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【 仮面舞踏会 】 [インターネット]

【 仮面舞踏会 】

このブログを書いていて、時々お叱りを受けることがあります。ある種のオピニオンというか主張を書く時、匿名で書くのは卑怯ではないか・・というご指摘です。「笑うオヒョウ」では、時に特定の個人を攻撃する事もありますが、その際も匿名で非難するのは不適切ではないか?と言われます。なるほど。

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確かにその通りです。私が誰かに非難されるとして、その相手が匿名だったら、不愉快なことです。 ハンドルネームを用いるブログ固有の問題かも知れません。匿名を使う場合は、他人を攻撃したり非難することは控えるべきかな・・とも思います。

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でも私のささやかなブログの場合、読者も限られており、1件あたりのアクセス件数は、100件程度です (たまに数千件に及ぶものもありますが)。何万人ものフォロアーを持つ有名なツィッターやフェースブックとは違います。 そして、その読者諸兄の半分以上は、多分、「笑うオヒョウ」が誰かを知っています。それに加えて、私は、何度か私の名前や顔写真をブログに公開しています。(お見せするのも恥ずかしい肥満体の男ですが)。

注意深くお読みになれば、この中年男はバレバレなのです。 つまり弊ブログについては、匿名性はとっくに失われているのです。(あまり弁解にはなりませんが)。

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そして私の拙文の中には、頻繁に楽屋落ちというか、仲間内の話題が登場します。そこで悩むのです。私をご存知の方には理解できる話でも、私をご存知でない方にはチンプンカンプンの話が登場します。それらの話題は、私をご存知ない方には失礼ではないか? という悩みです。

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ではプライベートな話題は避けるべきか・・・?となると、本来、ブログとは私小説または身辺雑記ですから、これも矛盾をきたすことになります。

そんなに問題が多いのなら、そしてオヒョウが誰なのかを、皆さん知っておられるのなら、ハンドルネームなど止めて実名で書いたらどうだ? とも考えます。なぜ、ブログではハンドルネームを使うのが当たり前なのか?

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日本では中世の文学作品には、作者不明のものが多くあります。また作者名が記されていても、偽名だったり、別人だったりします。「竹取物語」の著者は不明ですし、「平家物語」の作者も信濃前司行長とされていますが、実際は不明です。紀貫之の「土佐日記」は作者を女性と偽っています。この作者名を敢えて隠す発想はブログのハンドルネームの発想に似ています。

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日本だけではありません。 中国の「水滸伝」の作者は羅貫中なのか施耐庵なのか不明です。 英国ではシェークスピア偽者説があります。 シェークスピア自身は実存する人物ですが、あまり教育を受けておらず、とても高尚な文学作品を執筆できる人物ではなかったとのこと。 一部の研究者は、膨大なシェークスピアの戯曲を著したのはベーコンではないか?と考えています。

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これらの作品で、作者名が伏せられたのは、時の権力者に対して警戒したとか、奥ゆかしさ、或いは韜晦趣味による遠慮・・・ということもありましょうが、ある種の匿名性の面白さを考えてのことでしょう。

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近代の小説でも、自分自身を投影した主人公に一人称で語らせる作品で、名前を伏せる例があります。 作者名は明らかなのですが、仮託される主人公の名前が伏せられます。漱石は、「我輩は猫である」の中で、自分を珍野苦沙弥として登場させています。芥川龍之介は自分を「或る阿呆」としたり「侏儒」としたりしています。 いずれも仮面を付けた主人公です。

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作者(或いは主人公)が誰なのかバレバレなのに、敢えて他人の振りをして、作品を客観的に他人に語ったりする遊びを楽しんだのではないか? 聞く方も、相手が作者であることを知りながら、知らないそぶりで、応対する・・という遊びがあったのではないか? これは前近代の西欧で流行した「仮面舞踏会」の一種です。

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昔の小説も、現代のブログも、全て仮面舞踏会=マスカレードです。

仮面舞踏会では、人々がマスクをして集まり、表向きは、相手が誰なのか分からない状況で、ダンスをしたり、談笑したりする、一種の無礼講のパーティが開かれます。

しかし仮面は付けていても、相手が誰なのかはバレバレです。でも敢えて知らない人(stranger)として扱うのです。そのアナロジーとしてブログの世界を考えた場合、弊ブログに登場する方々もコメントを下さる方々もバレバレです。夏炉冬扇様、Yusai-zenji様、霍去病様、シカゴ様、誰が誰かは皆分かるのですが、そこは知らない素振りです。

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顔に付けるマスク(マスカレード)は、あくまで仮面であり、お面ではありません。和辻哲郎が「面とペルソナ」で解説したお面またはペルソナは、自分を他の人格に切り替える為の記号です。 一方、仮面=マスカレードは、人格を消す・・・つまり「顔無し」にするものです。 アニメ「千と千尋」に登場する「顔無し」は仮面の下に化け物がいました。

仮面舞踏会の顔無しは、仮面の下に、人格がありますが、仮面の上は知らない人というお約束です。

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19世紀頃に西欧で流行った仮面舞踏会は、近年は流行りません。なぜかは分かりませんが、その趣向を面白がる人は今も多いはずです。 今インターネット上で流行るブログには、仮面舞踏会(マスカレード)と共通する面白さと楽しみが多分にあります。 それがツィッターやフェースブックと少し違うところです。

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いっそ、ブログの匿名性を強調する形で、「笑うオヒョウ」の名前を変更しましょうか?

例えば「仮面の告白」とか・・。

でもそうすれば、読者諸兄から「お前が三島由紀夫の真似をするなど、ずうずうしいにも程がある」というお叱りのコメントが殺到するでしょうね。いろいろなハンドルネームの方から。


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