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【 Double Nickel その2 】 [ビジネス]

【 Double Nickel その2 】 

佐藤先生が、不当に低く制限速度を抑えた日本の道路を「民を網するもの」と言われたのは、厳しい速度制限が徒にスピード違反者を作り出すだけ・・という意味ですが、もっと大きな問題をも指摘しています。

つまり、役人は、自分の責任が問われないよう、国民の不便などを顧みず、現実と乖離した政策や法令を作り出すという問題です。何か問題があれば、非現実的な法律に違反した人々の方に責任があるという発想です。

しかし、この為に人々はしばしば問題の本質を見失い、解決を遅らせます。 

例えば、危険で整備の遅れた道路があれば、それを整備して安全な道路に改良するのが、本来の対策ですが、事故を無くすだけなら簡単です。

制限速度を20Km/hrにしてしまえばいいのです。でもその結果、利用者は不便を強いられ、本来の対策は後回しになります。 では、何で役人は責任回避に神経質なのかといえば、事故の後に被害者から追求され、訴訟される可能性があるからです。

・・・・・・

過去に発生した東名高速道路での最大の事故は日本坂トンネルでの車両火災事故です。 これはトンネル内で発生した衝突・火災事故に、後続の多くの自動車が巻き込まれて炎上し、犠牲者がでたものです。 被災者は、国(道路公団)の対応に不手際があったとして、訴えたのですが、裁判の結果は、道路公団側に責任はないというものでした。 

大きな事故だが、基本的には単なる交通事故であり、運転者の責任であるという内容です。事故発生直後に、トンネル入り口に進入禁止の信号が点ったのに、それを無視して、多くの自動車が進入して、結果的に燃えてしまった訳で、常識的には運転者の責任ですが、「大きな事故だから」道路公団を訴えたのです。

この事故を鑑定し、原因と責任所在を特定されたのが佐藤武教授ですが、国民の行政に対する行き過ぎた責任追及が、役人の及び腰や責任回避の姿勢に繋がるのではないか・・・と佐藤先生は考えておられた様です。

・・・・・・・・

では、一般道の速度規制はどうして決まるのか?複数の項目でポイントを付けて、基準となる60Km/hrから引いていくのですが、その基準が曖昧です。 

例えば、集落が道路に面している場合、制限速度は普通40Km/hrです。地理学用語では、街村と路村を走る道路は、40Km/hr制限です。

・・・・・・

街道に面した集落には路村と街村があります。その街道に面する事で生計を立てている集落が街村、街道と生業に直接関係が無い集落が路村ですが、制限速度は、路村か街村かでは決まりません。 道路と建物が接近しているかがポイントになります。 家屋を取り囲む空き地の事を、地理学用語では園囿と言いますが、実は、道路と家屋の間の園囿の有無で60Km/hr40Km/hrか、あるいは中間の50Km/hrかが決まるのです。

また、家屋間の園囿の有無、つまり街道沿いの家屋同士が隣接・密集しているかでも速度制限は変わります。 でもこれはかなりいい加減な判断基準です。敷地内で家を建て替えれば、道路に面していた住居が奥へ引っ込むかも知れませんし、園囿がなくても、その家屋に人が住んでいなければ、制限速度を下げる必要もないと思われます。

・・・・・・

そもそも、個々の道路の制限速度を実際に定める、警察の担当官が園囿などという言葉を知っているか、オヒョウにはちょっと疑問です。路村、街村、園囿などという専門用語は湯川秀樹の父君である京大の小川琢治教授が定めたものですが、歴史地理学の用語です。

彼はそれが自動車の制限速度を決める際に用いられるとは思わなかったでしょう・・。

では外国の場合、制限速度はどうなのか?それは次号でご案内します。


【 Double Nickel その1 】 [ビジネス]

【 Double Nickel その1 】

 田舎の高速道路で、片側一車線の対面交通区間を走っていると、「前方渋滞」の表示が電光掲示板に示され、制限速度が50Km/hrに一挙に落とされました。 

もともと対面交通区間の制限時速は70Km/hrですが、50Km/hrともなると郊外の一般道よりも遅くなります。この理由はよく判ります。即ち渋滞の最後尾に追突しないように、予め速度を下げさせるのが目的でしょう。

・・・・・・・しかし、これは逆に危ないのではないか・・?

