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【 月三更 】 [俳句]

【 月三更 】

 

先日、弊ブログに「月三更 ばせをの朝の あくびかな」という駄句を載せたところ、

「意味不明」とのお叱りを受けました。

http://halibut.blog.so-net.ne.jp/2017-04-29-1

そこで無粋の極みながら、恥を忍んで私の句を解説させていただきます。

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最初の月三更とは、深夜 丑三つ時に輝く月のことです。正確には満月でなく十三夜の月ですが・・・。この言葉は上杉謙信の「霜は軍営に満ちて秋気清し」で始まる漢詩<九月十三夜陣中作>に登場します。「数行の過雁 月三更」 

https://nippon-kanshibun.net/kenshin01-928fe79d5f98

日本外史に登場したおかげで有名になった詩ですが、もともと北陸地方の人にはなじみがあります。オヒョウが上越市に暮らしていた頃、直江津のK部長のお宅をお邪魔しました。そこには額に入れてこの漢詩が掛けられていました。思わず口に出して読むと、K部長がニヤリとして、「やはりオヒョウさん知っていますね」 同じ北陸人ですが、立場は微妙に違います。直江津の人には、上杉謙信は地元のヒーローです。他方、石川県出身の私には、越後の軍勢に攻め込まれた時の詩なので、どちらかというと被害者の立場です。

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詩の中に登場しますが、「越山併わせ得たり能州の景」というのは、越中(富山)は既に手中に入れた。次は能登(石川県)七尾の畠山氏を倒すところだ・・という話ですから石川県人としては穏やかではありません。それにしても上杉謙信の漢詩は見事です。

武人にしておくのは勿体ないとも思います。戦場で漢詩を詠む腕前では、彼に伍するのは乃木希典ぐらいですが、乃木は戦が全く下手だったのに対し、上杉謙信は戦国時代の武将の中でも最強の存在だった訳で、石川県人であっても一目置かざるを得ません。

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だから、私には俳句の限られた字数の中で、深夜の名月を表せ・・・・と言われたら、月三更しか浮かびませんでした。しかし、本来俳句に漢詩の文言は硬すぎてなじみません。漢詩を取り込んだ俳句といえば、オヒョウの知る範囲でいえば、服部嵐雪の

「沙魚釣るや水村山郭酒旗の風」 同じく与謝蕪村の

「菜の花や水村山酒旗の風」くらいです。

「春なれや水村山郭酒旗の風」というのもありますが、これらは、杜牧の「江南春」そのままです。漢詩をそのまま俳句に放り込んだ乱暴な句ですが、それが許されるのは嵐雪や、蕪村だからです。しかし、全体に俳句が生硬になってしまいます。

それ以外にも漢詩に想を得た・・というかインスピレーションを得た俳句はたくさんありますが、皆苦労しています。 同じく与謝蕪村の「易水にねぶか流るる寒さかな」も漢詩から題をとっていますが、中身は俳句です。

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だから、漢詩の文言を俳句に入れるのは本来タブーなのに、それをしてしまいました。そのため私の句には硬さが残ります。

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次の「ばせを」の意味ですが、これは松尾芭蕉を私なりに読んだものです。彼は揮毫では「はせを」と書いたそうですが、私なりに「は」を濁音にして「ばせを」としました。造語も本来はタブーです。

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最後の「朝のあくびかな」ですが、2重の意味でいけません。既に季語としては月が入っており、これは秋の季語です。一方、朝の眠気は春の季語です。よく分かりませんが、「春眠暁を覚えず」から来ているのかも知れません。異なる季節の季語が同居してしまいました。

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そして最後はストーリー性の問題です。

夜更かししたからさぞかし朝は眠たく、欠伸のひとつもしただろう・・・・という滑稽味のある推測は、川柳の味わいに通じるもので、俳句にはなじみません。

歴史を読み込んだ川柳(史川)には、いろいろあります。

「安珍は はした銭など 落っことし」

  娘道成寺で、急いで清姫から逃げる安珍は、焦って走ったから小銭ぐらいは袂から落として、しかも拾う余裕はなかっただろう。

 

「外科に行く みちみち 犬に吠えられる」

  これは徒然草にある話で仁和寺の和尚が戯れに鼎の中に頭を突っ込んで取れなくなった時の話で、奇怪な姿で医者へ行こうとすれば、驚いた犬に吠えられたのでは?

