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【 金沢文庫 その2 】 [雑学]

【 金沢文庫 その2 】

 

前のブログで申し上げた通り、白氏文集で最も重要な資料は、金沢文庫本と呼ばれるもので、それについて知るために、昔暮らした横浜の金沢区へ行くことにしました。

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8月下旬、金沢文庫へ向かう電車の中で考えます。

50年以上前、私は文庫小学校に通う児童でした。金沢文庫がある称名寺とその背後にある「ぼうず山」は駆け回って遊ぶ遊び場でした。称名寺の境内にある池ではザリガニ釣りが楽しめ、国宝だったか重文だったかの梵鐘は、子供が悪戯で撞いても、誰も叱りませんでした。

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その境内には陰気臭いコンクリート造りの建物が一つありましたが、そこだけは子供達に縁のない世界でした。小学校では、あれは金沢文庫という大昔からある図書館で、北条実時という人が建てたのだと教わりましたが、悪童達は反論しました。

「嘘だぁ。建てたのは大工さんに違いないし、鎌倉時代にコンクリートがあるかよう?」

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その金沢文庫には、私が横浜を離れた年に一度だけ訪問する機会がありました。父が急逝し、そのお葬式に親戚が集まったのですが、金沢から来た国語教師だった伯母と、神戸から来た従兄(伯母の子供)が金沢文庫を見たいと言い、私もそれにくっついて入ったのです。

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しかし、さっぱりでした。小学生に理解できるものは一つもありません。漢字ばかりで全く読めない古文書や経典(らしきもの)、それに仏像が並ぶだけで、陰気臭いと思っていた外観以上に中は陰気な世界でした。

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しかし、その中にひとつだけ、子供にも理解でき印象深いものがありました。鳥羽僧正が描いたとされる鳥獣戯画で、ウサギやサル、カエルが登場する、おなじみのカリカチュアです。

それだけが印象に残りました。

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現代に戻ります。

それにしても不思議だ・・・。鎌倉時代の初期、鎌倉周辺で人気があったのは臨済宗の禅です。鎌倉五山と言われる、禅寺がぐるりと鎌倉の三方を囲んでいます。(ちなみに、残りの一方は海です)。しかし、称名寺は真言律宗で、その別格本山となっています。

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鎌倉から称名寺つまり金沢文庫へ向かうには、臨済宗の大本山である円覚寺の裏山から朝比奈峠を経て六浦へ抜ける形になります。なぜ鎌倉の市内に設けなかったのか?禅宗の寺の裏を抜けて真言宗の寺にたどり着くという配置は何を意味するのか? 称名寺は秘密にする必要があったのか? 興味深いところです。

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広島の眼科医であるS居士は、「真言宗と禅宗には共通点があります」と言われます。なるほど・・とも思いますが、勉強の足りない私にはそれに相槌を打つことさえできません。いつか理解できたらブログに書こうかな・・なんて考えているうちに快速特急電車は金沢文庫駅に到着しました。

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駅から称名寺までは散策するのにちょうどいい距離です。ぼうず山は名前が変わり、しかも宅地開発されて、昔の面影はほとんどありません。 称名寺の庭園の借景に使われている部分だけが、自然のままで残っている有様です。

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少し、残念な気持ちで、素晴らしい仁王像が並ぶ山門をくぐり、称名寺に入ると、気づきます。 「あれっ?金沢文庫が無い」

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実はかなり前に旧館は取り壊され、防空壕の向こう側にあった書庫のあたりに引っ越していたのです。称名寺の境内からは山の反対側に位置し、近代的な建物が庭園の風景に入らないようになっていました。 その立派な新館に近づこうとすると、立ち入り禁止のテープが張ってあります。 あの刑事ドラマの事件現場に張ってあるテープです。「これはどういうことだ?」

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説明書きを読むと、「8月は虫干しのために休館しているとのこと。書庫は燻蒸処理をしているので、決して立ち入らないこと。91日にオープンします」と書いてあります。

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この燻蒸処理は、以前このブログで紹介した輸入コンテナを対象としたものではありません。たぶん、古文書などを蝕む紙魚(シミ)やヒメマルカツオブシムシを退治するもので、高温多湿の夏に燻蒸処理するのはある意味当然です。

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しかし・・・、「学生や研究者の中には、夏休みを利用して、文献調査のために金沢文庫を訪問したい人もいるだろうに、その8月に休館するなんて・・・・。本当は学芸員が夏休みを取りたいからではないのか?」と、思わず、愚痴りたくなります。

でもそれ以前に、インターネットの申し子を自認し、なんでもインターネットで情報を仕入れてから行動する私が、休館日に気づかずに、ノコノコやってくるなんて・・という自分の愚かさにちょっと腹が立って、不愉快になりました。

