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【 尾道映画資料館 その3 】 [映画]

【 尾道映画資料館 その3 】

 

尾道公会堂のロビーの後ろにはホールがありますが、真っ暗です。その横の通路を奥へ進んでも、暗い楽屋があるだけです。誰もいません。

これは仕方ない。電話するしかないか・・と考えて、私は110番に電話しました。生まれて初めての110番です。

コール1回ですぐに応答がありました。「こちら110番、事件ですか事故ですか?」

・・・・・・

ちょっと回答に困ります。

「そのどちらでもないのですが・・」 いたずらと思われては困りますから、ここは手短に状況を説明して理解してもらう必要があります。

「実は、尾道公会堂の玄関ロビーに閉じ込められて出られないのです。トイレに入っているうちに、施錠され、電源も落とされて出られないのです」

「分かりました、場所はどこですか?」

「ですから市役所の向かいの公会堂の西側に面した玄関ロビーにいるのです」

「わかりました。暫くお待ちください。状況を確認して救援に向かいます」

・・・・・・

ほどなく、原付に乗った小太りの、いかにも人の好さそうな警官が現れました。ニコニコしています。彼はドアの外から、盛んに裏へ回れと手で合図します。 彼の隣には、風采の上がらない乱杭歯の老人が一人立っています。

・・・・・・

「建物の裏へ回っても、まっくらじゃないか・・・」と思いながら、私は楽屋へ続く暗い道を進みました。暫く歩くと、やがて明かりが前方に見え、そこに公会堂の通用口があり、その横に警備員室がありました。「なんだ、こちら側から出られたのか・・」

そこには、くだんの警官と乱杭歯の老人が待っていました。 老人は、宿直の警備員だったのです。

・・・・・・

通用口で出迎えた二人に会って、取りあえず「ご迷惑をかけましたと」お詫びすると同時に救援のお礼を言います。

しかし、その老人に対しては、ちょっと釈然としない気持ちがあります。

警官が私に、「どうしてこちらに?」と尋ねるので、「初めて尾道に来て、映画資料館を訪ねた帰りです」と説明します。

警官が「公会堂の裏に通用口があることについては?」と尋ねます。ちょっと答える事を不快に感じて、「尾道には初めて来ました。 館内の案内図に、通用口に至る通路は書いてなかったようですが?」と話すと、なるほど・・という具合に、警官は頷きます。

・・・・・・

今度は私の番です。老人に向かって、

「消灯と施錠をする時にトイレに、誰かいないか確認しなかったのですか?それから私の声は聞こえませんでしたか?」

老人は照れ隠しなのかニヤニヤしながら

「宿直室から遠隔でスイッチを切るだけだから、何も確認なんかしねえなぁ。宿直室じゃ声なんか聞こえないな」 (確かに声は聞こえないでしょう・・)

・・・・・・

5時前に鍵がかかりましたが、普段は何時に施錠する規則なのですか?またそれはどこに書いてあるのですか?」と私。

「さあ、決まりなんてないし、いつ鍵を掛けるかはその日次第だね。」

実際、駐車場にある「公会堂のトイレを使え」という案内には、何時に閉館するといったことは書いてありません。

更に追及したいところですが、警官が、まあそのくらいで・・とジェスチャーで示します。

老人はニヤニヤするばかりで悪びれたところは全くありません。

・・・・・・

なんだかすっきりしない気持ちを残して、私は駐車場にただ1台残っていた私の車に戻りました。 既に夜のとばりが降りた、海岸の道路を走りながら、思い出しました。

「しまった、名物の尾道ラーメンを食べ損ねた」

・・・・・・

その次の出勤日、会社で昼食中に、私が尾道で経験したハプニングについて説明すると、皆さん大笑いです。 本人にとって深刻な事態も、周囲の人にとっては笑い話になってしまうという事がままありますが、私の場合は特に多いようです。これは私の性格のせいなのかな?

・・・・・・

笑いながら、Mさんが話します。

「いやあ、それはそれは、オヒョウさんは大変な災難でしたね。 それで結局、お目当ての尾道ラーメンは食べずじまいだった訳ですか?」

(別に私は、尾道ラーメンを食べに行ったのではないのですが・・・、食い意地の張った男として認識されていますから、誤解されてもしかたありません)。

「そうなんですよ。夕暮れ時に、とんだ雪隠詰めに遭ってしまったので、コロリと大事なことを忘れてしまったのです。今度またラーメンを食べに行きますよ」と私。

「そうですね、次に尾道に行かれる時は、誰かと一緒に行かれたらいいですよ。閉じ込められないようにね」とAさん。

・・・・・・

確かに、2人で行けば何の問題も無かったのです。 そこで提案です。どなたか尾道を訪問したい方は、どうぞ、ご連絡ください。 尾道散策と尾道ラーメンを味わう旅を、ご一緒しましょう。


【 尾道映画資料館 その2 】 [映画]

【 尾道映画資料館 その2 】

 

尾道映画資料館の前には、尾道市役所の駐車場が広がっています。市役所を挟んだ反対側、つまり映画資料館の対面には、尾道市の公会堂があります。土曜日で市役所は閉まっており、公会堂の方はその日、催し物がなかったので、海に面した駐車場はすいていました。

・・・・・・

「これは幸運だ」私は駐車場に車をとめて、向かいの映画資料館に入りました。

そこは昭和の匂いがプンプンとする世界です。

かつて映画館に掲げられた多くのポスターが壁に並びます。そこには映画ポスター独特の不思議な絵画が描かれています。つまり写真を元に、絵筆で模写した独特の絵で、私はこれを「映画ポスター様式」と呼びます。昭和時代を知る人には不思議なノスタルジーと既視感をもたらす美術です。

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中心となる展示内容は、やはり「東京物語」にちなんでの小津安二郎と「裸の島」にちなんだ新藤兼人です。価値のある資料もあるのですが・・・ちょっと不満です。

気になるのは、なんだか、2人の映画監督を大御所として祀り上げすぎているな・・・という違和感です。

・・・・・・

日本の映画界は、黒澤明をはじめとして、巨匠とされる映画監督が多くいます。一旦巨匠になってしまうと、まるで無謬であるかのように扱われ、批評は許されなくなります。小津安二郎も新藤兼人も、素晴らしい監督には違いないのですが、持ち上げすぎじゃないかな?

・・・・・・

私にとって、未消化の部分が多く、よく理解できていないのは、新藤兼人の方です。

特に、彼と音羽信子の関係をどう理解すべきなのか?

映画界には、監督がある女優に特別の思い入れを持ち、ヒロインにしばしば起用する例があります。女優の方も監督の期待に応え、ある特定の監督の作品で特に名演技する場合があります。

・・・・・・

その組み合わせは、小津安二郎と原節子(私は原節子よりも杉村春子の方を挙げたい)、山田洋次と倍賞千恵子、佐々木昭一郎と中尾幸世、など様々ですが、当然ながら、監督とその女優が結婚する場合もあります。

・・・・・・

篠田正浩と岩下志麻、周防正行と草刈民代、大島渚と小山明子の場合は、下世話な言い方ですが、映画監督が職権を乱用して、美人女優をものにしたな・・としか感じないのですが、そうでない場合もあります。 新藤兼人と音羽信子の場合は、男女の恋愛というより、同じ志を持った者同士の結びつきのように思えるのです。(決して音羽信子が美人じゃないという意味ではありません)。

同じような映画監督と主演女優の夫婦と言えば、中国山西省の巨匠である賈樟柯(ジャ・ジャンクー)と趙濤(チャオ・タオ)の組み合わせしか思い当りません。

・・・・・・

私はもっと新藤兼人について知るべきなのか? 残念ながら私が知る新藤兼人とは、現役最長老の監督としてマスコミに登場する不機嫌そうな老人です。今村昌平も似たようなものです。

そんなことを考えながら、尾道映画資料館を後にして、私は駐車場へ戻りました。時刻は午後4時半。秋の陽は既に傾きつつあります。これから呉に戻るには、西日に向かってのドライブがしばらく続きます。車に乗ろうとして、私はふと考えました。