 

「三郎は 筆で毛虫を 払いのけ」

  児島三郎高徳が隠岐の島に配流となった後醍醐天皇を美作の宿駅で奪還せんとして果たせず、桜の樹の幹に「天勾践をむなしゅうすること莫れ」と墨書した時、おりしも初夏で、桜の樹には毛虫がたくさん付いていただろうから毛虫を払い除けながら字を書いたはずだ・・という頓智です。

 

文章にすると、どうしてもつまらなくなってしまいますが、優れた川柳はひとひねりもふたひねりもしています。それに比べて、深夜に起こされたから朝は眠たかろう・・というのでは、当たり前すぎます。

つまり川柳としてもひねりが足りないのですが、俳句の味わいからも遠いのです。

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以上を以って、自作の句を駄句としたのですが、芭蕉記念館からの帰りの電車の中(約1時間)で作ったインスタント作品ですから、どうかご容赦のほどをお願いしたいのです。

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ああ、自分の句を説明するために、ながながと書いてしまいました。恥ずべきことです。「雄弁は銀、沈黙は金」と言いますが、私に言わせれば「能弁は銀、多弁は鉄」です。

私のブログは、多弁に過ぎます。

 

「字余りは、俳句にブログに わが人生」


【 深川散策 その2 鹿嶋の芭蕉 】 [俳句]

【 深川散策 その2 鹿嶋の芭蕉 】

 

私は、芭蕉の俳諧にはあまり興味がありません。 しかし、彼が鹿島を訪問した時の作品、「鹿島紀行」に少し興味があります。 深川の松尾芭蕉記念館にその資料があるかどうか、少し気になり、私は川崎のご隠居に誘われ、芭蕉記念館に入りました。

http://www.amy.hi-ho.ne.jp/akirachan/basyou.htm

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話が飛躍しますが、2020年の東京オリンピックで、サッカーの試合の一部が、茨城県鹿嶋で行われる可能性がでてきました。

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/05/15/kiji/K20150515010356120.html

鹿嶋の人々には、サッカーのワールドカップ以来の「おもてなし」の機会となる訳です。

それに対して、鹿嶋のような地方の小都市(失礼)に、ちゃんと「おもてなし」できるのか?という声もありましょうが、心配は無用です。

鹿島には、遠来のお客を歓迎する「おもてなし」の精神が、300年以上前からあるのです。一体なんの事かと言えば、松尾芭蕉の紀行文 「鹿島紀行」に登場するエピソードのことです。

http://www.bashouan.com/Database/Kikou/Kashimakikou.htm

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この「鹿島紀行」には、鹿島の根本時(こんぽんじ)が登場します。臨済宗妙心寺派の古刹ですが、近くの鹿島神宮に比べると実に地味で目立たない存在です(再び、失礼)。私には的確にこのお寺を紹介する筆力はありませんので、他人様のブログを引用させて頂きます。

http://mahoranokaze.com/blog-entry-1170.html

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この寺の仏頂禅師は芭蕉の古くからの友人で、芭蕉は彼を訪ねて鹿島に足を運んだ訳です。その目的は、名月を観ること・・・ですが、それだけではありません。

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根本寺は鹿島神宮と長らく裁判沙汰の争いをしていました。鹿島神宮の知行は佐竹氏から寄進されたものですが、その中から毎年100石ずつ、根本寺に渡すようにという安堵の約束だったのに、それがないがしろにされていたのです。そこで、住職である仏頂禅師はしばしば江戸に赴き、裁判に訴えた訳ですが、その時、松尾芭蕉と親交ができました。 やがて裁判は決着し、根本寺の勝ちとなりました。 芭蕉は、そのお祝いと慰労のために鹿島を訪問し、根本寺に泊まったのです。