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そういうことで、空振りだった、私は9月中旬に再び金沢文庫を訪れることにしました。

以下 次号


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【 キタアカリ 】 [雑学]

【 キタアカリ 】

 

仙台で地球物理を勉強している次男が、関西地方で開かれた学生向けのシンポジウムに参加し、帰路に東京を通るというので、途中下車して3人で食事を一緒にとることにしました。次男のほかは私と家内です。

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どこかで外食を・・とも思ったのですが、趣向を変えて単身赴任の私のアパートで食事することにしました。その理由は2つあります。

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ひとつは、単身赴任でなるべく自炊したいと思う私ですが、なかなかそれができないという事情です。普段は料理に割く時間も無いし、買い物をしても、野菜も肉も一人分としては量が多く、持て余してしまうからです。でも3人揃うのなら、用意する食材の量としてはちょうどぴったりです。大好きなIH調理器を存分に使えます。だからいい機会だと思ったのです。

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もうひとつは、昔のちょっと苦い思い出です。

私の最初の海外勤務でシカゴに暮らし始めた頃です。普通、駐在員は、住まいを決めて家具をそろえ、すぐに暮らせるようにしてから、日本に残した家族を呼び寄せます。私はアパートは決めたものの、忙しさにかまけて、全く準備不足の状態で家族を待ち受けました。

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オヘア空港に到着した家内とゼロ歳児だった長男を見ると疲労困憊の様子です。徹夜続きで引っ越しの準備をして寝不足のうえ、長時間のフライトと時差ボケで、まさにその有様は太平洋を漂った後に救助されたベトナム難民もかくや・・という状態です。

それなのに、生活設営の準備が不完全な我が家に着くと、すぐに食事の支度を家内に強いた訳で、今思うと大変申し訳ないことです。

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話に聞くと、同僚の駐在員は家族が到着する前に、掃除などの準備を全て終え、家族が家に着いた時には台所でシチューの鍋がコトコトと煮えていて、何時でも食べられる状態だったとのこと。「うーむ、これは反省しなくては。何時か私の手作りのシチューを家族にふるまいたいものだ・・・・」という記憶がこびりついていたのです。

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近所のスーパーで材料を買い揃えます。いつの間にか、ジャガイモの種類が豊富になっているのに驚きます。そこで、目についたキタアカリという品種のジャガイモを手にとり、買い物かごに入れました。見た目は、男爵イモの系統のようですが、何が違うのか?包丁で2つに切って観察すると、普通の男爵イモよりやや黄色みが強い様です。

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シチューが出来上がって少しした頃に次男が到着しました。京都を出てから何も食べていないので「腹が減った」と言います。そこで早速食事です。

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いろいろ考えて大学院への進学に決めたことや仙台の暮らしのことなどを聞きながら、

「シチューの味はどうだい?」と二人に尋ねます。

「ブロッコリーを鍋に入れるタイミングが間違い。最後に鍋にいれなきゃいけないのに」

「人参の皮を剝いてないけれど、剝いた方がいい」

「せっかく鮭の切り身を入れているけれど、原形をとどめていない」

「マッシュルームの風味が感じられない」

など、辛口の評価です。

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ちょっとがっかりしていると、「でもジャガイモは、よく煮込んであってとてもおいしい」

と最後に取って付けたようなコメントです。

「ジャガイモがおいしいと褒められてもねぇ」と思ったところで、このジャガイモがキタアカリだったことを思い出しました。

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調べてみれば、このジャガイモは北海道の研究所で開発された品種で病虫害(特にセンチュウ)に対して強い種類だそうですが、シチューやカレーにも適しているそうです。 そしてこの研究所は、現在私の長男がジャガイモの研究をしている場所です。

ちょうど今は、ジャガイモの収穫期で、実験農場で息子は忙しくイモを掘っている筈です。

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一緒にシチューは食べなかったけれど、なんだか長男も参加していたような気がしました。 鹿嶋に移動する家内と次男を見送りながら、

「しばらく、ジャガイモはキタアカリを食べることにしようかな。 やっぱり、ジャガイモは北海道に限る」 私はそう思いました。


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【 2017年の壺坂霊験記 】 [医学]

【 2017年の壺坂霊験記 】

 

医用工学をやっている人に聞くと、工学的な面から、障害のある人を支えて、なんとかハンディキャップをなくしてあげたい・・という思いが強いそうです。その思いはいろいろな分野で結実しています。陸上のトラックの上を高速で走れる高機能の義足。紙コップに牛乳を注いで飲むことができる筋電義手。腎臓の機能を機械が行う人工透析もその一種でしょう。

