SSブログ

【 笑うオヒョウとは何か? 】

【 笑うオヒョウとは何か? 】

このブログの表題の「笑うオヒョウ」とは、以前にもご紹介しましたが、ロンドンにあるフィッシュアンドチップスの店”Laughing Halibut”にちなんだものです。 しかし、それ以外にも私がオヒョウに拘る理由はあります。

以下は私が考えた寓話です。ずうずうしくも以下に書いてみます。
・・・・・・・
佐渡と越後の間の日本海を、一尾のトビウオが泳いでいました。
ある夜、トビウオはむしょうにジャンプしたい衝動に駆られ、水面から飛び出しました。彼が見た天空には、月と共に無数の星が光り、さらに大空を渡る形で大きな乳白色の帯が見えました。 トビウオの目は魚眼であり、空気中では極端な近視です。それでも、それらの雄大な光景を見て驚きました。「『荒海や佐渡に横たふ天の川』とはこの事だったのか!」と感心し、再び彼は水中に戻りました。

翌日の昼間、彼は誰かにこの驚きと感動を伝えたくなり、深い海の底を目指しました。 多分、青い海中を泳いでいるだけの凡百の魚には、海の上の空の光景を話しても理解できないだろうし、深い海の底には知性の塊とも言うべき賢人(賢魚?)がいると聞いていたからです。彼ならこの感動を理解してくれるに違いない。

水深300mを過ぎると殆ど真っ暗です。やがて、トビウオは海底に到着しました。 そこには巨大なオヒョウが1尾、動かずじっとしていました。エラだけが時々思い出した様に動きます。
トビウオは、オヒョウに、唐突に空の風景、宇宙の風景の事を語り始めました。しかし、海底のオヒョウには全く理解できません。

オヒョウはトビウオの説明を途中で遮り、問いただしてきました。

「お前の言う海面とは何か? 上に行くと、この水には限りがあり、
 その海面の上にはもう水は無いというのか? 嘘をつけ。
 この世界には、水中と底しかない。 
 海底より下の世界には、我々は行けない。
 だから、水中だけを我々は見ておる。
 水の中には光もある。音もある。だから、全てを知覚できる。
 俺は、かつて海底ぞいに下って、更に深い海底に辿り着いた
 事がある。そこには、既に光はなく、深海魚には目が無かった。
彼等に『より浅い海底には光があり、空間の全てを瞬時に把握できる』と言っても、
よう理解せなんだ。 無理も無い。真っ暗なのだから。
だが、俺は違う。全てを理解しておる。
だから、海に天井があり、その上には水の無い世界が広がっているなどという戯れ言を信用しない」

そう言って、オヒョウは近寄ってきた小エビをパクリと食いました。
トビウオがどう説明したものか・・・と思案していると、普段はもっと浅い場所にいるタコが、目の前に現れました。 

オヒョウは「よいところに現れた」とタコを捕まえ、問いただしました。

「おいタコ、この小魚が、海には天井があり、その上には、水の無い
広大な空間が広がっていると言うが、本当か? お前は、もっと
浅い海を知っているから、こいつの言う事が正しいかどうか
分かるだろう?」

タコは驚いてスミを吐きながら答えます。
しかし、もともと暗い海底では、あまりスミの効果はありません。

「ああ、確かに、海には天井があります。海面というやつですが、
下から見ると、昼間はギラギラと光っています。夜は真っ暗です。
その海面の向こう側に行く事は我々にはできません。
だから、トビウオの言う様に、海面の上に広大な空間があって、
雄大な景色があるなんていうのは嘘に決まってまさあ」

トビウオは焦りました。タコの証言は、トビウオの説明を半分認めましたが、半分は否定したのです。 
オヒョウは思案します。
トビウオの証言を認めるべきか、嘘と断定すべか・・・で迷っていたのです。
「うーむ、もう少し証言が欲しい」

そこに、一尾のマンボウが現れました。マンボウは普段海面を漂い、クラゲなどを食べています。そのマンボウが水深300mの海底に現れるなど、奇跡というべきですが、喜んだのはオヒョウです。

「 オイ、マンボウ、ちょうどいいところに現れた。 この世界には海面というものがあることを、
俺は今知ったところだ。 聞けばお前は海面付近を漂っているそうではないか? 
だから尋ねる。海面のその上には水の無い空間が広がり、さらに天空の彼方には、
月や星や銀河があると、この小魚が言うのさ。 これは本当か?」

マンボウは、小さな口で答えました。
「 海面の上には空がある。空は確かに雄大で美しい。
  晴れれば紺碧の空が美しく、曇れば曇ったで雲が美しい。
特に夕焼けの空の美しさは、海の中で暮らしている者には
分からないだろうよ 」

「 では夜空の月や星は美しいのか? 天の川は?」

「 夜空の星? はて、知らないね。 俺はな夜は寝るんだよ。
  夜行性の獰猛な肉食魚以外は、魚は夜眠るものと決まっているんだ。
  だから、夜空など知らないね 」

といってマンボウはマブタを閉じました。

不思議な事に、マンボウにはまるで人間の様なマブタがあります。
眠る時、そして絶命する時、マンボウはそのマブタを閉じるのです。
人間に捕らえられて死ぬ時、マンボウはとりわけ悲しそうな表情でマブタを閉じるので、その有様を見た人は、一生マンボウを食べる事ができなくなるそうです。

実は、他の魚にもマブタはあります。しかしそれは人間の瞬膜に近いもので、半透明です。マンボウのものとは違い、瞬きもありません。

脱線しましたが、マンボウも、トビウオの証言を半分しか、認めてくれませんでした。 オヒョウは不機嫌そうに、トビウオを見ています。
「 トビウオよ。結局、お前の説を全部認める者はいない。
  みな、半分ずつしか、お前の説を支持しなかったではないか。
  お前は嘘つきだ」

「 オヒョウさん、それは違うじゃないか。
  タコが認めなかった事をマンボウは肯定した。 
  マンボウが認めなかった部分は、彼が知らないだけであり、
  僕が言った事が否定された訳ではない。 むしろ否定されたのは
  オヒョウさんの考えじゃないか 」

最後の一言を聞いた瞬間、それまで動かなかったオヒョウが突然口を開け、トビウオを食べてしまいました。 ほんの一瞬の事です。
・・・・・・・
どうも、人の知らない事を多く知っている事が、必ずしも良いことではなさそうです。 また人は、自分に理解できない事を示されても、拒否する事があります。 オヒョウは深海魚に比べて、自分は物知りであると自負していましたが、所詮底棲魚です。何も知りませんでした。
・・・・・・・
人間も同じかも知れません。 何となく、自分はものを知っている様に錯覚して、新しい知識や新しい考えを拒否しているのかも知れません。
私自身は、オヒョウとそっくりです。

ところで、この寓話は私のオリジナルですが、インスピレーションは、
中島敦の 「悟浄出世」から得ています。

「悟浄出世」と「悟浄歎異」は、中島の作品の中ではやや異色と言えるものです。これを私が読んだのは角川文庫ですが、今は青空文庫で読む事ができます。
「悟浄出世」では、三蔵法師や孫悟空に出会う前、混沌と不安の中で、「我とは何か」と迷い悩んでいる沙悟浄の有様を紹介しています。彼は流沙河の水底に棲む多くの師匠に会って、教えを請い、悩みを相談しますが、結局、悩みを解決できませんでした。
これらの作品についての管見は、また別の機会に述べます。

深海に目のなき魚の棲むといふ。 目の無き魚のうらやましきかな。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

-|【 後衣の朝 】 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。