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芭蕉は、現代でいえば、京成の成田スカイアクセス線のルートを通って、やがて鹿島に到着しました。しかし、名月を楽しみに来たのに、あいにく雲が出て月は見えません。やがて疲れた芭蕉は床につき、寝てしまいました。 そして真夜中に彼は起こされます。 仏頂禅師は、芭蕉のために夜通し起きていて、雲が切れて月が顔を出すのを待っていたのです。そして雲が切れた瞬間に、芭蕉を起こして、彼に名月を見せたのです。

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ごちそうや美酒をふるまう訳でもなく、歌舞音曲を奏でる訳でもなく、面白い話題で歓談する訳でもなく、しかしそれでも心から相手をもてなすことはできます。相手を「おもてなし」で感動させることはできます。 鹿島の宵の仏頂禅師がその例です。

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自己(subject)と客体(object)の関係を追究することは、禅の重要なテーマだそうですが、詳しいことは私には分かりません。 妙心寺派の仏頂禅師がどういう考えを持っていたかもよく分かりません。 しかし、禅と密接な関係がある懐石料理や茶の湯の世界では、主のお客への思いやりが、非常に重要です。そして300年以上前の鹿島の禅寺で、本当の「おもてなし」が行われたことは事実でしょう。

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芭蕉資料館には、芭蕉と仏頂禅師の友情に関する資料がありました。

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しかし、そこには奇妙なことが書かれています。 「やがて二人は師弟以上の関係に発展した」と書いてあるのです。

一体、男同士でどういう関係になったのか? 刎頸の友になったということか?よく分かりません。川崎のご隠居も首を傾げています。

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一人は禅僧、一人は俳諧師ですから、当然相互に教え合う関係が想像できます。片方が座禅を教え、片方が俳句を教えたのかも知れません。しかし、仏頂禅師の俳句は残っていません。あまり上達しなかったのか・・・?

話は飛躍しますが、夏目漱石は、円覚寺で座禅を学び、親友正岡子規からは俳句を学んでいます。そして漱石の俳句もたくさん残っています。しかし、仏頂禅師の俳句は残っていないのです。

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そこで代わりに、オヒョウが駄句を一句。

 

月三更 ばせをの朝の あくびかな

 

うーむ、下手くそです。 本来、朝の眠気は春の季語です。 禅の上達は無理としても、俳句をもう少し上手にできないものか? そしてお客をもてなす精神を身に着けられないものか? と、オヒョウは仏頂面で考えます。


【 蚊を撲滅する その2 】 [俳句]

【 蚊を撲滅する その2 】

 

ミカンコミバエやウリミバエでは大成功した、不妊虫放飼作戦が、蚊の場合にうまくいかないのか?

以下のURLに分かりやすい解説が載っています。

http://wired.jp/2008/01/29/%e8%9a%8a%e3%82%92%e7%b5%b6%e6%bb%85%e3%81%95%e3%81%9b%e3%82%8b%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ae%e3%80%8c%e9%81%ba%e4%bc%9d%e5%ad%90%e7%b5%84%e3%81%bf%e6%8f%9b%e3%81%88%e8%9a%8a%e3%80%8d/

実は、不妊虫放飼は、オスの個体そのものを不妊にする訳ではありません。

ハエやハチの場合は、オスの成体に、放射線を当てます。 コバルト60やセシウム137の放射線を当てると遺伝子が傷つき、その子供として生まれた個体は生殖可能になる前に、死んでしまうのです。 そうして1世代後に個体数を激減させるという恐ろしい技です。

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しかし、蚊でこの方法を用いると、放射線で被爆した個体が死んでしまうのだそうです。それでは意味がありません。とりあえず、メスと交尾してもらわなくてはならないからです。そこで、ミバエでは大成功したこの方法を蚊については諦めるしかないか・・と思った訳です。

