SSブログ

【 後悔などあろうはずもない? 】 [雑学]

【 後悔などあろうはずもない? 】

 

いささか旧聞ですが、平成時代を代表する野球選手であるイチローが引退しました。

もっとも、日本よりも米国での活躍が目立ったイチローとしては、日本の元号で時代を区切られることに違和感があるかも知れませんが・・。

・・・・・・

この偉大な選手について語りたいことは山ほどありますが、今回は彼の引退会見での一言にこだわります。

記者が「後悔はありますか?」と質問したのに対して、「後悔などあろうはずもない」と答えたのです。

https://www.asahi.com/articles/ASM3P7GBXM3PUTQP02M.html

・・・・・・

私が「あれっ?」と思ったのは、質疑応答の齟齬です。記者は「決断に後悔は?」と訊いています。「ここで引退すると決めたことについて後悔は無いのか?」という意味でしょう。一方、イチローは、これまでの野球人生全般について後悔はないか?と質問されたと解釈したようです。

だから「今日の球場の様子を見れば分かる通り、後悔などあろうはずもない」と答えたのでしょう。これは記者の質問の仕方が悪かったと言えます。

・・・・・・

ただ単に「後悔はありません」と言えばいいのに、「後悔などあろうはずもない」という、もってまわった大袈裟な表現を用いたのは、イチローのひとつの癖で、質問者(記者)を小馬鹿にする時に用いるパターンです。

・・・・・・

しかし、私が考えるのは「後悔は無い」というその発言です。

同じように、かつて「我事に於いて後悔せず」と記した人物がいます。あの宮本武蔵です。勝負師としての在り方、求道者としての生き方を考えると、何となくイチローに重なります。武蔵は、晩年に著した「独行道」でそう語っています。

・・・・・・

この一文については、多くの解釈がなされているようです。

https://view.cafe/monopoly/a-new-day/6480

勿論、自分はこれまでの人生で、一度も失敗や判断ミスをしなかったという浅薄な自慢話ではないでしょう。しかし、同じく武蔵が著した「五輪書」では、「我生涯に六十余度戦いて一度も負けず」と自慢話を書いていますから、やっぱり単なる自慢話かも知れません。

・・・・・・

これを「倨傲ではないか?」と、噛みついたのは、昭和の天才棋士の一人、升田幸三九段です。升田九段がまだ存命だったころ、NHKの歴史番組で、「宮本武蔵は本当は弱い人物だったのではないか?」と語っています。

・・・・・・

即ち、本当に強い人物だったら、武蔵は自分の人生を振り返り「いつ、どこどこで、辛き(からき)目に遭いけり」と、自分の失敗談や不名誉な記憶を正直に語ったはずだというのです。それができなかったのは、彼の弱さであり、強がりであろうと升田九段は語りました。 本物の勝負師だった升田九段だからこそ言える話です。

・・・・・・

実際の宮本武蔵の人生には、失敗と後悔が溢れています。関ケ原では負け組の西軍に付いた(真偽は不明)し、島原の乱では老骨を鞭打って参戦するも、負傷・気絶するという不名誉を体験しています。あまり出世もしていません。巌流島の決闘だって自慢できる勝ち方ではなかったという話もあります。それなのに、武蔵は、「生涯負けなし」と書き、「我、事に於いて後悔せず」と書きます。嘘つけ。

・・・・・・

だから、私は「後悔は無いです」という人の言葉を素直には信じません。

イチローの長い野球人生は、栄光に満ちていて、余人にはまねのできない素晴らしいものです。しかし、そこに失敗は何もなかったのか?後悔すべきことは何も無かったのか?と彼に尋ねたい思いにかられます。

イチローは本当は弱い人物だったのではないか?

・・・・・・

むしろ、「自分は、過去の事にくよくよしたり振り返ったりせず、常にこれからの未来を考える前向きな人間なので、だから後悔はしない」と答えた方が、よっぽどイチローらしく返答として適切だったのではないか・・と私は思います。

・・・・・・

言うまでもないことですが、引退会見は、それまでの野球人生に幕を下ろす宣言であると同時に、新しい人生を始める宣言でもあるからです。

これからのイチローの長い第二の人生で、彼が何をしようとしているのか、まだ発表はないのです。 ひょっとして「野球五輪の書」でも書くのかな?