「出発する前にトイレに行こう」

・・・・・・

駐車場の入口には親切にも、「尾道公会堂のトイレを使ってください」という看板があり、入り口に向かって→があります。そして公会堂の扉にも表示があります。

「これは土曜日で市役所のトイレが使えないためかな?」

私はそんなことを考えながら、ロビーに入り、半地下の階にあるトイレに入りました。周囲には誰もいません。

・・・・・・

突然、バチンと音がして照明が消え、あたりは真っ暗になりました。

しかし、用を足している最中ですから飛び出すこともできません。 少し恥ずかしかったのですが、大声で「オーイ、まだここに一人いるぞ」と叫びましたが、シーンと静まり返って返事がありません。

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「おいっと呼べども返事がない・・・というのは『草枕』の冒頭だったな。そこで『まるで生ける屍のようだ』と続けば、これはドラゴンクエストか・・」と、くだらないことを思いながら、しかたなく、薄明りの中で手を洗い、私は正面玄関ロビーに出ました。

そこには誰もおらず、全ての電燈も消えていました。 少しイヤな予感がしました。

果たして玄関のドアは全て施錠されていました。開錠するためのドアノブもありません。おそらく遠隔操作で電気的に全てのドアが一度に施錠されたもようです。

どこにも出口はありません。

・・・・・・

「なんてこった。トイレに入った一瞬の隙に鍵を掛けられ、閉じ込められてしまった」。

外を見れば、まだ暮色が迫らない風景が広がりますが、歩く人はまばらで遠くを歩く人ばかりです。 彼らは私に気づきません。

50mほど先には尾道市役所の入り口があり、守衛室にはガードマンがいますが、

寝ているのかTVを見ているのか、或はゲームをしているのか、外の様子には

全く注意が及ばないようです。 さて困った。

・・・・・・

私は意を決して、割れない程度にガラス戸を両手でどんどん叩きました。

ちょうど映画「卒業」でダスティン・ホフマンが、教会の2階のガラスをドンドン叩いたように。 映画ではキャサリン・ロス演じるエレインがすぐに気付いて振り向き、答えるのですが、私が直面している現実はそうではありません。誰も気づかないのです。

「そういえば、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』という曲があったな・・・」と心の片隅でのんきなことを思いながら、私は事態の深刻さを感じ始めました。

 

以下 次号

 


【 尾道映画資料館 その1 】 [映画]

【 尾道映画資料館 その1 】

 

広島県での勤務が決まった時から、一度訪れてみたいと思っていた場所があります。

それは尾道です。ご承知の通り、この町は日本文学の多くの作品の舞台になっている・・というより、私にとっては多くの映画の舞台になった場所・・ということで、特別な意味があるのです。

 

ちょっと思い浮かべるだけで、尾道が登場する映画は幾つも挙げられます。

 

小津安二郎  東京物語

新藤兼人    裸の島

山田洋次    故郷

斎藤耕一    内海の輪

成瀬巳喜男    放浪記 放浪記は何度も映画化されています

大林信彦    時を駆ける少女 アニメ版もあります

佐藤順一    たまゆら ご当地アニメのひとつですが正確には竹原が舞台です

沖浦啓之    ももへの手紙

 

アニメの2作品は、正確には尾道が舞台ではなく、竹原や大崎下島が舞台ですが、雰囲気としては「尾道映画」の近縁種と言えます。いつごろからか、アニメ映画が特定の町を舞台にした「ご当地アニメ」の形になり、ファンがその舞台を訪ねる「聖地巡礼」が流行になりました。

その現象については、Y教授の著作である、「サブカルチャー聖地巡礼アニメ聖地と戦国史蹟」に詳しいので、オヒョウ如きがコメントするのは不適当です。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E8%81%96%E5%9C%B0%E5%B7%A1%E7%A4%BC%E2%80%95%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E8%81%96%E5%9C%B0%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%B9%9F-%E7%94%B1%E8%B0%B7-%E8%A3%95%E5%93%89/dp/4872948823

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昨今は、いろいろな地方都市や、ローカル線の鉄道が、町おこしや町の知名度を上げるために、映画やTVのロケ地として立候補し、作品の争奪戦になっていますが、映画都市尾道は、その先駆けとも言えます。

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そして、映画の舞台を訪ねる「聖地巡礼」は悪くない趣味です。私も、上記の懐かしい映画の舞台を見てみたい・・という思いで、休みの日に一度尾道へ行こうと決めました。

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しかし、呉から尾道はちょっと遠いのです。映画「故郷」で井川比佐志と倍賞千恵子が乗った電車で行くことも可能ですが、電車の本数が少ない。

自動車では時間がかかるのですが、その代わり国道沿いの瀬戸内海の沿岸の風景は絶品です。私は自動車で行くことにしました。 

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ある秋の土曜日、私は午前中に呉での用事を終え、尾道に出発しました。

秋の(安芸の)午後の穏やかな日差しの中、瀬戸内海は凪いでいて、波がきらきらと光ります。 うーむ、この軽自動車ではなく、「昔愛していたオープンカーのライトスポーツカーで走れたら最高なのになぁ」と思いながら東に向かいます。

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やがて、竹原、三原を過ぎたら、尾道はすぐ目の前です。

そして尾道の市内に入ったら、まずは丘を目指します。

尾道に来たら、最初に高い丘の上から市街を見下ろさなければなりません。

曲がりくねった細い道を走りながら、ああ、軽自動車でよかった・・と思います。細いのに、一方通行になっていない山道で対向車とすれちがうには軽自動車が適しています。

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丘の上から、細い街並みと狭隘な水道、対岸の島と造船所を一望すれば、他にランドマークが何もなくても尾道だと分かります。全ての監督は、その俯瞰シーンを挟むことで主人公が尾道にいることを示すのです。

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東京物語の笠智衆は、その尾道の街を見下ろしながら、「今日も暑うなるなぁ」と、戦死した息子の嫁である原節子に語り掛けます。 老妻を亡くし、その喪失感と虚無感を、わずか一言のセリフに表現します。 その演出は、小津と笠と尾道の町の組み合わせだけがなしえたのだと、私は考えます。

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笠智衆は、その後の山田洋次の「『故郷』にも登場します。倉橋島での砕石運搬船の仕事をあきらめ、尾道の造船所の職工に転職する息子(井川比佐志)を見送り、島に一人残る老人を演じています。 一人残される老人の役・・・これはある時期、笠智衆の独壇場でした。

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それにしても、造船所に勤務する事はそれほどまでに忌むべき嫌なことなのか・・・。

造船所が登場する映画では、この他に「居酒屋兆次(函館ドック)」や「海炭市叙景(函館ドック)」がありますが、いずれも造船所に勤務した結果、葛藤を抱え、不幸になる主人公が登場します。

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市街を見下ろす丘を降りたら、今度は海岸に近い尾道映画資料館を目指します。小津安二郎と新藤兼人の資料が充実しているとのこと。ここを見逃すわけにはいきません。http://www.bbbn.jp/~eiga2000/

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新藤兼人の「裸の島」は、不覚にも私が涙を流した映画の一つです。

映画には、カラーの方がいい映画、白黒の方がいい映画というのがありますが、無声の方がいい映画というのは稀です。「裸の島」は無声映画だからこそ、見応えがあり、心に響く映画です。無声映画でよかった・・というのは、新藤兼人の他は、チャップリンの初期の作品ぐらいしか思い当りません。

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小津と新藤の資料が充実しているなら、見学する価値大です。

しかし、尾道の市街地は狭く、駐車場が少ないのです。 しまった軽自動車ですら不便だ。 やはり鉄道で来るべきだった・・と思ったのですが、意外にも尾道映画資料館の前には広い駐車場があります。そしてその駐車場の先はすぐ海です。

「これはありがたい・・」と思って、私はその駐車場に車を入れ、古い土蔵を改造したような、映画資料館に入りました。 それが、騒動の発端だったのですが・・・。

 

