【 エリナー・リグビー 】 [イギリス]
【 エリナー・リグビー 】
一昨日、英国通過のポンドが大きく下落しました。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-01-16/OJV6GU6VDKHV01
背景には、EU離脱の交渉を始めた英国経済への不安があるようです。
EU離脱の交渉にあたる、哀愁の漂うメイ首相の表情がTVニュースで流れました。
なんとも難しい交渉です。まだEU離脱を決めていない段階なら、彼女にもカードはあり、交渉の余地はあるのですが、既に脱退を決めた上で、英国にとって少しでも有利な条件で脱退しよう・・というのは困難な交渉です。
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同盟を脱退する手続きについて、私に名案がある訳でもありませんが、最も愚かなのは、国際連盟を脱退した時の松岡洋右のやり方です。面子にこだわったのはいいとして、周囲を全て敵にしてしまい、日本としては何も得るものがなく、孤立を深めるだけ・・の結果になりました。そして仲間から飛び出して孤立した後に擦り寄ってくるのは、いつもチンピラです。国際連盟の代わりに日本が付き合ったのは、ナチスドイツとファシスト党のイタリアでした。
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英国のEU離脱はそれとは違いますが、前述の通り、離脱が決まった後の交渉は難しく、気の滅入る作業でしょう。ちょうど離婚を決めた後に子供の親権を争うようなものでしょう(私に経験はないけれど)。
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英国には苦い記憶があります。1992年のポンド危機です。EUのERMからの離脱を強いられたこの経済危機では、一瞬の間に英国の富は10億ドル以上も失われ、ヘッジファンドを肥やす結果となりました。今回も下手をすれば、英国のポンドは売り浴びせられる可能性があります。
そしてEU離脱でぐずぐずしていれば、EU残留派の多いスコットランドが今度は英国からの独立を画策するかも知れません。 内憂外患の中の孤独な彼女です。
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苦悩に満ちた彼女の顔を見ていて、ふとビートルズの「エリナー・リグビー」が聞こえた気がしました。勿論空耳ですが。
日本ではあまり流行りませんでしたが、これはビートルズの代表的なヒット曲のひとつです。 孤独な高齢女性のみじめな姿を、写実的に表現する曲ですが、ポール・マッカートニーが、このおばあさんを、あざ笑い冷やかしているのか、それとも同情しているのか、ともに悲しんでいるのか、それが分かりません。だから、日本では人気が出なかったのかな?
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歌詞のあらましを書きますと、
ほら、あの孤独な女性 エリナー・リグビーを見てみろよ! 教会の結婚式で米粒を拾っているぜ。あの孤独な老人達に居どころはあるのかな?
マッケンジー神父はお説教の原稿を書いているぞ。どうせ、誰も聞きやしないのにね。
あれあれ、靴下の穴を自分で繕っているぜ。
エリナー・リグビーが死んでも、誰も葬儀には来なかった。教会の墓地に葬られ、泥だらけのマッケンジー神父がくたびれて、帰っていくぞ。
あの孤独な人達はどこへ向かうのかな?彼女らに居どころなんてあるのかな?
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ちなみに、エリナー・リグビーは結婚式のライスシャワーの米粒を拾っている訳ですが、スズメじゃあるまいし、地べたに落ちたお米を拾うとは思えず、撒かずに残ったお米を貰っているのだと、私は思います。
私の記憶なので、一部不正確かも知れませんが、考えてみればひどい歌詞です。日本で流行るはずがありません。
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ビートルズには孤独を歌う曲が幾つかありますが、老人の孤独をみじめに扱った曲は多分これだけです。では私がなぜTVニュースを見ていて、この曲をイメージしたか?
この曲のイメージがメイ首相に重なる訳ではありません。老大国英国がこれから味わう孤独感がエリナー・リグビーに重なるのです。
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そもそも、私がエリナー・リグビーでひっかかるのは名前の発音です。Eleanorと言えば、私の感覚では発音はエレノアです。 エレノアで有名なのはエレノア・ルーズベルト。 あのフランクリン・ルーズベルトの奥さんで、単なる大統領夫人の枠を超えて活躍した人です。 大学を経営したあたりは日本の鳩山薫子さんあたりと似ていますが、もっと女丈夫でした。(彼女の問題点は日本に対して非友好的だったこと)。
だからエレノアと聞くと、孤独でみじめなお婆さんをイメージすることはできないのです。
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メイ首相の前の女性首相と言えば、あの鉄の女ことマーガレット・サッチャーです。サッチャー首相は、英国病を打破して経済を成長軌道に乗せ、北海油田で富とエネルギーを手にし、フォークランド戦争に勝利して、英国を復活させました。サッチャーと比べると、いかにもメイ首相は損な役回りです。
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おばあさんにせよ、老大国にせよ、いずれ孤独感を味わうのは仕方のないことです。人は皆さん、いつか孤独感にさいなまれます。 その孤独感を鋭く表現したのは、倉田百三の「出家とその弟子」ではないでしょうか? この作品には多くの逸話というか、allegoryが登場しますが、その中に、弟子の唯円が親鸞に寂しさを訴える場面があります。
唯円が「寂しい」と訴えると、師匠の親鸞はそれを理解した上で、「お前の寂しさは、対象によって癒される寂しさだ。 私の寂しさはもう何者でも癒されない寂しさだ。人間の運命としてのさびしさだ」と語ります。
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これを少年時代に読んだ時、私は、大人になっていくということは“他者によって癒されない絶対的な寂しさ”を味わい理解していく過程なのだな・・と勝手に解釈しました。
癒されない寂しさを、何とか乗り越えたいと思ったのは、詩人の若山牧水です。彼は「幾山川 越えさり行かば寂しさの 果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」と詠んでいます。
でも、牧水も知っていたはずです。 他者に癒されない絶対的な寂しさは、どこに行っても決して癒されないことを。
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そして彼だけでなく、多くの人が、解消する手段が無いことを知りながら、この運命としての寂しさを抱きしめているのです。 多分、メイ首相も、そして多くの英国民も。
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