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【 秋霖の瀬戸内海半日行 】 [広島]

【 秋霖の瀬戸内海半日行 】

東京からかつての勤務先の先輩であるSさんとそのお友達のTさんが、呉に来られました。目的は、一般公開される南極観測船しらせを見学することと、とびしま海道の下蒲刈島にある朝鮮通信使の資料館訪問です。

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ちょっと不安があります。SさんもTさんも東京外大の中国語科の卒業で、中国語はペラペラです。一方、私は中国語の正規の教育を受けたことはなく、酒席で拙い中国語を口にしては、あきれられたり、修正されたりしている有様です。今回も酔えば、へたくそな発音の中国語を口にして、両先輩に軽蔑されるのでは・・という思いがあります。

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交通機関の事情で、お二人が呉駅に着いたのは14:30と、既にお昼をかなり回っています。そこで、ホテルへのチェックインもせずに、そのまま、とびしま海道へつながる安芸灘大橋を渡り、我々は朝鮮通信使の資料館に到着しました。Tさんは既に福山の鞆の浦で同じような資料館をご覧になっており、内容は把握されています。注目されたのは、朝鮮通信使が残した漢詩で、幾つかの詩が、ところどころに碑文として刻まれています。 よく読むと、日本でふるまわれたお酒を蛮酒と紹介したりして、ちょっと日本に対して失礼ではないか?と思うところもありますが、日本の接待を褒めている詩文もあります。 特に日本の忍冬酒が気に入った・・という表記もあるのですが、その忍冬酒なる酒が何を意味するか分かりません。

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実は、Sさんは蒸留酒が好きで、Tさんは醸造酒(発酵酒)もOKということで、お酒の好みも微妙に違います。さて、忍冬酒とは蒸留酒だろうか?醸造酒だろうか?と酒好きの議論になったところで、私は別のことを考えます。

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今はハングル文字しか使わない韓国の人も昔は漢文を読み書きし、漢詩も作ったのだ・・と妙に感心します。多分、発音は日本の書き下し分とは全く違うのだろうな・・。

それなのに、朴正煕大統領の時代に、外国文字で自国の言葉を表記するのは、国辱だ・・ということで、外国語由来の文字を追放し、今はハングル文字ばかりになり、漢詩を詠む文化も廃れたようです。

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しかし、その娘の朴槿恵大統領は、若い頃中国に留学し、習近平国家主席との会談では、自ら中国語で話したとのこと。 事大主義の現れかも知れませんが、泉下の父親が聞いたらどう思うか・・。 それにしても外国語の文字で詩を作ることを、韓国のように恥と思うか、文化の奥行きと考えるかで、文化のありようは変わってきます。 日本では漢詩を作ることに抵抗はなく、漢学の素養は日本の教養人の根底にいまだに存在します。「まあ、そうは言っても、現代人で漢詩を詠む人はほとんどいないけれどね・・・」と思った時、「そんなことはないよ。現代人だって漢詩を作るさ」と言い出したのはSさんです。

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「僕が中国に出張した時、宴席で漢詩の作りっこをしたものさ。お酒を飲みながら、五言絶句を最初の一句から順番に作っていくゲームで、なかなか面白かった」とSさん。

「しかし、そんな知的なゲームを楽しめるのは、Sさんのように中国語と中国文化に造詣のある人だけでしょう?」と私。

Sさんは「いやS友金属のS社長(当時)なんかも漢詩づくりのゲームに参加しましたよ」

「そうですか。私の知る中国人は現代中国語と日本人が好む漢文は全く別物で、漢詩についての知識が無いのは仕方がない・・と言っていましたが」と私。

「そりゃ、その中国人は自分に教養が無いことを、現代中国語と漢文の違いのせいにして言い訳しているだけですよ」

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「なるほど、ところで李白は酒一斗詩百編とか言いましたね。今晩、お酒を飲みながら、詩でも作りましょうか?とても酒豪李白にはかないませんが」

「いや、李白の頃はアルコール度の低いどぶろく状のお酒で、一斗と言ったって大したことはなかったはずです」とTさん。

やっぱり、どうしてもお酒の話になってしまいます。

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呉市に戻る道の途中で、仁方という集落を通ります。「ここでは甘口の『雨後の月』と辛口の『宝剣』という2種類のお酒が有名で、日本酒党にはたまらないのですよ」と私。

しかし、日が暮れてから着いた呉のホテルでチェックインを済ませ、それから急いで出かけたお好み焼き屋は、満席で入れません。

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仕方なく、その隣の居酒屋で、お酒を飲むことになりました。

残念ながら「雨後の月」も「宝剣」もありません。 日本酒党は「亀齢」をぐびぐびと飲みます。

飲みながら、「はて?漢詩を作る話はどうなったかな?」と私はちょっと気になりました。

昔読んだ、「春夜桃花園に宴するの序」では最後の一句に「罰は金谷の酒数によらん」とありました。詩作に手こずれば、しこたま飲まされそうです。

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しかし、なぜか3人の会話に漢詩の話題は全く登場しません。 大学の後輩の美しい女性が今度海外駐在員になるので、ぜひその送別会をしたい・・とか、今は無くなった八重洲のてんぷら屋は良かったとか、そんな話ばかりです。

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罰ゲームはなかったものの、たいそう酔っ払った私は、帰りの運転代行の車の中で、

「そうだ、詩を作らなくては」と思いました。そこで、黒瀬川を渡り、私の自宅に着くまでの30分の間に、即興で一つ作りました。恥を忍んで披露します。

涼秋一日遊野呂山 涼秋の一日、野呂山に遊ぶ

有朋友自東都下  朋友ありて、東都より下り、

白秋一刻遊小島  白秋の一刻を小島に遊ぶ

登野呂山望海欲  野呂山に登りて、海を望まんと欲するも

秋色山頂在雲中  秋色の山頂 雲中にありて

残照一景不能得  残照の一景を得る能わず

問余何意去呉下  余に問う 何の意あってか呉の町を去る?

笑而不答思自明  笑って答えざれども、思いはおのずから明らかなり

誰知余将来霧中  誰か知る 余が将来の霧中なるを

七言律詩のつもりですが、車の中には平仄辞典がありません。あとで時間をかけて、内容を推敲したいと思います。

なぜ、私が呉の街を離れようと思ったかですか?

それについては、時期が来れば、またご報告いたします。

ちなみに、居酒屋の中では、もう一つ詩を作ろうと思っていました。

「在陋巷酒家」と題して、こちらはSさんとTさんにも参加して作ろうと思いましたが、まだ着手していません。 10月に機会があれば、東京で、可能なら近く海外駐在に旅立つFさんにも参加して貰いたいところです。


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