以下、次号


【 デンマークのグルメ映画 】 [映画]

【 デンマークのグルメ映画 】

 

TVのバラエティ番組は、ひところほどではないもの、グルメ番組のオンパレードです。人間の2大欲求は性欲と食欲だそうですが、性欲の方はTV番組であからさまに表現することはできません。だから食欲を取り上げることになり、勢い食べ物番組が増えることになります。

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最初は一流の料理人が、世界の珍味を料理して豪華なごちそうを振舞うという番組が目立ちましたが、すぐにネタが尽きたか、予算の関係なのか、地方の珍しい食材を紹介したり、果ては街のラーメン屋の食べ比べまで番組で取り上げています。

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別に食堂のラーメンを紹介しても構わないのですが、見苦しいのは、登場するタレント達のリアクションです。どんな料理でも、皆さん、一様にあまりのおいしさに驚き、大きな声で褒め称えます。 しかし、困ったことに、表現する言葉は限られています。 せいぜい「おいしい!」か「うまい!」か「これ最高!」くらいです。 たまに「マイウー」と言うタレントもいますが・・。

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これは仕方ないことです。どの国の語彙でも、食べ物の味覚を表現する単語は限られています。 ある作家が、性行為の感覚とごちそうを味わう感覚は誰が書いても同じ表現になり、工夫の余地が無い・・と言っていました。 個人の感覚を他人が共有することはできませんし、それを積極的に伝えるのも下品です。だからどの言語でも、おいしさを表す単語は限られ、表現者は苦労します。

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その難問に果敢に挑戦したのは、最近休載に追い込まれた雁屋哲の「美味しんぼ」です。評論家関川夏央は、この漫画を評して「浪費される表現」と言いました。 ありとあらゆる日本語の中から食べ物に関する形容詞を探しまくって、まさに浪費していました。 たしか「まったり」と言う表現もこの漫画から広がりました。

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それならむしろ、全く食べ物の味を言葉で表現せずにグルメ番組をできないか? 言葉での説明をせずにごちそうを紹介できないか?・・・などと逆説のオヒョウは考えます。なんだか禅問答で無理な話のようですが、誰か挑戦した表現者はいないのか?

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そこで、私は考えました。ヨーロッパの映画監督なら挑戦するかも知れない。

ヨーロッパの映画監督には2種類あります。セリフの量が膨大で常に話しまくっている映画を撮る人と、沈黙の画面が多く、寡黙な出演者ばかりの作品を撮る人の2種類がいます。 前者の代表は、イングマール・ベルイマン、後者の代表はテオ・アンゲロプロスや、ビクトル・エリセかも知れません。 後者のグループなら、沈黙のグルメ映画を撮るかも知れない・・。

そう考えたところでデンマークの映画「Babette’s Feast」邦題「バベットの晩餐会」が見つかりました。 これは不思議で面白い沈黙のグルメ映画です。勿論、ごちそうは本当のテーマではなく、田舎に生きる人々の人生の哀歓を、極めて抑制された表現で語る上質の映画です。

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ネタ晴らしを覚悟で言いますが、19世紀、デンマークのユトランド半島の海沿いの寒村に、小さくて質素なルッター派の教会と牧師館があり、そこに牧師の娘である老姉妹が暮らしています。その姉妹の家に、ある事情からフランス人の女性がたどり着き、3人で暮らすことになります。 フランス人女性は、不幸が棲んでいるような哀しい孤独な女性ですが、ひょんなことから大金が入り、村人に素晴らしいフランス料理のごちそうを振舞うことになります。 招待された村人たちは、フランス料理など食べたこともなく、とまどいます。 そして、食材のおどろおどろしさに慄き、また質素な生活を説く教会の教えに従って、決してフランス料理のごちそうを味わうまい・・と心に決めるのです。

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一種の義務として、口には入れるけれど、決して味わうまい。料理や味のことは一切考えず、牧師の教えを思い出して語ろう・・という決意をして参加し、実にお通夜のような晩餐会になってしまいます。 「おいしい」とか「まずい」とかといった言葉は全くなく、たんたんと食事は進みます。

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唯一、村の外から参加したスェーデン軍の将軍だけが、食前酒に「アモンティリャードだ!」と驚いたり、本物の海亀のスープやシャンペンの銘柄に感激したり、「ウズラのパイ石棺風」に、「これは昔パリのあるレストランで食べた創作料理だ!」と思い出したりしますが、周囲があまりに静かなので料理についての会話を始めることもできません。

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笑顔も笑い声も全くない晩餐会は続き、やがて終わり、出席者は星降る夜空のもと帰路につきます。 デンマーク人だけではありません。料理を振舞ったフランス人女性バベットも全く笑わず、疲労感と満足感の表情は見せますが、淡々としています。

料理に対する論評は全くありませんが、私にはそのごちそうが至高のものに見えました。 可能であるなら、私もその席に加わって話に加わりたい・・と思ったほどです。

(実際には、この映画のセリフはデンマーク語(スカンジナビア語)に、フランス語と英語が加わったもので、私には会話に参加する術はありませんが)。

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ごちそうだけではありません。 この映画の表現は全てに抑制されています。 秘められた恋愛は登場しますが、キスシーンも抱擁もありません。それどころか恋人達の笑顔さえ登場しないのです。 ラブシーンと歓喜の表現の代わりに登場するのは、極めて控えめで婉曲的な表現での、長年の片思いの告白であり、女性(牧師の娘)は、その表現を理解し、男の愛情に答えます。しかしそれだけで、二人は笑い合うこともなく、手を握ることもなく、別れてしまい、男はスェーデンに帰っていきます。

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現代の感覚から見れば、もどかしいほどのやりとりですが、それが実現したのは、パリの一流のレストランの料理長が作った一世一代のフランス料理のおかげです。

表情からはうかがえませんが、おいしい料理と上等なお酒が、二人の精神を鼓舞して、前向きにさせたようです。 バベットが作ったごちそうは素晴らしい料理だったのです。

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それにしても実に不思議な映画です。 残念ながら見る人を選ぶ映画です。

例えば、ある日、パリから来たオペラ歌手が牧師館を訪れた時です。牧師は客に「カトリックか?」と尋ね、歌手が「そうだ」と答えると、「それならどうぞ」と招き入れます。異教徒だからこそ招き入れるという牧師の発想がなかなか理解できません。スカンジナビアで、新教と旧教がどういう関係になっているのか理解できなければ分からないのかも知れません。

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実は私はユトランド半島に行ったことがありません。デンマークは何回か行った事がありますが、コペンハーゲンのあるシェルランド島(シェラン島)やオデンセ島(オーゼンセ島)しか知りません。でもそこで見た荒涼とした景色は、今回の映画の景色と同じです。だから幾らかの既視感を覚えるのですが、実は全くデンマークの事を知らなかったのだ・・と私は気づかされました。 それどころか、私はデンマーク映画というものを初めて観たのです。 

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言葉少ない田舎の人々を描きつつ、究極のグルメ映画をガブリエル・アクセル監督は作ったのです。なんだか、賑やかな日本のTVのグルメ番組のアンチテーゼみたいです。「これから、ますます日本のバラエティ番組やグルメ番組を見るのが嫌になるなぁ。そしていつか、私も究極のフランス料理「ウズラのパイ石棺風」とやらを食べてみたいな・・」などと考えたりします。


【 2つの映画 その2 】 [映画]

【 2つの映画 その2 】

 

シカゴから東京への帰りの飛行機で観た映画のひとつは、山田洋次監督の「小さなおうち」です。 私は、実は、あまりこの映画には期待していませんでした。それでも「男はつらいよ」シリーズが終わった後、山田監督はどちらの方を向いていくのか・・定点観測してみたい・・という思いが私にはあり、この映画を選んだのです。

