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【 誰がゴンドラの歌を選んだのか? 】 [映画]

【 誰がゴンドラの歌を選んだのか? 】

 

加藤剛や浅利慶太、常田富士夫の訃報に隠れて、あまり大きく報道されませんが、脚本家の橋本忍が亡くなりました。

https://www.asahi.com/articles/ASL7L6T15L7LUCLV022.html?iref=comtop_8_03

御年100歳の大巨匠の死で、衝撃を受けるとすれば、映画ファンでも年配の方かも知れません。しかし昭和の日本映画界において、彼の存在は、黒澤明と並んで、巨大でした。

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そもそも、私には映画監督と脚本家の境界線がよく分かりません。ひょっとしたら不可分な存在かもしれません。両者の仕事は分かれているようで、重なっている部分もあり、監督が脚本を書く場合、脚本家がメガホンを取る場合、さらに言えば、プロデューサーをする場合もあります。いい映画とは、肝胆相照らす仲の監督と脚本家が一緒に練り上げて制作するものだ・・と私は考えます。

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例えば、小津安二郎は脚本家野田高梧とのコンビで名作を量産しました。撮影前に2人は旅館に缶詰になって、一緒に脚本を完成させたのですが、野田高梧は遠慮なく小津にアドバイスし、不評の作品(例えば、「風の中の牝鶏」)には批判を加え、それを小津は受け入れ、次回作をより良い作品にするヒントにしました。

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話を橋本忍に戻します。彼と黒澤明のコンビは、「七人の侍」など、7本の傑作を生みだしました。どれも映画史に残る作品です。しかし、黒澤明は、橋本忍と組まなくても、傑作を作っています。一方、橋本忍も野村芳太郎らと組んで、やはり傑作を作っています。両方とも才能の塊だったのです。そうなると、名作映画のどの部分が、黒澤のアイデアで、どの部分が橋本なのか?が気になります。

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連続TVドラマ「泣いてたまるか」や、初期の「男はつらいよ」では、脚本家が作品によって異なり、それらを比較することで、脚本家の個性の違いを確認できます。しかし、黒澤明作品の映画で、橋本忍固有のセンスを見出すのは、かなり難しいかも知れません。ひとつだけ言えるのは、名優志村喬の演技は、彼の脚本で特に輝いたということです。

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志村喬は、恐るべき戦術家の侍を演じても、哀感漂う市井のサラリーマンを演じても、見事に演じきる俳優でしたが、橋本忍が用意した「決め台詞」とも言うべき一言が印象に残ります。

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名作「生きる」では、余命を知った主人公が、夕焼け空を見て「ああ、美しい。だが私には時間がない」とつぶやきます。美しい夕焼けを見て、感慨にふけった記憶は誰もが持っています。しかし、美しい風景に感動するその背後に、無常観と焦燥感と絶望の暗闇が広がっていた経験を持つ人は稀でしょう。しかし志村喬は、短いせりふをつぶやくだけで、それを表現し、観客に理解させました。それをさせたのが、黒澤明なのか橋本忍なのか、私には分かりません。

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今もガンで亡くなる人は多く、自分の余命を噛み締めながら生きる人が多くいます。しかしそうでない人にも、夕焼けの違う美しさを、この映画は理解させたのです。

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そして、終盤、雪の降る公園のブランコで、志村喬はゴンドラの歌を、低い小さな声で歌います。それを見た私は、他にもっとふさわしい歌は無いか?と考えましたが、思いつきません。「ゴンドラの歌」が最もふさわしい歌なのです。この歌を選んだのは誰か? 監督か演出家か、それとも脚本家か? この歌を見出し、名優に低い声で歌わせた監督と脚本家を私は尊敬します。

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「生きる」のようなシリアスな映画だけではありません。「七人の侍」では、同じく志村喬に重みのあるセリフを語らせます。野武士を退治した後、加東大介に向かって「今度も負け戦だったな」と言います。きょとんとする加東大介に向かって「勝ったのはわしらではない。あの百姓たちだ」と語るそのセリフに観客は、アッと驚きます。

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封切りされたのは、まだ日本が戦後だった時代で、人々には敗戦の記憶が強く残っていました。あれだけ戦に一所懸命だった主人公の侍たちには、勝利など最初から存在しない。勝利は常に他者のものであったという・・・という説明は、妙に日本人の腑に落ちたのではないかと私は思います。あのセリフが、「七人の侍」をただの映画とは違う存在にしています。

あのセリフは黒澤明の書いたものなのか? 橋本忍が書いたものなのか?私はそれを知りたかったのです。

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「七人の侍」のリメーク品と言える西部劇の「荒野の七人」には、その種のセリフは無かったようです。「七人の侍」から一部影響を受けた「スターウォーズ」にも、その種のセリフは無かったようです。ストーリーや映像は真似できてもセリフはあまり真似されません。

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黒澤明の真似はされても、橋本忍は真似されないのかも知れません。

今頃、天国で黒澤明や志村喬、淀川長治らと再会した橋本忍はこう語っているかも知れません。

「今度も負け戦だったな」

「勝ったのはわしらではない。我々の映画に感動した観客、そして我々の映画に影響され、名作映画を多く作り出した、後輩の映画人たちだ」

 

合掌


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