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【 ホロヴィッツ  その2 刑事フォイルについて 】 [イギリス]

【 ホロヴィッツ  その2 刑事フォイルについて 】

退職が近づく初老の警察官、必ずしも思い通りにならない宮仕えの立場、ロンドンではない田舎の勤務、戦時下での窮乏生活、妻を早くに亡くし、息子は遠くに暮らす孤独の日々・・・。 主人公は必ずしも晴れやかな人生を歩む成功者ではありません。 年齢も近い私などは実に感情移入がしやすい設定です。

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初老の勤め人の哀歓を、上品に描いたヨーロッパ映画は他にもあります。イタリアのピエトロ・ジェルミ監督の「鉄道員」もその一つです(高倉健のではありません)。 しかし「刑事フォイル」は、あくまで英国紳士で、不平不満は面に出さず、淡々としている点が「鉄道員」とは異なります。

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警視正という役職は日本なら警察署長の上に位置し、相当の高官ですが、フォイルの場合、多くの部下を持つ訳でもなく、田舎の警察署でひたむきに問題を解決する日々です。異動を希望しても許可されず、反りの合わない上司と衝突して辞表を出したりもします。普通の日本のサラリーマンに似ています。

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彼の高い教養から推測するに、かなりのインテリで、本来はエリートなのでしょうが、暮らし向きは庶民です。 英国は中産階級がいち早く出現した国ですが、フォイル警視正は庶民と中産階級の間に位置する知識階級の人です。貧乏ではないけれど、お金持ちではない。 そして、ある矜持のもと、権力を持つ上流階級の人に対しても臆せず、毅然としています。この人物設定は、現代の多くの視聴者の共感を得るのに好都合です。

なぜなら現代は、日本も英国もそれほどお金持ちではない、しかし矜持を持った知識階級の人が多数派だからです。

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先日、この「刑事フォイル」を見ていて、びっくりしました。主人公のフォイルが、無能で無理解な上官と対立して辞表を出し、警察署を去ったのです。 その時、まさに私も辞表を書いていたのです(形式的なもので、一身上の都合により・・というものですが)。

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フォイルの辞表は実に格調高く、簡潔で適切な文章です。それに比べて私の辞表のなんと無内容なことか・・。 恥じ入るばかりです。 歴史上、最も有名かつ格調高い辞表は、陶淵明の「帰去来の辞」でしょうが、私の辞表はその対極で、くだらない文章の極致です。 フォイルの辞表はその中間辺りでしょうか?

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一方で、フォイルに対して、なぜ「あんたが無能だから部下をやってられない」と本音を語らないのか?というじれったさも感じます。

そう言えば、その昔、「ベンチがアホやから野球をやってられない」といってプロ野球選手を辞めたピッチャーがいました。

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そのピッチャーが「ベンチがアホやから・・」と言った時に、ある種の爽快感を味わったサラリーマンは多いはずです。 なぜ、辞表を出す勤め人は格好よく見えるのか?そして潔く職を辞する態度になぜ人は憧れるのか? 私には何となく理解できます。 でもうまく表現できません。 では作者のホロヴィッツはどう考えていたのか? 彼自身を見てみれば分かるかも知れません。

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この設定を考えた作家のアンソニー・ホロヴィッツとはどんな人物なのか・・?

彼は1955年生まれ、オヒョウにごく近い年齢です。 民間企業なら定年を迎えた直後くらいです。 「刑事フォイル」のフォイル警視正は、作者の実年齢に近いのです。だから人情の機微を精密に描写できるのかも知れません。

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ホロヴィッツの生い立ちをWikipediaで調べてみれば、さらに詳しいことが分かります。

彼はLondon Paddingtonの比較的に裕福なユダヤ人の家庭に生まれ、少年時代は太っていたとのこと。子供の頃のコンプレックスは人格描写に陰影を付けるのに適しています。

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そして彼は、パブリックスクールはRugby校に通い、大学はYork大学を卒業しているとのことです。それほど優等生ではなかったらしい・・・。

London Euston駅から、West Coast Main Lineを西に向かう特急列車Inter Cityに乗ると、最初の停車駅がRugbyです。エリス少年が思わずサッカーボールを抱えて走り出してしまい、ラグビーという新しい球技ができてしまった、あの名門校ラグビー校はその町にあります。 しかし、ラグビー校はイートン校やハロー校ほどの超エリート学校ではありません。 そしてその後、進学した進学したヨーク大学も名門ではありますが、オックスフォード大学やケンブリッジ大学ほどの一流大学ではありません。

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もともと大学が少ない英国では、今でも大卒はそれなりの教養人として扱われますが、オックスフォード大学とケンブリッジ大学以外は、赤レンガ大学(日本で言うところの駅弁大学)と言われて差別されるのも事実です。 ホロヴィッツはインテリだけれど、本当のエリートではない、少し屈折した教養人なのかも知れません。そしてそれをフォイル警視正に投影しています。

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ドラマに登場するフォイル警視正は、時々、息子のことを語ります。「オックスフォードにいたが、応召して今は空軍にいる・・・」とサラリと語るのですが、そこに息子自慢がちょっと現れます。「爆撃機に搭乗しているのか?」と訊かれて、「いやスピットファイアだ」と答えるあたりも、エリートの戦闘機パイロットであることを自慢したがっています。インテリは、自慢する時に限って、そっけなくそして何気なく語るのです。そしてその短い会話に、微妙に彼のコンプレックスと自慢が現れます。

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それにしても、彼は何と格好いいのか。 決して笑顔を見せず、笑う時も少し頬を緩め、唇の端を上げるだけです。頭髪はかなり少なく、ハンサムとは言えない風貌です。立ち回りもせず、走る事もせず、見得をきる訳でもありません。車の運転すら滅多にしません。でも落ち着いたしぐさと思慮深い話し方と鋭い洞察力だけで、十分に格好いいのです。 かつての英国に多かった典型的な紳士の挙措です。 アメリカにはあまりいないタイプです。多分、ホロヴィッツもそのような男性に憧れ、そのような男を主人公にした作品を書いたのでしょう。 そして同世代の視聴者である私も、同じ感覚で、このドラマを眺めるのです。 だから、このドラマは私には理解しやすく、感情移入も容易なのです。

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アンソニー・ホロヴィッツは、このまま作品を出し続けるなら21世紀のグレアム・グリーンになれるかも知れません。でも彼がそう呼ばれるのを好むかは不明ですが。

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「それにしても・・」ともう一度考えます。 退職願を出し、職を辞する男はどうして格好良く見えるのか? 実際には、しばしば惨めであったり、ある種の屈託をもたらすものであるのに。


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