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結果は予想通り・・というか、期待しなくてよかった・・というものです。以前「東京家族」を見た時と同じ印象でした。がっかりです。 山田洋次はやはり「寅さん」を超えられないままだな・・。そのストーリーを話してしまえば、ネタバレになってしまいますから、詳しくは語れないのですが・・・これは戦前の中産階級の家に仕えた女中の視点から眺めた作品です。

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これとちょっと似たシチュエーションの作品で傑作があります。 戦後の中産階級の家に仕えた女中と、その家の息子との心の交流を描いた、「女中っこ」という作品で、1955年の映画で主演は轟夕起子、その後に四方晴美主演でリメイクされています。

(リメイク品の方はさっぱりです)

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「女中っこ」と似た感覚を期待したのですが、全く期待外れでした。

主なストーリーは、その一家の奥様とその夫の部下の不倫について、同じ男性に密かに憧れる女中が思い悩む・・というもので、どちらかというと市原悦子の「家政婦は見た」の世界です。ただ、多少上品には描いていますが・・。

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無論、褒めるべき点はあります。 戦後世代が色眼鏡で見ている戦前という時代を比較的正確に表現し、ステレオタイプで眺める若い世代をたしなめています。

戦後の一部の人々は、戦前の(つまり昭和の初期)の日本を暗黒時代と考え、政治は民主的でなく、思想は弾圧され、人権は抑圧され、庶民の生活は困窮を極めた・・と思っているようですが、それは正確ではありません。

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中産階級の家庭には普通にいたという女中(昭和30年代に「お手伝いさん」と改称されましたが)もそれほど悲惨なものではなく、奴隷のような存在と錯覚する孫に、かつて女中だった祖母が憤慨する場面もでてきます。

その場面の表現が原作に由来するものか、山田監督の提案なのかは分かりませんが、その指摘によって、戦前の日本をひたすら否定したがる一部の進歩的映画とは一線を画することに成功しています。

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しかし、それだけです。他には、なるほど・・と思う場面が全くありません。

強いて言えば、外出から帰宅した奥様の帯の向きが逆になっていて、「ああ、奥様は、今日、外出先で帯を一度ほどいたのだ・・・」と女中が理解し、彼女の不貞を知るという場面だけです。そんなことを知っても何の意味もありませんが・・。

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戦前の日本にも、東京の郊外に暮らす幸せな一家がいて、そしてその家族は東京の空襲で失われたのだ・・・という事が理解できた訳ですが、そんなことは昭和世代の人達は昔から知っています。 平成生まれの人については分かりませんが。

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そしてまた、溜息をつきたくなるのは、山田洋次監督の劣化です。彼も他の凡百の監督やプロデューサーと同じく、使い慣れた身内の役者ばかりを起用します。

「男はつらいよ」シリーズの残党・・というか、生き残りを駆使していますが、倍賞千恵子の老婆役や、米倉斉加年の老人役は、正直なところ、あまり見たくないのです。

俳優や女優にしてみれば、老人役もこなして新しい世界を切り開いていく必要があるでしょうが、山田組でそれをしなくてもいいのではないか?

倍賞千恵子は山田洋次監督のもとでは、あくまで妹さくらであり、庶民の若奥さんなのです・・。

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不器用な俳優、米倉斉加年も、まだ老人役がうまくできる段階ではありません。 その不器用さゆえに、若い頃から上手に老け役をこなした笠智衆と同じに考えてはいけません。

車椅子に載った米倉が、戦時中の父母を回顧して慚愧と悔しさの涙を流す場面は、かつて「井上成美」を演じた小林桂樹が戦死した部下を思って涙を流した場面に似ていますが、それに比べるとまだまだ・・です。

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この作品は、現代を生きる若者が、戦中、戦前世代を生きた祖父/祖父の生き方を探り、知らなかった世界を知る・・・という構成になっており、その点では往路の機内で観た「永遠のゼロ」と同じですが、そのレベルは全く違います。 「永遠のゼロ」は多くのことを考えさせますが、「小さなおうち」は、何も残りません。 ある程度昭和を知っている私には新たな感動はありません。

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そしてやはり考えなくてはならないのは山田洋次の小津安二郎へのオマージュです。この作品では、小津作品とのアナロジーを考えるべき場面はあまりありません。強いて言えば、祖母の弔いの後の火葬場の場面は、小津の「小早川家の秋」を彷彿とさせますがそれだけです。 しかし、この作品が小津的であることは、否定しようがありません。

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第一に、この映画は山田洋次があれほど嫌った中流家庭(中産階級)が舞台です。そしてインテリで中流の人々を肯定的に描いています。小津的です。

「晩春」や「秋刀魚の味」を評して、「中産階級の娘が嫁に行くだけの話の、一体何が面白いんだ」とキネマ旬報で語っていた、山田洋次は宗旨替えをしたのか?

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初期の「男はつらいよ」では、徹底して庶民を主人公に据え、庶民階級と気取った中流の人々の対比、知識階級と無教養な主人公の対比で観客の心を掴もうとした監督は老境を迎え、やはり小津安二郎は正しかった・・と理解したのかな?

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老境に入ってからの山田洋次は、作品「おとうと」で市川崑のオマージュにも挑戦していますが、残念ながらこちらも成功していません。市川作品の方が感動的です。

まだまだ才能が枯渇したとは思えない山田洋次がどうして、かつての先輩や同僚の監督の模倣に走るのか?その理由が分かりません。

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小津は60才の誕生日に他界しています。一方、山田洋次は既に80代の半ばに達しています。 今頃、小津の心境が分かり、そのオマージュをするというのはいささか遅いのはないか?

それとも、東大法学部卒の山田洋次が、中学校卒の小津安二郎から多くを学んだ・・というのなら、それは無学な人情家の寅さんが、インテリに優る・・・という「男はつらいよ」や「泣いてたまるか」のモチーフを実践することになるので、それはそれで一貫しているのですが・・・。

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気圧が低く、頭の回転速度が極度に低下した状態で、私はそんなことを考えました。


【 2つの映画 その1 】 [映画]

【 2つの映画 その1 】

 

久しくブログ更新が滞っており申し訳ありません。 なぜ、更新が滞っていたかといえば、精神的な余裕がなかったからですが、そのあたりの事情はまたご報告いたします。ところで、先日、米国に出張したのですが・・、機中で幾つも映画を見ることができました。 今回はそれについて書いてみます。

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シカゴ行きの飛行機の中で、最初に見たのは、岡田准一の「永遠のゼロ」です。実は私は、どうも、戦争もの、特に特攻隊を描いたものは苦手です。

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必要以上に特攻隊の隊員を美化したり、日本の軍隊をいたずらに肯定的・悲劇的に表現する事にも抵抗を感じますし、逆に厭戦思想をひたすら強調したり、自虐的に当時の日本を悪しざまに描くことにも抵抗を感じます。特にそれが薄っぺらな表現だったら不愉快になります。

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過去の戦争や歴史についてどう考えるかは、その人の自由ですが、その考えを映画にかこつけて他人に押し付けるな・・と考えるからです。 だから特攻隊ものは苦手だ・・と思っていたのですが、「永遠のゼロ」は、ちょっと違うらしいと感じていました。

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映画の前宣伝によれば、卑怯者で臆病者とされたパイロットが、なぜ最後に特攻で命を落としたか・・を謎解きの形で語る映画だとのことです。 戦争賛美でも反戦でもない映画なら見てもいいか・・と思ったのです。

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その判断は正解でした。 戦争ものの映画では出色の出来だと私は思いました。

物語に登場する幾つものエピソード(例えば、体当たりを思いとどまり、帰投する途中で海上に不時着水し、鮫の餌食になったパイロットの話など)は、皆どこかで聞いた話です。でも主人公のパイロット(特務将校)の生き方は、(フィクションなので当たり前ですが)初めて聞く話で、興味深かったのです。

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操縦の腕前は抜群なのに、殺し合いである空中戦には、とても消極的で、命を惜しんだ男は、実は家族を思い、家族への責任を果たすために、生き延びたかったのだ・・というストーリーは現実的なのか? その当時に生きていない私には分かりません。