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勿論、視覚障碍者や聴覚障碍者が、そのハンディキャップを感じなくて済む世界も近づいています。聴覚障碍者については人工内耳の研究が進んでいます。

http://www.kikoesupport.jp/wps/wcm/connect/jp/kikoesupport/07_kiki?utm_source=Outbrain&utm_medium=native&utm_campaign=c-jp-dtc-outbrain-pc7-5&utm_content=banner#video

ただ、これは聴覚の神経が生き残っている人が対象になります。

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聴覚に比べるとはるかに情報量が多い視覚の方は、もっと難しいかも知れません。

視覚障碍者を工学的に補助するとなると、アイボみたいなロボット犬の盲導犬を開発するとか、AIを備えた高機能の白い杖を作ればいい・・と私などは思いますが、理想を追求する人は、本物の「画像」を障碍者の脳に見せようとします。

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TVが発明され、イメージオルシコンやビジコンという撮像管が開発されると、頭蓋の皮膚に電気信号を送ったり、脳に電極を埋めて電気信号を送ることで”目が見える“ようにする実験が行われました。ずいぶん乱暴な実験ですが、一部に全盲の人に”ものが見えた“という実験結果もあるそうです。しかし、何等かの刺激を感じたとしても、それが”見えた“と言えるかどうかはなはだ疑問です。

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しかし、今回、富士通とQDレーザーが開発した装置は、本当に“目が見える”ようになる装置です。CEATECでは、経産大臣賞を受賞しています。ただし、対象は全盲の人ではなく、弱視の人(資料ではLow Visionの人という表現を用いています)で、網膜の機能が残存している人です。

http://www.qdlaser.com/index.html

http://journal.jp.fujitsu.com/2016/12/13/01/

http://journal.jp.fujitsu.com/2016/12/22/02/

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ごく微弱なレーザー光線を直接網膜に当てて、視覚を機能させるというアイデアは面白いのですが、4つ気になる点があります。

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ひとつは本当に安全なのかな?ということです。網膜に当てても大丈夫な弱いレーザーだというのですが、それでも何十年も当て続けたら、網膜はいたむのではないか? ただでさえ機能が衰えた弱視の人にレーザー(つまり、コヒーレントで単色の光)を継続的に照射することの安全性を私は危惧します。

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次に気になるのは、「色収差の処理はどうするのだろうか」ということです。

私の母が子供の頃に買ってもらった古い顕微鏡で、ダニを見たことがあります。するとなぜかその小動物の輪郭は虹色にぼやけていたのです。子供向けの、凸レンズが接眼レンズと対物レンズの2枚だけの顕微鏡では色収差が処理されず、輪郭が虹色に見えたのです。

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ご承知の方も多いでしょうが、色収差とは、光の波長によって屈折率が異なることで起こる現象です。もともと、屈折とは、媒体によって光速が異なるために、直進する光が境界で折れ曲がることですが、媒質ごとに決まる光速は波長によっても変わることがあるのです。(光速が秒速30Kmで一定なのは真空中だけです)。

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度数の高いレンズで色収差を解消するのはレンズ技術の大きな課題であり、高級なカメラは何枚ものレンズを重ねることで解消しています。あるいは屈折率の割に色収差が小さい特殊な物質(例えばホタル石)を使う方法もあります。

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人間の眼球の場合、水晶体はレンズとしてほぼ単体と言え、色収差の問題は残ります。しかし、私達が色収差を意識せずに済んでいるのは、脳内で演算して虹色の輪郭を補正しているからではないか?と私は考えます。 この辺り、文献で確認した訳ではないので、オヒョウの無責任な推理ですが・・。

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今回の、レーザーアイウェアと呼ばれる装置の場合、水晶体の屈折を利用せず、直進したレーザーが網膜上をスキャンすることになりますから、逆に色収差はありません。そうなると脳は混乱するのではないか? と私は懸念します。

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次の問題は盲点の処理です。通常我々は2つの眼球からの情報を処理してひとつのイメージを作り出しますから、そこで盲点は意識しなくてもよくなります。

しかし、隻眼のレーザーアイウェアで、しかも精密に網膜をスキャンすれば視野の中央にブラックホールが出現することになります。開発者はこの問題をどう処理するのか? 興味深いところです。

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最後の疑問は、白内障などで水晶体などが白濁し透明度が下がった眼球の場合、網膜に鮮明な画像を提供する光線が届くのか?という点です。前回申し上げたチンダル現象があれば、いかに細いレーザー光線でも難しいかも知れません。

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しかし、気になる点が幾つかあるとしても、そこに拘泥するのは重箱の隅をつつくのと同じです。目が見えるようになるという素晴らしい福音に比べれば、色収差も盲点も些末なことです。特に糖尿病などで後天的に視力を失った方には朗報でしょう。