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話は脱線しますが、福島第一原発の爆発事故では莫大な量のセシウム137が放出され、福島県内には立入制限区域が残っています。マスコミや原発反対派は、汚染地域は依然有害であり、環境も破壊された・・と主張します。しかし、生体にどれだけ有害な環境か?といえば、明確な証拠がありません。 それなら蚊の生息数を調べてみてはいかがでしょうか? 前述の通り、か弱いオスの蚊は、セシウムの放射線で容易に死にます。もし、福島県の蚊の数が少なくなっていれば、反対派の言うとおりでしょう。蚊の生息数に変化がなければ、反対派の主張は嘘っぱちかも知れません。放射線の恐怖を誇大に語るのは、第五福竜丸以来の日本のマスコミの伝統ですから。

でも・・、誰も福島県の浜通りの蚊の生息数を知らないかも知れない・・・。

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話を元に戻します。蚊には使えない不妊虫放飼ですが、放射線の代わりに薬品で処理する方法を思いついた人がいるそうです。

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その薬品で、遺伝子を傷つけた場合、生まれてくる子供は、抗生物質のサイトカインを摂取しなければ・・・まもなく死ぬ運命にあります。 天然の蚊が抗生物質を摂取することはありえませんから、こちらも生殖活動の前に死に絶えることになり、不妊虫放飼が成功します。

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これを全世界規模で行えば、天然痘と同じように、マラリアも撲滅できるかも知れません。 すでに、このプロジェクトのために、世界の低緯度地域に蚊の大量生産工場が建設される見通しで、中国にその1個目に工場ができるそうです。 そこで生産し放たれる蚊は、処理をしたオスの蚊ですから、直接、人を刺すことはありません。無害な蚊を放散することになります。

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このプロジェクトが成功すれば、温帯地域の蚊の対策にも適用して欲しいものです。

日本には犬のかかるフィラリアがありますが、これも蚊が媒介します。沖縄には人の罹るフィラリアもありますし、八丈小島にはマレー糸状虫の寄生虫病があります。

熱帯に話を戻せば、象皮病もありますし、大村教授の研究で有名になったオンコセルカもあります。蚊さえいなくなれば、実に多くの人が苦しみから解放されます。

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いや、蚊だけではありません。日本には咬まれると強烈に痒いヌカカやブユがいます。アフリカには恐ろしい眠り病を媒介するツェツェ蠅がいます。それらを不妊虫放飼の方法で撲滅できたら、どんなに素晴らしいことか・・。

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かつて北海道大学農学部の梅谷献二教授と、九州大学農学部の安富和男教授は、「毒虫の本」の中で、人に都合の悪い害虫を絶滅させるというのではなく、棲息空間を分離して相互に忌避することで、共存できないか?という提案をしています。でも、マラリア蚊やツェツェ蠅のような獰悪な種族と共存共栄は不可能でしょう。なにせ向こうが、人の生命を脅かしてくるのですから絶滅もやむをえないか・・と思います。

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ここで再び放しは脱線します。 うるさくて、不快で、嫌な昆虫である蚊を詠みこんだ俳句はたくさんありますが、一番有名なのは夏目漱石の

「叩かれて 昼の蚊を吐く 木魚かな」 でしょう。

時期的には漱石が鎌倉の円覚寺で座禅していた頃の句かと思います。彼の句は無論、川柳ではなく、正統の俳句ですが、どことなくおかしみというか滑稽さがあり、それが彼の俳句の真骨頂になっています。

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それにしても、座禅しながら、心と頭を空っぽにせず、俳句をひねっていたなんて、漱石先生ずるいぞなもし・・・となぜか松山弁で夢想したところで、私は警策にピシャリと叩かれました。 座禅しながら、ブログの原稿を考えていた私の方が、ずるかったようです。


【 蚊を撲滅する その1 】 [俳句]

【 蚊を撲滅する その1 】

 

もし、あなたが、アフリカの平均寿命を1歳のばそうとすれば、或いは死亡率を5%下げようとすれば、何に取り組むでしょうか?医薬品の提供でしょうか?病院の建設でしょうか?それとも公衆衛生の啓蒙普及活動の推進でしょうか?

