SSブログ

【 身体髪膚これを父母に受く 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり その2 】 [雑学]

【 身体髪膚これを父母に受く 敢えて毀傷せざるは孝の始めなり その2 】

 

りゅうちぇる君は、妻と我が子に愛情を注ぐ、幸せいっぱいの男性と、温かい家庭のイメージを売り物にしたいようです。実際、彼の笑顔は彼が優しい男性であることを表しています。しかし、問題はその後です。家族への愛情を他人に見せつけることの是非、それを形にして示さなければならないという発想が、多くの人に理解されません。

・・・・・・

かつて直截的な愛情表現は第三者にとっては「臆面もない」ものであり、慎むべきものでした。例えば、作家の川口松太郎が妻の「三益愛子」を病で失った時、「愛子愛しや」という追想作品を出版しました。もともとあまり上品な文学を書く人ではありませんでしたが、読者は「なんと臆面もない表現だ」と眉をひそめた訳です。

・・・・・・

どうでもいいことですが、「臆面もない」を英語で表現する方法を知りません。もともと英米人は「臆面もない」という概念がないのかね?

・・・・・・

りゅうちぇるは、自分の愛情を目に見える形、しかも永続性のある形にして示したかったようです。それが刺青だった訳です。

確かにアメリカ人などは愛情表現を目に見える形にしたがります。私の米国時代の記憶をたどります。彼らのオフィスの机の上には必ず家族の写真がありますし、夫婦は、人前で普通に抱擁し、接吻します。誕生日や結婚記念日には、いい年をした夫婦がプレゼントを交換します。私は聞いたことがないけれど、アメリカ人の夫は妻に、のべつ「愛してる」と言わなければ許されないようです。

・・・・・・

そういう目に見える形で愛情を示さなければ、安心できないのか? 彼らの家族愛とは、そこまで危ういものなのか? 私はいぶかしく思いました。実際、アメリカ人夫婦の離婚率は日本人夫婦のそれよりかなり高かったのです(当時)。

・・・・・・

でも日本人は違います。りゅうちぇるだけでなく、妻子を本当に愛している男性は、多分日本に何千万人もいますが、彼らは日常的に抱擁したり、さらには名前の刺青をしたりしません。それは日本人が含羞の文化を重んじるからでも、愛情表現が下手だからでもありません。多分、愛情を目に見える形にする必要を感じないからです。

・・・・・・

日本人の心の底にある、形あるものを信じない、そして永続的な存在を信じない仏教の精神があるからだろうと思います。これはまだ、りゅうちぇる君には多分わからない。

・・・・・・

人生も後半戦になるといろいろな事に気づきます。時には、目に見えるもの、あるいは形あるものが「虚」であり、目に見えないもの、あるいは形のないものこそが「実」であり本質であることを思い知らされたりします。

・・・・・・

初めて般若心経を読んだ時、私は「色即是空、空即是色」の意味が理解できませんでしたが、今は、目に見えるものは空、見えないものこそ実・・という意味なのか・・と勝手に解釈しています。人と人の愛情などは、まさに目に見えない「実」の典型でしょう。それを無理やり、形にしようとしても空々しいだけです。

・・・・・・

そしてその愛情の証を永遠なものにしたい・・という考えが刺青を思いついたのでしょうが、無常観の中に生きる我々には、永遠なものというのも同じく空空しいだけです。

・・・・・・

りゅうちぇる君には不愉快で失礼な質問だろうけれど「君の妻への愛情は永遠のものかね?」と尋ねたいところです。永遠の愛を誓った沖縄出身の大物タレント達も、離婚したり、配偶者の不貞(不倫)に苦しんだりしています。君達もいつか離婚するのではないかね?その時は肩に彫り込んだ刺青を、レーザー光線で焼き消すのかね?

・・・・・・

聞くならく、レーザー光線で刺青を焼き消すのは、さほど痛くはないそうだけれど、りゅうちぇる君が、刺青を消す時は、さぞかし痛いだろうね。勿論、痛むのは肉体ではなく心です。堅気の人も凶状持ちの人も、刺青を入れた人の多くが、後で後悔するそうです。その後悔は即ち、焼き消す時の心の痛みになります。

 

でも逆説で考えれば、その深い後悔をもたらすことで、人生を理解させる・・それが刺青の価値かも知れません。

りゅうちぇる君が後悔しないで済むことを祈ります。


nice!(1)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。