SSブログ

【 港が欲しい 】 [中国]

【 港が欲しい 】

 

中国は大国ですが、その国土のわりに海岸線が長いとは言えません。そしてこの国は太平洋沿岸諸国のメンバーのひとつですが、実は太平洋に面している訳ではなく、南シナ海と東シナ海に面しているだけで、その他の海岸は黄海、渤海湾、トンキン湾・・という内海に面しているのです。

・・・・・・

でも海洋国家として一流になりたい、7つの海を制覇する外洋艦隊(最近はブルーウォーターネービーと言うそうですが)を持ちたい、太平洋を我が物にしたい・・・とかの国の軍人は思っています。 なんだか一世紀前の日本海軍と似たことを考えています。

・・・・・・

そのために、何の役に立つのか知りませんが、航空母艦を建造したりしています。でも大型軍艦だけでは外洋艦隊を作ることはできません。外洋に面した港、あるいは外洋の中に拠点となる港を確保しなければなりません。

・・・・・・

今も昔も海軍の作戦は、全て兵站が重要です。特に航空母艦を運用するとなると、原子力推進艦か否かはともかく、のべつ膨大な量の燃料、食料、弾薬等を補給しなければなりません。 外洋を航海する場合、本国から補給艦がひっきりなしに駆けつけるのでは不自由で仕方ありません。 外洋に拠点となる港が欲しい・・・中国は考えます。

・・・・・・

そして温故知新の国、中国では歴史を調べ、過去に外洋型艦隊を持った多くの国が、国外に港と港湾都市を租借して活用してきたのを知っています。ああ、何とか自分達も国外に軍港を持ちたい・・・。

・・・・・・

日露戦争の前、ロシアは中国の旅順を自国の軍港として使っていました。軍港ではありませんが、英国は長く香港を租借していましたし、ポルトガルは澳門を租借していました。もっぱら中国は港を外国に貸す側だったのです。

・・・・・・

一方、日本は租借地ではなく委任統治領ですが、トラック島を連合艦隊の泊地にしていました。 米国は植民地であるフィリピンのズービックを自国の海軍基地にしていました。 

・・・・・・

そしてアジアの軍港の中で特筆すべき存在である南ベトナムのカムラン湾は数奇な運命をたどっています。 ベトナムが仏領インドシナだった頃、カムラン湾はフランス軍が使用していましたが、太平洋戦争開始と同時に南下した日本軍に占領され、日本が使用しました。そして戦後はアメリカ軍が使用し、ベトナム戦争が終わってベトナムが統一されると、今度は旧ソ連の海軍が使い始めました。 そしてソ連が崩壊したあと、やっとカムラン湾はベトナムのものになりました。しかし悲しいことにベトナムにはろくな軍艦がなく、この港を有効活用できません。 そこにまたアメリカが現れ、カムラン湾を使いたい様子です。 なんとも面白いことですが・・。

・・・・・・

実はこのカムラン湾でのやりとりが、20世紀の歴史に大きな影響を与えたのです(毎回、こんなセリフを話していますが・・・)。

・・・・・・

第二次世界大戦は、鉄と石油とジュラルミンの戦争でしたが、日露戦争の時代、戦争は鉄と石炭の戦争でした。 この2つの物資で、より良質なものを、よりふんだんに使った方が勝利したのです。

・・・・・・

20世紀のはじめ、日露戦争が勃発し、ロシアはバルチック艦隊をはるか北欧から日本海に派遣することになりました。 途中、英国の植民地では、英国の妨害を受けるので、なるべくフランス領の植民地を経由して、日本に向かいましたが、それでも各地で妨害されます。マダガスカルでも、いい石炭や食料、水を集めることができませんでした。やがてマラッカ海峡を経た後、バルチック艦隊は仏領インドシナのカムラン湾に寄港します。そこでたっぷりと良質な燃料や食料を調達するはずでした・・。

・・・・・・

読者諸兄の中に石炭に詳しい方がおられるかも知れませんが、ベトナムには良質な無煙炭を産するホンゲイ炭田があります。北ベトナムの有名な景勝地であるハロン湾の近くです。無煙炭は製鉄原料としては使えませんが、燃料としては最高級です。明治時代、軍艦の燃料として無煙炭を使った場合、その性能は大きく向上したのです。

・・・・・・

もし、バルチック艦隊がカムラン湾でホンゲイ炭を燃料として積み込んでいたら、歴史は変わったかも知れません。無煙炭はカロリーが高くて、スピードが出せる上、燃焼室の石炭ガラの処理も容易です。それに、乗組員は煤煙に悩まされることもなく、健康にも士気の向上にも、最適です。 それになにより、煙が少ないので遠くから敵に発見されません。

