硬化という現象が見つかったのです。(すると時効硬化は析出硬化の一種ということになるのですが、厳密な議論はこのブログでは避けます)。

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しかし、私は、時効硬化が1907年に発見されたとする説に賛成しません。もっと早く中世の錬金術師によって発見されていたではないか? 私はそう思います。

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その昔、金を、他の元素の合金によって作ろうという虚しい努力が続いていました。 赤くて柔らかい銅と白色で柔らかい亜鉛を合金にすれば、中間の黄色でもっと柔らかい金ができるのではないか? メンデレーエフの周期律表を持たず、ラボアジェ程度の化学しか知らない錬金術師ならそう考えても仕方ありません。

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しかし銅と亜鉛を合金にしてできるのは、ご承知の通り、真鍮(つまり黄銅)です。 色こそ黄色で黄金に似ていますが・・(と書いて、私は金の色を知らないことに気付きました。黄銅なら見慣れている五円玉の色ですから間違えませんが、ヤマブキ色の黄金とやらは、殆ど見たことがありません)、真鍮は金ほど柔らかくありません。

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王様の前で金を作ってみせると大見得をきった錬金術師は、慌てず、「出来立てだから硬いのです。時間が経てば柔らかくなります・・」と口からでまかせを言いました。 翌日、ますます硬くなった真鍮を見て、王は怒り、錬金術師の首を刎ねました。一般に共晶型の合金は、単体の金属より延性や展性が劣ります。今は当たり前の知識ですが、当時は誰も知りません。 真鍮という有用な合金を発明した錬金術師は、嘘を言った罪で処刑されてしまったのです。 この翌日にさらに硬くなった真鍮(黄銅)こそが最初に確認された、時効硬化であると思います。

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注意深い方、或いは金属に詳しい方は、覚えておられるでしょう。最初にジュラルミンの成分として、アルミに銅と亜鉛を加えた・・と書きました。つまり、デューレンで発明したアルミ合金とは、アルミに真鍮を混ぜたもので、その時効硬化は、ある意味予想された結果だったのです。(勿論、今だから言えるのですが・・)。

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時効硬化は、他の方法では強度アップが難しい柔らかい非鉄金属を強化する方法として利用されましたが、鋼でも用いられます。宇宙ロケットやミサイルに用いる究極の高強度鋼であるマルエージング鋼も時効硬化を利用しています。惑星探査機「あかつき」や「こうのとり」気象衛星「ひまわり」を載せたH2型ロケットもマルエージング鋼を使っています。

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いや時効硬化は、金属だけではないのです。最近の報道では、プラスチックを時効硬化させる方法を研究しています。 オヒョウはお正月のお餅が硬くなる現象が時効硬化なのかが気になります(冗談です)。それどころか、時効硬化は物質だけではないのです。組織も硬直化します。

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かつて、超超ジュラルミンを世に送り出した頭脳集団、S友金属も、いつしかその経営が硬直化していきました。バブルの時期に「やわらか頭」をキャッチフレーズに宣伝したのですが、逆に経営者の発想も経営理念も固くなる一方でした。負債額はどんどん増え、ついには単独で会社を維持できなくなり、ライバル会社に吸収されて消滅しました。

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「あれ~? 柔らかくなるはずなのに、逆に硬くなっちゃったよ」と山瀬まみなら言うところです。 中世の錬金術師の時代ならば、打ち首となるところですが、今の経営者は経営に失敗しても生き恥をさらさざるをえません。 刑事罰の責任と違い、経営者の罪には時効は無いのです。


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