 

東京オリンピックで野球も復活することだし。


nice!(1)  コメント(2) 

【 LとR 】 [政治]

【 LR 】

 

私は英語の発音のLRの使い分けが苦手です。時々、聞き間違えるし、自分が話す時もLRの発音がゴッチャになります。でもそれは私だけでなく、日本人の多くが苦手とするようです。

・・・・・・

映画「チャイナタウン」には、日本人の発音をからかう場面があります。

水不足のカリフォルニアで、各家庭の庭の池には淡水でなく海水を引いていますが、これが芝生には良くない訳です。日系移民の庭師が「海水はgrass=草(芝生)には良くない」とぼやく訳ですが、それを聞いた主人公の探偵(ジャック・ニコルソン)は、「海水は眼鏡(glass)に良くないのか?」と言いながら、海水の池をのぞき込み、底に沈む殺人の被害者の眼鏡を発見し「ああ、海水は眼鏡に良くないのだね」ともう一度言います。

・・・・・・

また、私は知りませんが、日本人をからかうギャグでは、わざとLRを逆にして発音するそうです。ちょっと不愉快です。しかし英語の発音でLRを混同してしまうのは、日本人だけではないようです。中国人も韓国人も少し苦手にしているようです。

・・・・・・

そんなことを思い出したのは、新しい元号が「令和」と決まったからです。アルファベットの頭文字で表すとRになるそうで、令和18年はR18だ・・と外国人を代表してデーブ・スペクターが言っています。成人向けの映画のコードに掛けて揶揄しているようで、ちょっと不愉快です。

・・・・・・

でもそこで待てよ?と言いたくなります。令和のアルファベットの頭文字はRなのか?日本のローマ字ならRしかありえませんが、漢字の故郷である中国語のピンインでは、令はlingとなります。だから、国際的にはLが妥当なのではないか? でも漢字の故郷だからといって、敢えて中国語に合わせる必要は無いかな? そもそも、中国でもLRの識別はあまり厳密ではないから・・・と、私は混乱するばかりです。

・・・・・・

ここで、LRの話題から離れて、別の観点から「令和」を考えます。

もともと、日本の元号に反対の朝日新聞は、系列の週刊朝日やAERAを使って、令和を貶す記事を出しています。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190409-00000016-sasahi-pol

ダイヤモンド誌もそれらの意見を取り上げています。

https://diamond.jp/articles/-/198757

しかし、内容は実に幼稚で、教養人の発言とは思えないものばかりです。もっとも、発言しているのは、教養人や文化人というより芸能人と呼ぶべき人が多いようですが・・。

いわく、令は命令の令だから、権力が上から押さえつける時代を象徴するというのです。

また、令は零につながり、令和は、ゼロをいくら足してもゼロだと、中国人が嗤っているというのです。これはおそらく嘘というより捏造でしょう。

・・・・・・

簡体字を用いる中国では多くの字が簡略化されていますが、零と令は明確に区別されます。

中国語の「零」には、少ないもの、小さいもの、ちっぽけなものというネガティブな意味があります。部品は中国では零件となります。そして勿論、数字のゼロも零です。一方、令には整ったもの、しっかりしたものというポジティブな意味があります。令夫人や令弟という単語にも表れています。だから令と零を混同することは、繁体字の台湾だけでなく、簡体字の大陸中国でもありえないのです。だからこれは日本人の捏造でしょう。

・・・・・・

そういえば、昔、朝日新聞の投書欄に、小学生(?)の投稿で、「中国を支邦と呼ぶのは失礼。「日本」には本があるから本店、「支邦」に支があるから支店みたいで、日本が中心に見えるから」という噴飯ものの文章がのりました。しかも、それを読んだらしい、王毅駐日大使(当時)までが同じ発言をして、支邦呼称問題をけん制しました。

しかし、中国語で本店は総公司、支店は分公司です。本店、支店という呼び方は普通しません。朝日新聞の捏造と言うべき、幼稚な言説でした。

・・・・・・

令和を以て、「ゼロをいくら足してもゼロになる」と、中国人が語ったという話には同じ臭いがします。

・・・・・・

庶民が、上から示される元号を揶揄するのは、結構だと思います。しかし、そこには何等かのユーモアというか、頓智がなければつまりません。

有名な戯れ歌に、「明治明治と上から言うが、治まるめいと下からは読む」というものがありますが、それくらいのウィットは無いものか? 

・・・・・・

「命令の令だ!」と騒いでいる社民党のレベルでは、後世の令和の人々に軽蔑されるだけです。


nice!(1)  コメント(0) 

【 アルツハイマー病の特効薬 】 [医学]

【 アルツハイマー病の特効薬 】

 

いささか旧聞ですが、325日、製薬会社のエーザイの株がストップ安になったと、お昼のニュースが伝えています。

https://stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/detail/?code=4523.T&d=1m

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42787030S9A320C1TJC000/?n_cid=DSREA001

どうして?と調べると、321日に同社が発表したアデュカヌマブのPhaseⅢの試験を中止したというニュースが発端のようです。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-03-21/POPUR3SYF01S01

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42751620R20C19A3TJC000/

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20190409-OYTET50017/

・・・・・・

そうか・・・、皆さんが期待していたのにやはりだめだったか!という落胆の思いが株価に反映したものです。

エーザイはアルツハイマー病治療薬では、日本で先駆者的な存在です。アリセプト(ドネベジル)を世に出して以来、研究の先端を走っていたと聞きますが、ここで大きな蹉跌を味わうことになりました。