制限時速70Km/hrでも、田舎の高速だから、実勢速度(つまり流れの速度)は100Km/hrを超えています。 速度制限の標識があっても、現実に100Km/hrで安定して走れる道路であれば、そのまま走る車が大半です。そこに50Km/hrの制限速度を厳守してブレーキを踏む車があれば、流れを乱して車間距離は無茶苦茶になり、やはり追突の可能性が発生します。普通の高速道路であれば、追い越し車線に迂回して追い越せますが、片側1車線ではそれも不可能です。

無理に制限速度を遅くして、事故を防止しようとしているが、この対応は無思慮と言うべきではないか?

・・・・・・・・

大体、道路の制限速度を決める根拠は何なのか? 

車を運転する人の多くが一度は感じる疑問をオヒョウは思い出しました。多くの法律は、時代の変化に対応して改正しますが、しばしば対応が遅れて、現実とのズレが生じる場合があります。道路交通法もその一つで、日本のすべての道路に規定されている制限速度も全く時代にあっていません。 

今時、一般道の制限速度が60Km/hrというのは遅すぎます。しかも、実際には、その60Km/hrから、いろいろな条件がついて制限速度は下げられ、普通、都市部は40Km/hrが標準です。障害物が何も無い、田圃の中の国道でも、片側1車線なら50Km/hrが上限です。

 なぜ、そんなに遅いのか・・・?

・・・・・・・表向きの理由は、以下の通りです。法律制定時は、道路の質も悪く(未舗装だったり幅員が狭かったり、歩道がなかったり)、また自動車の性能も悪かったので、控えめの数字が採用された。その後、道路の状態も自動車性能も改良・改善されたが、昔の基準のみなおしが遅れている・・。

・・・・・・・

この説明の半分は本当で、半分は嘘です。低速車に合わせて、制限速度を低く設定するというのは、理屈に合いません。 最初から制限速度は高速車用に設定すればよいのであって、低速の自動車はそれなりに低速で走ればいいだけです。そして高速車は追い越し車線で、それらをパスすればいいのです。最低速度制限以外は、低速車に配慮する必要はありません。 そして、実際に自動車の性能も上がり、道路もよくなっているのに、制限速度は変わっていないのです。

・・・・・・・・・・・

この考え方の根底には、法律を作る側、または行政を執行する側の責任回避の考えがあります。 定めた制限速度内で走行していて事故にあった場合、運手者の特別な瑕疵が証明されなければ、制限速度の値が不適切だったという結論になり、制限速度を設定した側の責任が議論される可能性があるからです。 

走行速度自体が交通事故の主要原因とは限りませんが、多くの事故で、スピードがもっと遅ければ、事故自体が発生しなかったり、被害が軽かったと予想されます。

だから制限速度違反かどうかはともかく、事故の一因に「スピードの出し過ぎ」が挙げられる事は多いのです。 

そうすると、お役人は「責任を追及されない為にどうすればいいか・・・」を考えます。同時に「事故を減らすのにはどうすればいいか・・・」を考えます。

その結論は、制限速度を下げる事です。時速60Km/hrで発生した事故も、時速20Km/hrだったら発生しなかったかも知れません。 

それならば、ひたすら制限速度を低くすれば、いいのです。

実際、首都高速道路はその考えで、速度制限を厳しくしていき、いまは最高速度40Km/hrの区間もあります。もはや高速道路ではありません。でも、制限速度を低くしても、実際にはもっとスピードが出せます。

だから実勢速度は速くなるのですが、それで事故がおこれば、制限速度をオーバーしたドライバーに責任があるという事になり、行政は責任を免れます。そしてスピード違反が常態化すれば、それを取り締まればいいのであり、罰則を強化すればいい・・・という事になります。 

現実に、制限速度と実勢速度の乖離が日本ほど激しい国はありません。

この為、善良な人々が車を運転すれば、どうしても法律違反(スピード違反)を犯さざるをえなくなります。それに実勢速度(流れの速度)で走行していても、事故を起こせば自動的に、制限速度違反で、運転者に非がある事になります。

そんなことでいいのか?

