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【 ヴの無い世界 】 [雑学]

【 ヴの無い世界 】

 

いささか旧聞ですが、外国の国名表記から「ヴ」の字がなくなったそうです。

何でも外務省が法案を提出して国会で決めたとのことですが、外国の名前の呼び方が法律で決まっていたとは、寡聞にして知りませんでした・

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しかし、その決め方というのが、よく理解できません。普通、法律というのは、お上(おかみ)が最初に決定して、国民に知らしめ、国民がそれに従う・・・という仕組みになっています。

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しかし、今回は巷間で使われる庶民の言葉の頻度を調べ、もう使われないから・・ということで、法律がそれを追認するというものです。一体何のための法律か?と思います。それ以前に行政の主体性の無さというか、国民への迎合は何だ?とさえ思います。

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マスコミにはその法案作成に尽力した若い課長補佐が登場します。

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/15156.html

彼は目の前に膨大な書籍を置き、それらを読んで、誰も知らないような小国の名前がどのように表記されるかを解析したとのことです。全く分かりません。

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今は、パブリッシュされる文章が、純粋に活字にとどまることはあまりなく、多くはデジタル化されます。それなら手作業で調べなくても、外国の天才達が開発した検索エンジンを使えば、一瞬で検索できます。彼が手作業で何カ月もかける作業がほんの一瞬の作業になります。彼は一体何のためにそんな労力をかけたのか?

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それにしても暇な役所です。「セントクリストファー・ネーヴィス」が、「セントクリストファー・ネービス」になったところで、何の意味があるのか?そんなことに時間を費やすくらいなら、もっと他にすることはないのかい?

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外務・防衛・警察・公安といった治安に関わる役所が暇を持て余すというなら、これは大変結構なことですが、実は今、外務省は問題山積で多忙を極めている筈です。

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北朝鮮問題、それに輪をかけて頭痛の種である韓国問題、日本にすり寄り始めた中国との関係、四島を返さないロシアの問題、通商問題で無理難題をふっかける米国、EUを離れる英国の問題、外国人労働者の受け入れの問題、数は多いが質が伴わない留学生や研修生の問題・・・。戦後かって無かったほど、外務省は多くの問題を抱えています。そもそもソウルの日本大使館の新築工事の案件も宙ぶらりんです。

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来年の東京オリンピックも一大イベントですが、それより目前に迫った即位の礼こそ、日本最大の慶事で、各国からVIPが集まります。その出迎え、応接、警備その他で、外務省はてんてこ舞いだそうです。外務省始まって以来だそうですが、他の省庁から応援部隊を受け入れ、急場をしのぐことになっています。

それなのに、ひたすら書物を調べ、ヴの文字を探す・・というのは、有為な若い課長補佐のやることか?

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話題を変えましょう。

かつて明治から昭和の時代、日本語の仮名では表現しにくい発音をなんとか表記するために、人々は苦労しました。ウィスキーだって、昔は無理やりウヰスキーと書いたりしました。VBの違いにこだわる人は、Vの発音にはヴを用いたのです。

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とりわけイデオロギーにこだわる人達には、ヴは大切な文字でした。 ソ連はソビエトではなくソヴィエトでしたし、「東方」と言う意味を持つ宇宙船はボストークではなくヴォストークでした。ウォッカは確か・・ヴォトカだったような(あまり自信はありません)。

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しかし1991年にソ連が崩壊し、マルクスレーニン主義者は心の故郷を失いました。もうソヴィエトだろうがソビエトだろうがどうでもよくなったのです。そしてその後四半世紀以上を経て、ついに若い課長補佐の手によって、ヴは葬り去られるのです。合掌。

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しかし、国名以外の名詞で、ヴに愛着を持つ人はたくさん残っています。イデオロギー関係なしです。お金持ちは、ルイ・ヴィトンはやはりルイ・ヴィトンでなくちゃ・・と思うでしょうし、お金持ちでないオヒョウもやはりヴにこだわります。

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ポール・ヴェルレーヌの「秋の歌」を上田敏が翻訳し、「海潮音」に「落葉」として納めています。「秋の日のヰ“オロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し」。

一方、フランス文学の泰斗 堀口大學の訳では、「秋の日のヴィオロンの・・・」になり、

金子光晴の訳では、「秋のヴィオロンが・・」になり、窪田般弥の訳では「秋風のヴァイオリンの・・」になります。 誰一人として「ビオロン」や「バイオリン」と表記する人はいません。 実際のところ、「秋の日のビオロンの・・」では全く興ざめです。

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私は、国名は仕方ないとしても、文学の世界だけはヴを無くさないで欲しい・・と思います。

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再び話題を転じます。中央省庁では、若いキャリア官僚を他省庁に出向させて武者修行させることが多くあるそうです。つまらないセクショナリズムに陥らないよう、また他省庁の人と交流することで刺激を受けると同時に、視野を広げますし、人脈を作るうえでもいい機会です。前述の通り、外務省も他省庁から人を受け入れるそうです。

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さて、多くの書籍を調べて、ヴを抹殺する方案を作成した、くだんの課長補佐ですが、彼も孤独な作業から解放され、視野を広げるために他省庁に出向する機会があるかも知れません。それは結構なことですが、文科省だけは勘弁してください。言葉狩りや文字狩りをされては困ります。泉下の上田敏や堀口大學が「ひたぶるにうら悲しく」思う事でしょう。


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【 Notre- Dame de Paris 】 [フランス]

【 Notre- Dame de Paris

 

今は昔、昭和の時代、私が北陸のある町の高校生だった頃です。英語の樫本先生が夏休みに行かれた欧州旅行の話を授業中にされていました。英国、フランスが主ですが、中でもパリの話題が多かったのです。中年の男性教師が初めての海外旅行の話をするあたり、「チップス先生さようなら」を彷彿とさせますが、樫本先生は、ちょっとイメージが違います。背筋をピンと伸ばして、ロボットの様に教室を歩かれる先生です。

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樫本先生は、訪れたノートルダム寺院の荘厳さに感心されたようで、その感想を熱く語られた後、最後に奇妙な事を言われました。

「でも、僕はカシモトであってね、背むしではないのですよ」と言って、ただでさえまっすぐな背をさらにピンとされました。

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このダジャレを咄嗟に理解できた生徒はほとんどいないようでした。

ただ一人、学年一の美少女と噂されたNさんだけが、クスリと笑ったのを私は見落としませんでした。彼女にはこのダジャレが分かったのかな?