でも自分が亡くなった後に残された家族が露頭に迷うことを避けたい・・という思いは何時の時代も同じですし、戦時中にそう考えた軍人も当然いたはずだ・・と私は考えます。

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日本の軍人は何のために戦い、そして死んだのか? 皮相的な見方をする人は「天皇陛下の為に死ね」と強制されたのだ・・・と言います。 軍国主義と愛国主義に染まり、他国を侵略することに呵責を持たなかったのだ・・と言う人もいます。

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一方で、国の為でも、天皇陛下の為でもなく、八紘一宇の為でもなく、単に家族を守りたかったから戦い、犠牲になったのだ・・という人もいます。始めてしまった戦争で、もし負ければ、日本に残した家族が敵に蹂躙されるかも知れない・・という思いから戦った・・という人もいます。

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どちらが本当なのか? おそらくはどちらも正確ではなく、国の為と家族の為の折衷的な思いから、日本の将兵は戦い死んでいったのではないか?と私は考えます。

何百万人もの人が亡くなった戦争ですから、皆が同じ思いであったとは限りませんが、

多くの人が自分なりに戦う理由を見つけ、自分の死をなんとか合理化して、死んでいったのが大東亜戦争でしょう。

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国や天皇陛下の為の戦いなら悪で、家族の為の戦いなら善であると・・現代の民主主義者は考えるかも知れません。 でもそれはナンセンスです。過去の人の生き方を現代の価値観の物差しで測る事が無意味であることをこの映画は示しています。

臆病者とされたパイロットは、実は最も勇敢な男であったことがだんだん分かってきます。一人の男の生き方も、角度を変えてみれば、臆病に見えたり、勇敢に見えたりします。 主人公をそしる同輩や部下も実は主人公の勇敢さを認め、尊敬していることはだんだんに分かってきます。 生き残った彼らは、戦後、主人公の遺族の生活を陰に陽に助けます。それは特攻で死んだ主人公を敬愛したからであり、約束を果たすためでもあります。

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主人公の孫がインタビューを重ねるうちに、それが分かっていきますが、本当に言いたいことは、人間は複雑であり、単純にダメな男、優れた男・・と決めつけることができないということかも知れません。それは現代社会でも通じることです。

家族を思うこと、家族への責任感、そして簡単には評価できない仕事の価値・・これらは普遍的なことで、現代を暮らす私の琴線にも触れます。

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そういう訳で、このストーリーには、何度も泣ける場面が用意されています。 そして高空で空気が薄く、寝不足で、しかもアルコールが入って感情失禁に近い状態の私は、思わず泣きたくなります。 しかし、その度になぜか、客室乗務員が私の席にやってきて「ドリンクはいかがですか?」とか、「つぎの軽食はいかがしますか?」と尋ねてきます。 中年男の泣き顔などは決して見せたくないのですが、何度も見られてしまいました。なんとも困ったことです。この映画で最大に困った点です。

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それにしても、岡田准一は若いけれど、実にしっかりとした俳優です。単なるハンサムな俳優ではなさそうです。 日本の若手俳優で、格好いいニ枚目役をこなす人は多くいますが、特攻隊のパイロットを演じて感動させる人は滅多にいません。彼はその一人です。

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そして気づかなかった事がひとつあります。登場した女優の中に斎藤とも子がいたようです。 かつて昭和の時代、学園ドラマで清楚な優等生を演じて人気があった彼女は、私にとって懐かしい存在です。 もう50代の半ばであれば、中年女性役として登場したのでしょうが、気づきませんでした。 しまった・・。

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でもちょっと不可解です。 女子生徒役を卒業した彼女は、結婚・離婚・大学・大学院を経て、原爆の被害者に寄り添い、反戦平和の活動をしているはずです。その彼女が特攻隊の映画に出演するとは・・。

この映画が、決してかつての日本軍を肯定したり、否定する単純な戦争映画ではないことを示す証拠ではないか? そう私は思います。

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そして私は、それとちょうど対比することになる、もう一つの映画「小さな家」を帰りの飛行機で観たのです。 そえについては、次号でご報告いたします。

 


【 わが青春のマリアンヌ 】 [映画]

【 わが青春のマリアンヌ 】

私には、酔っ払って家に帰る途中、DVD屋とアイスクリーム屋に立ち寄るという悪い癖があります。これは中国で暮らしていた時に身についた癖ですが、日本に帰ってからも酔うと途中下車してレンタルビデオ店に入ったりします。

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そこで、先日「わが青春のマリアンヌ」という古い映画を見つけました、ああ、これは懐かしい・・。確かにわが青春の映画です。ただし、誤解がないように申し上げますが、この1951年封切りの映画をリアルタイムで見たのではありません。これは私が生まれる前です。この映画を初めてみたのは、中学生の頃でNHKのテレビで放映したものを見たのです。 ヒロインのマリアンヌ・ホルトの顔が、小学校時代の同級生木津川園子さんによく似ていたので、びっくりした記憶があります。

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ヒロインの美少女の顔だけでなく、この映画には興味深い点が多くあります。例えば、幻想的でロマンチックなストーリーです。 無粋を承知でネタばらしさせていただきます。湖のほとりの全寮制の学校に通うひとりの少年が、湖の対岸にある古城にとらわれている不思議な美少女に恋をします。 彼女が城主の男爵から結婚を迫られていて助けてくれ・・と頼まれるのですが、結局、助けることはかなわず、彼女は男爵のものになります。後になってその城に駆けつけると、もはやそこはもぬけの殻で、人が住んでいた気配さえありません。ただ1枚残った肖像画に彼女の顔が残っていた・・というもので、最後までその美少女がこの世の者なのか、幽霊なのかが分からないというストーリーです。

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お城に美しい女性、それに醜男や大男となると、欧州の昔ばなしにしばしば登場するパターンで、敢えて名づければ、「美女と野獣型」の話です。ディズニーのアニメになりそうですが、その彼女がこの世の者ではない・・となると、話が変わります。

幽霊の女性に恋する話は、日本の雨月物語、或はその原型の中国の聊斎志異に見られるパターンであり、どちらかと言えば、東洋的です。

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しかし、世界的にみて、一番幽霊が多く、幽霊譚が多いのは英国だそうですから、東洋の専売特許とも言えません(ちなみに「わが青春のマリアンヌ」は、ドイツおよびフランスの話です)。

それはともかく、私の感覚では、幽霊譚の代表は、日本の謡曲だと思います。世阿弥が完成させた夢幻能、または幽玄能は、幽霊が主人公で、現実の人間と過去に世を去った人間が掛け合うパターンです。余談ですが、夢幻能という呼び方と幽玄能という呼び方のどちらが適切なのか、私にはわかりません。ネットで調べると、金沢大学の西村聡教授の解説が読めますが、彼の説明では夢幻能という言葉が使われています。

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ストーリーだけを考えると、「わが青春のマリアンヌ」は、謡曲に通じるところがありそうです。でも私がこの映画を面白いと思うのはそれだけではありません。

この映画は、フランス版とドイツ版の2編が同時に作られているのです。

主役の2名は、そのままで脇役を入れ替え、フランス語のバージョンとドイツ語のバージョンの2つを作ったのです。 ちなみにロケはオーストリアの湖で行ったそうです。

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ひとつの映画を別の国でリメイクすることはしばしばあります。でも同時に、同じ主役で2種類作ったのは私の記憶では「わが青春のマリアンヌ」だけです。

ちなみに私が昔TVで観たのはドイツ語版、今回レンタルビデオ店で見つけたのはフランス語版です。 恥ずかしながら、両方とも、もとの言語では理解できませんから、字幕スーパーを追いかけることになります。 ドイツ語とフランス語では言い回しも微妙に違い、日本語の字幕スーパーも違うそうです。でも、私はまだ両者を比較する機会を得ていません。

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2つの版は、セリフの言語だけでなく、微妙に場面が違い、ちょっとした差があるそうです。 本物の映画ファンはそこに着目しているはずです。

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ところで、どうしてそんな複雑なことをするのか?