これについて、

「 普通に暮らしていても、罪を犯さざるを得ない状況を作る・・と

  いうのは論語に謂うところの 『民を網するもの』である 」と

指摘されたのは、オヒョウの亡き恩師で交通安全工学の泰斗であった佐藤武教授です。 佐藤先生の考えや、ではアメリカの事情はどうなのか・・については次号で報告します。


【 民主党の公約 】 [ビジネス]

【 民主党の公約 】 

選挙期間中のブログに、あまり政治絡み、特に政党の公約の内容について批判的な記事を書くのは不適切かも知れませんが、気付いた事を書きます。 

民主党の公約には、高速道路の無料化やガソリン暫定税率の廃止、子供手当の充実等、大判振る舞いが多いのですが、巷間よく言われる通り、財源の裏付けがはっきりしません。

無駄遣いを無くせば対応出来ると言いますが、本当でしょうか? 国家予算の話は、オヒョウには土地勘が無いので、どちらの言い分が正しいのか、分かりません。

それなら、もう少し土地勘があるところでの、公約内容について、実現可能性を考えてみます。

・・・・・・・

民主党は、CO2削減目標に関して、政府が打ち出した 2020年時点で2005年比マイナス15%という目標では手ぬるいとして、1990年比でマイナス25%を達成すると、公約で掲げています。http://www.asahi.com/paper/editorial20090821.htmlこの内容は、諸外国に対してはいい格好ができますが、実行するのは非常に難しいと思われます。

・・・・・・・

現実には、マイナス25%を達成するには、下記の3つの分野での取り組みが不可欠です。

1.電力業界

 (1) 現在の原子力発電所の稼働率を10%以上上げる必要があります

  (2) 石炭火力 発電所は全て閉鎖する事になります。 現在、石炭火力は、電源開発   (J-Power)や、製鉄会社のIPP発電所がほとんどですが、それらを廃止する必要があります。

 (3) 重油を燃やす火力発電所についても、原油や、より軽質の油類に   燃料を切り換える必要があります。 (4) 家庭用燃料電池にも期待できますが、2020年時点ではそれほど普及していない可能性があります。 (5) 電力業界でCO2削減が減った後に、家庭や産業では電化を進め化石燃料をなくす取り組みが可能になります。つまり、灯油の暖房を止めて、電気暖房にしたり、ガスで沸かしたお風呂を電気温水器に切り換えたり・・という方法です。 (6) 再生可能エネルギーの比率も高める必要がありますが、   どこまで効果があるかは不明です。

2.鉄鋼業界

 (1) 製鉄所でのCO2発生を、20%以上削減する必要があります。   もし、それができないなら、高炉をその分減らすか、製鉄所の海外移転が必要になります。しかし、製鉄所などのCO2発生源を海外に移転する事で、日本の目標達成・・・という訳にはいかないので、どうするか・・むずかしいところです。仮に、製鉄所や高炉の削減で対応できるとしても、それは成功とは言えません。経済活動を縮小して、CO2削減の目標を達成しても、本来の趣旨に沿った結果ではないからです。

 (2) 2020年を見据えた場合、現実に予想できるのは、高炉のシェアが減少し、電炉のシェアが増大することです。電力業界がCO2発生を減らせれば、間接的に電炉業界が発生するCO2も減らす事になります。   2020年時点で高炉と電炉のシェアがどうなっているか、予測できませんが、CO2削減の観点から行政が介入して指導する事もありえます。

3.自動車業界

 (1) 2020年を目処に考えた場合、一番実現しそうなのは、自動車からのCO2排出削減です。技術的には、ハイブリッドカー、電気自動車、燃料電池車といった燃費のいい車、またはCO2をあまり出さない車が普及すれば、マイナス25%は簡単に実現します。 しかし、重要なのは、技術ではなく、別の部分です。燃費の向上は、消費者(つまりお金を出して車を買い、乗り回す人)にとっても歓迎される話であり、だから自動車の価格があまり高くならない限り、売り出せば自然に普及し、CO2削減目標は達成されます。

 (2) それ以外にも、都会の道路整備が進んで、自動車の渋滞がなくなったり、人口減で走行する自動車の量が減れば、CO2排出削減に寄与します。   首都圏で道路を建設しようとすると、環境保護団体は反対する事が   多いのですが、道路が新しくできると、渋滞が減り、CO2排出量も減って地球温暖化防止になる・・・と主張する人がいないのは不思議です。 全体を通してみれば、3.の自動車業界はかなり見通しが明るいのですが、1.の電力業界や2.の鉄鋼業界には、マイナス25%は、かなり難しいでしょう。 鉄鋼業界が民主党のマニフェストに対して、どういう反応をしたか知りませんが、幹部はかなり否定的であるの違いありません。

