SSブログ

【 The grapes of wrath わが心のルート66 その1 】 [アメリカ]

【 The grapes of wrath わが心のルート66 その1 】

 

<今回のブログは、以前書いたものと少し重複していますがお許しください>

 

現役を退かれた先輩諸氏が、かねてから楽しみにしていた計画を実行されるようです。その計画とは、昔の仲間と車を駆ってアメリカのルート66を走破する旅行だそうです。

ルート66というなら、少しばかり私にも思い入れがあります。

・・・・・・

もうずいぶん昔の話ですが、私の初めての海外出張はアメリカでした。その出張の途中、シカゴからインディアナ州にある製鉄所まで、その製鉄所の品管部長だったO’Neilさんの車に乗せて貰いました。その途中、高速道路を下り一般道を走っていると、国道66号線つまりルート66の看板が見えました。

「ああ、これがルート66ですか、日本でも有名ですよ」と、運転しているO’Neil氏に私が下手な英語で話しかけると、彼は「アメリカでも有名ですよ」と答えます。

・・・・・・

年配の方ならご存知かも知れません。TVドラマで「ルート66」という作品があったのです。二人の青年がルート66を旅するストーリーでした。話の内容は忘れましたが、格好いいスポーツカー、豊かな暮らし、広大な大地・・・どれを取っても日本には無いものばかりで、そのTVドラマを見てアメリカにあこがれました。

・・・・・・

「ドラマもいいですが、ナットキングコールの歌もいいですね」と私。ドラマの主題歌は、シカゴからロサンゼルスへ向かうルート66の道沿いの町を順番に並べています。

O’Neil氏は「でも今は、インターステーツ(高速道路)が発達したので、旧道のルート66は廃れて分断され、全部は繋がっていないはすだよ。昔のようにロサンゼルスまでは行けない」と答えます。

・・・・・・

そこで会話が終わってしまいそうだったので、私は知ったかぶりをして、話を進めました。

「しかし私がルート66を知ったのは、TVドラマではありません。スタインベックの小説「怒りの葡萄」を読んだ時に登場したのです。あの小説に登場するルート66も印象的でした。TVドラマとは全く違うアメリカですね」と私。

・・・・・・

O’Neil氏は黙って頷き、「僕も学生時代にスタインベックの「怒りの葡萄」は読んだ」と言いましたが、そこで彼は私の重要な間違いを指摘しました。

”The grapes of anger”ではなく、“The grapes of wrath”だよ。意味は同じだけれどね」

「えっ?wrathという単語があるのですか? Angerとは何が違うのですか?」

O’Neil氏は少し黙っていましたが、「wrathとは、多分、神の怒りなのだろう」とつぶやきました。

・・・・・・

私は混乱しました。「神とは怒るものなのか? 西洋の神様はひたすら優しく許すのじゃないか? 人々は神の怒りを畏れるべきなのか?」

・・・・・・

その少し後、帰国する前の日の夜です。ホテルのTVでは、黒人の合唱団が賛美歌を歌っています。

リパブリック讃歌もその中に入っています。私には歌詞は分からず「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた・・・」というふざけた替え歌しか、思い浮かびません。ところが突然、その中にgrapes of wrathという言葉が登場しました。その部分は聞き取れました。O’Neil氏と同じ発音です。

・・・・・・

ああ、やっぱり、キリスト教の世界でも、神の怒りを人々は畏れなければいけないのか・・と思う半面wrathとは何だろうか?と思いました。なぜ怒りという単語が2つあるのか? ちょうど、罪という言葉にSinCrimeの2つがあるようなものなのか?

・・・・・・

種あかしをしますと、聖書では、人が持つ7つの原罪(Seven Deadly Sin)の3番目にWrathを挙げています。

・・・・・・

アダムとイブの時代にご先祖様が犯した原罪(Original Sin)とCrimeの違いについて高校時代の英語の恩師である岩城谷先生は、説明されませんでした。おそらくは宗教的な内容に踏み込むことになるからだと思います。

・・・・・・

そこで私は勝手に考えます。Sinは残念ながら生まれた時から備えている罪であり、悪しき性質(vice)にもつながります。そしてその悪しき性質が高じるとcrimeを犯すに至るのではないか・・・。しかし神の目にはsincrimeも同じかも知れません。ちなみに東洋の思想には、Original Sinにあたる概念は無いようです。だからSinを表す適当な漢字は無く、苦し紛れに原罪という単語を創作したのだと思います。

・・・・・・

ではWrathAngerの違いはどうでしょうか? 私には何とも言えませんが、聖書の諺には、wrathangerの両方が登場する文章があります。

箴言の第15章の第一節には

“A soft answer turneth away wrath, but grievous words stir up anger“ とあります。 

日本語の意味を示せば、「怒りを込めた表現で話せば、相手も怒りの感情を持つ」というもので、日本を含め各国の政治家に聞かせたい内容です。日本語でもっと簡潔に言えば「物は言いよう」でしょうか? WrathAngerは似ていますが、微妙に違います。しかし、Wrathに相当する概念も東洋には無いのか、うまくあてはまる漢字がありません。だから、WrathAngerも同じ“怒”という言葉をあてたのかも知れません。

・・・・・・

では“grapes of wrath“の意味は何でしょうか? これはヨハネの黙示録に登場する話で、神に選ばれなかった人間をブドウになぞらえ、神の怒りの元に踏みつぶされる・・というものです。なぜブドウが踏みつぶされるのか? 日本では葡萄と言えば、生食用を思い浮かべますが、西洋では基本的に葡萄酒の原料です。葡萄の実は収穫され、人々の足で踏みつぶされて、果汁となるのが当たり前なのです。

・・・・・・

では、神の怒りを受ける人間ですが、それに相当する言葉が東洋にはあるか?と考えると思い浮かびません。あえて言えば、中国の書経に登場する、孽(ニエ:わざわい)という漢字が相当します。東洋には天罰という発想はあっても、天が意図的に人間を苦しめるという発想が無いのかも知れません。この中国の書経についての検討は別稿で述べたいと思います。

・・・・・・

スタインベックの「怒りの葡萄」では、旱魃で農業を継続できなくなった中西部の農民が、カリフォルニアを目指して、オンボロのトラックで旅をします。苦労してたどり着いた後も、地主や国家権力によって搾取されるという運命が待っており、なかなかハッピーエンドにはなりません。 しかしこれが搾取される農民の苦しみやルサンチマンを扱っただけの小説であれば、実に平板なプロレタリア小説になるのですが、スタインベックの場合はそうではありません。人間社会の不条理も描きますが、天のなせる災いについても平等に描き、翻弄される人間の悲しさを冷静に描きます。独特の宗教観を背景に書かれた彼の作品には深みがあります。 やはり”The grapes of wrath”なのです。

・・・・・・

ここで話をルート66に戻します。

では、せっかくルート66を走るのなら、何に気を付けるべきか? それについては、次号でご案内します。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。