作者は何等かの事情で、国籍不明のこの物語のフランス語版とドイツ語版の両方を作りたかったのでしょう。

その場合、今なら、一つの言語で作成し、音声だけは各国語版を作って、重ねればいいのですが、当時はそれができなかったのです。

理由は幾つかありますが、当時は今のテレビやDVDのような多重音声の技術が無く、映画の音声は古典的なサウンドトラックだったことも一つの理由でしょう。

デジタル映像が当たり前の現代では理解しがたいことですが、1951年の頃、映像はアナログでした。

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電気工学上の技術的な事情だけではありません。昔は声優という職業もなく、アテレコも下手でした。日本の場合、声優が職業として確立し、アテレコの技術が進歩したのは、1960年代で、外国映画をTVで盛んに上映するようになってからです。

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脱線しますが、先日私は戦時中の日本のプロパガンダ映画を見ました。題名は「マライの虎」で後のTV映画「怪傑ハリマオ」の原型です。 無論、それには敵役として英国人が登場するのですが、もちろん日本語でセリフを語ります。白人の会話の部分に日本人声優(当時は声優という職業はなかったはず)がアテレコで音声を重ねるのですが、それが全く棒読みというか、ひどい出来で口の動きともあっていません。昔はとにかく技術がひどかったのです。

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だから、フランス語版を作ろうと思えば、フランス人の俳優を揃えなければなりません。ドイツ語版を作ろうと思えば、ドイツ人の俳優を揃えなければなりません。 でも「わが青春のマリアンヌ」の場合、主演の男優と、ヒロインの女優は同じ人物です。これは実に不思議なことに思えますが、後年その謎は解けました。

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ドイツとフランスの国境付近であるアルザスロレーヌ地方の人々はみな、上手にドイツ語とフランス語を話します。バイリンガルの男優と女優はどこにでもいるのです。

ドイツ語とフランス語だけではありません。

スゥェーデン出身のイングリット・バーグマンもベルギー出身のオードリー・ヘップバーンも実に上手に英語を話します。フランス人のカトリーヌ・ドヌーブも英語が上手です。

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欧州では、言葉の壁は大したことはないのでしょう。

でも、アジアではそうはいきません。 韓流映画がアテレコなしで、韓国人俳優が日本語のセリフを話すことはあり得ないでしょうし、中国の抗日ドラマで、悪役の日本軍人が日本語を話すことはありえないでしょう。 中国の抗日ドラマに登場する、獰悪で卑怯で臆病な日本軍人は、なぜか皆、中国語で会話するのです。

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しかし、音声吹き替え技術が発達し、全てがデジタル化され、録画メディアがDVDBlurayになった今、それを問題視する必要はありません。

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かつて、映画の世界では、奇妙なことがよくありました。米国で制作されたパール・バックの「大地」の主人公王は英語でセリフを話しました。米国で制作された「ジャンヌ・ダルク」では主人公のフランス娘が敵国後である英語を話していました。

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それを私は奇妙なことと思い、そしてフランス語版とドイツ語版の二つのバージョンがある映画を奇妙に思いましたが、それは全て20世紀のことです。

これからは、こんな映画は登場しないでしょう。


【 東京物語と東京家族 】 [映画]

【 東京物語と東京家族 】

 

久しぶりに飛行機の中で映画を観ました。しかし、近距離便なので、最後までは観られません。 帰りの機内で後半を観ましたが、それでも、物語の最後までは観られません。

物語が佳境に入ったところで、成田に到着し、この続きはレンタルビデオ店で借りて見るしかありません。 しかし、私はもうその映画を見る気がなくなりました。

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その映画とは山田洋次監督の「東京家族」です。

小津安二郎監督ファンがこよなく愛する傑作「東京物語」のリメイクですが、ひたすら醜悪な偽物になっています。

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若いころ、山田洋次は小津安二郎を徹底的に嫌っていました。「晩春」などを指して「中流階級の娘が嫁に行くだけの話のどこが面白いのか?」と言い、登場人物が中流以上に限定される映画の、プチブル礼賛のような上流趣味に反発したりしていました。

しかし、山田洋次も、日本の家族、家庭というものをいかに描くかを一生のテーマとし、その苦闘の過程で小津安二郎を認めるに至ったのだと思います。

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しかし、小津へのオマージュとしても、そのやり方が露骨で下手です。あまりに似た設定で、全く同じセリフを言わせています。ホテルをそうそうに退散した老夫婦が言う

「とうとう宿なしになってしもうた」

「紀子さん、あんたはええひとじゃ」 などは「東京物語」そのものです。

勿論、山田洋次が意識して同じセリフを言わせているのですが、元の映画を知っている人には、あまり愉快に思えない細工です。

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山田洋次は、「東京物語」だけでなく「秋刀魚の味」からも名場面を盗んでいます。それは飲み屋の女将が亡妻に似ているので、なんとなく通いつめてしまう・・といった場面です。

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小津の「東京物語」を模倣しただけなら、単純に2つの映画を見比べるだけで、コメントを出せます。しかし、小津の複数の作品から、切り貼りのように幾つかの場面を取り出して嵌め込むと、どこからどこまでが小津の模倣で、どこからどこまでが山田のオリジナルなのかが分かりませんから、簡単に評価できません。

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現存する小津の全作品を舐めるように眺めて暗記した一部のファンだけが、正確に評価できるというのは、無茶な話です。ある意味でスニークと言うかカンニングであり、私は愉快ではありません。そして彼はその他のいろいろな点でも小津を模倣しています。

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例えば、人のいない廊下をじっと写したり、建物の外壁などの屋外風景を短時間装入したりする手法です。しかし、小津の場合、緻密な計算で、0.1秒未満、一こま一こまの単位でそのカットの長さが規定されているのですが、山田洋次の場合はそうではありません。(小津も編集者の意見を取り入れて長さを変更したこともあります)。

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そして小津固有の、低いカメラアングルからの固定した画面も、山田洋次は真似していますが、微妙に角度が違います。それにしても、何の酔狂で小津の真似にこだわったのか? 個人の遊びでやるならいいが、なぜそれに観客をつきあわせるのか?

山田洋次のキャメラマンにもプライドがあるはずですが、監督の「小津を真似しろ」という理不尽な指示になぜ唯々諾々と従ったのか? どうにも疑問です。

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そしてストーリー展開です。小津安二郎、野田高梧の脚本には、紀子三部作と呼ばれる作品群があり、いずれもストーリーではヒロイン紀子が重要な役割を果たしています。演じているのは原節子です。 山田洋次の「東京家族」でも優しい性格の娘、紀子が登場します。山田洋次は、勿論ひとつの暗号として、「紀子を登場させた以上、彼女が重要な存在であることに、気づく人は気づくはず」と言いたいのでしょうが、それは余計なお世話です。観客を試すような態度は不愉快です。

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その「東京家族」の紀子を演じるのは蒼井優です。彼女は好感度の高い女優としてCMにも多く登場します。しかし、敢えて、異常なほど平坦な額と水平な眉毛を強調した顔の造作は、古典的な美人を前提にした映画女優のそれとはずれています。彼女を起用した監督の感覚を疑います。

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山田洋次の思想とストーリーは、半分見たところで容易に想像できます。

堅気のサラリーマンにならず、不安定な舞台の美術(大道具)の仕事を続け、かってにガールフレンドと付き合っている次男(妻夫木聡)を、頼りなく不快に思う父親(橋爪功)ですが、実は、一番思いやりがあり、尽くしてくれたのはその次男のカップルだった・・・という意外性は、「東京物語」と同じです。「東京物語」では実の子でなく、息子の嫁で未亡人だった原節子が最も尽くしてくれたのです。

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その種の意外性を持った家族の物語を、私は「リヤ王型ストーリー」と呼びます。

