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【 Papa & Mama’s Store 】 [アメリカ]

【 Papa & Mama’s Store

 

今は昔、平成の時代の話です。私が1990年代の初めに米国にいた頃の話です。私達一家が暮らしたのは、シカゴの北の郊外にある町Glenviewです。町といっても小さな自治体ですが、それなりに繁華街というか、目抜き通りがあります。そこには、大手のスーパーマーケットが3軒ありました。Jewel-Osco(スーパーのJewelと薬局のOscoの合弁)、Walgreen(世界最大の小売店チェーンのWalmartのグループ)、Dominic’sの3店で、食料品や日用品はその3店で全て揃います。しかし、それ以外にも小規模な小売店が何軒かありました。夫婦二人で切り盛りする家族経営の小規模なお店で、店内でお惣菜をつくったりパンを焼いたりする店でstoreというよりshopという感じの店です。

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米国では、その種の家族経営のお店を、親しみを込めてPapa & Mama’s Store と呼んでいました。大資本の大規模スーパーに対抗するのは大変で、小回りの利くサービスに努め、地域密着型というか、顔見知りのお客に支えられて、なんとか店を維持する訳です。

米国には、大企業に雇われるのを潔しとせず、小規模といえども、事業主としてお店を経営する人を、それなりに尊敬します。だから小規模小売店も生き残っていけた訳です。

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もし、大規模小売店の安価で合理的なシステムと、Papa & Mama’s Store の地域密着型のサービスの良いところ取りをした、新しいビジネスモデルを作成し、店舗展開できれば、成功するのではないか? 世界初のフランチャイズ型のコンビニエンスストア、セブンイレブンを始めた人は、そんなことを考えたのではないでしょうか?

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そのセブンイレブンをアメリカで見た鈴木敏文氏は、それを日本に導入し、いろいろなノウハウを追加して、日本独自のコンビニエンスストアのシステムを作り上げ、大成功させたのだと思います。本家本元の米国のセブンイレブンが傾くと、逆に日本が応援しています。

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実に多くのものが、米国から導入され、それが日本で改良され、そして米国に里帰りしています。私の出身分野の鉄鋼業の技術もそうですし、QCと呼ばれる品質管理の手法や小集団活動もそうです。そしてコンビニエンスストアのノウハウもその一つです。

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日本でコンビニが普及し成功したのには、幾つも理由があります。その一つは時流に乗ったということです。昭和時代の末、日本でも米国同様、大規模小売店(全国展開するスーパーマーケット)が小売業の世界を席巻し、旧態然とした小規模な小売店は変革を迫られていましたが、資金もなければノウハウもありませんでした。そこにセブンイレブンがフランチャイズシステムを紹介すれば、渡りに船というものです。セブンイレブン側は、酒類の販売免許と駐車場があり通りに面した場所を手に入れることができ、小売店側は少ないお金で店舗を改造し、経営の安定を図れたのでWin-Winの関係ができたのです。

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しかし事態は変化します。コンビニの増加とともに、サービスの質も変化します。また新しいオーナー達が登場します。

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昭和の末期、高度成長が終わった後、民間企業のサラリーマンは一種の閉塞感を感じるようになります。脱サラという言葉が生まれ、勤め人を辞めたい衝動に駆られますが、簡単ではありません。脱サラをして飲食店などを開業しても順調にいくとは限りません。街には「泳げたい焼き君」の歌が流れ、TVでは木下恵介の「二人の世界」が高視聴率を上げていた時代です。

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そこにコンビニエンスストアの本部が、フランチャイズを募集すれば、脱サラ希望者には魅力的に映ったはずです。資金の多くは本部が貸与してくれ、ノウハウも提供する。そして店のオーナー様として祭り上げられ、一国一城の主になれる訳です。

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流通業界で平成の時代に大成功したビジネスモデルを2つ挙げろと言われたら、私は、製造コストが低い中国で生産する一方、日本の厳しい品質管理基準を適用し、そしてブランドイメージの構築に成功したユニクロ(ファーストリテイリング)のビジネスモデルと、フランチャイズ制を導入して、大規模小売店と小規模小売店の長所を融合したコンビニエンスストアのビジネスモデルを挙げます。