でもここで民主党の公約に反対すれば反動勢力と見られてしまうのでコメントしていないのかも知れません。 民主党は、太陽電池や風力発電を進めたい考えの様ですが、太陽電池や風力発電だけでは、マイナス25%が難しい事は明かです。 そもそも、太陽電池のシリコンを精錬する際に必要な電力を考えると、太陽電池は必ずしも合理的ではありません。 

海外で作った太陽電池を輸入する方法もありますが、これは一種のCO2の輸出であり、世界で認められる可能性は低いでしょう。 民主党の公約すべてが杜撰な計算に基づくとは言えませんが、CO2削減目標を見る限りでは、あまり現実的でない話も混じっています。 

おそらく、今度の選挙で民主党がヘゲモニーを握るでしょうが、彼等がどれだけ公約を実現できるか、オヒョウは興味深く思っています。 以前、ブログにも書きましたが、選挙公約は、マニフェスト(宣言)という表現より(有権者との)コミットメント(約束)というカタカナ英語に翻訳するのが適当だとオヒョウは考えます。 民主党が、公約を約束と思っているのか、単なる努力目標だと考えているのかが、それを知りたいのです。


【 これからはアフターマーケット  その2 】 [ビジネス]

【 これからはアフターマーケット  その2 】 

かつて、情報家電製品には電池以外はアフターマーケットがありませんでした。

なぜなら製品サイクルが短く、部品寿命が来る前に製品が陳腐化して買い換える事が多かったからです。 例えば携帯電話の場合、液晶画面は年月が経つとに徐々に暗くなり、いずれ交換の必要が生じますが、それ以前に新機種に買い換える人が多かったのです。 

ソニーが有機ELを携帯電話の画面に採用した時、まだ有機ELの寿命問題は解決していませんでした。自ら発光する有機ELは、非常に鮮やかな色を出し、装置は薄く、省電力で、応答が早く、携帯電話の画面用として最適ですが、短期間で発色が劣化し、当時、寿命は2年以内でした。

そんな開発途上の技術を商品化してよいのか?という懸念がありましたが

「どうせお客は2年経つと新機種に買い換えるだろうから、画面は長寿命である必要はない」という判断から発売されたそうです。 

( 伝聞です。もし間違っていたらソニーの人ごめん )。

ですから、もし、これから人々が携帯電話を大切に長期間使用する時代が来れば、有機ELパネルだけを交換するアフターマーケットができるかも知れません。 同じ様な話は、パソコンでもあります。かつて初期のPC98の時代のパソコンは堅牢で長持ちする様にできていました。筐体は、分厚い鋼板を加工して作られ頑丈でしたが、しかし高価でもありました。でも、その後の30年間はパソコンの世代交代が早く、頻繁に買い換える状況が続き、部品の交換が必要になるほど、長く使う事は無かったのです。

そのため、主要部品のアフターマーケットは存在しえず、オヒョウの知る限りでは秋葉原などのごくニッチな世界にしかありませんでした。またパソコン世界の猛烈な価格競争は、余裕のある部品設計を許しませんでした。 軽薄短小と低価格を追求した部品は、ちゃちですぐ壊れます。そして、個々の部品寿命が短くなれば、自動的にシステム全体も短寿命になります。

だから今のパソコンは、一部の堅牢性を謳い文句にしたノートパソコンを除き、ちゃちで安っぽくなり、短寿命になりました。・・・・これまでは、技術革新が早く、陳腐化も早かったのでそれでよかったのですが、

しかしこれからはそうはいきません。 パソコンや携帯電話などの情報家電の技術の進歩が、遅くなり、陳腐化も遅くなってきたからです。

家電のリサイクルも有料化され、頻繁に買い換えて捨てるより、一つの製品を長期間使い続ける方向に変化しています。 

またパソコンに付いて言えば、マイクロソフトのOS Vistaは評判が悪く、ハードの買い換えを促す効果はありませんでした。加えて、景気の低迷による消費の冷え込みで、新機種への買い換えをためらう人も増えています。 

オヒョウなどは、かれこれ6年前のノートパソコンを改造しながら使い続けています。 デスクトップパソコンのケースは15年以上前のものです。・・いずれその話は別稿にて紹介します。