かつて末娘への偏愛を「コーデリアコンプレックス」と名づけましたが、誰も支持してくれません。 多分「リヤ王型ストーリー」という名前も、誰からも支持されないでしょうが・・・・。「東京物語」も「東京家族」も同じモチーフであり、それはシェークスピアに続くのです。

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そして、映画界、演劇界の巨匠である山田洋次が、舞台の大道具や美術の仕事を貶すはずがありません。医学博士の長男よりも演劇界の裏方を務める次男の方が実はまともで人間的に上なのだ・・と言いたい訳です。

普通の真面目なサラリーマンを上等とし、演劇人を下等とする、世の中の価値観に反発したかったのでしょうが、そのメッセージが強すぎます。

山田洋次は、長年「男はつらいよ」で、非インテリ、非就業者(遊び人)の立場を擁護・弁護してきましたが、彼自身は高学歴のエリートです。矛盾を抱えているのは彼自身です

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それ以外にも、無理やり小津安二郎を真似たために露出する矛盾点が、この映画には多くあります。 今時の初老の夫婦が、お上りさんとして東京に来ても、自分で宿を探せないなんてことがあるでしょうか?妻は和服を着て、ホテルの宿泊に馴染めないとか、昔の知り合いを訪ねて一夜の宿を請うとか、事前にメールや電話をしてないとか、ちょっと不自然です。 もう、山田洋次には現代の描写は無理なのか?

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そして、限界を感じる配役についても一言言いたいです。

橋爪功も妻役の吉行和子も一流の役者です。しかし笠智衆でも東山千栄子でもありません。西村雅彦も一流の俳優ですが、山村聡ではありません。もともと違う存在であり、無理な比較をされるいわれは無いのに、なぜこの理不尽な役を受けたのか?

役者たちには残酷な映画です。

そして、ああ、林家こぶ平の存在です。彼は役者でも声優でもバラエティタレントでもありません。全てに不器用です。 この存在は何なのか?少なくとも落語家の真打ではなく、大看板「林家正蔵」でもありません。彼をシリアスな映画に出演させるなど、観客を馬鹿にしているのか?

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小津へのオマージュとして山田洋次個人の思い入れで製作した「東京家族」ですが、無理が随所にあり、観客をそれに付き合わせるのは、困難です。

映画の宣伝のコピーには、「これは、あなたと、あなたの家族の物語です」とありますが、こんなにずうずうしい惹句を見たのは久しぶりです。 そしてこの映画を途中まで見てその思いをますます強くしたオヒョウです。


【 ジャ・ジャンクー(賈樟柯)とその世界 】 [映画]

【 ジャ・ジャンクー(賈樟柯とその世界 】

 

最近、マスコミに頻繁に登場する中国なる国家、どうも気に入りません。明らかに日本を下に見て、ちょうどジャイアンのようなガキ大将が、弱虫の子供に接するがごとくに、アジア諸国に接します。「実に無礼で強引でけしからんではないか! 一体どういうことなのだ?」と、多くの人に訊いたところ、中国が尊大に振る舞うのは、それこそ4,000年の伝統だというのです。実に困ったものです。

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では、国家としての中国には顔をしかめるとしても、一人ひとりの中国人はどうなのか?と考えてみます。 すると、一部の政治家や、芸能人、作家、成金の企業経営者のような著名人以外は、自分が中国人のことを殆ど知らないことに気づきます。私は136000万人の殆どを占める、ごく普通の中国人については無知なのです。

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そんなことはないだろう。いつもオヒョウは自慢っぽく、中国人との会話をブログに書いているだろう・・と言われそうですが、実は、私が付き合う中国人は、本当の意味で普通の中国人ではありません。私が付き合うのは、英語や日本語が話せたり、日本企業で働いていたり、日本をよく知っていて、日本人に対して好意的な人々ばかりで、それが一般的な中国人であるとは限りません。

まして、彼らが日本人の私に語りかける時、日本について本音を語るとは限りません。多少の遠慮と多少の外交辞令、お世辞をまじえる可能性があります。彼らが本当の気持ちを表現するとは限りません。

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何とか、ごく普通の中国人の、素朴な気持ちを知ることはできないものか?

解答の一つは、「ジャ・ジャンクーの映画を観ればよい」というものです。

彼の映画には、中国のありふれた庶民の哀歓が凝縮されて表現されています。

実は映画人にとって、普通の人々のごくありふれた日常を表現する事は至難なのです。多くの映画監督が挑戦し、失敗しています。

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二枚目俳優ロバート・レッドフォードは、自らメガホンを取り、その名も「普通の人々」という、ごく普通の全く魅力の無い駄作を作ってしまいました。 しかし、彼のチャレンジ精神は認めるべきです。 普通の庶民の暮らしには、客を興奮させるドラマツルギーも無いし、心ときめくハプニングも無い一方で、退屈さと辛さだけはあります。それに真正面から取り組んだのですから。

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日本の山田洋次も、普通の人々の、普通の暮らしを描いたかのような作品を作っています。しかし、そう見せているだけで、実は全く普通ではない登場人物が、全く普通ではないストーリーを演じています。普通の家庭に倍賞千恵子みたいな美人がそんなにいるものか・・。

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その中で、普通の人々の、普通の暮らしの哀しみを描いて成功した映画監督がいます。それがジャ・ジャンクー(賈樟柯です。 但し、彼が描いたのは中国の人々であり、文革を経て、その後の激動の時代を生き抜き、今また経済の高度成長期の歪の中で生きている庶民の生活を描いています。彼の映画には英雄は登場しません。品行方正な共産党員も、大金持ちも登場しません。そして、胸躍るドラマチックなストーリーもありません。それでも印象に残るのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%88%E6%A8%9F%E6%9F%AF

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過去の作品では「プラットホーム」、比較的最近の作品では「長江エレジー」、「四川の歌」が特に必見です。

彼の映画は中国だから成功したとも言えます。登場する庶民がドラマチックな人生を送らなくても、社会の方が激変し、かってにドラマを作ってくれます。

だから脚本家は楽なのです。そして中国の万人の観客が共感するのです。

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中国人だけではありません。 異邦人である私も共感します。

生産性が悪く、閉鎖になった工場が取り壊され、その後に高層マンションが建設される風景は、中国ではごく当たり前の風景です。 多くの都市で同じ風景を見ました。 日本に帰った後の私にも鮮やかな既視感をもたらすシーンですが、その工場で長年働いていた人々の哀感にまでは思いが及びませんでした。「うーむ。そうだったのか」と映画を見て気づきます。

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風景を見ても、そこに暮らす人々の気持ちが分からない・・そのモヤモヤした気持ちを吹き飛ばしてくれたのが映画「四川のうた」なのです。

この映画で監督は実験をしています。 ストーリーはすべて実話に基づき、インタビュー形式で多くの人々の人生が語られます。 自然な語り口といい、化粧っ気の無い顔といい、当然本人が出演しているのだとばかり思いますが、実はそうではなく俳優が演じていたのです。

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病床で点滴を受けながら、その昔、中国の東北地方から四川の成都まで引っ越した途中で、子供を亡くした話をある時は涙ながらに、ある時は無表情に語る元工員の老婆は、実は女優だったのです!