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私なら、蚊の撲滅を目指します。現在、人間を最も殺している動物である蚊を退治するのです。これはご承知の通り、マラリア蚊のことです。日本では忘れられた存在であるマラリアこそが、アフリカでは最も恐るべき存在なのです。

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日本にも蚊が媒介する伝染病はあります。最近はあまり聞きませんがコガタアカイエカが媒介する日本脳炎は恐ろしい病気です。中国の南部では乙型脳炎としてまだ恐れられています。また日本でもたまにデング熱が発生すれば話題になりますし、南米でジカ熱が発生すればこれも話題になります。日本ではなじみがありませんが、将来、西ナイル熱が本格的に日本に上陸すればこれも大騒ぎになるでしょう。

でも、何と言っても恐ろしいのはマラリアです。

http://www.mensholos.com/feature/14931.html?utm_source=outbrain&utm_medium=cpc&utm_campaign=ob2016072703

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マラリアの撲滅には大金持ちのビル・ゲイツも関心を示し、ビル&メリンダ・ゲイツ財団がお金を注ぎこんでいます。しかし、どことなく見当違いの攻め方です。途上国にマラリアの特効薬であるキニーネの提供などをしている模様ですが、マラリア対策は蚊の撲滅こそが鍵です。

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蚊の対策は2通りあります。

1. 蚊が人間の居住空間に入らないようにして、蚊にさされないようにする。

蚊帳を張ったり、蚊取り線香、蚊遣りを焚いて、蚊が人のいる空間に入らないようにするという方法です。家屋の窓や扉などの開口部にレーザー光線を仕掛けて、そこを通過する蚊を撃墜する方法については、このブログで以前に紹介しましたが、非常に有力な手段です。

レーザー光線の発射装置が150ドルほどするのが難点です。ビル・ゲイツにとっては何ら問題ない金額ですが・・・。

http://news.livedoor.com/article/detail/4603266/

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2. もうひとつは、蚊の絶対数を減らして、滅多に刺されない様にするというものです。

必要な場合、特定の地域では蚊の絶滅を視野に入れます。

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1の手段の方が穏便で、環境にも優しいようですが、限界があります。日本のように衛生環境の整った地域なら蚊を人間から隔離することも可能ですが、亜熱帯の地域、湿潤で水溜りの多い地域、家畜の多い地域、住居が粗末な地域などでは、限界がある事が分かります。せいぜい、乳幼児の寝床に蚊帳を張る・・ぐらいが現実的です。

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そうなると、やはり蚊の絶対数を減らすのが現実的です。実際、デング熱の問題が明らかになってから、シンガポールでは蚊の撲滅運動が盛んです。その方法とはボウフラが湧く水溜りをなくそうというもので、庭先などに水溜りを作ると罰金を科すという厳しいものです。シンガポールをファインカントリー(素晴らしい国/罰金の国)と呼ぶ人がいますが、全くその通りです。

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シンガポールに行かれた方はご存知でしょうが、この国は、1日に1回以上、スコールというか驟雨に見舞われます。犬の食器だろうが、空き缶だろうが、庭やベランダに放置すれば、それがそのまま水溜りとなりボウフラの発生源となるので、住民は大変です。そしてシンガポール政府がどんなに頑張っても、マレーシアのジョホールバルの方から蚊がやってきます。かつて山下奉文の軍隊がやってきたように。

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なかなか、これという方法はないのですが、そこで人々は、過去に害虫退治に成功した画期的な方法を思い出します。これは、大量のオスの成体の遺伝子に手を加え、将来、子孫が生まれないようにするというものです。

不妊虫放飼(SIT)と呼ばれるこの方法は、羽を持つ昆虫の撲滅には非常に有効です。

過去に日本では南西諸島や沖縄のミカンコミバエやウリミバエの絶滅や劇的な個体数の削減に成功しています。

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蚊でもこの方法が使えないのか?と誰もが思った訳ですが、そう簡単ではないようです。それは一体なぜか?