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しかし、いい時代は長く続きません。ライバル会社が現れ競争は激化し、そしてコンビニの店舗数は、地域によっては飽和しました。それでも店舗は増え続けます。大資本の論理では、ライバルとの競争でマーケットシェアをいかに奪い、ヘゲモニーを獲得するかが重要です。とにかく店舗数を増やしてライバルに負けないようにすること。そして差別化するには、価格以外でサービスの質を高めること・・・例えば24時間操業の導入です。

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あれっ? セブンイレブンというのは、午前7時から午後11時までの営業という意味ではないのか?と思いますが、いつの間にか24時間開店が当たり前になりました。

昭和の終わり、ステージの三波春夫は感極まって、「お客様は神様です」と口走りましたが、顧客満足度を追求する小売業界では、これはスローガンとしてピッタリでした。お客様の利便性を考えるなら、当然24時間でなければなりません 。時任三郎が「24時間戦えますか?」という声の中でリゲインを飲むCMが流れたのはその後です。

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しかし、それらのサービス強化のしわ寄せは全てオーナー側の負担となりました。店舗数の拡大方針と、現場のサービス強化・・・・本部の無茶な作戦で、いたずらに戦線を拡大し、兵をガダルカナルに送り込んだのはいいが、補給がままならず、最前線の兵士が苦しんだ太平洋戦争のようです。コンビニオーナーの過労死や自殺は、南方戦線で亡くなった日本軍兵士に通じます。

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小売業の最前線では、若年労働力の不足が深刻化し、人手不足がコンビニを襲います。学生アルバイトだけでは対応できません。外国人実習生、専業主婦、リタイヤしたサラリーマンなどを動員して何とか凌ぐことになります。

しかし平成の中頃、景気はさらに悪化し、就職氷河期となります。企業に正社員として就職できなかった若者達は、派遣の非正規社員になるか、腰掛のつもりでコンビニの店員となりました。これが禍根となります。

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昭和の時代、大企業だろうと小企業だろうと、就職すれば終身雇用の保証のもと、勤労者は技術やノウハウを身に着け、自分自身が成長し、生産性が上がり、地位も待遇も上がっていきました。その後、定年退職したあとも穏やかな老後を過ごせたのです。

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しかし、平成時代の非正規雇用の人々、とりわけコンビニの店員はそうではありません。マニュアル通りに仕事することを求められますが、忠実にそれに従ったところで、技術が身に付く訳ではありません。給料が上がる訳でもなく、オーナーになれる訳でもなく、本部に行って昇進する訳でもありません。やがて40代を迎え、自分の子供と同年齢の店員と同じレベルの仕事をし、同じ給料を貰い続ける訳です。彼らの老後の生活を誰が負担するのか?

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この事実に暗澹とする人は多いはずです。コンビニだけの問題ではありませんが、日本経済が抱える時限爆弾の一つはコンビニエンスストアのカウンターの向こう側で時を刻んでいます。

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ではどうするべきか? 私は原点に帰って考えるべきだと思います。原点とはアメリカの片田舎にあったセブンイレブンです。顔見知りのお客と世間話をしながら、子供にキャンデーやソーダ水をサービスし、営業は午前7時から午後11時までのPapa & Mama’s Store です。行き過ぎた日本式が常に正しいとは思えません。日本のコンビニも午後11時までで十分です。

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もっとも、外国を参考にしろ・・と言っても、韓国のコンビニは参考になりません。韓国は絶望的な就職難で、名門大学を出てもコンビニの店員にしかなれないといった話が聞こえてきます。そこで大衆におもねる文政権は、最低賃金を一挙に50%も引き上げましたが、今度はコンビニの人件費倒産が相次ぎます。潰れなくても店員数を絞り込み、店員とオーナーの労働強化は過酷を極めます。一方で失業者はますます増える・・という有様です。

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シカゴ郊外の小さな町、Glenviewの小さな繁華街キャリロンスクエアにあった小さなお店の店主に日本や韓国のコンビニ地獄の話をしたら、何と言うでしょうか? 

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世の中は常に進歩しているけれど、もし平成の時代に間違った方向に進んだことがあるなら、それは昭和の時代に立ち帰って考えるべきです。そして見直しは急ぐべきです。

ぐずぐずしていると昭和を記憶している人はどんどんリタイヤして、いなくなってしまいますからね。


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