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私は、昔、大崎にあるソニーの本社でレーザー光線をスキャンする方式のプロジェクターを見学したことがあります。三原色の細くて輝度の高いレーザー光線がスクリーンを走査して映像を出す訳です。日亜化学が窒化ガリウムで青色の発光ダイオードを開発して間もなくソニーも青色の半導体レーザーを完成させており、それから暫く経った頃でした。

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まだハイビジョンしかなく、4Kも8Kも無かった時代ですが、その鮮明さに驚いた記憶があります。ただし光線が目に入ると危険なのでスクリーンに近寄ってはいけないと言われましたが・・・。あの時の記憶に基づけば、レーザースキャン方式なら非常に精細な画像が得られると確信します。

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やがて、レーザーアイウェアにもバリエーションができて、「僕のは4K対応だ」とか、「僕のは8K対応だ」とか、「赤外線対応なので夜でも見えるよ・・・」という具合に裸眼の晴眼者以上の視力をロービジョンの人が自慢できる時代が来るかも知れません。

盲導犬ロボットやAI付きの白杖の場合、最低限、駅のホームの白線と電車の入り口を感知できれば・・と思っていましたが、レーザーアイウェアはその先を行きます。

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秋の夜の冴えわたる満月も眺めることが可能になります。もう名月の夜に座頭の妻が泣く必要はないのです。 

むしろ泣きたくなるのは、仕事が忙しくなって悲鳴をあげる眼科医かも知れません。


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【 濁り酒 】 [中国]

【 濁り酒 】

 

白楽天が詠んだ漢詩を少しずつ読んでいます。官僚生活が長かった彼の詩には宮仕えをする男の哀歓など詠み込まれ、現代のサラリーマンとのアナロジーができて面白いな・・と思ったります。

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その彼の詩に、「府酒 變法」という不思議な作品がありました。

https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BA%9C%E9%85%92%E4%BA%94%E7%B5%95%EF%BC%9A%E8%AE%8A%E6%B3%95

 

白紙文集 第58巻 第2896

 

府酒 變法    (日本語は恥ずかしながら、私の解釈です)

 

自慙到府来周歳  赴任地に到着してから一年。

恵愛威稜一事無  民を愛し慈しみ威厳を持って接するも何ら業績を上げていない

唯是改張官酒法  ただ、一つだけ実現したのは酒の造り方を改善したことだ。

漸従濁水作醍醐  これで濁り水のような酒がようやく醍醐の味になってきた

 

官僚が自分の拙い仕事を恥じ、しかし、そう言いながらこれだけは成し遂げた・・という実は自慢話・・は、漢文でしばしば見かけるパターンです。白楽天は赴任先の地酒の品質を上げたことがうれしいようです。

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しかし、その内容がよく分かりません。白楽天は杜氏でもなければ醸造技師でもありません。文科系の官僚である彼ができることは、劣悪な酒を取り締まることや酒税法の改正ぐらいです。それで酒の品質は良くなるのか?

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唐時代の中国の酒は発酵酒で、今の日本の白酒程度のアルコール度数だったのではないか?と思います。 だから「李白一斗詩百篇」と聞いて、李白は酒を一斗飲んでも平気だったのか・・と驚くほどのことはありません。ただし、品質の悪い発酵酒では悪酔いしたでしょうが・・・。

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ではこの時代の酒の品質を良くする・・としたら、どんな事が考えられるでしょうか?

かってに想像します。

1. 酵母の管理をもっと洗練させて、品質の安定した醸造酒にする。

醸造酒と発酵酒は本来同じものですが、工業的に管理された状態で発酵させたものを便宜的に醸造酒として区別します。ただ醸造技術の向上には、長年に亘るいろいろなノウハウが必要であり、ポッとやってきたお役人が号令をかけて実現するものではありません。

2. アルコールを抽出して濃度を上げた蒸留酒とする。

蒸留装置が必要であり、昔は難しかったと思います。TVドラマの「マッサン」ではウィスキーを国産化しようとするマッサンが、銅製の蒸留塔を作るのに苦労しました。

3. 濁り酒(どぶろく)を清酒にする。

これが興味深い点です。

ひょっとしたら、白楽天は、「どぶろく」から清酒を作るのに成功したのではないか?

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この詩を読んだ時、私はふとそう思いました。

では、実際に「どぶろく」から清酒への切り替えが実現したのは何時の時代なのか?