 

詳しくは次号で紹介いたします。


【 拙を守る について考える 】 [俳句]

【 拙を守る について考える 】

夏目漱石が、晩年の「則天去私」と並んで、しばしば用いた言葉に「拙を守る」という言葉があります。 「木瓜咲くや、漱石拙を守りけり」という俳句もあります。 これは、漱石も傾倒した禅の言葉であると私は思います。オヒョウの郷土の大先輩の思想家である鈴木大拙の名前も、禅の言葉である「大拙は巧に似たり」に由来するものと聞いています。

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ところが調べてみると、「大拙は巧に似たり」という言葉は、「老子」に登場するようです。そして陶淵明の詩にも登場するとなると、禅の思想が起源とは言えなくなります。 あれれ?私の理解は錯覚だったのか・・。

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そもそも、中国では「拙」という漢字にそれほどネガティブな意味は無いのかも知れません。拙という漢字が登場する例では、有名な蘇州の拙政園(ツーゾンエン)があります。これは明の宰相である王献臣が、引退後に「自分の政治は下手くそだった」と反省して自分の庭にこんな名前をつけた訳ですが、この庭園は実にすばらしく、見事な芸術作品です。私が知る限り、最高の庭園です。それにしても、こんなに豪華で素晴らしい庭園を作ること自体が、既に庶民を搾取していることではないか・・・。

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話が脱線しますが、宰相は君主より目立ってはいけません。適度に贅沢をして権力を振るっても、それはいいのですが、自ずとけじめが必要です。君主よりも目立ったり、贅沢をした宰相は何人かいますが、評判があまりよくありません。 フランスの宰相リシュリュー公は、あまりに立派な御殿を建て、主君のルイ13世から、「朕の宮殿より立派ではないか?」と嫌味を言われています。 そのリシュリューの豪邸はパレ・ロワイヤルと呼ばれ、ルーブル美術館の隣で、地下鉄の駅のすぐ横にあり、今でも見ることができます。 徳川幕府の側用人だった柳沢吉保の庭園も見事で、将軍の徳川綱吉の不興を買いました。 私はまだその六義園を見ておりませんが・・・。

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中国の場合、君主に睨まれれば、失脚・処刑もありうる訳ですから、在任中はなるべく目立たないにこしたことはありません。その分、引退してから贅を尽くしたわけですが、それでも心配なので、拙政園という謙虚な名前で目くらましをした・・というのが私の解釈です。 とにかく、自分のことを「拙」と表現する場合は、半ば謙虚、半ば韜晦そして残りは自尊の思いがあるのでは・・・と私は解釈します。

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ところで、漱石の「拙を守る」という言葉の意味について、漱石の姻戚でもある半藤利一氏は、漱石が、人間関係に不器用で、世渡りが下手で、要領の悪い自分を自嘲気味に表現した言葉だと説明します。 確かに、漱石の小説で、彼自身を投影したと思われる登場人物は、インテリだけれど、人付き合いは苦手で、出世やお金儲けとはあまり縁の無い存在として描かれています。

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しかし、敢えて、私は半藤氏とは別の解釈をします。 「拙」とは単にお金がなくて、貧乏だという事を意味するのではないか?漢字の本来の意味にも、たしか貧乏暮らしの意味が含まれていたはずだし・・・。 夏目漱石は、朝日新聞社から高給で迎えられ、作家として高い評価を得た人物ですが、それなりに出費も必要な訳で、お金の心配が無かった訳ではありません。 借家住まいで、その家賃の高さを嘆いている記録もありますし、無教養なのにお金儲けだけは上手で財閥になった人々を軽蔑する表現も「吾輩は猫である」に登場します。

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だから、単に「拙」とは、いい年をして、いまだにお金の心配をしている自分を示しているのではないか?と私は考えるのです。 不器用で世渡りが下手なことと、単にお金が無いということは、似ていますが、微妙に違います。私はそこを確認したいのですが、それ以上のことは分かりません。

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私自身も年賀状に、「初春や、今年も拙を守りおり」としたためたことがあります。 でも、ある種の矜持を持って不器用な生き方をしている事と、単に貧乏暮らしをしております・・と自嘲するのでは、持つ意味が違いますし、読まれる方の印象も違います。 私の場合、誇り高き清貧の生活をしているのではなく、単に無能で貧乏なだけですから、「拙」の意味は単に「お金がありませんよ」と言うだけにしたいのですが・・・。 まあ、考えてみれば、夏目漱石と自分を比較する事自体が、おこがましい訳で不遜なのですが・・。