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その後、Nさんは筑波大学の仏文科に進学し、そこで知り合った男性と結婚しました。新婚旅行はパリだったとのこと。

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私は、その後、ビクトル・ユーゴーにはまった時期があり、学校の勉強もせず、幾つかの作品を読み漁りました。「1793年」「レ・ミゼラブル」「ノートルダムドパリ」。一連の作品を読んで、これはやっぱりパリに行かなくては、とても本当の事は分からないな・・と思いました。私は無性にパリに行きたくなったのです。

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余談ですが、外国の小説を読んでその舞台の国に行きたいと思ったことは、そう多くありません。アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」を読んで、英国の湖水地方に行きたいと思ったぐらいです。

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話が脱線しましたが、「ノートルダムドパリ」を読んで、やっと樫本先生のダジャレが分かりました。主人公はせむし男「カジモド」で名前が似ていたのです。分かってみれば単純なダジャレでした。そうか、Nさんはあの小説を読んでいたのかな?

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私がパリで実物のノートルダム寺院を見ることができたのは、それからずっと後の平成の時代です。そして、その欧州時代、私はドイツのブレーメンにある鉄鋼会社を訪問しました。クレックナー(Klöckner)という会社です。この会社は川鉄(当時)と関係が深く、Q-BOP式転炉も導入しています。だからライバル会社の私の訪問は歓迎されるかな?と心配したのですが、それは杞憂で歓待されました。仕事を終え、会食会場に移動するために町を歩いていると、Klöcknerという単語を書いたポスターを見かけました。ポスターには「Der Klöckner von Notre-Dame」とあります。

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「これは御社と関係があるのですか?」とくだらない質問をすると、Klöcknerの担当者は一瞬キョトンとして、それから大笑いしました。

「これは今、映画館で上映しているディズニーアニメの題名ですよ。Klöcknerとは鐘撞男(Bell Man)つまり「背むし男」のカジモドの事です」。彼は言いませんでしたが、「背むし」という身体的特徴をあげつらうような題名は、ディスニー映画にはふさわしくなく、「ノートルダムの背むし男」から「ノートルダムの鐘撞男」と名前を変えたみたいです。

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「では貴社は鐘撞男が始めた会社なのですか?」と私が再びくだらない質問をすると、彼はあまり上手でない英語で、「創始者の名前がKlöcknerだったのです。先祖は確かに鐘撞男だったのかも知れませんが、今ドイツではKlöcknerは一般的な姓です。たまたま、ディズニーアニメの名前と重なりましたが無関係です」と面白そうに語りました。

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しかし、私は名作「Notre Dame de Paris」がディズニーアニメ(つまり子供向けの作品)になる事に強い違和感を持ちました。そしてちょっと暗い気持ちになりました。アニメを見る子供たちに、この小説が本当に理解できるのだろうか? 下手をしたら、醜いけれど心の美しい男性が、美少女に憧れる・・という平板なストーリー展開になりはしないか・・・?

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世の中の小説には、映画化に適した作品とそうでない作品があります。概ね長編小説は映画に向きませんが、ビクトル・ユーゴーの作品はその最たるものかも知れません。

日本では内田吐夢監督がレ・ミゼラブルを元に「ああ無情」を制作し、高い評価を受けていますが、あの重厚で複雑で奥行きのある作品を短時間の映画にするというのは、私には冒涜にさえ思えます。映画でそうなら、ミュージカル「レ・ミゼラブル」などなおさらです。

もっとも、観てもいないのに、貶す資格は私にはありませんが・・・・。

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私の母が生前に言っていましたが、作品が映画になり、映像を見るとイメージが固定されてしまいます。活字で小説を読み、自分でイメージを膨らませた方が、より自由で豊かな世界を想像できて、感動するし、感情移入もできる・・というのです。私などは作品のヒロインの顔は、全て当時憧れていた女生徒の顔に置き換えてイメージしていました。(断っておきますが、Nさんではありません)。

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実際、パリに行った事の無かった頃の私が、ユーゴーの小説を読んでイメージしていた世界は、本物のパリとはかなり違ったのですが、それはそれで良かったような気がします。残念ながら、私がノートルダム寺院を見た時、樫本先生ほどの感動は覚えませんでした。

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実際に目で見るパリの街並みやノートルダム寺院、一方、小説を読み、空想でイメージするパリの街並みやノートルダム寺院、どちらが私にとって存在感があるか?

 

ああ、しかしそんな比較をしようにも、実物のノートルダム寺院は火事で焼け落ちてしまい、もはや皆さんの記憶の中に存在するだけになってしまいました。がっかりです。

 

形あるものは何時かは壊れる・・と言いますが、あの荘厳な寺院がなくなるとは・・・。

私に言わせれば、「ああ無情!」ならぬ「ああ無常!」です。

しかし、このくだらないダジャレは、樫本先生のダジャレには到底かなわないなぁ。

 

おそらくNさんも、クスリとも笑わないでしょう。

 

(今回は、他人のプライバシーにも触れましたが、まあ、昭和の時代の話なのでお許しください)。


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