中国の時代は知りませんが、日本の場合は戦国時代と聞いています。

<以下の説はあくまで俗説であり、多分・・・嘘でしょうが>

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戦国時代、柴田勝家の家来だったある武将が、賤ケ岳の戦いに敗れて、いくさが嫌になりました。そこで侍を辞めて、造り酒屋を始めたそうです。当然、造るのは濁り酒(どぶろく)です。ある日、雇っていた小僧を何かの理由で叱りつけたところ、反発した小僧が、店を飛び出しました。その際、嫌がらせに灰をひとつかみ握って、酒の入った甕(かめ)に投げ込んで、走り去ったのです。主人は、苦り切った表情で「やれやれ、酒が一瓶分ダメになってしまった」と嘆きながら、その瓶を覗き込んでみると、なんと白濁していた液体が清水のように澄み渡り、透明な酒が出来上がっていた・・というのです。 それが日本の清酒の始まりとか・・ほんとかね?

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一体、何が起こったか? 中学あるいは高校時代の化学を思い出せば、想像ができます。濁り酒を不透明にしている粒子は疎水コロイドだったのです。コロイドとは流体中に浮遊する直径数十ミクロンくらいの粒子群です。不透明な牛乳もお醤油もコロイド溶液です。不透明な液体がコロイド溶液か否かを確認する簡単な方法は、光線を当てた時に、その光条が筋として見えるチンダル現象があるかどうかです。

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コロイドは疎水コロイドと親水コロイドの2種類に分類されますが、疎水コロイドは少量の電解質を加えることで、すぐに凝集して沈殿します(凝析と言います)。多分、小僧が投げ入れた灰はアルカリの電解質ですから、濁り酒のコロイド粒子はすぐに凝析して透明なお酒ができたものと思われます。

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現代の清酒は、もちろん電解質を入れたりせず、フィルターで濾過している訳ですが、この濾過というのがそれほど簡単ではありません。試しに牛乳やお醤油を布やろ紙で濾過して、透明になるか確認されてもいいかも知れません。 布が醤油色になるだけで、お醤油は透明にはなりません。

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清酒が登場した後、濁り酒は、なんとなく未完成のもの、あるいは粗雑な二級品のように扱われてきたようです。これは日本だけでなく、多分、外国でもそうだったのではないか?と思います。

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島崎藤村の「千曲川旅情の歌」には「濁り酒濁れる飲みて草枕しばし慰む」という一節があります。 旅先の決して上等ではない環境の中で、我が心を慰めようとする屈託を表していますが、ここは濁り酒(どぶろく)でなければならないのです。

草を枕にし、飯を「椎の葉」に盛らねばならぬ不自由さが旅なのであり、鬱屈した旅人は清酒を飲んではならないのです。

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一方、若山牧水の

「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり」の方は、多分、清酒です。 

彼は自分の歌の中で、お酒を白玉に例えていますが、白玉とは透明な水、または白露であり、不透明な濁った存在ではありません。 (多分、そうだと思います)。

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実際、この詩の中で、牧水が口に含むお酒が清酒か「どぶろく」かによって、随分、詩の趣は変わってきます。清酒である方が、この詩をすんなりと理解できます。

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今、時代は変わり、日本酒の「どぶろく」もワインの「濁りワイン」も独特の風合いが珍重されて市民権を得ています。濁り酒を飲むのは決して屈託を抱えた酒飲みだけでなく、お酒を本当においしいと思う愛飲家です。

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そして思うのは、清酒と「どぶろく」、この2種類のお酒を、それぞれに楽しめるのはありがたいことだ・・ということです。 そしてこの2種類のお酒を造った先駆けが、酒を愛した詩人白楽天だというなら、これも面白いことだと思います。

 

もっとも、この辺りは、ただの一篇の漢詩から私が考えた妄想なのですが。


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【 白楽天と金沢文庫 その1 】 [中国]

 

【 白楽天と金沢文庫 その1 】

 

 

 

還暦を過ぎると、それまでの仕事を整理したりまとめたりする人がいます。私にはまとめるべき何ものもありませんが、研究者だった方は、個人名を冠した「××博士論文集」を作りますし、著述業の方は全集をまとめたりします。我が畏友Y教授も論文集をまとめ始めたようです。そろそろ引退するつもりなのかな? そういえば、どこの図書館の壁際の書架にも、豪華な装丁を施した××全集が並びます。全集には、作者自身が編集したものと、故人になったあとに他人が編集したものの2種類があります。

 

後者にはシェークスピア全集とか夏目漱石全集など、多くの作家の全集がありますが、作者存命の間に完成した全集もあります。

 

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作家の高橋和巳は、30代ですでに全集を作っています。そのあと、彼は胃癌で早世しますが、(河出書房によれば)自分の全集ができたことは彼にとって大きな喜びだったようです。死を予感したのか、それとも、単に30代という異例の若さで全集ができたことに達成感を感じたのか、どちらかは知りませんが。

 

では、存命の間に自分の全集を編んだ最初の文学者は誰か?と考えると、これは白楽天こと白居易ではないか?と私は考えます。彼が自らの作品をまとめた白氏文集は全75巻という大作ですが、それだけではありません。

