SSブログ

【 濁り酒 】 [中国]

【 濁り酒 】

 

白楽天が詠んだ漢詩を少しずつ読んでいます。官僚生活が長かった彼の詩には宮仕えをする男の哀歓など詠み込まれ、現代のサラリーマンとのアナロジーができて面白いな・・と思ったります。

・・・・・・

その彼の詩に、「府酒 變法」という不思議な作品がありました。

https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BA%9C%E9%85%92%E4%BA%94%E7%B5%95%EF%BC%9A%E8%AE%8A%E6%B3%95

 

白紙文集 第58巻 第2896

 

府酒 變法    (日本語は恥ずかしながら、私の解釈です)

 

自慙到府来周歳  赴任地に到着してから一年。

恵愛威稜一事無  民を愛し慈しみ威厳を持って接するも何ら業績を上げていない

唯是改張官酒法  ただ、一つだけ実現したのは酒の造り方を改善したことだ。

漸従濁水作醍醐  これで濁り水のような酒がようやく醍醐の味になってきた

 

官僚が自分の拙い仕事を恥じ、しかし、そう言いながらこれだけは成し遂げた・・という実は自慢話・・は、漢文でしばしば見かけるパターンです。白楽天は赴任先の地酒の品質を上げたことがうれしいようです。

・・・・・・

しかし、その内容がよく分かりません。白楽天は杜氏でもなければ醸造技師でもありません。文科系の官僚である彼ができることは、劣悪な酒を取り締まることや酒税法の改正ぐらいです。それで酒の品質は良くなるのか?

・・・・・・

唐時代の中国の酒は発酵酒で、今の日本の白酒程度のアルコール度数だったのではないか?と思います。 だから「李白一斗詩百篇」と聞いて、李白は酒を一斗飲んでも平気だったのか・・と驚くほどのことはありません。ただし、品質の悪い発酵酒では悪酔いしたでしょうが・・・。

・・・・・・

ではこの時代の酒の品質を良くする・・としたら、どんな事が考えられるでしょうか?

かってに想像します。

1. 酵母の管理をもっと洗練させて、品質の安定した醸造酒にする。

醸造酒と発酵酒は本来同じものですが、工業的に管理された状態で発酵させたものを便宜的に醸造酒として区別します。ただ醸造技術の向上には、長年に亘るいろいろなノウハウが必要であり、ポッとやってきたお役人が号令をかけて実現するものではありません。

2. アルコールを抽出して濃度を上げた蒸留酒とする。

蒸留装置が必要であり、昔は難しかったと思います。TVドラマの「マッサン」ではウィスキーを国産化しようとするマッサンが、銅製の蒸留塔を作るのに苦労しました。

3. 濁り酒(どぶろく)を清酒にする。

これが興味深い点です。

ひょっとしたら、白楽天は、「どぶろく」から清酒を作るのに成功したのではないか?

・・・・・・

この詩を読んだ時、私はふとそう思いました。

では、実際に「どぶろく」から清酒への切り替えが実現したのは何時の時代なのか?

中国の時代は知りませんが、日本の場合は戦国時代と聞いています。

<以下の説はあくまで俗説であり、多分・・・嘘でしょうが>

・・・・・・

戦国時代、柴田勝家の家来だったある武将が、賤ケ岳の戦いに敗れて、いくさが嫌になりました。そこで侍を辞めて、造り酒屋を始めたそうです。当然、造るのは濁り酒(どぶろく)です。ある日、雇っていた小僧を何かの理由で叱りつけたところ、反発した小僧が、店を飛び出しました。その際、嫌がらせに灰をひとつかみ握って、酒の入った甕(かめ)に投げ込んで、走り去ったのです。主人は、苦り切った表情で「やれやれ、酒が一瓶分ダメになってしまった」と嘆きながら、その瓶を覗き込んでみると、なんと白濁していた液体が清水のように澄み渡り、透明な酒が出来上がっていた・・というのです。 それが日本の清酒の始まりとか・・ほんとかね?

・・・・・・

一体、何が起こったか? 中学あるいは高校時代の化学を思い出せば、想像ができます。濁り酒を不透明にしている粒子は疎水コロイドだったのです。コロイドとは流体中に浮遊する直径数十ミクロンくらいの粒子群です。不透明な牛乳もお醤油もコロイド溶液です。不透明な液体がコロイド溶液か否かを確認する簡単な方法は、光線を当てた時に、その光条が筋として見えるチンダル現象があるかどうかです。

・・・・・・

コロイドは疎水コロイドと親水コロイドの2種類に分類されますが、疎水コロイドは少量の電解質を加えることで、すぐに凝集して沈殿します(凝析と言います)。多分、小僧が投げ入れた灰はアルカリの電解質ですから、濁り酒のコロイド粒子はすぐに凝析して透明なお酒ができたものと思われます。

・・・・・・

現代の清酒は、もちろん電解質を入れたりせず、フィルターで濾過している訳ですが、この濾過というのがそれほど簡単ではありません。試しに牛乳やお醤油を布やろ紙で濾過して、透明になるか確認されてもいいかも知れません。 布が醤油色になるだけで、お醤油は透明にはなりません。

・・・・・・

清酒が登場した後、濁り酒は、なんとなく未完成のもの、あるいは粗雑な二級品のように扱われてきたようです。これは日本だけでなく、多分、外国でもそうだったのではないか?と思います。

・・・・・・

島崎藤村の「千曲川旅情の歌」には「濁り酒濁れる飲みて草枕しばし慰む」という一節があります。 旅先の決して上等ではない環境の中で、我が心を慰めようとする屈託を表していますが、ここは濁り酒(どぶろく)でなければならないのです。

草を枕にし、飯を「椎の葉」に盛らねばならぬ不自由さが旅なのであり、鬱屈した旅人は清酒を飲んではならないのです。

・・・・・・

一方、若山牧水の

「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり」の方は、多分、清酒です。 

彼は自分の歌の中で、お酒を白玉に例えていますが、白玉とは透明な水、または白露であり、不透明な濁った存在ではありません。 (多分、そうだと思います)。

・・・・・・

実際、この詩の中で、牧水が口に含むお酒が清酒か「どぶろく」かによって、随分、詩の趣は変わってきます。清酒である方が、この詩をすんなりと理解できます。

・・・・・・

今、時代は変わり、日本酒の「どぶろく」もワインの「濁りワイン」も独特の風合いが珍重されて市民権を得ています。濁り酒を飲むのは決して屈託を抱えた酒飲みだけでなく、お酒を本当においしいと思う愛飲家です。

IMG_1408.JPG

・・・・・・

そして思うのは、清酒と「どぶろく」、この2種類のお酒を、それぞれに楽しめるのはありがたいことだ・・ということです。 そしてこの2種類のお酒を造った先駆けが、酒を愛した詩人白楽天だというなら、これも面白いことだと思います。

 

もっとも、この辺りは、ただの一篇の漢詩から私が考えた妄想なのですが。


nice!(1)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。