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【 おーい、ちょっと待ってくれ 】 [金沢]

【 おーい、ちょっと待ってくれ 】

 

勝ち抜けというか、負け残りというか、勝者から先に席を離れるゲームが幾つかあります。トランプの7並べ、ババ抜き、ページワン、ダウトなどもそうですし、双六(すごろく)などもそのひとつです。

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子供の頃、双六で、どうしても上がれず、先に上がった友達が帰ってしまい、実に悔しく寂しい思いをしたことがあります。忘れていたそんな気持ちを、比較的最近に味わいました。

それは、昔の同級生が相次いで他界したからです。

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ひとりは、去年亡くなった正印克夫君、金沢医療センターの脳神経外科部長でした。もうひとりは今年亡くなった前多敬一郎君で東大教授でした。ふたりとも秀才の名をほしいままにして、自分の道を切り開き、60代になったところで世を去った訳ですが、それまでに、多くの業績を残し、後進を育てた上で、旅立ちました。60代前半の年齢を考えると、まだまだ・・とも言えますが、やるべきことをやって「それじゃお先に」となった訳です。

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実は、私も彼らのような研究者の人生を夢見たことがあるのですが、劣等生で、努力もしなかった私は、早々と諦め、方針転換を迫られた訳です。まぶしい存在である彼らを、かつての同級生と呼ぶことはできても、友達・・ということに少し抵抗があるのは、その複雑な思いからです。

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以前、昭和時代の映像が入ったDVDを売り込むために、戦中派をくすぐる惹句として「秀才の君は死に、凡才の僕は生き残った」というセリフを入れて、特攻隊が散華する映像をCMに流していました。戦中派の人たちには、自分は生き残ったという罪悪感というか後ろめたさがあり、それが死者を美化しているのかも知れません。その琴線に触れることを期待したCMでした。しかし、私が感じた寂寥感というかむなしさは全く違います。

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昭和のコラムニストであった山本夏彦は、「老境に入って、旧友が亡くなった時の悲しさというのは、他人の死を悼む悲しさではない」と奇妙なことを言っています。彼によれば、「旧友を失うというのは、過去の記憶を共有する人物の消滅であり、誰かと共に懐かしい過去を語れなくなるということであり、即ち、自分の人生の一部分を失うということ。自分の人生の一部が亡くなるということであり、自身の部分的な死を嘆いているのだ」という説です。

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これはまだ私には分かりませんが、私が80代になり、同世代の人々が次々と他界するようになれば、あるいは実感が湧くかも知れません。でも正印君と前多君の死がもたらした悲しさ、動揺、寂寥感は、山本夏彦が語る喪失感とも違うのです。

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そんなことを考えながら、寝床で眠りについた後、深夜に私は自分の寝言で目が覚めました。自分の寝言で目が覚める・・ということは滅多にないのですが、その時、私ははっきりと「おーい、ちょっと待ってくれ」と叫びました。しかし目覚めても、それまで私が見ていた夢は思い出せません。記憶しているのは、「おーい、ちょっと待ってくれ」という言葉だけです。 その言葉こそが、二人の逝去に対して私が感じた気持ちを端的に表す言葉なのです。

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そのまま、寝付けず、真っ暗な寝室で少し考えました。ところで今日は次男の卒業式に出るために仙台に行く予定です。

(そう言えば、私は社会人になってからずっと、大学へ帰りたい・・という思いを持っていたな。実際には、大学に残って研究を続ける能力も学力も経済力も全く無かったくせに、どうして分不相応な、大学へ帰りたいという思いを持ち続けたのだろうか?)

仕事が厳しいから、現実逃避で大学へ帰りたいと思った訳ではありません。勉強や研究がそれほど好きだった訳でもありません。ではなぜなのか?

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でも寝言のお陰で、ようやく、自分なりに理由が分かりました。それは、かつて同級生だった、まぶしい秀才達が、大学に残って研究者の道を歩いていたからです。「おーい、待ってくれ。僕も仲間に入れてくれよ」私はそう言いたかったのです。

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私は、将来、今の勤務を終え、年金生活に入った時、改めて大学に入ろうかと思っています。今はやりの言葉で言えば、リカレント教育というやつです。自然科学系の学問は、もう私の頭では無理でしょうから、人文科学系、特に中国の古典(白楽天)などを勉強したい・・という思いは、以前のブログにも綴りました。しかし、よくよく考えてみると、そこには昔の同級生と言うか友達がいる学園に帰りたい・・という思いも根底にあるようです。

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しかし、その同級生達も、そろそろ定年を迎えて、学園あるいは研究の場を離れつつあります。今、例え大学に戻っても、浦島太郎のごとく、誰も知った人はおらず、教授ですら私よりすっと若い世代ということになりそうです。潜在意識下の寂寥感は解消されるのか?

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次男が卒業(といっても、大学院に残るので学部の卒業は通過点)する大学の里見総長は、私よりかなり年上で、この3月に定年退官だそうです。私と同年代の先生方もこれから少なくなりそうです。

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「おーい、ちょっと待ってくれ」と叫んで、私が大学に入りなおしても、みんな「それじゃお先に」と言って、去っていくのか・・。私はさらに暗澹とした気持ちになりました。

では次男の卒業式(正確には学位授与式)はどうだったか・・は次号で申し上げます。


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