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【 ヤジについて考える 】

【 ヤジについて考える 】

都議会で女性議員の人格を否定するかのような下劣なヤジが飛んだとして問題になっています。晩婚化と晩産化の問題を提起したみんなの党の女性議員に「自分が早く結婚しろよ」というセクハラヤジが飛んだのだそうです。 なるほど、このヤジはひどい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140619-00000038-asahi-soci

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どうでもいいけれど、晩産化とは不思議な言葉です。昔は晩産化などという言葉はなく、単に初産の高齢化・・と言っていました。晩産化・・というとバンサンカンをイメージし、女性向け雑誌の連想から、さらには、昔は25歳が女性の結婚適齢期だったのか・・と、これまたセクハラ的な事を連想してしまいます

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民主党や共産党のヤジはあえて聞かないふりをするマスコミも、自民党のヤジとなると、いろめきたって問題視します。だからこのヤジは、都議会の話なのに、全国ニュースのトップになりました。

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実際、結婚と出産はデリケートで難しい問題です。国家としてマクロ的に考えれば、少子高齢化や晩婚化、晩産化はゆゆしき問題なのですが、ひとりひとりの問題として考えれば、優れて個人的なプライバシーの問題であり、他人が、まして行政がいたずらに介入すべき問題ではありません。結婚しない人が増え、さらに子供が減っているからといって、早く結婚しろだの、早く子供を産めなどとは、おせっかいもいいところで、誰も干渉していいことではありません。

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当たり前のことですが、世の中には、それぞれに事情があって、結婚しない人々がいます。結婚できない人もいます。子供だって、あえて作らない人もいれば、欲しくてもできない人もいます。どういう人生を歩むかは個人の自由であると同時に、触れられたくない事情でもあります。

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実を言うと、若かった頃、オヒョウ夫婦にもなかなか子供ができませんでした。外野席からは「まだ子供ができないのか?」とか「楽しみにしているのに」という無責任で無神経な言葉がかけられ、しばしば妻が傷ついたのをおぼえています。なぜか、子供ができないと妻の方が肩身の狭い思いをするようです。実に不思議なことですが・・・。

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だから、心無いヤジに女性議員が涙を流したと聞いて、なるほど・・と思います。

結婚と出産だけではありません。人々は人生の岐路でさまざまな選択をして、悲喜こもごもの人生を送っています。自分の希望通りの人生を歩んでいる人もいますが、諸般の事情でやむを得ない判断をして生き方を選んだ人もいます。そこを無神経に突っついてはいけないのです。

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私が製鉄所にいた頃です。若い大卒のスタッフと、現場の作業員が一緒に飲んでいた席で、現場の若手が言いました。「エリートの大卒はいいよなぁ。あっという間に出世して、きれいな職場で楽な仕事をして、給料は高いし、威張り散らせるようになるんだぜ」。

確かにその製鉄会社ではホワイトカラーとブルーカラーでは昇進の道は違い、明確な格差がありました。

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声をかけられた東大出のスタッフは、普通の顔で「くやしけりゃ、お前も東大に入って、この会社に入りなおせばいいじゃないか。そしたら学卒で管理職にも重役にもなれるぞ。それができないから職工をやっているのに、ひがむなよ」 一瞬にして宴席はしらけました。その東大出の青年が言ったことは正論かも知れないのですが・・・・。

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同席した何人かは知っていました。その現場の青年は家庭の事情で大学進学を断念して就職したのです。だから彼は会社に入ってから鉄鋼短大(当時)を目指し、オヒョウもそのために家庭教師の真似をしていたくらいです。確かに東大出は出世するだろうけど、こんなやつが将来偉くなって大丈夫かなぁと思いました。今は立派に常務執行役員ですが・・。

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私は都議会のヤジの話を聞いたとき、若かった頃のエリート青年の暴言を思い出しました。

自分にとって不本意な選択をした人、不本意な状態にある人に対して、無神経なことを言ってはいけません。そのデリカシーこそが人格であり社会の優しさだ・・と私は考えます。

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しかし、一方で私は全く別のことも考えます。私なりの水平思考です。 ここからこのブログの趣旨は逆転します。

今回、ヤジを浴びせられたのは、若くて美しく、教養も能力もある女性です。本人がその気になれば、結婚相手など選ぶに困るほどだろうと思います。だからヤジを浴びせた人は、気軽に考えて「自分が結婚しろ」と言ったのだと思います。

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もし、塩村文夏議員が、美人でなく、肥満した中年後期の人物(つまりオヒョウのような)人物だったらどうでしょうか?ヤジはより深刻な言葉として心臓に突き刺さったかも知れません。でも逆に人々の同情は少なかったかも知れません。

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では塩村議員が独身の男性議員だったらどうでしょうか? 男性だって結婚願望を持ちながら、独身のまま齢を重ねていく人がいます。子供に恵まれない夫もいます。塩村議員が男性だとして「それならお前が早く結婚しろよ」とヤジられたと仮定します。マスコミは議員に同情したでしょうか? まして議員が自民党だったら、朝日新聞はそこまで同情的だったでしょうか? かつて、自民党の野田聖子代議士が不妊に悩み、苦労して我が子を得た時、言われない中傷を受けましたが、左派系のマスコミは極めて冷淡でした。

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塩村議員が男性だとして「結婚しろ!」というヤジに涙を流しても、マスコミは冷淡だったに違いありません。大相撲を引退した高見盛が嫁さん募集で苦労しているのを面白おかしく報道するのがマスコミですから。

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これこそ、まさに男女差別なのですが、そのパラドックスにマスコミも新聞読者も気づきません。不思議なことです。

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無神経な言葉や悪意を持った言葉は、忌むべきですが、その一方で、人は他人を傷つけながら生き続けます。作家曽野綾子は、そのエッセイの中で「人は他人を傷つけずに生きていくことはできない」と言っています。そしてその例としてある新聞投書を挙げます。

「嫁に行き遅れてオールドミスになった娘が、相撲中継を見るたびにヒステリーになる。なぜなら、行司が「残った!残った!」と連呼するからだそうで、あの掛け声を止めてくれ」という無体な相談です。

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およそ、悪意はなくても、人を傷つけることはあります。求められるのは多少のヤジではビクともせず、笑い飛ばせる、強靭な精神なのですが、これが難しいのです。

人を傷つける言葉に対して、最も上等な対応は、ウィットというかユーモアのある冗談で切り返すことです。英国の政治家には露骨なイヤミやヤジをユーモアで上手に切り返す、機転の利く人がたくさんいます。下手な漫才師よりよほど笑えます。でも日本には少ないですね。なぜかな?

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そして、もうひとつ大事なのは傷ついた人を上手にフォローする事です。こちらも難しく、そしてウィットがあった方がいいのです。オヒョウなら塩村議員をどう慰めるかなぁ・・・・。

「早く結婚しろ!なんて言う輩は自分が結婚に失敗したものだから、悔しくて他人にも同じ経験をさせたいだけさ。結婚は人生の墓場と言うけれど、ヤジを言った男は、自分が本物の墓に入りそうな年齢だから、若い君が羨ましいのさ。実際、ヤジなんてのはやっかみと嫉妬が半分さ。実は僕も君の若さが羨ましい。 悔し涙を流せるのは、僕の記憶じゃ30代までだからね。 それだけ君が若いということさ」

どうも慰めの言葉にはなりませんね。 「笑うオヒョウ」にはどうしてもウィットが足りません。


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