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ところで漱石の友達の正岡子規は、守拙ではなく、拙守という言葉を考案しました。 ただし、これは野球のエラーを日本語に訳しで拙守としただけで、禅の思想とも老子の思想とも無縁であることは言うまでもありません。


【 沈黙の動物 】 [俳句]

【 沈黙の動物 】

 夏炉冬扇さんのブログには、毎回、面白い川柳が登場します。

http://karotousen.blog.so-net.ne.jp/

 例えばおしゃべりの亀もいるなり新内閣 」という作品が登場しますが、オヒョウは思わずニヤリとしました。

勿論、これは亀井静香大臣の事で、モラトリアムという名前の徳政令や、郵政民営化の見直しや、日本郵政の社長人事で面白い発言が相次いでいるからでしょう。

民主党と連立してはいるものの、吹けば飛ぶような存在の国民新党の代表が出しゃばっているではないか・・と民主党からは眉をひそめる声もあります。

亀井氏は「この件は鳩山首相に一任されている」と譲りません。やがて死刑廃止論者の立場から法改正を提案するかも知れません。その内、民主党と意見が異なる問題が持ち上がれば、彼は対立し、連立政権は多分分裂するしょう。

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しかし、オヒョウがニヤリとしたのは、亀井大臣の事ではありません。多分、夏炉冬扇さんは、俳句に造詣がおありだろう・・と思ったからです。

ご承知の方も多いでしょうが、俳句の季語には、「亀鳴く」あるいは「亀鳴くや」というものがあります。 内田百閒の俳句にも登場します。

しかし、亀は鳴くのか? 

この季語に反発した訳ではないでしょうが、決められた季語に拘らない自由律俳句の巨人荻原井泉水の句には「溜池に 沈黙の亀 浮き上がる」というのがありますし、井泉水の弟子とも言える、尾崎放哉の作品には「沈黙の 池に亀一つ 浮き上がる」というのがあります。 

だから俳句の世界では、亀は鳴く存在として考えるべきか、沈黙の存在として考えるかは、一つの課題なのです。

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一歩、ドアを開けて、外に出れば、世の中は動物の声に満ちている事に気付きます。 しかしそうは言っても声(音)を出しているのは昆虫と鳥類と哺乳類がほとんどです。そして季節限定の両生類です。これは春から夏にかけて鳴く蛙の事です。 イモリや山椒魚は鳴きません。 

一方、魚類はともかくとして「沈黙の脊椎動物」と言われるのは、爬虫類です。

多くの爬虫類は鳴きません。正確には、ワニは鳴きます。但し、ワニが鳴くのは非常時です。以前、伊豆半島で地震があった時、熱川のワニ園のワニが一斉に鳴いたそうです。それからヘビは、相手を威嚇する時や興奮した時に音を出す事があります。 ガラガラヘビは確かに乾いた音を出しますし、一部のヘビは息を吐く時にシューという破擦音のような音を出すそうです。しかし、いずれにしても、爬虫類が声や音を出す時は、相当、恐ろしい状態であると言えます。

現在の爬虫類とは、違いますが、古代の恐竜は鳴いたのでしょうか? これは分かりません。 一部の恐竜の化石を見ると鼻腔内や頭蓋骨内に、共鳴筒と思える空間があることから、この恐竜は、声を出して会話した・・という人もいますが、果たしてどうでしょうか?