 

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唐だけでなく平安時代の日本も含めて当時の教養人必読の書となったのです。ではベストセラーだったのか?といえば、そうではなく、印刷技術が無かった当時、手書きで書き写した数少ないコピーを奪い合って読んだものと考えます。

 

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遣唐使が日本に持ち帰った白氏文集のコピーは、まさしく値千金だったでしょう。ごく限られたコピーしかない状態で、白氏文集を読むことができたのは、特権階級あるいは貴族階級に限られたはずです。第一、当時文字を読み書きできたのは限られた人達だけでした。

 

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文字を読解し、貴重な白氏文集のコピーに触れることができ、かつその内容を理解したのは本当にごく一部のエリートだけだったはずです。そして、そのエリートたちの間では白氏文集を読んでいることは、ある種の必要条件でありステータスでした。

 

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そう考えると、清少納言の「枕草子」に登場する「香炉峰の雪いかならむ」という文章も、ペダンティックなエリート自慢の話のように聞こえてしまい、少しがっかりです。中宮定子が「香炉峰の雪いかならむ」と問うたのに対して、清少納言だけが御簾を上げて、白氏文集にひっかけたなぞなぞに答えたというのは、彼女の機知というより、知識のひけらかし、もっと言えば、白氏文集のコピーにアプローチできる特別の立場を自慢しているだけのことです。

 

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同様に、紫式部の源氏物語にも白氏文集が登場しますが、これも同じことです。清少納言と紫式部、二人のライバル意識が垣間見えます。

 

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貴重な文学・文献に触れ、それを読むことができるのは特権階級だけ・・という考え方は近年まで残っていました。1960年代~1970年代、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れましたが、高等教育あるいは教養とはブルジョアのみが独占するもので、それらは否定されなければならない・・ということでインテリは大変な迫害を受け、多くの文献が廃棄されました。中国ではこの2000年の間、繰り返して焚書坑儒が行われています。

 

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文化大革命のせいではありませんが、白氏文集関連の資料で、中国の原典は既に失われ、日本や韓国にそのコピーが存在する・・というものも幾つかあります。いつだったか、その話を中国人の友達としたら「すべての文化について言えるが、中央で失われたり変化した後も、辺縁地域にはオリジナルに近いものが残る」と笑っていました。確かにその通りでしょうが、日本を辺境のように言われて、少し引っ掛かったのを覚えています。

 

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ところで、12世紀の日本の教養人にとってバイブルだった白氏文集ですが、現代はどうでしょうか? オヒョウ自身について言えば、白楽天に関する知識は、恥ずかしい限りです。 長恨歌など、一部の作品は知名度も高く、私自身も読んだことがありますが、あくまでも断片的な知識です。教養のレベルには至りません。彼の作品全体を見渡した知見を持っている訳でもありません。 全75巻の白氏文集の内、私が知っているのは、ホンの数ページかも知れません。

 

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先日の弊ブログで、彼の「黒潭の龍」を取り上げましたが、それも、たまたま聞きかじった(あるいは読み齧った)知識を書き散らしただけです。 それでも自己弁護するなら、これはオヒョウだけではない・・という事が言えます。多分、中国でも同じではないか?と思います。

 

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私が中国で暮らした、江蘇省の南、長江下流の地域は、唐時代、多くの文人が暮らし、多くの詩を詠んだ地域です。この地で人気があり、人口に膾炙しているのは、杜甫、李白、杜牧などで、昆山賓館のロビーには、杜牧の「江南春」の詩が梅の画と一緒に掛けてありました。素晴らしい画です。 でも白楽天の詩はあまり見ません。

 

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人生の懊悩や別離の悲しみを訴えたり、風景の美しさを賛美した詩には、ファンが多いのですが、社会や政治に対する警句や批判を詩にしたり、あるいは男女間の愛情をしつこく表現する詩(長恨歌のこと)にはあまり人気がないようです。

 

詩の種類の問題なのか、詩人の問題なのか、私には分かりませんが。

 

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しかし、白楽天は軽視してよい詩人ではありません。白氏文集75巻(現存は71巻?)は一生をかけて研究する価値のある、巨大な存在です。例えば、仕事を定年で引退した後、白氏文集の勉強に没頭する・・という生き方も、ありかも知れません。12世紀の教養人が聞いたら「まさか九百年後に?」と驚くかも知れませんが。

 

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私自身の興味でいえば、彼の詩作だけでなく、仏教との関わり方も知りたいところです。 当時の唐の知識人は例外なく仏教と関わり、思索の礎に仏教思想を置いていたと聞きます。 杜甫の詩にも「仏教にすがるしかない・・」という詩があります。

 

そして晩唐の頃、新しい哲学として登場した禅宗とも彼らは関りがあったはずです。

 

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道林禅師と白楽天の「三歳児にも判る」という問答は有名ですが、白楽天が禅に帰依した後、彼の作風がどのように変化したか? 禅と漢詩の関係はどうなのか?

