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【 移民 難民 ダンケルク 】 [フランス]

【 移民 難民 ダンケルク 】

 

最近、世界中で自国第一主義を掲げる政治家が人気を集めています。米国のトランプ大統領はその筆頭ですし、EU離脱を進める英国のメイ首相、落選しましたがフランス大統領選のルペン候補もその一人です。

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一国の元首や首相が自国と自国民のことを第一番に考えるのは、ある意味当然ですが、その結果の、保護貿易主義の台頭や、移民・難民拒否の広がりは憂慮すべきことです。ここで留意すべきは何等かの理由で母国にとどまれず、仕方なく外国へ逃れる難民と、自由意志で新天地を目指す移民では立場が違い、分けて考える必要があることです。

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難民受け入れ拒否が、最近、欧米の国民に支持される理由は様々にありますが、私はこう考えます。自分達が難民になった経験の無い国の人は、難民に冷淡なのではないか?

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米国は一部のネイティブアメリカンを除いて、全ての人が移民を先祖に持つ国ですが、難民も幾らか受け入れています。ベトナム戦争などの結果、インドシナ半島からの難民を受け入れています。またロシア革命の後、相当数の白系ロシア人を受け入れています。一方、アメリカ人が難民になって外国に逃れた例は殆どないはずです。ベトナム戦争当時、徴兵拒否でカナダに逃れた人はいますが、それを難民とは認めていません。

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一方、英国やフランスも、難民を国外に送り出した例はありません。英国もフランスも新大陸に多くの移民を送り出していますが、難民を送り出した経験は殆どないはずです。しかし、フランスについては、一時期、難民が発生しそうになりました。

それは第二次世界大戦で、フランスがナチスドイツに侵攻された時です。

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映画「カサブランカ」では、ドイツに占領されたフランスのビシー政権を逃れて、米国への脱出を試みた人達がカサブランカに集まっている・・という舞台設定でした。彼らは難民でしたが、これは映画のフィクションの世界です。

そして実際には、多くのフランス人が外国へ脱出しようとして果たせませんでした。それはダンケルクでの苦い記憶として残っています。

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製鉄会社アルセロール・ミッタルは北フランスのダンケルクに大きな一貫製鉄所を持っています。満潮と干潮の差が大きい、日本でいえば有明海のような海岸に臨海製鉄所を設けるのは難しく、岸壁の船は水門の中に入る形です。

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私がこの製鉄所を訪問した時、有名なダンケルクの戦い・・というよりダンケルクの脱出劇の話がでました。英国では「ダンカークの脱出」と呼ばれるこの事件を、名誉ある誇るべき成功例としてとらえています。日本でいえば、ちょうどアリューシャン列島のキスカ島からの奇跡の脱出みたいなもので、迫りくる敵を前に勇敢に行動し撤退に成功した美談なのです。

しかし、フランス人にその話をすると、複雑な表情をします。彼らは言います。

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「我々にとってダンケルクの脱出は、取り残された屈辱の歴史の日ですよ。オヒョウさんは、フランス人も英国に脱出したというが、一体幾人が英国に渡れたというのかね?英国に脱出できたのは、ドゴール将軍など軍や政府の一部の要人・幹部だけで、一般のフランス人は海岸に取り残されたのですよ。ドイツ軍が目の前に迫っていたのに」

「英国は英国軍将兵だけを自国に連れ帰り、フランス人を置き去りにしたのです。だから我々にとっては不愉快な記憶なのです」

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海を挟んで英国側とフランス側で、こうも評価が分かれるのは珍しいことです。これ以外で、私が実際の会話で経験したものとしては、ロンドンとパリを結ぶ特急ユーロスターの英国側ターミナル駅がウォータールー駅(ベルギーの発音ではワーテルロー)になった時の評価ぐらいです(ロンドンのターミナル駅はその後変更になりました)。