 もう一つ大きいのは、携帯電話の契約方法の見直しで、機械の価格が表面化して、機種交換する人が減った事でしょう。 いずれにしても、旧型の情報家電を捨てずに使い続ける人が増えてくれば、やがて交換部品のアフターマーケットが登場します。

 TVの場合、地デジ化と一緒にTV受像器を買い換える人も多いでしょうが、チューナーとアンテナのみを後付けで購入する人もいるはずです。これはアフターマーケットの一つです。 液晶TVで、寿命律束となるのは、おそらく液晶パネルを背後から照らす、光源となる陰極管でしょう。

これまでは、光源だけを交換するという発想はありませんでしたが、これから光源のランプを交換する時代が来るかも知れません。

もっとも近い将来、液晶のバックライトは白色発光ダイオードになりますから、光源は寿命律束要因でなくなりますが・・・。

・・・・・・地球に優しいとか、エコロジーだとか、モッタイナイ だとか、そんな手垢のついた言葉で語る必要はありません。一つの品物を修理しながら、あるいは部品交換しながら長期間愛用する事は、ずっと昔から美徳です。

そのスタイルが日本で認められ、発展していくならば、アフターマーケット市場(何とも矛盾した表現ですが)は、将来有望です。・・・・・・もし、アフターマーケットを使わないなら、一つの製品の全ての部品の強度を調整し、同時期に寿命を迎え、全てが一斉に破損する製品を作るのが合理的です。無駄がありません。

でも数万点の部品を持つ自動車、数百万点の部品を持つ航空機などで、部品の寿命を揃える事は至難です。 

人間の体だって、年をとる過程で、目や歯など、先に老化が訪れる器官と、最後までかくしゃくとした器官に分かれてきます。

傷んだ器官をスペアパーツと交換するのがアフターマーケットなら、入れ歯を提供する歯科医院も、人工膝関節を提供する外科病院もアフターマーケットとなりますが、オヒョウの個人的意見としては、なるべく、スペアパーツのお世話にはなりたくありません。全身サイボーグの様になるのではなく、十分に年をとってから、体の全ての部位が同時に寿命を迎えてコロリと落命する(多臓器不全)みたいな死に方も悪くないかな?と思います。


【 水力発電所の破裂 】 [ビジネス]

【 水力発電所の破裂 】                                                                                 

シベリアのエニセイ川にかかるダムの水力発電所で爆発事故があり、11人が死亡し50人ほどが行方不明になったそうです。(犠牲者の数は不確定です)

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090817AT2M1702P17082009.html

 エニセイ川はシベリア3大河川(オビ、レナ、エニセイ)の一つで、欧州便の飛行機に乗る人は、シベリア上空から観る事ができます。

オヒョウも月光の下に鈍く光る凍てついたエニセイ川を上空から見て、その寒々とした物凄さが印象的だったのを記憶しています。 そして、川が大きいだけでなく、この水力発電所は、ロシア最大で、世界全体では第3位の大きさだそうです。・・・・・・

面白いと言っては不謹慎ですが、水力発電所の爆発事故は非常に珍しいので、興味を持ってニュース映像を見ると、どうやら水圧鉄管(ペンストック)が破裂した様です。

タービン(多分ペルトン水車、ひょっとしたらフランシス水車)の上の部分が大きく破壊され、ペンストックの分岐部も原形を留めていません。

原因はつまびらかではありませんが、おそらく特殊なサージングが発生し、衝撃で水圧鉄管が破壊されたのでしょう。・・・・・

余談ですが、オヒョウが学校にいた頃、佐藤力先生の非線形振動論の講義で、具体的な非線形振動の現象を取り上げて解析する事になり、水流のサージングについて考察したのを思い出します。 

また鬼頭史城先生の機械振動論(楕円関数)の講義ではペンストックの振動解析の理論が示されましたが、頭が悪く、かつ不真面目な学生であったオヒョウには、あまり理解できませんでした。 確実に言えるのは、水力発電所のペンストックは、振動問題が非常に重要であり、設計者と操業管理者には細心の注意が必要だという事です。