 

彼の代表作「長恨歌」には禅の趣は見られません。一方、「心静即身涼」という白楽天の一句は禅に根差したものだと聞きますが、他はどうなのか?気になるところです。

 

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おそらく、唐時代の詩人は禅の影響を受け、また禅も唐詩を取り込んだのでは?と思います。 同じ漢詩でも、宋時代に下ると、蘇東坡の「柳緑花紅真面目」を肯定すべきか、疑うべきか・・という問題が禅の入門者には悩みの種となり、両者の関係は微妙に変化します。

 

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話が脱線しましたが、私には白楽天全体を把握することは無理としても、白楽天と禅の関りを調べることは、我が余生でもできるかも知れない・・・。そう考えました。

 

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そこで文献を調べることにしましたが、日本での白氏文集の研究はやはり京都と首都圏が主体のようです。 最も貴重な資料は、金沢文庫に所蔵されていた白氏文集のコピー(いわゆる金沢文庫本)です。(但し、かつて北条氏がまとめて金沢文庫に収納したというだけで、現在はお金持ちのコレクターが入手してそれぞれの美術館に納めたりしてバラバラになりました)。

 

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それでも、とにかく金沢文庫に行けば、白氏文集に関する多くの資料を閲覧できそうです。

 

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「金沢文庫かぁ」 称名寺と金沢文庫は、私には懐かしく思い入れのある場所です。50年以上前にその町で暮らしていた頃、私は白氏文集も北条実時も知らない小学生でした。 「久しぶりに金沢文庫へ行ってみよう」

 

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私は晩夏の柔らかい陽光が窓から射す京浜急行に乗って、横浜へ向かいました。

 

 

 

以下 次号

 

 

 


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【 大慶油田 】 [中国]

【 大慶油田 】

 

かわぐちかいじの漫画「ジパング」に面白い場面が登場します。この漫画は自衛隊の最新鋭のイージス艦が太平洋戦争中にタイムスリップするという荒唐無稽な作品ですが、部分的に興味深い内容があります。例えば、イージス艦の図書室で、戦後の歴史を学んだ旧日本軍の海軍士官が、中国東北部(旧満州)で発見された大慶油田のことを知って、悔しがる場面が登場します。

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「そうか、満州に大油田があることを知っていたら、(日米の)開戦は避けられたのに・・」。

ご承知の通り、日本はハルノートの要求を受け入れず、さらに米国から石油の輸出を止められて、やむなく真珠湾攻撃に至りました。しかし、当時の日本の年間消費量を上回る産油量が期待できる大慶油田が満州国にあれば、石油の禁輸など痛くも痒くもなかったのです。大慶油田さえ、戦前に見つかっていれば、歴史は変わったのに・・という意見は、説得力があります。

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黒竜江省の大慶油田は、中華人民共和国建国後に、中国が独力で発見し、開発したものです。文化大革命当時、鉱工業の一大成功例として、宣伝に用いられ、「農業は大寨に学べ、工業は大慶に学べ」というスローガンが掲げられました。

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私が学校を出て就職した時、世界の油田で鋼管がどう使われているかを学ぶために、NHKの石油開発の特集番組を見たのですが、そこに中国の大慶油田が登場しました。ナレーションはNHKの勝部アナウンサー(当時)です。

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番組では突発的に噴き出した原油を止めるために、急いでセメントを注入する作業が登場します(もちろんヤラセでしょうが)。セメントの攪拌が間に合わず、思い余った紅衛兵がセメントの攪拌槽に飛び込んで、自分の体でセメント粉と水の攪拌を始めます。強いアルカリが彼の皮膚を刺激しますが、ひるみません。すると、周囲にいた紅衛兵が次々とセメントの攪拌槽に飛び込んで、自分の体でセメントをかき混ぜだしたのです。そうして、セメントの調合ははかどり、原油の噴出は止まり、事故は防がれた・・という話です。

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紅衛兵の英雄的行動のおかげか否かは分かりませんが、一時期、大慶油田は中国経済の発展に大きく寄与しました。経済成長に石油は不可欠ですが、輸入しようにも貧しかった頃の中国には原油代金も大きな負担だったからです。 しかし、大慶油田には大きな問題がありました。

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それは重質油の比率が高く、パラフィンを多く含む・・・、つまり油質が上等でなかったうえに採油も難しかったという問題です。