リアリズムを追求すれば、俳優/女優と一般人の境界などなくなるはずだ。普通の人を描くなら、普通の人を演じられない役者ではだめだ・・ということでしょう。

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「長江エレジー」の方は、これは役者が演じていると分かります。 国家プロジェクトであった三峡ダムの工事現場は、全国から多くの人たちが集まり、様々なドラマがあります。 妹を探しに来て、立ち退き家屋の解体工事に従事する中年男、単身赴任で仕事をしている夫に、離婚を告げに来る妻・・・。そういえば中国は離婚が多いそうです。

最近の日本も少なくはありませんが・・・。

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ああ、中国でも市井の人々は、日々の哀歓の中で、まじめに暮らしている。日本と同じだ・・。そう思うと、中国という国家は嫌いでも、中国人には親近感がわきます。

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市井のどこにでもある、ちょっとした悲劇、あるいは喜劇を描いて、感動を与えるというのは、優秀な監督にしかできません。 その意味でジャ・ジャンクーは大した男です。

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しかしひとつだけ、ひっかかることがあります。彼の一連の作品に常連として出演する、チャオ・タオ(趙濤)という女優がいます。決して抜群の美人ではありませんが、ごく普通の中国人女性を演じさせて秀逸の女性です。 彼女はずっと長い間、彼の映画の主演女優をつとめていますから、いつかチャオ・タオとジャ・ジャンクーは結婚するのだろうと、多くのファンが予想したのですが、なかなか結婚しません。 

それが最近、さんざんファンをやきもきさせて、やっと結婚しました。 どうせ映画監督と女優はいつか結婚するのだから、早く結婚すればいいのに・・と思ったしだいです。

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でも、見渡せば、早く結婚すればいいのに・・・とやきもきさせるカップルは、私の周囲にもあります。 芸能人のように、すぐにくっついたり離れたりの人ばかりではなく、ゆっくり生きている人がたくさんいます。 やっぱり、ジャ・ジャンクーはありふれた人々の生き方を、そのまま演じているのだ・・と私は思います。


【 ベトナムの映画 】 [映画]

【 ベトナムの映画 】

上野まり子様のブログを拝見して感じることですが、我々はずっと外国映画に親しみを感じ、外国映画にあこがれてきたのだなあ・・と思います。

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かつて外国に行く事は簡単ではありませんでしたし、今でもそう気軽には行けません。映画に登場する外国の景色を見て外国のことを知り、そしてその映画のために外国への憧れをかりたてられた時代もあります。

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萩原朔太郎の

「フランスに行きたしと思えども、フランスはあまりに遠し。せめては新しき背広を着て気ままなる旅にいでてみん」という詩は、ひょっとしたらフランス映画を見た後に作ったのではないか?と思ってしまいます。

フランスの小説を読んだだけで、あるいは印象派の絵画を見ただけで、そこまでフランスに憧れるとは思えないからです。実際に映像を見ると、印象が違います。

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もっとも、今では円高と格安航空券の登場で、背広よりヨーロッパ旅行の方が安くなってしまいました。背広にもよりますが・・。

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我々が、ある外国とその国の文化にどれだけ興味を持ち、レスペクトするかは、つまるところ、その国の映画がどれだけ多く紹介され、多くの人に観られるか・・で測ることができると思います。あるレンタルビデオ店に行けば、外国映画は、アメリカ、フランス、イギリス、スペイン、イタリアとジャンルに分かれていますが、スェーデンやドイツというコーナーはありません。アジアは・・というと、韓国、中国、台湾の映画は多く紹介され、それぞれにコーナーがありますが、インドやベトナムは・・というと「その他アジア」のコーナーにまとめられてしまいます。

・・・・・・

これは、言い換えれば、それらの「その他アジア」の国々に対して、我々はあまり興味を持っていない・・という事なのかも知れません。 それらの国では映画の生産量が少ないとか、良質な映画が少ないから・・ということではないでしょう。

インドなどは、まさに映画大国といえ、制作本数も優秀作品の数も多いそうです(駄作もたくさんあるけれどね)。

要はその国の分化に馴染みがあるかないかなのでしょうか?

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その傾向は外国に行くと分かります。

中国のスーパーマーケットには、映画の(海賊版ではない)DVDが売られていますが、その中には旧ソ連で制作された、西側世界の人々にはあまり馴染みの無い作品が並んでいます。 それは中国と旧ソ連の文化的結びつきが依然強いということでしょう。トルストイの「戦争と平和」とか、「雪の女王」とか、いかにもソ連らしいのですが、残念なことにロシア語の音声で字幕が中国語というのでは、私には手が出ません。 「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」「復活」などは、絶対に、アメリカ制作の、アメリカ人俳優が英語で話す「戦争と平和」などより出来がいいだろうに・・と思うのですが、確認しようがありません。

・・・・・・

その一方でハリウッド映画もあれば韓流映画もありで、なんでもあり・・・が中国のDVD店です。しかし日本の作品は少なく、そしてなぜか、中国の佳作とされる映画はあまり見かけません。チャン・イーモウの作品やジャ・ジャンクーの作品はほとんど見かけません。不思議ですが、その理由はあとでわかりました。

中国ではやはり旧ソ連の影響があるのかな・・。 一方であまりにアメリカ的なハリウッドも好きなのか。・・これが開放経済なのか・・と妙に納得しました。

・・・・・・

翻って、自分の興味について考えてみます。

好きな映画監督2人ずつ、好きな映画を2つずつ国別に挙げてみろ・・と言われると、日本を別にして、アメリカ、イギリス、フランス、スペイン、イタリア、中国・・は簡単に思い当たるのに、ギリシャとか、韓国はすぐに出てきません。 自分の意識の中でやはり優先順位が低いのか・・と考えてしまいます。 その中で、ベトナム映画・・と考えると、たった2作しか思い出しません。 ひとつは「青いパパイヤのかおり」もうひとつは「夏至」です。 私のベトナムについての意識レベルがいかに低いか・・ということです。

結局レンタルビデオ店の棚と同じレベルでしか、自分の興味も広がらないのか・・。

・・・・・・

2つは全く違う映画ですが、登場するヒロインがどちらも典型的なベトナム美人です。

ベトナムにはこんな美人が大勢いるのかな?・・なんてことを、映画を見て考えましたが、実際に、ベトナムはスリムな美人の宝庫です。映画女優だけではなかったのです。 しかし、不思議な事にベトナムの人は、この2作品を知らないようです。 ホーチミンに暮らす、インテリのベトナム人の何人かに訊いてみましたが、誰も知らないようです。

これはいかなることか? 社会主義国ベトナムは、まだ中国ほどには開放されていないということか・・?

・・・・・・

ところで外国の特定の土地が登場する映画について知っていると、初対面の人との話がスムーズです。 オーストリアのリンツで乗ったタクシーの運転手は、私が日本人だと知ると、しばしばオーストリアが舞台の映画「サウンド・オブ・ミュージック」について、話しかけてきました。 この映画について、私も「懐かしい素晴らしい映画だ」と言うと、彼らも上機嫌になります。 しかしウィーンが登場する「第三の男」の方がもっと好きだと言うと、何人かは不機嫌になります。そちらの映画に登場するオーストリアは、あまりよく描かれていないからです。

・・・・・・

中国、山西省太原で会った劉さんは、「賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督を知っていますか?」と尋ねたら、即座に意気投合できます。

「知っていますとも。彼は山西省の英雄です。彼は、世界中の映画の賞を取って有名になった後も、故郷汾陽(フェンヤン)に留まって、激変する中国社会を追いかけているのですよ」

「『站台』(邦題:プラットホーム)は観ましたか?『小武』(邦題:一瞬の夢)は観ましたか?」

「勿論観ましたよ。汾陽はあまり変化せず、当時のままなのですよ。一度オヒョウさんも行ってみたらいいですよ」

・・・ああ、映画鑑賞を趣味にしていて良かった・・・

「ではオヒョウさんは、『長江哀歌』は? 『四川のうた』は観ましたか?」

「いや、それがまだなのですよ。中国のデパートのDVD売り場に行っても置いてないし・・、なかなか手に入らないのです。劇場で上映される可能性もありませんし」

劉さんは、不思議そうな顔で、

「どうしてDVDを買ったりするのですか?中国ではみんな、インターネットで映画をダウンロードして観ますよ。ダウンロードには少し時間がかかりますが、なんといっても無料ですからね。 今時お金を出して映画のDVDを買う人なんて中国にはいませんよ」

・・・・・・

ああ、盛り上がった話なのに、最後の部分で嫌な話を聞いてしまった。

正真正銘の映画の天才である、ジャ・ジャンクーについては、実に語るべきことが多いので、何時か稿を改めて、駄文にしたいと思います。

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写真は、晩秋の山西省太原の公園です。


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