今回は、自励振動ではなく、衝撃破壊だとは思いますが・・・・。

・・・・・水力発電所の制御がそれほど難しいものとは思われませんが、それでも失敗すれば大事故になるのだな・・・・。

それなら、遙かに制御が難しい、沸騰水型の軽水炉の操業など彼等には無理ではないか・・・などと今回の報道を聞いて思ったりします。

 しかし、この事故の場合、より重要なのは、サージングの問題ではなく、実は水圧鉄管の製造技術の問題です。

・・・・・オヒョウが昔、製鉄所の製造現場にいた頃、ペンストック用途の厚板材料のスラブを製造した事があります。 

当然、現場の人からは質問があります。

「 オヒョウさん。ペンストックってのは一体何だね?すごく品質に注意して製造 しているけれど、そんなに大変な物なのかい? 」

残念ながら、オヒョウはそれに答えるだけの知識を持ちません。早速、技術部の小澤課長に相談すると、彼は昼食時に製鋼工場の食堂に現れ、現場のオペレーターと一緒に弁当を食べながら、解説を始めました。

ペンストックとは何かとか、高性能、高品質の鋼板が必要な理由は何かとか、特に重要な部材がシクルプレートである事・・・などを懇切丁寧に説明してくれました。

そして、最後にこう言いました。

「落差の大きい、巨大な水力発電所のペンストック材料は、多分、日本とドイツ、フランスぐらいしか製造できない・・・。

当社の技術は世界の水力発電所を支えている」 それは自社の技術に対する強い自負を示す言葉でしたが、正直なところ、オヒョウは「本当だろうか・・・?」と思いました。

・・・・・その後、オヒョウが欧州駐在中に、スイスの揚水発電所のペンストックにその製鉄所が製造した厚鋼板が採用されました。アルプスの落差を利用した世界最大級の揚水発電所です。

なるほど・・・・、やはり日本製の厚鋼板はすばらしいのか・・・・。 

それと同時に、かつて金属工学では最先端だったロシアの製鉄技術がひどく劣っている事も知りました。

「どうやら小澤さんの言っていた事は本当だったのだな。ロシア製の鋼材では高性能のペンストック製造は無理だろう」・・・・・

オヒョウが帰国してから、ペンストックの話は、品質会議で聞くだけでしたが、要求性能がますます高度化している事は明かでした。 

日本国内の水力発電所は、概ね開発が終了し、残っているのは、昼夜の電力需要差を利用する揚水発電所だけです。

そしてそれらはますます大落差、高水圧になっていきます。製鉄所では個々のプロジェクトに発電所や河川の名前を付けて、難物件の製造に挑んでいました。 

だから、今でも時々、懐かしく、あっと思うのです。

新幹線に乗っていて、鉄橋を渡る時、

「ああ、この神流川(烏川)の上流には、最高性能のペンストックを持つ発電所があるのだ・・・」 

おそらく、ペンストックを実際に製造した技術者や、厚鋼板を製造した技術者も同じでしょう。

 逆にこれから、エニセイ川を渡る度に、辛い思いをする技術者もロシアには出てくるかも知れない・・・。

・・・・・今回のペンストック破裂事故の原因が、旧ソ連の製鉄所で製造された劣悪な厚鋼板にあるかどうかは分かりません。でも、オヒョウの理解では、その可能性は否定できません。 小澤さんにその辺りを尋ねてみたいのですが、鬼頭史城先生だけでなく、実は小澤さんも既に鬼籍の人です。

ああ、そう言えばそろそろ十七回忌という頃です。


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【 これからはアフターマーケット  その1 】 [ビジネス]

【 これからはアフターマーケット  その1 】

オヒョウが「アフターマーケット」という言葉を最初に聞いたのは20年ほど前です。
熱延鋼板の販売先に、自動車のホイールメーカーがあったのですが、そこは自動車メーカーに新車用のホイールを納めると同時にアフターマーケットにも相当量の製品を出荷していました。

「アフターマーケットとは何か?」と尋ねると、自動車の交換部品として、
自動車メーカーを経由せずに直接市販するもので、自動車購入後に、破損した場合の交換用や、ホイールの意匠性や性能にこだわるエンスージェストが、メーカーあつらえのホイールにあきたらなくて交換するための製品だそうです。
( 意匠性にこだわるならアルミホイールにするのではないか ・・?)
実はそれ以外にも需要はあり、北米市場では牽引するトレーラーの
タイヤ用に一定の需要があります。