それぞれの油田で、その埋蔵量と採取可能量と、実際に採取される量には大きな違いがあります。

新しい油田は、自噴しますし、採油にそれほどの難しさはありません。しかし、採油が進むと、圧力も低下し、岩盤の隙間に染み込むように広がった原油を集めて採取する難しさがでてきます。

そこで、リバイタライジングという油田の活性化を行って、再び石油を取り出せるようにします。

具体的には、油井の周囲に高圧で塩水や炭酸ガスを送り込んで、残った石油を油井付近に集め、搾り取れるようにするのです。 これで油田の寿命は倍ぐらいに伸びます。こう書くと簡単なことのようですが、これはハリバートンやシュランベルジェなど、油田操業に独特の経験とノウハウを持つ会社だけが可能な特殊技術です。

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換言すれば、米国など、西側世界の油田だけで高度なリバイタライジングが行われ、旧東側の油田はそうでなかったということです。 旧ソ連を代表する油田だった、第一バクー油田も第二バクー油田も、この技術が無かったために、一説では埋蔵量の半分以下しか採掘できず、短命だったとのことです。 埋蔵量の割には少ない量しか採取できなかったのです。

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そして大慶油田も、その埋蔵量の割に、急激に採油量が減り、中国の石油消費をとても賄えなくなりました。 一方で中国は経済成長とモータリゼーションの進行で、石油の消費量が大幅に増えたのです。 中国は石油輸入大国に名前を連ねることになりました。

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化石燃料全体をみれば、中国は恵まれた国です。 中国には豊富な石炭があり、西域には豊富な天然ガスがあります。(それなのに、東シナ海の日本のEEZの隣接区域で天然ガスを採掘したり、石油資源が予想される尖閣諸島の領有権を主張したり、中国はかなりせこい)。

しかし、石炭と天然ガスは、主に火力発電用で、自動車の燃料にはなりません。やはり石油が必要です。

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20世紀に言われた仮説ですが、もし中国人の所得水準があがって、米国と同じくらいの自動車普及率になり、中国の人々が米国と同じようにガソリンを消費するようになれば、ほんの数年で世界の石油は枯渇し、世界経済は破綻する。 だから、中国は米国ほどには豊になれないし、そうさせてはならない。

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実際はそうではありませんでした。まだ人口当たりの自動車台数では米国に及びませんが、中国は自動車の生産台数も販売台数も世界一です。でも石油は枯渇しません。日本車をはじめ、自動車の燃費もよくなりました。他の産業も省エネが進んでいます。一方、石油資源もそれなりに発見されて、なかなか枯渇には至りません。仮に従来型の油田の埋蔵量が減ってきても、豊富なシェールオイルやタールサンドがあります。

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世界的にみれば石油資源にいくばくかの余裕があるとしても、中国にとっては石油の不足は大問題です。もし、中国が石油を輸入できなくなれば、庶民の暮らしや産業は危機に瀕し、政権は転覆します。だから、中国はインド洋から南シナ海にかけてのシーレーンの確保を急ぎます。シーレーンを守るのは中国の海軍です。

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ジブチに自国の巨大な海軍基地を設け、スリランカの港も勢力下に置き、インド洋をパトロールして、中東から中国の沿海部に来るタンカーを守ろうという訳です。

海路だけではありません。 西域にある大ガス田から沿海部へ天然ガスを運ぶ西気東輸は、完成しましたが、今度は一帯一路と称して、西アジアの石油を運ぶルートの確立に余念がありません。

もはや、中国では石油は自製するものではなく、輸入するものになり、大慶油田の影はどんどん薄くなります。

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そこに、大慶油田の名前が久しぶりに登場しました。中国が北朝鮮に恵んでいる石油が大慶油田から来るのだそうです。

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この油田は、北朝鮮に圧力を掛けたい日本や米国、韓国には迷惑な存在ですが、北朝鮮にとっては命の綱です。今回の水爆実験を受けて、日米韓の3か国は、中国に対して北朝鮮への石油輸出禁止を迫るでしょう。しかし、中国は何等かの見返りが無ければ、絶対に動きません。ひょっとしたら米国は見返りとしてシェールオイルやシェールガスの採掘技術を中国に与えるかも知れません。ちなみに油田のリバイタライジングの技術は既に中国に入っています。

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そうなれば、中国も嫌とは言えず、大慶油田の蛇口を締めて、北朝鮮への供給を止めるかも知れません。 北朝鮮はもはや崩壊に向かうしかありません。戦えば負ける事が自明の戦争ですが、北朝鮮は火ぶたを切るでしょう。 多分戦闘は短期間で終わり、ピョンヤンの金王朝は滅亡することになります。滅亡の間際、金正恩は思うかも知れません。

「ああ、大慶油田さえ我が方にあれば、戦争しなくて済んだのに」。


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