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【 イスラムの侵食、アフリカの浸入 その1 】 [フランス]

【 イスラムの侵食、アフリカの浸入 その1 】 

日本ではイスラム教徒の存在をそれほど、強く意識する事はありません。それでも、最近イラン人などが増えてきたな・・という感覚はありますが。 しかし、大陸諸国ではイスラム教徒の存在が、非常に重要な問題になっています。 漢民族主体の中国ではイスラム教徒は少数派ですが、決して無視していい存在ではありません。北京の政府は、ウイグルなどのイスラム教徒を時に慰撫したり、時に弾圧したり、常に扱いに苦労しています。また地中海に面した欧州の国々でも、実はイスラム教徒の増加は、深刻な問題です。

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欧州各国はどこの国も、信教の自由を表向きは認めていますが、実際にはそう単純ではありません。かつて宗教の対立から、多くの血を流してきたのですから、今でも異教徒には厳しいのです。実際、つい最近の20世紀末まで英国の北アイルランドでは、宗教上の理由から殺し合いが行われていたのです。そして地中海の北側では、イスラム教は異教徒です。 ボスニア戦争も、大雑把に言えば、キリスト教徒とイスラム教徒の戦争でした。

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しかし、欧州各国はイスラム教徒の入国や居住を本音では歓迎できなくても、受け入れざるを得ません。 なぜなら、北アフリカからアラブにかけてのイスラム地域は、かつて英国やフランスの植民地だった経緯があり、旧宗主国として、負い目があるからです。

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特にフランスと北アフリカのアルジェリアやリビヤ、モロッコとの関係は微妙です。アルジェリア動乱で独立を認めたものの、北アフリカの人達には被害者意識があり、逆にフランスは彼らを嫌悪しています。そして異教徒です。

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カミュの「異邦人」では、旧植民地のアフリカで不条理な殺人が登場しますが、現地の人の複雑な民族感情が理解できないオヒョウには、完全には理解できない小説でした。

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そのフランスやイタリアに、アフリカからの移民が増えています。水は必ず高きから低きへ流れ、人は貧しい土地から富める土地へ流れます。 そして、束縛のある土地から自由の土地に流れます。

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オヒョウが4年前にイタリアに行った時、食事に誘ってくれた、イタリア人が尋ねました。「君は、前にイタリアに来た事があるかい?」5年ほど前に何度か来たけれど、モデナは初めてだ」「それじゃ気づいただろうが、アフリカ系の人が増えたと思わないか?イタリアでは実に困った問題だ」と小声で語ります。「ところで、君は何教徒かね?」「僕は仏教徒です」「そうか、それはよかった。仏教徒は平和的だ。異教徒に干渉しないし、穏やかな人々だ。しかしイスラム教徒は違う。彼らはキリスト教徒に対して、挑戦的で反抗的だ。同じ土地に暮らしても、生活習慣を合わせようとしない。我々は理解しあえない」とため息とついています。

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決して大きな声では言えませんが、欧州各地でイスラム教徒、特にアフリカ出身の人達が嫌われ、偏見をもたれているのは事実のようです。イタリアでその辺りの事情を示した映画があります。

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原題”La giusta distanza”、邦題「まなざしの長さをはかって」がそれで、この映画では、無実の真面目なチュニジア出身の男性が、女性殺害の冤罪で起訴され、有罪となって獄中で自殺するというストーリーです。

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余談ですが、この邦題は明らかな誤訳です。原題の意味は「正しい距離」で、ジャーナリストはその取材対象と、適切な距離を保たないと、正確な記事は書けないという意味です。映画の中で、先輩の新聞記者が語るセリフです。

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この話はイタリアの例ですが、フランスの場合はより深刻です。サルコジ大統領は、アフリカ系のイスラム教徒の移民(不法移民も含めて)が増加している事に国民が苛立っている事を察知して、選挙演説で、不法移民の若者をならず者呼ばわりし、国民の喝采を浴びました。

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自由・平等・博愛(友愛?)を標榜するフランスですが、その対象はあくまで価値観を共有する人達だけです。 全く異なる文化を持ち込み、フランス社会にとって目障りな人達は友愛の対象たりえません。しかし、表立ってアフリカ系移民を排斥する事はできません。そこで彼らは姑息な手段にでました。

以下 次号 


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