しかし、このアフターマーケットの面白さ・・というか経済現象に気付いたのは建設機械部品メーカーに移ってからです。

建設機械部品の業界では、アフターマーケットは無視できない存在です。
自動車のホイールなら、事故に遭わないかぎり、廃車になるまで最初の部品が使えますが、建機の場合はそうはいきません。
特定部品は摩耗・損傷し、交換が必要になります。
具体的には、ブルドーザーやショベルのバケットや爪、それと足回りは
使用中に、必ず摩耗し交換する事になります。
キャタピラーのローラーの場合は、使い方にもよりますが、パワーショベルの全寿命の期間中に、2~3回は交換する事になります。
だから単純に考えると、アフターマーケット用は新車需要の2~3倍規模となります。 これは無視できない規模です。

アフターマーケットの、もう一つの大きな特徴は、需要予測がかなり正確にできる事です。
建機のローラーであれば、新車が売れた2、3年後にアフターマーケットの販売数量が延びます。 多くの場合、新車の販売動向に少しタイムラグを置いた形で、同じパターンを取るのです。
昨年、世界恐慌の直前まで、世界市場で建設機械は飛ぶように売れ、市場は過熱気味でした。・・・という事は、来年あたりにアフターマーケットの需要が増えるかも知れませんが、そうならないかも知れません。

世界恐慌で落ち込んだのは建機需要だけでなく、建設需要も減ったので、既存の建機の稼働率が大幅に低下しています。となると消耗部品の摩耗も遅れるからです。 ちょっと興味深いところです。

一方で、アフターマーケットの製品には、多くの問題があります。
メーカーの純正品は高いので、市場にはクローンが出回りますが、
基本的に寸法・取り合いを合わせて、仕様を同じにすれば、純正品との互換性があるのが普通です。だから独自の設計や工夫もできるのですが、安直に純正品の形状をそのまま真似たコピー製品も出回ります。
これには知的財産権侵害の問題がありますし、もし性能や品質が純正品に対して劣れば、消費者をだます事にもなります。
勿論純正品のメーカーの評判を落とす事にもなりますから、アフターマーケットでのコピー製品の流通には何らかの規制が必要です。
しかし、市場がグローバル化する中で、各国共通の規制を設けるのは難しく、特に中国の様に知的財産に対する認識が他国と大きく異なる国が
ある以上、早期に統一したルールを作る事は無理でしょう。

アフターマーケットを考えた場合、一個の製品を、定期交換を前提とする部品(消耗品)と、非交換部品に分けて、交換部品については、新車用と買い換え用の需要を一緒にした製造・供給体制を設けるのが適当です。
具体的には自動車のタイヤの場合が理想です。

もっとも、自動車といえども、マフラーなど、本来非交換である部品についてもアフターマーケットと需要が存在し、明確に分類できる訳ではありません。

しかし、ここにきて、流れが変わりました。
ハイブリッドカーや、電気自動車の登場と同時に、自動車のモジュール化が進むと思われるからです。 つまり、交換部品と非交換部品を、異なるモジュールに分ける事で、サポート体制がより合理的になります。

例えば、ハイブリッドカーの場合、2,3年毎に電池交換が必要となり、
そのコストが数十万円するという話があります。
勿論、これは二次電池の話ですが、使っている内にメモリー効果などで
性能が劣化し、交換が必要となるのは、Ni-H電池の場合も、おそらくLi-イオン電池の場合も同様です。

消耗品とは言えない部品であっても、その寿命が他の部品に比べて、
明かに短い場合は、短寿命の部品だけを集めてモジュール化するのが
適当です。
優秀な設計者であれば、部品寿命を何段階かに分けて、長寿命部品は
短寿命部品の整数倍の寿命にする事を考えます。
つまり、ハイブリッドカーの電池寿命を3年とし、ガソリンエンジンの寿命を12年とするなら、電池交換4回に対して、ガソリンエンジン交換1回となります。

電池交換のコストを50万円と仮定するなら、ハイブリッドカーや電気自動車用電池のアフターマーケットは巨大な市場になります。
現在の自動車タイヤ業界を遙かに凌ぐ規模になります。

今、新型電池の開発者は、揃って電池の長寿命化に取り組んでいますが、市場規模の拡大の為には、短寿命のままの方がいいかも知れません(冗談ですが)。 アフターマーケットが存在感を示すのは、建設機械部品や自動車産業だけではありません。 全ての工業製品が対象となるはずで、これからどんどん増えてくるはずです。その辺りの話は次報で申し上げます。
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