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先日、TVを見ていたらNHK-BSのドラマ「刑事フォイル」で、そのダンケルクの脱出劇が背景となる回がありました。面白いと思うのは、英国側でもこれを単なる美談とはせず、苦い記憶とする考え方があることです。英国がこのダンケルクで払った代償も大きく、フランス人が「自分達だけ逃げ帰った」と誹謗するのはあたらないのです。

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問題は、もしダンケルクで一般のフランス人も英国に脱出していたらどうなったか?です。

英国内に大量のフランス人難民が発生していたはずです。戦時下で窮乏生活を強いられていた英国で、かなり肩身の狭い思いをしたでしょう。そして彼らは戦後、フランスに戻り、難民の立場を理解するフランス人になったかも知れません。でもそうはなりませんでした。

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話はかわりますが、昔見た映画で、ドーバー海峡を挟んだ英国(ドーバー)とフランス(カレー)の漁師の友情を描いたコメディがありました。ドイツ軍の占領で、やむなくフランスの漁師が英国の漁師の家に間借りするのですが、二人はことごとく衝突します。例えば朝食の飲み物で、フランス人はコーヒーを希望しますが、英国人は紅茶を希望します。でもぶつかってばかりなのに、やがて奇妙な友情が芽生えるという話です。

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考えてみれば、コーヒーと紅茶の問題ならまだましです。

今、中東やアフリカからヨーロッパに殺到する難民は、宗教・文化・価値観がヨーロッパのそれと全く違います。それが難民受け入れを困難にします。特に宗教が絡むと、「郷に入れば郷に従え」とばかりに、ヨーロッパの生活習慣に合わせろ・・とも言いにくくなります。

受け入れる側も態度を硬化させ、フランスでは女子生徒のスカーフ着用を法律で禁止したりしています。

http://www.diplo.jp/articles04/0402.html

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日本ではあまり議論されませんが、今世紀の世界では、難民問題が特に大きな問題になる見込みです。 欧米で自国第一主義がクローズアップされ始めたのは、この問題の深刻化を敏感に感じ取っているからにほかなりません。

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難民に寛容なドイツや北欧諸国と、難民に非寛容な英国・フランス等の対立は、今後さらに際立ってくるはずで、最悪の場合、EUを維持できなくなります。もしヨーロッパの分裂を避けたければ、難民拒否側の意見にまとめる必要があります。しかし、その場合は、ヨーロッパ自体が世界で孤立する懸念もあります。

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実は日本も難民を出したことはありません。(秀吉の時代のキリシタン弾圧でマカオに逃げたキリスト教徒の難民を除けば)。一方難民を受け入れたことはあります。それは朝鮮戦争の際、戦火を逃れて半島から日本に来た人たちで、多くの“在日”の方達のルーツです。その多くは日本にとどまり、日本社会を構成する重要な一員になっています。しかし、日本政府は彼らへの対処が非常にまずかったのです。 人権問題、差別意識、多くの点で日本の政策は後手に回り、社会に禍根を残しました。私はその理由の一つは、かつて日本から難民を国外に出したことが無く、政府が難民の立場を理解できなかったことだと思います。

だから欧米社会の難民問題に日本はアドバイスする資格がないのです。

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今また、朝鮮半島の情勢は不安定です。文大統領の登場で勃発は遠のいたとする観測もありますが、第二次朝鮮戦争の可能性は残っています。 もし戦争が始まれば対馬海峡がダンケルクになります。日本中の船を釜山に向かわせ、数万人いる在留邦人を救出する必要があります。それだけでなく、避難を求める韓国人を日本に移送する必要があります。日本は英国と違い、自国民だけを救出する国ではないのです。

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それだけではありません。北朝鮮側からも日本を目指す難民が大勢来るでしょう。

http://www.asahi.com/articles/ASK5F3PTHK5FUTFK001.html?iref=comtop_8_06

でも、難民の扱いは難しいでしょうね。前回と同じ失敗をする訳にはいきません。

日本という国と日本社会が試されます。

さしあたり、韓国や北朝鮮からの難民を迎えた場合、飲み物はコーヒーと紅茶のどちらを出せばいいのでしょうか・・と、古い映画のことをまた思い出します。


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