・・・・・・

しかし実際には、バルチック艦隊はカムラン湾で無煙炭を積む事はできませんでした。英国の妨害という説もありますが、三井物産の現地支店が妨害したという説もあります。 仕方なく代わりに劣悪な石炭を積んだバルチック艦隊は、もうもうと煙を出しながら、ゆっくりと日本へ向かいました。 その煙はすぐに日本の信濃丸に発見され、琉球の漁民にも発見されて、木浦にいた連合艦隊に伝えられました。そして準備万端の日本の連合艦隊は対馬沖で、バルチック艦隊を迎え撃ったのです。カムラン湾での物資調達の成否が、日本海海戦の結果に影響したのは間違いありません。

・・・・・・

そのカムラン湾が欲しくてたまらないのは、今の中国です。パラセル諸島やスプラトリー諸島の岩礁を埋め立てたところで、滑走路はできても、大型の軍艦が錨を下ろす港はできません。南シナ海やトンキン湾を我が物にするためにはどうしてもベトナムの軍港が欲しい・・と思うはずです。

・・・・・・

その昔、日本やアメリカやソ連が使ってきたカムラン湾を自分達も使いたいよぉ・・という中国の声が聞こえてきそうですが、ベトナムと中国は、大昔から仲が悪いのです。租借も割譲もまず無理です。

・・・・・・

カムラン湾が無理でも、世界中に拠点を作りたい中国は、いろいろな国に働きかけます。 一時期、インドと対立していたスリランカに擦り寄り、軍港を借りる契約寸前までいきましたが、失敗しました。 日本では報道されませんが、韓国済州島にも、モーションをかけています。日本に圧力をかけ、中国海軍が太平洋へ進出するには、済州島に軍事基地を設けるのが適切だからです。 しかし、いくら中国寄りといわれる朴槿恵でも、済州島の港を中国に渡すことには強い抵抗があります。

・・・・・・

ついには財政破綻に至ったギリシャに擦り寄っています。エーゲ海の中に、中国の海軍基地を作ろうという算段でしょうか・・。ちょうどジブラルタルを占領して軍事基地を置いている英国のように・・・。 でもバルカンの火薬庫のすぐ南に軍事基地など置くと、いらない火の粉を浴びることになると思うがなぁ・・。

・・・・・・

実は20世紀の時代、他国の港を租借して海軍が使う・・・という事態は、全て戦争の結果として発生しています。それに対して中国は、戦争の結果ではなく、お金と政治圧力で港を手に入れようと考えるのですから無理があります。

・・・・・・

ギリシャ人ならきっと知っています。向こうから揉み手をしながら近づいてきて「お金をご用立てしましょう」と、猫なで声で話しかける男ほど怪しい者は無い・・と。中国からお金を援助されれば、きっとそれは高くつきます。如何にお金に窮しても闇金や高利貸しには手を出してはダメなのです。

・・・・・・

しかし、それでは中国はエーゲ海の海軍基地を諦めねばなりません。どこか他に、お金で港を売ってくれる国はないか?

ああ、そう言えば一つだけありました。太平洋に浮かぶ島国ナウル共和国です。

・・・・・・

このナウルと言う国は実に不思議な国です。 私が子供だった頃、ナウルは産油国以上に豊かな金満家の国でした。小さな島には分不相応な航空会社を持ち、国際線を飛ばしていました。なぜか日本の鹿児島空港にも飛んで来ていましたが乗客がいたかどうかは知りません。 なぜ鹿児島に?・・と訊いてもよく分かりませんが、国際線を飛ばしたかったからでしょう。 なぜナウルにお金が溢れていたかというと、鳥のフンの堆積物に由来するリン鉱石で大儲けしていたからです。 しかし、多くの人は、小さな島のリン鉱石はやがて採り尽くされてしまう事を知っていました。 資源の枯渇の時期は正確に予測されていたのに、ナウル共和国は何の手も打たずに、贅沢を続け、やがてその日を迎えました。 そしてナウル共和国はド貧乏な国家に転落しました。

・・・・・・

それどころか、リン鉱山の廃墟は自然を破壊し、見苦しい国土を残し、観光産業にも期待できない有様です。 ナウルに比べれば、ギリシャは遥かにましです。 今なら、ナウルはお金で港を中国に売るかも知れません。 ナウルは何よりお金を欲しがるでしょうし、リン鉱石の積出しに使った港は、今は閑古鳥が鳴いているからです。

・・・・・・

中国がお金でナウルを取り込めば、念願の海軍基地を太平洋のど真ん中に持つことができます。 しかし、そこにはもう一つの問題があります。

多くは泳げないという中国海軍の水兵は、ナウル共和国に到達するまで、船酔いを我慢できないであろう・・という大問題です。中国がこの大問題をどう解決するか・・私は知りません。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。