・・・・・・

アデュカヌマブとは、ヒトモノクローナル抗体を用いた治験薬で、軽度のアルツハイマー病に有効ではないか・・と期待された薬品です。 期待された効果とは、脳内に沈着するアミロイドβ(ベータ)を洗い流す効果です。治験薬番号ban2401ですが、banとは禁止するという意味ですから、そもそも名前が悪かった。

・・・・・・

実は少し前に、同じくアルツハイマー病の薬として期待されたソラネズマブもPhaseⅢの段階で要求項目を満たせず、途中で開発が断念されました。

PhaseⅢとは、薬の研究開発の最終段階で、ここをクリアーすれば、承認・市販の段階に進めたのに・・。

・・・・・・

ご記憶の方は少ないでしょうが、私はちょうど3年前に、この2つの薬品について、ブログで取り上げていました。差別用語として今は使われない言葉を題名にした【バカに付ける薬】です。

https://halibut.blog.so-net.ne.jp/2016-04-11-2

私の駄文では、アルツハイマー病の研究にアミロイドβ蓄積原因説とτ(タウ)タンパク質原因説の2つがあり、どちらが正しいか一種の競争になっている・・と、新薬開発の現状を面白がった書き方をしたのです。アミロイドβ説を裏付ける有力な2つの新薬が脱落したことで、τタンパク質説が優勢になったかというと、そうでもないようです。

https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/mag/btomail/17/10/30/00322/

・・・・・・

今回の中止は必ずしも、アミロイドβ蓄積説を否定するものではないようです。

ではそもそも、なぜPhaseⅢまでいきながら、プロジェクトは断念されたのか?

・・・・・・

アルツハイマー病の新薬開発が急速に進んだのは、脳内に蓄積するアミロイドβを定量的に把握できるようになったからだそうです。その定量したアミロイドβがアルツハイマー病のアミロイドβと異なる種類だったのか?それとも定量する方法が間違っていたのか?外野席にいる私は想像するしかありません。

・・・・・・

新薬の効果は、アミロイドβの数値で議論されます。一方、臨床的にアルツハイマー病の治癒効果や進行抑制効果を判断するのは、定量的な、つまり数字で表せる事象ではないようです。ここに問題があります。

・・・・・・

理工系の学問では、結論は主に数字で議論されます。客観性、再現性、蓋然性、多くの性質を担保するのに数字での議論は好都合です。

一方、医学には違う面もあります。精神科などの診断では、数字では表しにくい部分もあります。同じ患者について、医師によって診断が異なり、処方する薬が正反対だったりすることもあるそうです。どうやら、普通の自然科学とは少し違うのかな?

・・・・・・

だから、PhaseⅢで有効性を確認するには、PhaseⅡまでとは異なる手法が必要だったのかも知れません。だいたいアデュカヌマブが狙っていたのは、アルツハイマー病の初期の段階での薬効です。認知症が進行した状態や神経細胞のネットワークが破壊された段階なら確認することも容易でしょうが、初期段階では効果があるのかどうか、簡単には判断できないはずです。認知症と言ったって、病的なものもあれば、老化に伴って普通に現れる病気とは言えないものもあります。認知能力は、中年後期あるいは老年期に入れば、個人差も大きくなってきます。

・・・・・・

余談ですが、最近は、後期高齢者には、運転免許の更新の際に、認知症か否かを調べるテストがありますが、すこぶる評判が悪いそうです。「俺が耄碌したと言うのか?」とばかりに、自尊心を傷つけられて怒ることもありますが、こんないい加減なテストで自分の脳みその能力を推し量られてたまるか!という憤りもあります。どうせ、テストをするなら、大学入試のレベルの問題を出せよ!と言いたい人もいるでしょう。

・・・・・・

誰だって、自分が衰えたとは思いたくありません。初期のアルツハイマー病か否かを調べると言われれば、痛くもない腹を探られたくはありませんし、「自分は正常で認知能力に衰えはない!」と訴えたくなります。

そう思うであろう多くの被験者を対象にしたPhaseⅢの試験は難しいはずです。

・・・・・・

多くの被験者のデータを集めても、従来の統計解析の手法では、果たしてアルツハイマー病の治療や進行抑制に効果があったのか、判断に苦しむはずです。

私見ですが、このような数値化の難しい現象の解析手法は多くあります。従来の因子分析の理論に、ファジイ推論の手法を融合させた新しい解析手法を用いれば、この問題はクリアーできると私は思います。

・・・・・・

もし私が仕事に忙殺される身の上でなく、修士課程の学生だったら、ぜひトライしてみたいテーマです。でも63歳の私の脳みそでは、もう無理かな? 

ああ、早く頭を良くする薬に登場して貰いたいものです。

 

「遅かりし由良之助!」ならぬ、「遅かりしアデュカヌマブ!」になってしまうかも知れません。 でもゆっくりと老いて、認知能力の衰えを噛みしめなら穏やかに生きていくのもまた幸せかも知れません。 私にはよくわかりませんが。


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。