化石で見つかる共鳴筒の寸法は大きく、固有振動数から推測して、相当の低周波の音しかでないのでは? とオヒョウは思うのです。 

声を出したかどうかは、リード楽器のリードにあたる振動器官の存在を確認しなければなりません。 つまり、人間で言えば声帯にあたる部位ですが、当然ながらそれは柔らかい肉(flesh)でできており、化石としては残りません。だから分からないのです。大声で鳴く春の蛙だって、骨格標本だけをみれば、あんなに大きな声で鳴く動物だとはとても思えません。

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オヒョウが子供の頃に見た怪獣映画のゴジラは、機械的な声を出していました。これは蒸気機関車の音を加工したものだそうですが、なんとなくそれが刷り込まれて、オヒョウはずっと、恐竜とはあんな声で鳴いたのだと勝手に思いこんでいました。しかし、その根拠は無いのです。 恐竜が鳴いたか、或いは声を出したかは、誰にも分かりませんが、恐竜の子孫が鳥類だとしたら、種によっては、美しい声で鳴いた可能性もあります。 逆に恐竜は今のトカゲの様に鳴かない動物だと考えれば、恐竜と鳥の境界は、声を出すか出さないか・・・で決まるのかも知れません。

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脱線しますが、英語で動物が鳴くという表現はちょっと難しい様です。犬が吠える・・というのはbarkで簡単ですが、秋の虫が鳴く、鳥が鳴く・・というのは、どう言えばいいのか・・。人にとって美しく聞こえる場合は、”birds sing” あるいは、”crickets sing“が適当でしょう。鳴くあるいは啼く泣くと混同して、”cry””weep”を使うと、かなりシュールな英文になってしまいます。中学生の頃のオヒョウの様に・・。

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同じ爬虫類である、ワニやヘビや恐竜が鳴くか否かを、考察しましたが、肝心のカメが鳴くかどうかは分かりません。ここは亀井大臣本人に訊くしかありません。

「 いったいぜんたい、亀はにぎやかな動物なのですか?沈黙の動物なのですか? 」

彼の答えは、恐らく「 俺はしずかだ 」 でしょうね。


【 トビウオ忌 】 [俳句]

【 トビウオ忌 】

久しぶりに俳句でも・・と思ってみたのですが、梅雨明けの今の時期、ピッタリとする季語がなかなかありません。 俳句の意味や雰囲気とマッチしないと、その句がだいなしになるからです。 でも俳句の中身とのマッチングをあまり気にしなくてすむ季語もあります。
有名人の命日がそれです。

俳諧の先達や、昔の文豪の命日が季語になっていて、俳句をしない人にも桜桃忌だとか檸檬忌、河童忌などはよく知られています。
どの命日を選ぼうか・・
そんな事を考えていたら、古橋廣之進氏がローマで客死したとのニュースが入りました。最後まで水泳に携わって、世界大会の現地で亡くなったというのは、彼にふさわしい最後かも知れません。
そこで考えました。

彼の命日を名付けるなら、やはりトビウオ忌だろうな・・・。
ところで、まだ名付けられていない著名人の命日に、もし名前が付くならどんな名前だろうか?・・・

試しに考えたところでは、
藤沢秀行・・・・・・・・・・・・ これは秀行忌としか言えませんね。
もしくは棋聖忌か?
マイケルジャクソン・・・・ ジャクソン忌かな?
藤子F不二雄・・・・・・・・  ドラエモン忌でしょうね。
栗本薫・・・・・・・・・・・・・・  サーガ忌でしょうか。
渥美清・・・・・・・・・・・・・  寅さん忌としか言いようがありません。
緒方拳・・・・・・・・・・・・・  これは難しいです。緒方忌でしょうか?

さらに、いろいろ不謹慎な事を考えます。
今、生きている人が亡くなれば、命日は何と命名されるだろうか?

村上春樹・・・・・・・・・・・・ ノルウェー忌かな?でも他にもたくさんあるし、
田中康夫・・・・・・・・・・・・ クリスタル忌とでも呼んで欲しいでしょうね。
森繁久弥・・・・・・・・・・・・ 難しいけれど、知床忌とでもしましょうか?
森光子  ・・・・・・・・・・・・ おかみさん忌、もとい放浪忌ですかね。
麻生太郎・・・・・・・・・・・・ ?????? ミゾユウ忌か?

ところで、今年その死が特に悼まれる、あのロックンローラーの場合は
やはり、上から読んでも下から読んでも 「忌野忌」なのでしょうか?

燭の灯を 莨火としつ チェーホフ忌 

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