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【 截金(キリカネ)ガラスの魅力 】 [雑学]

【 截金(キリカネ)ガラスの魅力 】

 

私は石川県金沢市の出身です。そしてこの町はいろいろな工芸美術で長い伝統があります。その中で、金沢で盛んな金箔や金粉、砂子、金泥を用いた装飾技術と、輪島塗や山中塗の漆塗りを組み合わせた、石川県ならでは伝統工芸、即ち沈金、蒔絵、螺鈿などが有名です。

ちなみに、他界した私の母は、あまり金ピカでない上品な沈金が特に好きでした。

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しかし、金箔工芸の中で、金沢には無く京都にのみ存在するものがあります。それが截金(キリカネ)です。仏像の衣装の文様などに用いられる幾何学模様を細線にした金箔で描くもので、その繊細さと金色があまり目立たない上品さがすてきです。しかし金沢育ちで京都には縁が無い私は、截金の装飾をした仏像を見る機会がありません。だからあまり興味が無かったのですが・・・。

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截金を仏像にではなく、ガラスに施した截金ガラスなる芸術品があることをTVで知り、これは面白いと思いました。早速ネットで調べると、沈金を超える繊細さ、ガラスの透明感と金属の明るさのコントラストが目に映ります。

https://akane-glass.com/

(済みません、著作権の理由で写真を載せられないので、URLを書きました)

精密で幾何学的なガラス工芸というと、薩摩切子や江戸切子を連想しますが、その上を行く精密さときらびやかさです。

「これは素晴らしい、一度、現物を見てみたい・・」と思いましたが簡単ではありません。

截金ガラスを製作する芸術家はほぼ一人しかおらず、京都のアトリエで製作される作品は多くはありません。

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截金ガラスの作家である山本茜氏は、金沢生まれだそうですから、やはり金沢の金箔工芸の流れを汲んでいるのか?と思いましたが、さにあらず、彼女は大阪の高校を卒業して京都の大学で美術を学んでいます。そして京都の截金作家の元で修業しています。

なんだ、金沢は関係ないのか・・と、ちょっとがっかりですが、ガラス工芸は富山の学校で学んでいます。やっぱり北陸の工芸技術を基礎においているのかな?とちょっと期待したりもします。 やはり現物を見なくては分かりません。

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お正月の気分が残る16日、私は栃木県佐野市の、吉澤記念美術館を訪問しました。そこでは「キラメク工芸 カガヤク日本画展」という名の、金箔を用いたキラキラ美術品の展覧会を開いており、山本茜氏の作品が4点、展示してあったのです。

ただし、美術館の所蔵ではなく、寄託品となっています。

スキャン_20180115m.png

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彼女の截金ガラスだけでなく、金箔を多用した多くの芸術品が並んでいますが、板谷波山の陶芸品と同じ部屋に展示された、彼女の作品はやはり別格です。(板谷波山も金沢にゆかりのある作家ですが、彼とその作品については、稿を改めて報告したいと思います)。

http://www.city.chikusei.lg.jp/data/hazan/top.html

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山本茜氏の截金ガラスは、「二人静」と題した菱形の作品1点と、源氏物語にちなんだ名前を付けた作品3点「桐壺」「藤裏葉」「御法」ですが、その緻密な造形と美しさに圧倒されるだけでなく、いろいろな疑問点が湧いてきます。

「彼女はいったいどんな技法でこの作品を作ったのだろうか?」

・・・・・・スキャン_20180115 (2).png

 

そもそも論で言えば、高温では金属とガラスの相性はよくありません。溶けた鉄と溶けたガラスは、表面張力の関係で反発します。製鋼工場ではその性質を利用し、溶けた鉄の上にスラグという一種のガラスを載せて、介在物を吸着したりします。また圧延工場では絞り加工する際に、ガラスを一種の潤滑材として用います。つまりガラスは鉄にくっつきにくいのです。それにガラスと金属では熱膨張率も違います。降温過程で剥離します。

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金箔や銀箔を高温のガラスに貼り付ける手法は以前からあります。藤田喬平氏が製作するガラス箱は、管の先の赤熱したガラス塊を金属箔に押し付けて接着させる手法ですが、ガラスの変形に伴い、金属箔は破れて、バラバラに千切れます。そして箔の表面は酸化で変色します。出来上がったガラス箱は、その模様が面白いとも言えるのですが、繊細とは言い難い表面です。

https://www.ichinobo.com/museum/

今回の美術展にも飾筥が出品されています。

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でも截金ガラスは全く違います。表面張力も金属箔面の酸化も関係ありません。

彼女が、細い筋状に刻んだ金箔とガラスを密着させたのは、高温ではなく常温に違いない。

そうすると、ガラス用の接着剤あるいは水ガラスを使用したのだろうか?

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でも普通、クリスタルガラスに用いる鉛ガラスと、凝固した後の水ガラスは屈折率が異なり、接合面ははっきり見えてしまいます。でも、彼女の作品では接合面が全く目立ちません。

彼女はどんな方法を用いているのだろうか?それに彼女の作品の「御法」などを見ると、接合面は湾曲しています。2つのガラスを研磨し、曲面をピタリと接合するのは容易なことではありません。しかもその間に金箔を挟むのです。

彼女が使用するガラスは普通のクリスタルガラスではないのだろうか?

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疑問は次々に湧いてきます。

柔らかい鉛ガラスであるなら、筋状に疵を付け、そこに金粉や砂子を埋め込んで、沈金にできるのではないか? その場合、截金と沈金のどちらが美術品として面白いかな? などと妄想をたくましくします。

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しかし、それ以上に気になるのは作品の名前です。京都にアトリエを置いて、京都の大学で教鞭をとりながら製作を続ける山本茜氏は、源氏物語の世界に強くインスパイアされて、作品を続けます。しかし、その作品と源氏物語の名前が私にはしっくり来ないのです。

「桐壺」はともかく「御法」の段は、悲しく寂しい物語です。景色は秋で、紫の上がこの世を去る悲しみのストーリーで、作品は、秋の哀愁に満ちた色合いがふさわしいのですが、彼女の作品「御法」は華やかできらびやかです。ちょっとしっくりしません。

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私の発想は、至って単純、かつ幼稚です。春ならピンク色、秋なら紅葉の色、冬なら白と黒と、勝手に色を決めたくなります。しかし、彼女の作品はそうではありません。

なぜなのか?

「どこかで質問する機会があればいいのに・・」と思いながら、美術館を出ようとすると、

学芸員の女性が話しかけてきました。

「たしか、昨年、山本茜さん本人がこの美術館に講演にお見えになりましたよ。残念ながら今年はその予定はないのですが・・・」

(しまった、それは惜しいことをした)と思いながら、(いや会わない方がいいかも知れない。作品だけを見て素直に感動すればいいので、作者から、言葉での説明を受けるべきではない)と思いました。

そしてもう一つ、作者に会いたくない・・と思ったのは、作者が美しい女性だったからです。(いらぬ雑念が入って、截金ガラスに抱く思いが影響を受けても詰まらない)。

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作者が美しい女性であっても、年老いた男性であっても少年であっても、截金ガラスの価値は違わないのですが、私の場合、惑わされる恐れがあります。

(やれやれ、まだまだ修行が足りない)。 そう思いながら、私は冬の陽光が光る道を駐車場に向かいました。


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